バスに乗っていたら「孫中山紀念館」という停留所があった。なんだろうと思い調べてみたら数年前にできた新しい施設だった。
ヒルサイドエスカレーターを上って堅道にぶつかったところで右へ折れると大きな赤レンガの建物が坂の上にあった。この建築物は1914年に作られたものでもともと商人の屋敷だったがその後教会となり改修を経て展示施設になった。ステンドグラスや各部屋の大きな扉、外壁など古建築好きな人にはうってつけで、展示室内では改修工事の映像も見ることが出来る。中は横浜の山手にある洋館と似たようなつくりになっていて、今の香港人は使わない暖房施設=暖炉まであった。昔は冬は寒かったのか、それとも西洋風の飾り付けがほしかったのか。
孫中山というとなじみが薄いが、孫文のことだ。彼は香港で過ごした時期もあるのに、澳門や上海にあるような国父の顕彰施設がこれまでなかった。長く英国領だったからだろうか。とにかく返還後、特区政庁が紀念館を作ろうと躍起になって建物を探し出し公開にこぎつけた、といういきさつのようだ。
だから、ということでもないが、建物が大きい割りに展示品が質、量ともに貧弱なのが残念だ。写真や文献がほとんどで複製ばかりだ。かろうじて略歴を紹介する映像がバランスをとっているにすぎない。
中身よりも売店のほうが充実しているのはいかにも中国的なのだが。
ヒルサイドエスカレーターを上って堅道にぶつかったところで右へ折れると大きな赤レンガの建物が坂の上にあった。この建築物は1914年に作られたものでもともと商人の屋敷だったがその後教会となり改修を経て展示施設になった。ステンドグラスや各部屋の大きな扉、外壁など古建築好きな人にはうってつけで、展示室内では改修工事の映像も見ることが出来る。中は横浜の山手にある洋館と似たようなつくりになっていて、今の香港人は使わない暖房施設=暖炉まであった。昔は冬は寒かったのか、それとも西洋風の飾り付けがほしかったのか。
孫中山というとなじみが薄いが、孫文のことだ。彼は香港で過ごした時期もあるのに、澳門や上海にあるような国父の顕彰施設がこれまでなかった。長く英国領だったからだろうか。とにかく返還後、特区政庁が紀念館を作ろうと躍起になって建物を探し出し公開にこぎつけた、といういきさつのようだ。
だから、ということでもないが、建物が大きい割りに展示品が質、量ともに貧弱なのが残念だ。写真や文献がほとんどで複製ばかりだ。かろうじて略歴を紹介する映像がバランスをとっているにすぎない。
中身よりも売店のほうが充実しているのはいかにも中国的なのだが。