アースクエスト BLOG

シーカヤック アースクエストのブログです。

その9 海のリスク

2015-04-18 07:52:00 | はじまりから今へ
※その1から続けて読みたい方はこちら

その9 海のリスク
 シーカヤックを手に入れた当時の私は、通称「ブルーインパルス」と呼ばれる、各地の基地公開日に展示飛行を行うことを主な任務にしている部隊に所属していました。各地で基地が公開される4月から11月にかけては週末の出張が多くて、艇を買った「エコマリン宮城」のスクールやツアーになかなか参加できないでいました。

 インターネットはもちろん、携帯電話も普及していなかった当時、天気予報はテレビ・ラジオ・新聞・電話で入手していました。前の日の夜のテレビの天気予報で天気図を見て、道中のラジオで天気予報を聞いて、心配な時は現場近くの公衆電話で177に電話して、ツーリング中は、休憩時間にラジオで。それでも、特に不便は感じていませんでした。ネットで様々な情報が入るようになったとはいえ、最終判断は現場での観天望気。これだけは変わりません。

 実際にシーカヤックを初めてみると、改めて海のリスクの高さを感じるようになりました。まず、水の上。ライフジャケットが必須なことでも分かると通り、そもそも水の上に浮かんでいること自体がリスク。さらに、手こぎ。限界点は体力に左右されてしまいます。そして、風。自転車以上に風の影響を受けるのがシーカヤック。特に、追い風や横風はカヤックの進路が安定しないので、慣れるまでは苦労しました。波に関しては、現場で実際の状況を見ながら漕げるので、たいして問題にはなりませんでしたが、風に関しては雲を見たり、崖の上の木を見たり、トンビの飛び方を見たりと、強風の兆候には常に注意を払っていました。さらに、始めたばかりで自分の限界がイメージできなかったことが、一番怖かったと思います。

 それでも、漕ぐ回数を重ねて様々な経験をしていくうちに、だんだん自信がついてきました。

つづく

   

   ↑2006年・御前浜付近の山桜とSeaward Quest※写真と本文とは関係ありません。


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その8 進水

2015-04-05 06:30:00 | はじまりから今へ
その8 進水
 ついに、シーカヤックを手にする?日がやってきました。入荷の連絡をもらって、早速スケジュールを調整してエコマリン宮城に向かいました。

 狭い(と言ってもシーカヤックが数艇入っていました。)に置かれた黄色いカヤック。基本的な乗り降りの仕方や漕ぎ方、スプレースカートの着脱などを店内で教えてもらいます。・・・・。できれば、講習を受けたいんですが、なかなかスケジュールが合いません・・・・。苦肉の策での、店内講習となったんですが、こんなんで乗って、大丈夫か?と相当不安になりました。なにしろ、買ったのは良いけどカヤックには乗ったことが無いのです。ひっくり返ったときの対処、「セルフレスキュー」も店内で・・・・・・・・・。相当不安なまま、車への積載も教わって、この日は帰りました。

 初心者講習が受けられそうに無いまま、時間が過ぎていくのはもったい無いので、買いあさったシーカヤック関係の本を読みあさり、結局は、一人で海に出ることにしました。

 漁師の叔父に「何かあると大変だから、なるべく周りに誰かが居るうちに帰るようにしてる」とか、「帰る前には周りを見渡して、助けが必要な仲間が居ないか確認してから舫いを解く」といった感じで、海に一人で出るリスクを教わっていたこともあって、進水式は人の出入りが頻繁な地元の漁港のスロープを使うことにしました。

 進水式の日。天気は晴れ。風おだやか。女川港の北にある石浜漁港のスロープ。かつて、北洋にカニ漁に出ていた父親が、数ヶ月ぶりに家に帰ってくると言うその日に、スロープで遊んでいて足を滑らせ、溺れかけた思い出のスロープ。帰ってきた父は、事の顛末を聞くと、三輪車禁止&2時間ほど納屋へ閉じ込めるというありがた指導をしてくれました。次は、親にばれないようにしようと、堅く誓った幼少の思い出。

 そんなスロープに、デザインがイマイチのロングジョン、(タンクトップのツナギスタイルのウェットスーツ)しかも紫色・・、青いライジャケとスプレースカート、黄色いカヤックといった出で立ちで、ものすごく滑りやすいスロープで、転ばないように慎重にカヤックを浮かべ、覚悟を決めて乗り込みました。

 思ったほど不安定では無く、スプレースカートも無事装着できました。少々漕いでみましたが、問題なさそうです。

 そしていよいよ、セルフレスキューの練習です。店内での講習、イメトレを重ねてきた成果が問われます。カヤックを浮かべて並行して泳ぎ、練習開始。まずは、パドルフロートに息を吹き込みます。けっこう大変。めいっぱい膨らますと、パドルがセットできないことを発見。聞いてない・・・・・。少し空気を抜いて、パドルをセットして、さらに膨らませます。パドルをカヤックのスターンハッチ脇のベルトにセットして、カヤックに一気に這い上がり、セットしたパドルに足をかけます。乗れた!

 何度か試して、大丈夫そうなのでいよいよ出港です。

↓石浜漁港から出港方向を見た写真。(写真はイメージです。)


石浜漁港を出て女川港の入り口にある赤灯台を目指して漕ぎます。海の上に座っているかのような視点、滑るように進む感じ。思いの外安定している舟。小1時間ほどのパドリングを楽しみ、初めてのシーカヤックは、無事に終了しました。

↓女川港入り口の赤灯台。(当時。写真はイメージです。)


きっかけ その7 いよいよシーカヤック購入へ

2015-04-03 06:30:00 | はじまりから今へ
その7

 半年弱の浜松での入校を終え、原隊の松島基地に戻った私は、シーカヤックの購入を夢見つつ趣味としてのソロキャンプを少しずつ行っていました。実家のある女川町の山林でのソロキャンプでは、テントの周辺を徘徊する生き物の気配に眠れない夜を過ごし、中学生の時遠足で登った京が森の山頂では、初のウィンターキャンプをしました。冬の東北と言っても、太平洋側の沿岸部は積雪もほとんど無く、夏用と3シーズン用の2枚の寝袋で十分快適に眠れました。京が森の山頂では、秋にもキャンプをしており、このときはスッポンタケやホコリタケなどのキノコがたくさん生えていたのが印象的でした。

 そして、入隊から1年半を過ぎた冬、ようやく車の購入にこぎ着けました。といっても、自分の名義では手続きが面倒なので、妹の名義で車を買って、その車を借りるという、若干正攻法では無いやりかたで自分の車を手に入れていました。考えてみれば、無理に基地内に車を持ち込もうとするからややこしい手続きが必要なわけで、基地外に車の置き場所を確保して、実家の車を休日に「借りる」申請をすれば、いらん指導を受けることも無いのです。幸い知人が基地の近く、自転車で15分ほどの所に住んでいて、駐車場も確保できました。もっとも、規則のあまり想定していないやり方で、実質的に車を購入したことを快く思わない先輩方も居たようでしたが・・・。

 その後、防府基地での約3ヶ月の入校を経て、ようやく学生の身分を卒業した私は、松島基地へ戻ってから一ヶ月ほどして、かねてより希望していた、新しい機種に変更中のブルーインパルス(T-4準備班)への配置を命じられました。念願かなってブルーインパルスの整備員になった私は、職場の同僚と河原でキャンプをしたり、「野宿友の会・通称NTK」と称して、冬以外は月一回、同僚達と牡鹿町にあった十八成浜キャンプ場に通うようになっていました。

 カヤックの購入資金に目処がついた(恐らく)21歳のある日、「カヌーライフ」で調べた塩竃のシーカヤックショップ、「エコマリン宮城」を訪ねました。しかし、どーも毎日は営業していなさそうな雰囲気の店で、最初の数回は店が開いていませんでした。もう、季節も覚えていませんが、ストーブに火がついていた季節、はじめてエコマリン宮城に入った私は、店主のAさんにシーカヤック購入に関するアドバイスをお願いしました。結果、カヤックはパーセプションのシーライオン、パドルはガルフストリーム。ついでに、その他装備一式を見繕ってもらいました。
↑シーライオン


 艇は、初心者向けで無いとカタログには表記されていましたが、氏曰く、「チヌークでは船足が遅いし、安定性がありすぎて飽きるよ」とのこと。パドルに関しては、「これがいい」と、理由は教えてくれませんでした。スカート、ポンプ、ライフジャケット(当時はPFDが正式だと思い込んでいました。)、スペアパドル、ドライバック、ホイッスル・・・・・・・。

総額30万円ほどの買い物でした。

つづく

きっかけ その6

2015-03-31 06:30:00 | はじまりから今へ
 3回目のソロキャンプを終え、秋も深まった浜松の地で、翌年のグリーンシーズンに思いを馳せていた私は、雑誌で見かけたシーカヤックを始めるかどうか、悩んでいました。
 3回のキャンプで分かったことは、河原や里ではどこに行っても人がいると言うことでした。特に、3回目のキャンプの朝、山の中でも人に遭遇してしまったことが、大きな衝撃でした。今にして思えば、里近くの山ではあたりまえのことだと思うのですが、そこは知識が不足していたんでしょう。

 どこか自然の中で一人に慣れる場所が無いか、考えること数日。ふと、思い起こせば、日本には地球一周分に匹敵する海岸線があるではないですか。そして、私は海辺育ち。宮城県の牡鹿半島の付け根、女川町生まれの私は、ガキ大将が残っていた最後の世代。上級生に連れられて、野山、小川、海と遊びまくった小学校時代を過ごしています。
 海を旅すれば、人の居ない(来られない)海岸でのんびりゆったりキャンプができる!。海岸なら、たき火もできる!!。シーカヤックという、海での旅を意識したやたらスマートな手こぎの舟が雑誌に載っていたことを思い出しました。

 カヤックに関する情報は、アウトドア雑誌や、カヌーの専門誌・「カヌーライフ」に結構出ており、基本的なテクニックに関する本もありました。
 ネックは、社会人1年生には高額な、装備一式の値段です。かっこいいFRP素材のカヤックは、30万円台、ポリエチレンのものは20万円前後。パドルが(ピンキリですが)3万円台、それにパドリングウェア(ウェットスーツ、ブーツ、ジャケット、パンツ)が一式で5万円ほど。スプレースカートが1万5千円ぐらい。
さらに、セルフレスキューとかいう再乗艇テクニックに必要らしいパドルフロートや、ビルジポンプ。そしてそして、防水バックなどなどの小物類、コンパス、海図・・・・・・・・。
 折りたたみ式のカヤック(ファルトボート)もありましたが、海での使用に向いているとは思えなかったので、リジット艇(FRPやポリエチレン製の「硬い」艇)に絞って考えることにしました。

 よく、収納場所の問題でファルトボートを選ぶ方がありますが、かつて、「空母に合わせて飛行機を作るのでは無く、飛行機に合わせて空母を作れ」と言った提督がおりましたが、カヤック選びは「目的」から選ぶのが大事だと今でも思っています。
 ファルトボートは収納場所やカートップの問題を解決するカヤックでは無く、背負ったり宅急便で送ったりできることが最大のメリットの艇です。自宅から遠く離れた場所や海外を自分の艇で漕ぎたいならば良い選択ですが、日常的に「趣味」として漕ぎに出るなら、強度的にも耐候性的にも断然リジット艇です。
 伝統的なスキンボートとファルトボートを混同している方もおりますが、折りたたみが前提の骨組みと、必要な強度としなりを計算してつくられるスキンカヤックは、全く別物です。

 自分がイメージしたのは、地元の海。リアス式海岸の複雑な地形と、硬い岩が鋭利につきだしている岩。うねりが消えることの無い太平洋沿岸。FRP艇は、性能は高いけど、思いキャンプ道具を満載してソロで漕ぐとなれば、ある程度引きずっても大丈夫なポリ艇かな・・。
 様々なインポーターのカタログを見て、搭載力やらスピード、安定性などの比較表を見ながら選んだのが、パーセプションの「チヌ-ク」。今のスタイルとは正反対の、搭載力重視、ラダー付き、広いコクピットのポリ艇(ポリエチレン製のカヤック)です。

 カヤックの購入をイメージすると、新たな問題が浮かび上がります。シーカヤックを楽しむには、カヤックを運ぶ車が必要です。私は入隊から2年は一応「学生」の身分。(一般空曹候補学生というコースで入隊しておりました。)さらに、私生活にもいろいろいな制約のある自衛官。車両の購入には入隊2年経過後、購入後の貯金残高30万円以上、などのなどの過保護な制約がありました・・・・。

きっかけ その5

2015-03-30 06:00:00 | はじまりから今へ
今回は、浜松北部の地図を10分ほど眺めておりましたが、どこで3回目のソロキャンプをしたかが全く思い出せなかったので、道中の話は書けません・・。

 浜松市の北にある秋葉ダムの方に向かったような気がしてるんですが、何しろ航空自衛隊の航空機整備員は結構頻繁に浜松に研修で長期出張するので、20年もたつと記憶がごちゃごちゃになっています。

 ちなみに、私は中級航空機整備員で半年弱、機種転換過程で1ヶ月強、上級航空機整備員課程で半年強。自衛隊には9年とちょっとおりましたが、そのうちの約1年間は浜松で勉強していたことになります。

 2回のソロキャンプを経て、もっと奥深い(と言うか人の来ない)場所でのキャンプをしたい思いが強くなった私は、浜松周辺の地図やガイドブックを買いあさってコース選びに取り組みました。
 とはいっても、使えるのは土日の2日間。しかも、移動は公共交通機関。浜松基地はバスに恵まれているとはいえ、バスの出る時間じゃ無いとどこにも移動ができないのがネックでした。早朝発ができないんです。
 当然、行ける範囲も浜松周辺になってしまいます。浜松から遠州鉄道で北に向かうと、山深い地域の入り口まで行けます。そこからどこへどう向かうか。

 3回目のキャンプは、神社の参道から脇道にそれて、名も無い山の細い道をのんびり歩いて、手頃なところでキャンプ泊をする予定でスタートしました。

 はじめて、山に入ったわけです。中学生ぐらいまでは、家の周りの山でサンショウウオを捕ったり、蝉を捕ったり、山菜を採ったりしていたので、山には慣れているつもりでしたが、捕りに入る山と、泊に入る山ではまったく視点が変わることに気がつきました。
 特に目的地があるわけでも無く、快適に一夜を過ごせる場所を求めての山歩きですが、自分で山の中に入ったと思っていても、思いがけずに大きな林道にあたったり、怪しい宗教施設と思われる建物があったりで、なかなか「平ら」な場所が見つかりません。

 普通に家で寝ていると、「平ら」ことはあたりまえですが、自然の中では「平ら」な場所は不自然です。特に、山の中で「平ら」な場所は、なかなか見つかりません。
 このときも、「平ら」で人が来そうに無い場所を探して、結局夕方まで歩いたのを覚えています。

 テン場(テントを張る場所)に選んだのは、大きな杉の木のある小道の脇の平場(ひらば・平らなところ)で、高校生のカップルはもちろん、散歩が好きな人生の大先輩達も来そうに無い雰囲気の場所でした。少なくとも、朝はもんびり寝てられるはずです

 テントを張って、夕食の支度をして、持参したお酒を飲んで極楽気分。料理が終わってガソリンストーブを消した瞬間の静寂が何ともいえません。今ならたき火もするところですが、キャンプビギナーだった私は欧米のローインパクトキャンプの記事なんぞに影響を受けていたので、キャンドルランタンの明かりで過ごすのでした。

 肌寒くなって、テントに入り、今は懐かしい電球のヘッドランプで読書をしてすごし、寝袋の中で心地よく眠りにつきました。
 
 翌朝、はぁはぁという息づかいの音で目を覚ますと・・・・・・。犬を連れたご夫婦が散歩中・・・・。うーん、週末日中2日間、門限(日曜20時30分)付きの旅では思った通りの旅はできないなーと思った瞬間でした。もちろん、人嫌いなわけでは無いので、挨拶を交わしてテントの話などで盛り上がりはするんですが、やはりちょっと寂しさのような気持ちがこみ上げてきました。

 私は、山の中に入っていたつもりでしたが、登った方とは反対側の集落に近づいていたようでした・・・。なかなか、イメージ通りのキャンプができません。

 秋が深まり、そろそろ手持ちの装備では心許なく、かといって冬用の装備を買う予算も無く・・・。浜松でのアウトドアはこれで終了かなと思った3回目のソロキャンプでした。
 今にして思えば、このキャンプの朝の出来事が、私をシーカヤックの道に結びつけたと思っています。

 つづく