アースクエスト BLOG

シーカヤック アースクエストのブログです。

きっかけ その6

2015-03-31 06:30:00 | はじまりから今へ
 3回目のソロキャンプを終え、秋も深まった浜松の地で、翌年のグリーンシーズンに思いを馳せていた私は、雑誌で見かけたシーカヤックを始めるかどうか、悩んでいました。
 3回のキャンプで分かったことは、河原や里ではどこに行っても人がいると言うことでした。特に、3回目のキャンプの朝、山の中でも人に遭遇してしまったことが、大きな衝撃でした。今にして思えば、里近くの山ではあたりまえのことだと思うのですが、そこは知識が不足していたんでしょう。

 どこか自然の中で一人に慣れる場所が無いか、考えること数日。ふと、思い起こせば、日本には地球一周分に匹敵する海岸線があるではないですか。そして、私は海辺育ち。宮城県の牡鹿半島の付け根、女川町生まれの私は、ガキ大将が残っていた最後の世代。上級生に連れられて、野山、小川、海と遊びまくった小学校時代を過ごしています。
 海を旅すれば、人の居ない(来られない)海岸でのんびりゆったりキャンプができる!。海岸なら、たき火もできる!!。シーカヤックという、海での旅を意識したやたらスマートな手こぎの舟が雑誌に載っていたことを思い出しました。

 カヤックに関する情報は、アウトドア雑誌や、カヌーの専門誌・「カヌーライフ」に結構出ており、基本的なテクニックに関する本もありました。
 ネックは、社会人1年生には高額な、装備一式の値段です。かっこいいFRP素材のカヤックは、30万円台、ポリエチレンのものは20万円前後。パドルが(ピンキリですが)3万円台、それにパドリングウェア(ウェットスーツ、ブーツ、ジャケット、パンツ)が一式で5万円ほど。スプレースカートが1万5千円ぐらい。
さらに、セルフレスキューとかいう再乗艇テクニックに必要らしいパドルフロートや、ビルジポンプ。そしてそして、防水バックなどなどの小物類、コンパス、海図・・・・・・・・。
 折りたたみ式のカヤック(ファルトボート)もありましたが、海での使用に向いているとは思えなかったので、リジット艇(FRPやポリエチレン製の「硬い」艇)に絞って考えることにしました。

 よく、収納場所の問題でファルトボートを選ぶ方がありますが、かつて、「空母に合わせて飛行機を作るのでは無く、飛行機に合わせて空母を作れ」と言った提督がおりましたが、カヤック選びは「目的」から選ぶのが大事だと今でも思っています。
 ファルトボートは収納場所やカートップの問題を解決するカヤックでは無く、背負ったり宅急便で送ったりできることが最大のメリットの艇です。自宅から遠く離れた場所や海外を自分の艇で漕ぎたいならば良い選択ですが、日常的に「趣味」として漕ぎに出るなら、強度的にも耐候性的にも断然リジット艇です。
 伝統的なスキンボートとファルトボートを混同している方もおりますが、折りたたみが前提の骨組みと、必要な強度としなりを計算してつくられるスキンカヤックは、全く別物です。

 自分がイメージしたのは、地元の海。リアス式海岸の複雑な地形と、硬い岩が鋭利につきだしている岩。うねりが消えることの無い太平洋沿岸。FRP艇は、性能は高いけど、思いキャンプ道具を満載してソロで漕ぐとなれば、ある程度引きずっても大丈夫なポリ艇かな・・。
 様々なインポーターのカタログを見て、搭載力やらスピード、安定性などの比較表を見ながら選んだのが、パーセプションの「チヌ-ク」。今のスタイルとは正反対の、搭載力重視、ラダー付き、広いコクピットのポリ艇(ポリエチレン製のカヤック)です。

 カヤックの購入をイメージすると、新たな問題が浮かび上がります。シーカヤックを楽しむには、カヤックを運ぶ車が必要です。私は入隊から2年は一応「学生」の身分。(一般空曹候補学生というコースで入隊しておりました。)さらに、私生活にもいろいろいな制約のある自衛官。車両の購入には入隊2年経過後、購入後の貯金残高30万円以上、などのなどの過保護な制約がありました・・・・。

きっかけ その5

2015-03-30 06:00:00 | はじまりから今へ
今回は、浜松北部の地図を10分ほど眺めておりましたが、どこで3回目のソロキャンプをしたかが全く思い出せなかったので、道中の話は書けません・・。

 浜松市の北にある秋葉ダムの方に向かったような気がしてるんですが、何しろ航空自衛隊の航空機整備員は結構頻繁に浜松に研修で長期出張するので、20年もたつと記憶がごちゃごちゃになっています。

 ちなみに、私は中級航空機整備員で半年弱、機種転換過程で1ヶ月強、上級航空機整備員課程で半年強。自衛隊には9年とちょっとおりましたが、そのうちの約1年間は浜松で勉強していたことになります。

 2回のソロキャンプを経て、もっと奥深い(と言うか人の来ない)場所でのキャンプをしたい思いが強くなった私は、浜松周辺の地図やガイドブックを買いあさってコース選びに取り組みました。
 とはいっても、使えるのは土日の2日間。しかも、移動は公共交通機関。浜松基地はバスに恵まれているとはいえ、バスの出る時間じゃ無いとどこにも移動ができないのがネックでした。早朝発ができないんです。
 当然、行ける範囲も浜松周辺になってしまいます。浜松から遠州鉄道で北に向かうと、山深い地域の入り口まで行けます。そこからどこへどう向かうか。

 3回目のキャンプは、神社の参道から脇道にそれて、名も無い山の細い道をのんびり歩いて、手頃なところでキャンプ泊をする予定でスタートしました。

 はじめて、山に入ったわけです。中学生ぐらいまでは、家の周りの山でサンショウウオを捕ったり、蝉を捕ったり、山菜を採ったりしていたので、山には慣れているつもりでしたが、捕りに入る山と、泊に入る山ではまったく視点が変わることに気がつきました。
 特に目的地があるわけでも無く、快適に一夜を過ごせる場所を求めての山歩きですが、自分で山の中に入ったと思っていても、思いがけずに大きな林道にあたったり、怪しい宗教施設と思われる建物があったりで、なかなか「平ら」な場所が見つかりません。

 普通に家で寝ていると、「平ら」ことはあたりまえですが、自然の中では「平ら」な場所は不自然です。特に、山の中で「平ら」な場所は、なかなか見つかりません。
 このときも、「平ら」で人が来そうに無い場所を探して、結局夕方まで歩いたのを覚えています。

 テン場(テントを張る場所)に選んだのは、大きな杉の木のある小道の脇の平場(ひらば・平らなところ)で、高校生のカップルはもちろん、散歩が好きな人生の大先輩達も来そうに無い雰囲気の場所でした。少なくとも、朝はもんびり寝てられるはずです

 テントを張って、夕食の支度をして、持参したお酒を飲んで極楽気分。料理が終わってガソリンストーブを消した瞬間の静寂が何ともいえません。今ならたき火もするところですが、キャンプビギナーだった私は欧米のローインパクトキャンプの記事なんぞに影響を受けていたので、キャンドルランタンの明かりで過ごすのでした。

 肌寒くなって、テントに入り、今は懐かしい電球のヘッドランプで読書をしてすごし、寝袋の中で心地よく眠りにつきました。
 
 翌朝、はぁはぁという息づかいの音で目を覚ますと・・・・・・。犬を連れたご夫婦が散歩中・・・・。うーん、週末日中2日間、門限(日曜20時30分)付きの旅では思った通りの旅はできないなーと思った瞬間でした。もちろん、人嫌いなわけでは無いので、挨拶を交わしてテントの話などで盛り上がりはするんですが、やはりちょっと寂しさのような気持ちがこみ上げてきました。

 私は、山の中に入っていたつもりでしたが、登った方とは反対側の集落に近づいていたようでした・・・。なかなか、イメージ通りのキャンプができません。

 秋が深まり、そろそろ手持ちの装備では心許なく、かといって冬用の装備を買う予算も無く・・・。浜松でのアウトドアはこれで終了かなと思った3回目のソロキャンプでした。
 今にして思えば、このキャンプの朝の出来事が、私をシーカヤックの道に結びつけたと思っています。

 つづく

きっかけ その4

2015-03-29 06:00:00 | はじまりから今へ
今は、シーカヤックのインストラクター&ガイドを主な仕事にしている私ですが、実はカメラも大好きで、高校時代は写真部で変な風景写真を撮っていました。部活での写真は、モノクロフィルムを使って、現像もプリントも自分でやります。

 顧問が相当な写真マニアで、周辺の高校が集まる写真展に出品する作品は、べた焼き(フィルムを印画紙に密着させて現像する、ネガの大きさの写真)→キャビネ判(今だと2Lサイズですかね)→四つ切り・・・。といった顧問の審査を経て、最後は全紙サイズのパネルに仕上げます。

 べた焼きを顧問に見せて、OKがでた写真をキャビネ判で現像してチェックを受けると、四つ切りに進めるのはフィルム1本あたり2~3枚。四つ切りの壁を突破できるのは、フィルム3本に1枚ぐらいでした。没になった写真は、目の前で破り捨てられるという、今にして思えば?な感じの顧問でした。

 もっとも、破られた写真のどこがどのように悪いのか、丁寧に指摘はして頂きましたが・・・。

 デジカメがメインの今は、枚数を気にして写真を撮るこ
 だいたい、結果が点数で出るわけでも無く、構図や素材選び、露出等々いろんなチェックをされるんですが、高校生ながらに完成形がイメージできず、結局は顧問の趣味の世界じゃ無いかと、そー思いつつも先生に合わせて作品作りに励んだ写真部生活でした。

 いちゃついていた高校生を思い出したので、ちょっと高校のことに触れたら写真話が止まらなそうなので、この辺で話を戻します。

 眠れない(気がした)夜を過ごして、外が明るくなると、早朝に散歩する方々であたりが騒々しくなってきます。そもそも、鉄橋の下で寝ているので、ディーゼルカーが通る度に音と振動で目が覚めます。

 自衛隊のヒコーキは、通常は朝8時前には騒音防止で飛びませんが、鉄道は下にキャンパーが寝ていても容赦なく通過していきます。あたりまえですが。
 そんな場所を「平ら」なだけで選んだのは、未熟だったからかもしれません。もっとも今は、電車が通過しようが、川が流れていようが、カップルがいちゃついていようが気にせず眠れますが。

 ソロキャンプ2回目にして、「原野へのあこがれ」らしいものが芽生えてきました。

 「もっと人が来ないところで、ゆっくり過ごしたい。」

 決して、自分に向き合いたいとか、新しい自分を探したいとか、スピリットと向き合いたいとか、そんな志的なものは一切無く、ただ、静かなところに行きたい。
 そこが目的だったのに、実際は森林公園や鉄橋したの河原でキャンプをしている自分。何かが違う。
 「次は、もっと奥深い自然の中で一泊してみよう」。そう思ったソロキャンプ2日目の朝でした。

 つづく

きっかけ その3

2015-03-28 08:30:00 | はじまりから今へ
 昔のことを思い出しながら、キーボードをたたいていると、記憶がすごく曖昧になっていることに気がつきます。
 この話も、よーく考えると季節がどうだったかとか、ほんとうにこのできごとは、このタイミングだったのかとか、悩むことが多いのが正直なところです。なにしろ、写真も残っていない、記憶だけが頼りの状態なので・・・。

 このときの私が、浜松で何をしていたかというと、ジェット機整備員の養成コースに入っておりました。6時起床、点呼、食事、掃除、午前の課業(勉強)、昼食、午後の課業(勉強)、訓練(体育と言う名の体力錬成など。)の日々を送っておりました。

 浜北森林公園での初ソロキャンプを終え、次はいよいよ天竜川を遡る旅。地図を買って、ルートを調べて、キャンプ地の目星を付けて・・・。整備の勉強はもちろん、アウトドアを楽しむには、天気や装備、地図など、結構幅広い勉強が必要だと思いました。

 様々な準備を整えて、天竜川遡上の旅。スタート地点など、細かい部分は覚えていませんが、やたら広くて大きな石が転がる河原を、のんびり歩いていて上流を目指していきました。確か、川沿いの堤防の上を歩くのに飽きて、川をめがけて歩いたものの、あまりの河原の広さに仕方なく河原を歩くことにしたと思います。
 歩き始めてからしばらくすると、白いグライダーが音も無く着陸するのを目撃しました。普段見慣れているジェット機とは次元の違う「揚力」を意識したデザインと静かさに衝撃を受けました。
 無動力の滑空飛行、とても気持ちよさそうでした。同時に、エンジンが無いって事は着陸も一発勝負なんだな-とも思いましたが・・。
 歩いている河原からは、グライダーの着陸場そのものは見えませんでしたが、ウィンチで引っ張られて上昇していくグライダーの風を切る音、ワイヤーの外れる音がとても印象深かったことを覚えています。

 しばらくグライダーの離着陸を眺めて、また河原を歩きます。すると、雷鳴が遠くから聞こえてきました・・・・・。だだっぴろい河原の真ん中で、雷・・・。絵に描いたようなハイリスクな状況になりました。
 まもなくあたりが暗くなり、大粒の雨が・・・。立っていると、雷に打たれそうだったので、とりあえず河原にテントを張って、雨宿り・・・・、今思えば、相当ハイリスクな雨宿りですが、当時はその程度の知識だったんでしょう。今なら必死に建物の中か電柱の下を目指します。最悪は、ツェルトをかぶって、窪地でビバークです。
 幸い、落雷にも増水にも合わず、30分ほどで雨も上がって晴れてきたので、テントを乾かしつつ道具を仕舞って、再出発です。晴れていると、テントは以外に乾きやすいもんだと思った記憶があります。

 予定していた天竜浜名湖鉄道の鉄橋の下についたのは、日が傾き始めた時間でした。
 予定通りの快適そうなテントサイト。早速テントを張って、マットを敷いて、寝袋を敷いてご飯でも、っと思ったそのとき、30mほどさきの堤防沿いに、高校生のカップルを見つけてしまいました・・。
 寝床の設置に夢中になって、気がつかなかったのか・・・。二人は、このブログには書けないほどに密着した状態で、なにやらささやき合っているようでした。とてもガソリンバーナーの大音量でご飯を作るのは無粋な気がしたので、しばらくテントの中で待機することにしました。
 一日歩いた後で、お腹が空いてるし、何よりも日が暮れる前に食事を済ませたかったのですが・・、相当暗くなるまで、二人はその場を離れず・・・・。
 ソロキャンプ2回目にして、民家の近くでキャンプをする別な意味での難しさを思い知りました。結局、日が暮れてからご飯を作って、持ってきたお酒を飲んで、川の音を聞きながら眠りについたんですが、水音が想像以上に大きく聞こえて、なかなか寝付けず・・・。
 のんびりはできましたが、水の流れる音が以外に睡眠の妨げになるんだと、良い経験をした夜になりました。結局は爆睡するんですが・・。

 つづく

きっかけ その2

2015-03-27 06:01:00 | はじまりから今へ
 当時の私は、航空自衛隊に勤めていました。
 隊舎(いわゆる寮)は、2段ベットが整然と並ぶ大部屋。ベットの間隔は80cmぐらい。6人ほどが座れるテーブル以外は、ベットの縁に腰掛けるしか無い部屋でした。
 慣れてしまえばなんと言うことも無いんですが、他人との距離が近い生活を送っていることもあり、週末に人気の無いところを目指すのは、ごく普通の流れだと思っていました。(多くの同期は繁華街を目指していましたが・・・。)

 話は前回の続きに戻って、買い込んだキャンプ道具達をどうするか。幸いコンパクトな道具だったので、使用頻度の低いものを倉庫の衣納(大きなバック。直径60cm、幅1m20ぐらいの分厚いキャンバス製。異動時に、制服その他一式の支給品を入れるためのバック。)にしまい直して、なんとかロッカーに詰め込むことができました。使用頻度が低いのは、明らかにキャンプ道具だけど、手元から離すのは考えられませんでした。

 翌週は、ほとんどの同期達が外出しているタイミングで、ザックに荷物を詰めたり、テントを立ててみたりのトレーニング。巡察に回ってきた先輩には、「1年目の隊員で、テントをもちこんでるのは、初めて見た・・・。」とあきれられたことが印象に残っています。

 さて、いよいよ初キャンプの週末。平日は、通院とか通学とか理由が無いと外出できない学生達は、金曜日の夜から日曜日の夜までの外出を唯一と言っていい楽しみにしていた。もっとも、月曜日には作業服や制服をぴしっとしておかなければいけないので、そららの洗濯やアイロンがけをいつ行うかも悩ましかった。私の場合は、キャンプに出かけるときは金曜日の夜のうちに洗濯を済ませて、日曜日に帰ってきてからアイロンがけをするパターンが多かった。

 そんな生活を送りつつ、ようやく2日間キャンプに行く準備が整った。

 最初は、浜北森林公園へ。詳細なルートは忘れたけど、浜松基地からバスを乗り継いで、今にして思えばものすごくシンプルな装備を(それでも、買ったザックにはめいっぱい)背負って、遊歩道を散歩して、夕暮れの森林公園内で、係員の許可をもらって初キャンプ。ご飯は、アルファ化米と丸新ハンバーグだったと思う。季節は秋。テントを立てていると、散歩中の方々に、いろいろ話しかけられるのが多少面倒でしたが、日が暮れるころには人通りも無くなり、あたりが一気に静かになりました。

 その夜は、静かな環境で、一人でのんびり過ごせるありがたさを味わえた一晩でした。久々に、静かな夜を過ごしました。翌朝は、犬の散歩なんかでけっこうな人が行き交って、朝はのんびりできませんでしたが・。

 無事ソロキャンプデビューを果たした後、すっかりキャンプの雰囲気にはまった私は、次なるコースを考えて、そわそわする日々を送るのでした。

 つづく