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アースクエスト BLOG

シーカヤック アースクエストのブログです。

きっかけ その4

2015-03-29 06:00:00 | はじまりから今へ
今は、シーカヤックのインストラクター&ガイドを主な仕事にしている私ですが、実はカメラも大好きで、高校時代は写真部で変な風景写真を撮っていました。部活での写真は、モノクロフィルムを使って、現像もプリントも自分でやります。

 顧問が相当な写真マニアで、周辺の高校が集まる写真展に出品する作品は、べた焼き(フィルムを印画紙に密着させて現像する、ネガの大きさの写真)→キャビネ判(今だと2Lサイズですかね)→四つ切り・・・。といった顧問の審査を経て、最後は全紙サイズのパネルに仕上げます。

 べた焼きを顧問に見せて、OKがでた写真をキャビネ判で現像してチェックを受けると、四つ切りに進めるのはフィルム1本あたり2~3枚。四つ切りの壁を突破できるのは、フィルム3本に1枚ぐらいでした。没になった写真は、目の前で破り捨てられるという、今にして思えば?な感じの顧問でした。

 もっとも、破られた写真のどこがどのように悪いのか、丁寧に指摘はして頂きましたが・・・。

 デジカメがメインの今は、枚数を気にして写真を撮るこ
 だいたい、結果が点数で出るわけでも無く、構図や素材選び、露出等々いろんなチェックをされるんですが、高校生ながらに完成形がイメージできず、結局は顧問の趣味の世界じゃ無いかと、そー思いつつも先生に合わせて作品作りに励んだ写真部生活でした。

 いちゃついていた高校生を思い出したので、ちょっと高校のことに触れたら写真話が止まらなそうなので、この辺で話を戻します。

 眠れない(気がした)夜を過ごして、外が明るくなると、早朝に散歩する方々であたりが騒々しくなってきます。そもそも、鉄橋の下で寝ているので、ディーゼルカーが通る度に音と振動で目が覚めます。

 自衛隊のヒコーキは、通常は朝8時前には騒音防止で飛びませんが、鉄道は下にキャンパーが寝ていても容赦なく通過していきます。あたりまえですが。
 そんな場所を「平ら」なだけで選んだのは、未熟だったからかもしれません。もっとも今は、電車が通過しようが、川が流れていようが、カップルがいちゃついていようが気にせず眠れますが。

 ソロキャンプ2回目にして、「原野へのあこがれ」らしいものが芽生えてきました。

 「もっと人が来ないところで、ゆっくり過ごしたい。」

 決して、自分に向き合いたいとか、新しい自分を探したいとか、スピリットと向き合いたいとか、そんな志的なものは一切無く、ただ、静かなところに行きたい。
 そこが目的だったのに、実際は森林公園や鉄橋したの河原でキャンプをしている自分。何かが違う。
 「次は、もっと奥深い自然の中で一泊してみよう」。そう思ったソロキャンプ2日目の朝でした。

 つづく

きっかけ その3

2015-03-28 08:30:00 | はじまりから今へ
 昔のことを思い出しながら、キーボードをたたいていると、記憶がすごく曖昧になっていることに気がつきます。
 この話も、よーく考えると季節がどうだったかとか、ほんとうにこのできごとは、このタイミングだったのかとか、悩むことが多いのが正直なところです。なにしろ、写真も残っていない、記憶だけが頼りの状態なので・・・。

 このときの私が、浜松で何をしていたかというと、ジェット機整備員の養成コースに入っておりました。6時起床、点呼、食事、掃除、午前の課業(勉強)、昼食、午後の課業(勉強)、訓練(体育と言う名の体力錬成など。)の日々を送っておりました。

 浜北森林公園での初ソロキャンプを終え、次はいよいよ天竜川を遡る旅。地図を買って、ルートを調べて、キャンプ地の目星を付けて・・・。整備の勉強はもちろん、アウトドアを楽しむには、天気や装備、地図など、結構幅広い勉強が必要だと思いました。

 様々な準備を整えて、天竜川遡上の旅。スタート地点など、細かい部分は覚えていませんが、やたら広くて大きな石が転がる河原を、のんびり歩いていて上流を目指していきました。確か、川沿いの堤防の上を歩くのに飽きて、川をめがけて歩いたものの、あまりの河原の広さに仕方なく河原を歩くことにしたと思います。
 歩き始めてからしばらくすると、白いグライダーが音も無く着陸するのを目撃しました。普段見慣れているジェット機とは次元の違う「揚力」を意識したデザインと静かさに衝撃を受けました。
 無動力の滑空飛行、とても気持ちよさそうでした。同時に、エンジンが無いって事は着陸も一発勝負なんだな-とも思いましたが・・。
 歩いている河原からは、グライダーの着陸場そのものは見えませんでしたが、ウィンチで引っ張られて上昇していくグライダーの風を切る音、ワイヤーの外れる音がとても印象深かったことを覚えています。

 しばらくグライダーの離着陸を眺めて、また河原を歩きます。すると、雷鳴が遠くから聞こえてきました・・・・・。だだっぴろい河原の真ん中で、雷・・・。絵に描いたようなハイリスクな状況になりました。
 まもなくあたりが暗くなり、大粒の雨が・・・。立っていると、雷に打たれそうだったので、とりあえず河原にテントを張って、雨宿り・・・・、今思えば、相当ハイリスクな雨宿りですが、当時はその程度の知識だったんでしょう。今なら必死に建物の中か電柱の下を目指します。最悪は、ツェルトをかぶって、窪地でビバークです。
 幸い、落雷にも増水にも合わず、30分ほどで雨も上がって晴れてきたので、テントを乾かしつつ道具を仕舞って、再出発です。晴れていると、テントは以外に乾きやすいもんだと思った記憶があります。

 予定していた天竜浜名湖鉄道の鉄橋の下についたのは、日が傾き始めた時間でした。
 予定通りの快適そうなテントサイト。早速テントを張って、マットを敷いて、寝袋を敷いてご飯でも、っと思ったそのとき、30mほどさきの堤防沿いに、高校生のカップルを見つけてしまいました・・。
 寝床の設置に夢中になって、気がつかなかったのか・・・。二人は、このブログには書けないほどに密着した状態で、なにやらささやき合っているようでした。とてもガソリンバーナーの大音量でご飯を作るのは無粋な気がしたので、しばらくテントの中で待機することにしました。
 一日歩いた後で、お腹が空いてるし、何よりも日が暮れる前に食事を済ませたかったのですが・・、相当暗くなるまで、二人はその場を離れず・・・・。
 ソロキャンプ2回目にして、民家の近くでキャンプをする別な意味での難しさを思い知りました。結局、日が暮れてからご飯を作って、持ってきたお酒を飲んで、川の音を聞きながら眠りについたんですが、水音が想像以上に大きく聞こえて、なかなか寝付けず・・・。
 のんびりはできましたが、水の流れる音が以外に睡眠の妨げになるんだと、良い経験をした夜になりました。結局は爆睡するんですが・・。

 つづく

きっかけ その2

2015-03-27 06:01:00 | はじまりから今へ
 当時の私は、航空自衛隊に勤めていました。
 隊舎(いわゆる寮)は、2段ベットが整然と並ぶ大部屋。ベットの間隔は80cmぐらい。6人ほどが座れるテーブル以外は、ベットの縁に腰掛けるしか無い部屋でした。
 慣れてしまえばなんと言うことも無いんですが、他人との距離が近い生活を送っていることもあり、週末に人気の無いところを目指すのは、ごく普通の流れだと思っていました。(多くの同期は繁華街を目指していましたが・・・。)

 話は前回の続きに戻って、買い込んだキャンプ道具達をどうするか。幸いコンパクトな道具だったので、使用頻度の低いものを倉庫の衣納(大きなバック。直径60cm、幅1m20ぐらいの分厚いキャンバス製。異動時に、制服その他一式の支給品を入れるためのバック。)にしまい直して、なんとかロッカーに詰め込むことができました。使用頻度が低いのは、明らかにキャンプ道具だけど、手元から離すのは考えられませんでした。

 翌週は、ほとんどの同期達が外出しているタイミングで、ザックに荷物を詰めたり、テントを立ててみたりのトレーニング。巡察に回ってきた先輩には、「1年目の隊員で、テントをもちこんでるのは、初めて見た・・・。」とあきれられたことが印象に残っています。

 さて、いよいよ初キャンプの週末。平日は、通院とか通学とか理由が無いと外出できない学生達は、金曜日の夜から日曜日の夜までの外出を唯一と言っていい楽しみにしていた。もっとも、月曜日には作業服や制服をぴしっとしておかなければいけないので、そららの洗濯やアイロンがけをいつ行うかも悩ましかった。私の場合は、キャンプに出かけるときは金曜日の夜のうちに洗濯を済ませて、日曜日に帰ってきてからアイロンがけをするパターンが多かった。

 そんな生活を送りつつ、ようやく2日間キャンプに行く準備が整った。

 最初は、浜北森林公園へ。詳細なルートは忘れたけど、浜松基地からバスを乗り継いで、今にして思えばものすごくシンプルな装備を(それでも、買ったザックにはめいっぱい)背負って、遊歩道を散歩して、夕暮れの森林公園内で、係員の許可をもらって初キャンプ。ご飯は、アルファ化米と丸新ハンバーグだったと思う。季節は秋。テントを立てていると、散歩中の方々に、いろいろ話しかけられるのが多少面倒でしたが、日が暮れるころには人通りも無くなり、あたりが一気に静かになりました。

 その夜は、静かな環境で、一人でのんびり過ごせるありがたさを味わえた一晩でした。久々に、静かな夜を過ごしました。翌朝は、犬の散歩なんかでけっこうな人が行き交って、朝はのんびりできませんでしたが・。

 無事ソロキャンプデビューを果たした後、すっかりキャンプの雰囲気にはまった私は、次なるコースを考えて、そわそわする日々を送るのでした。

 つづく

 
 

きっかけ

2015-03-26 09:27:00 | はじまりから今へ
カヤックを始めるきっかけは、人それぞれだと思います。
海が好きでとか、海を旅したいとか、癒やしを求めてとか。
中には、日常に疲れてとか、失恋してとか、ちょっとヘビーなきっかけもあるようです。

いつまで続くか分かりませんが、今日から不定期更新で私のアウトドア&カヤックライフの話をしていこうとおもいます。

私の場合は、ベースは「一人でキャンプをしたい」でした。

就職(正式には奉職)して最初の年のボーナスで買ったのは、一人で野山をキャンプしながら歩く「旅」(といっても1泊2日)用の道具でした。

テントは、モンベルのムーンライトⅠ型。シュラフとマットも同じくモンベルのバローバックの#6、エアマット、ザックはグレゴリーのデイアンドハーフ、コールマンのシングルバーナーストーブ、Siggの燃料ボトル、ナルゲンの水筒に、エバニューの2ℓ水タンク。コッフェルはエバニューのフライパンとセットのやつだったと思います。

買ったのは、浜松のキャンベル(上州屋系)。

思えば、インターネットが無い時代。情報は、雑誌(outddorとかBe-palとか。当時のBe-Palは、キャンプやアウトドアの記事が多かったんです。アウトドアの道具に特化したアウトドアイクイプメントという雑誌もありました。)からの情報と、ショップの店員さん。
雑誌の記事の重みは、今以上で、「プロ」の人たちが書くインプレッションを参考に、自分のスタイルを想像して道具を選んで、ショップに行って話を聞いて、結局お店の在庫から揃える感じでした。

限られた予算で、たいした知識も無い状態で揃えた道具たち。
ものすごくわくわくしながら揃えたことを思い出します。

今を遡ること、20年以上前のお話しです。

イメージは、田舎の山をうろうろするバックパッキング。

10月から半年ほど浜松で研修(正式には入校といいます。)で滞在予定だった19歳の私は、規則正しすぎる空間から抜け出して、週末の「自由」を自然の中でのんびりすごそうと考えたのでした。

まずは、天竜川を遡る「旅」かな。脳内イメージを膨らませつつ、ショップから戻ると、私物ロッカーのサイズという、現実の壁が、私の前に大きく立ちはだかるのでした・・・・。