南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆会えた

2019-06-06 22:10:26 | 

 3791 ラマダン インドネシアでは、イスラム教徒にとって最大特別な日、機能う夜は、今朝まで賑やかだったが、今日は、早朝から、静か。大勢の人は、道端迄溢れて、モスジッドの周りでお祈りをしていた。10時ころには、普段の生活に戻るが、町全体が観光地、いつもの賑わいに戻る。私は、ちょっこっと、その様子を見て、ホテルにこもどってしまった。疲れが取れない。

 

 11時ころ目だ覚めて、約束の西海岸チャガールアラム入口へ行って、イワン君を待った。ラシッド君のすぐ下の弟、もう一人、一番下の弟、ビリー君も一緒だった。彼は、初めて会った時は2歳だった。昼前にチャガールアラムの入った。いつものコース、彼らより、私の方がよく知っている、そして、探し始めてすぐに、見つけた。あった。小さいが、何カ月ぶりだろうか、開いている状態に会ったのは、これは、もっと会えるかもしれないと、二時間ほど歩き回って探したが、これっきりだった。二週間後には、咲くだろうと思われる膨らんだ蕾を2個見つけただけだった。とにかく、逢えてよかった。

 

 ただし、夢中になって歩き回ったからかどうか、とにかく、体中が痛いし、疲れがきつい。ジャングルから17時ころ出てきて、パサールイカンで食事、カンクン ウダンアッサムマニス、イカンバカール、イカンゴレン、チュミチュミゴレントゥプンなど、ラシッド君も呼んだ。

 

そして、そこで、皆さんと別れて、西海岸のサンセットを見ながら帰途に就く、18時半すぎだった。明日、朝出発も考えたが、渋滞を気にして、早い方が良いと思い、夜中に走ることにした。

 

 ところが、夜中にもかかわらず、大渋滞にあってしまった。というか、バンドゥン方面から東に向かう、反対車線の車が大渋滞、そこで、こちら側の流れを、時々止めて、反対車線の車もこちらの車線に流しこんでいるからだった。この状態は、パンガンダランから続いていた。パンガンダランへ向かう車も既に渋滞していたし、チアミス、タスクマラヤでもチレニ―のゲートでも、例のできたばかりのチカンペックくたまのデートでも、そして、カラワン、デルタマスでも東に向かう車が道路全体をゆっくり流れて居た。何故でしょうか、ムディックの始まりの時より渋滞が酷いようだ。今は、高速道路、両方向になっているが、西方向の中央分離帯より車線を東方向の間移封している場所もあったが、それでも、この渋滞は異常だ、と、思いながら、何故?だろうか、ハリラヤの行事が済んで、一斉に、午後から、行楽地に出発したからでしょう、それにして、夜中の二時三時、ジャカルタから夕方から出てきて、やっと、チカンペック辺りに差し掛かっている大量の車、目的地が例えば、ジャティルフール辺りでも、10時間以上かかるそうだ。渋滞が無ければ、2時間で行ける観光地だ。

 

 タシク付近 双方が大渋滞、こちらは被害渋滞だ。

 多分、ジャカルタの南、ボゴール、プンチャック方面も、大渋滞で、到達できり車は少ないと思う。

 

 私は7時間かかってやっとチレニ―のゲートから高速に入った。順調なら、チカランに戻っている時間だ。眠くて、居眠り運転気味だったので、ガソリンスタンドのトイレに寄ったとき、車の中で眠ってしまった。4時ころ目だ覚めて、一瞬、ここは、どこ?という感じだった。そこからは順調で、5時半に家に戻った。何もしないで眠ってしまった。結局、11時間掛かったことになる。

 ラフレシア 睡魔 渋滞


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