1797 夏休み以来なので、4か月ぶりか、大きくなっている。インドネシアで買って来たパジャマというか、寝るときに着る服を買ってきたが、下の子にはちょうど良かったが、上の子のは、全然小さかった。
孫二人日本に来ていて学校へも行っている。一年と三年生だ。大きくなった。学校から帰ってくると直ぐに友達が遊びに来て、おじいちゃん、おじいちゃん、と飛びついてくる現象はなくなって、ちょっと、寂しいかなと思うが、友達が帰れば、やはり、私の周りで何のかのとしたがる。学校の宿題の本読みやドリルを私の傍らで、聞いて聞いてと言いながらやりたがる。
晩秋の家の庭、インドネシアの住宅やその周りの風景とは、異次元世界だ。
手続きがなんだかんだとあって、面倒だが、やっておかなければならないことなので、やっておくしかない。主に継続のための確認が多い。
高校とか大学とかそのクラブ関係とか、色々あって、全て、放ったらかしにしてあって、それでも、集まりの案内や寄付金の頼みなどの手紙や封書が来ていて、それと、返事を出した方々の近況の返事の写しが送られてきたりして、どれだけ、返事を出さなくても、近況報告をしなくても、送られ続けているのが、なんとなく、繋がりを感じている。中学のは、私がやらなければならないのだが、出来ていない。ごめんなさいである。いつかきっと、皆さんの前に登場したいと思っているが、いつになるかは予定がない。でも、皆さん、よく便りを出してくれると思う。ありがたいと思う。
太田化工へ顔を出した。アベノミクスは静岡の隅までは届いていないようだ。今回の目的は、北川弘二会長への御霊前を立て替えてもらったはずなので、その金額を返すためだった。ところが、予想していた通り、献花と共に香典も受け取らないという遺言だったという。弔電は受け取っていただいた。私もそうすることで会社でも家でも話をしておいた。私の場合は、香典など受け取らなくても、生命保険を受けつるだけで、それだけで充分何もかも済ませることができると思っている。
孫 遺言 晩秋
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