南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆よろしく!

2015-01-02 23:00:53 | 習慣

 2177 穏やかな新春を迎えた。2015年 今年も、どうぞよろしくお願いいたします。快晴の空から風花(かざはな)が舞っていた。“雪が降っているよ””と、はしゃいでいたが、二三分で無くなってしまった。写真には写らない。

 

準備したあった米麹を使って、濁酒と甘酒の素を作ることにした。1kgの麹を酒に200g、甘酒の素に800gを使った。家で作るのは初めてだが、特に難しいことではないので、数時間ほど経過した状態です。どちらも、既に、それぞれの匂いがはっきりしている。

 

NHKEテレで、毎年の習慣で、ウイーンフィルハーモニーのニューイヤーコンサートを聞いていた。最後のラデツキーマーチは孫と一緒に拍手をしていた。

 

孫たちが既にできるようになっていて、百人一首をやろうというので、全員でやった。読み人は妻がやっていたが、途中から、孫に代わった。なんとなく、それなりの読み方になっていた。百人一首をするのは、娘が子供の頃だから、30年以上前が最後だった。私が子供の頃は、母親が上の句をちらっと読めば、取れる人だったので、私も、大体の札は、そんな感じで取れるようになっていた。先ほどの久しぶりの百人一首でも、取るか取らないかは、別だが、読み始めれば、ほとんどすべての札を捜すことができた。記憶はそれほど衰えていないかもしれない。ちょっと、ほっとしていた。

昔、源平合戦などの時には、自分の札は勿論、相手側にある札の位置も数分間の間に覚えたものだったが、今は、何の札がどこにあるか覚える作業がほとんどできない、覚えようとしないので、皆が捜し始める下の句が読まれはじめる前に取ることができない。その反面、孫たちが捜す能力が高いことには感心する。だから、句を知っている効果があまりでない。

 

過去に記憶したことは忘れていないが、直近の事柄を覚える能力は明らかに低下していることを感じた。だから、“今何をしようとしていたんだっけ”ということになるのでしょう。新春早々、こんなことを感じさせられた。

習慣 記憶 能力

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