南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆斜陽のブロックM

2012-05-20 22:02:44 | 環境

1221 パパヤで買い物をしたが、帰るにはまだ早すぎる。

明るいうちにブロックMの中を歩いてみた。パパヤの入口のちょっと奥の左側に駐車した。というのも、中の方へ行ってしまうと駐車する場所がないかもしれないので、入口近くても、空いていれば、そこへ止めてしまった方が、無難だからです。車を降りて過ぎに右に曲がった。左の角に新築の建物がある、なんだろう?その先、右側に川奈の看板が見える。昔、アユがあった場所はトコウマス(貴金属店)になっていた。鳥勝の前に、昔会ったことがある車の整理をしているおっさんが椅子に座って物思いにふけっているのに会った。何をしている?と話しかけたら、逆に、何をしている?と、聞かれてしまった。2000年頃にはよく来たことがあるが、今は、全然来ていないので、久しぶりの様子を見に来たと伝えた。そうすると、べらべら、しゃべりだした。

 先ず、以前はよかった、日本人が、どんどんきて、チップも沢山くれた。今は半分になったしまった。カラオケの店も減ったし、日本食レストランも少なくなった、経営者が変わって、名前も変わったところもあるが、客の数は少ないままだ。原因はブロックMスクエアーができたことだという。その客の為のバイクの駐車場が大幅に面積を増やしたことです。おそらく、車の駐車場の面積は2000年頃の三分の一になっている感じがする。それに、歓楽街には似合わないコンビニやトコウマスが新装オープンしている。韓国系のカラオケは無くなってしまった?とも言っていた。一回楽しむのに今は1万5千円はかかる。

何より、リッポチカランやリッポカラワチの新しい沢山の日本人や観光人向けの歓楽街ができて、わざわざ、ジャカルタまで来る人用が無くなった。この、おじさん、そういう事情をよく知っている。10年後には、日本人向けの歓楽街ではなくなると断言していた。

 

 パパヤの次の入口の右側にセブンイレブンが目立っていた。一等地に進出している。流石だと思う。その前の道は、昔は車、今はバイクに占領されている。変わり具合の象徴だと思う。以前、焼き肉千里があった通りも車の駐車スペース半分になっていた。そこはブロックMスクエアーの方を向いていて、雰囲気はそちら側になっていた。左へ左へ曲がって丸福のある通りに出た。振り返れば、やはり、サークルKやスクエアーの建物である。タイチャンラーメンの客も激減だし、レストランユキもこの中では老舗中の老舗だが、経営は大変だとか、カラオケユキ1、ユキ2はだいぶ前にクローズしたそうだ。モンやシキの並びとその向かい側のカラオケは全部なくなっていた。間口が狭い、日本食レスランに変わっていたが、どう見ても立地条件は良くないと思う。いつまで、持つでしょうか。ボーティクエ?ホテルなるものが目立っているが、どういう人種が利用するのでしょうか、場違い、雰囲気に合わない感じがする・ユウジロウやキューリ、チャンティックトーキョーの並びが、昔の面影を残しているが、この辺りが、壊されて近代的な建物ができてしまえば、2000年ころの面影は消えてしまう。商社や建設会社の招待を筆頭に、出張者が来れば、必ず、連れて行ったころの雰囲気は無くなった。

 日本の景気とインドネシアの景気の縮図がここにあるような気がする。

18:00前にはブロックMから出た。パサラヤの危険だと言われた駐車場が平地になっていて、その向こうの道の上に高架の自動車道を建設中だった。既に薄暗くなっていた。家に着いたのは19;00順調でした。

 

 落日 面影 今は昔

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