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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

納期切迫

2010-04-07 18:20:13 | 喜び
盛んに遅くまでトライをしている。私がカリマンタンへ行っている間も、彼らはトライをしていた。休日出勤で試作を続けていたのです。彼らの熱心さには脱帽である。私が、25~40歳くらいの時に近い。朝までやってそのまま、次の日も仕事を続けている、私が、強制しているわけではない。ただ、最初に試作品の納期を言ってあるだけである。
この新製品の難しさは、分かっていた。というより、私もまだ経験が無い形状だった。原料はPPランダムである。四アイテム、一遍にそろえなければならない、四アイテムを組み合わせて、一つの製品に組立てるのです。いずれの形も、難しい。
その上、Goがかかるのが遅かった。二か月しか納期を貰えなかった。もっと早く、ゴーを出してもらえれば、余裕があったのに、ぎりぎり二か月、通常は一アイテム二ヶ月である。その納期なら、インドネシア人技術者も残業をしなくても対応できたでしょうが、その四倍の仕事をしなければならなかった。
一型、トライし、修正に出したり、自分たちで修正をする。その間に次の製品のトライをする。また修正をする。四アイテムを次々とトライと修正を繰り返す。
納期は4月7日である。昨日、二アイテム目が形になった。現在、三アイテム目とトライをしている。間もなむ、出来るはずである。その後、四アイテム目の最終トライに入る。おそらく、12時を回るでしょう。明日の10時ころに、客先の担当者が、製品の確認に来る予定になっている。7日の夕方から8日の朝までに組み立てて恰好をつけ、8日にエアーで日本にサンプルを出荷する。ぎりぎりの日程である。だから、どうしても、明日の朝までに全てを完成させなければならない。私の教え子たちはやってくれると確信している。私も、何時頃までになるか分からないが、付き合うことになりそうである。
 しばらく飲んでいなかったパニック障害の薬を飲んだ.
otak-otak@nanbu.co.idが、新しいメールアドレスです。
猿の空中ジャンプと焼きトーモロコシを売っている少女。
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日本から土産

2010-03-30 19:37:04 | 喜び

最近、日本からの出張者が多く、何かと、差し入れを持ってきてくれる。一番うれしくないのが、雑誌新聞類、なんの役にも立たない、全く読まない。読んでも、表紙の文字だけである。直ぐに、捨ててしまう。雑誌は、経済的なもの、政治的なもの、芸能的なもの、スポーツ的なのも、どれもこれも読んでみる気はしないし、保存しておく気もない。日本に関する一般的な必要情報は、NHKの朝のニュースとインターネットで十分だし、特に知りたいことがあればインターネットでチェックします。ファション誌ならインドネシア人の女の子が写真を見て喜ぶ。
二番目にうれしくないのが、過剰包装で長持ちはするが、いかにも空港の待合の近くの免税店で買った、という食料品、それも、どこかの名物のようなもの、量は少ないし、人の好みで評価が分かれる、私にとっては高いばかりでおいしくない物がほとんどである。味が濃かったり、塩辛いものが多く、インドネシア人にあげてしまいたくても、彼らにとっても、全く、迷惑になる。お礼を言ってその後捨てることになりかねない。自分の好みで選んでもらってもわたしないには合わないことが多く、いわんや、インドネシア人におやである。
日本からの土産物で一番うれしいのは、多分、自宅の近所のスーパーやコンビニや百円ショップで買ってきてくれた味噌汁やお吸い物、ラーメンやうどん、そばなどインスタント食品です。若干嵩張るが軽い。長期で、少しずつ使えるし、インドネシア人にも食べてもらうことができる。日本人好みの味がどんなものかわかるので、少しずつ試してもらうことができる。あまり、分けてやると自分の分が無くなってしまうので、ちょっと、みみっちいいが、必要分は確保しておく。
渡した本人がまた持って来てやりたいという気持ちになるように、受け取ったときの、うれしさを前面に出して、本当に、ありがたいと、お礼を言うことができる。
これらのインスタント食品はインドネシアのジャカルタでも日本食品スーパーで買うことができるが、日本の値段の三倍する。バカバカしくて買う気がしない。

先日、静岡から見えたお客さんがあって、私が、バリバリの静岡人ということを知らず、その人は、静岡県外人で、静岡へ二年ほど前から出向で来ていた人でした。静岡の名物というか特産品というか、魚の角煮の真空パックを買ってきてくれた。確かに好きな人は好きだが、私は好きではなかったし、物心がついたときには、もう、食卓にはいつも有ったので、特に、有りがたいもの,うれしいものではなかった。スーパーで売っている価格を知っているので、この包装では、倍ぐらいしただろうなと思ってしまうのでした。ごめんなさい。静岡らしい土産の生シラスや生サクラエビや黒はんぺんを港の近くの市場で買って来て貰うのが飛び上るほどうれしい。いずれも、日持ちがしないので、産地以外では売っていないし、インドネシアへ持ってきても、一日以内に、要冷蔵である。
 うなぎパイを買って来て貰うなら、やはり、フリカケトかお茶漬けのもととかおにぎりに混ぜる物の方がいい。ちなみに源氏パイはインドネシア製がある。
 焼酎が少ないし、めちゃくちゃ高い。多くの日本人はアルコール類を土産にもらうことが、一番、うれしいのではないでしょうか。私が日本人のために持ち込むのは酒類です。私は一滴も飲みませんが、だれと誰にやるということを想定して持ってきます。
写真はインドネシアでも日本でも有りません。ドイツのニュールンベルグの郊外の娘たちが住んでいる場所に近くです。ニュールンベルグの遠望と其の場所の麦畑の風景です。

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新展開に向かう

2010-03-02 18:40:11 | 喜び
大河の両岸がはっきりしていない。自然に民家や一般道路に水が漂っている。その様子が余り深刻ではないようだ。三月の終わりごろまで毎年四か月ほどこの状態だとか。東側の広大な湿地帯の間をMusi川が蛇行している。雨季にはその三分の二の両岸が溢れだすという、洪水なのか、湿地帯なのか区別がつかないようだ。

さすがに私の子供たちである。私が留守にしている間に全員が協力して、全設備の移動と、動かすだけの電気、水、空気のセッティングも終わっていた。今日から早速、三交代勤務が始まる。客先は待ったなしである。私が直ぐそばにいる必要が無いことも分かった。

 S会長が、一日だけ見えられた、例によってジャカルタの渋滞で、08:30に着くはずが、10:30過ぎになってしまった。慌ただしく、会社の様子を眺め、途中、押出エリアに立ち寄ったときに、流れとして、押出の連中に集まってもらい、歓迎の挨拶をした。儀式的なものだが、無いよりは有った方がいい。会長を真ん中に皆さんで記念写真に収まった。
 その後傘下に収めたEJIPのSプレス会社を訪問、そこの、日本人の方2人はアクラブ会でご一緒したことがあって、知らない仲ではなかった。そのあとの某プリンターメーカーにもご一緒させていただいた。PT,NANBUの射出の仕事は、これから、マシンの整備やシステムの整備をしなければならないが、押出の方はすでに、体制が出来上がっているので、直ぐにでも行動を起こす、その点で、今日、面会した日本人の了解を得たように思うので、早速、輸入しているアイテムについて、ローカル担当者と打ち合わせすることになると感じた。

 会長は15:30頃空港へ向かった。忙しい方であるが、まったく、疲れを見せない。やはり、一味も,二味も違うこと感じたが、これは、見習おうとしてもできないことだ。これでなければ、こう、急発展はしない。私じゃとってもできない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。先ほどPT.NANBUで押出の成形が始まりました。佐々木会長を迎えて、押出だけのささやかなスイッチオンを行いました。
 インドネシアの押出成形業界の中心になる工場のスタートです。私としてはインドネシアへ来て、13年間ほど抑えるしかなかった知名度アップ(積極的な会社紹介)行動を開始します。
パレンバン(スマトラ島南部)の旅行記をまとめました。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage107.html
インドネシア内とインドネシアから出発した旅行記です。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html
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パニック障害から脱出成功

2010-02-14 17:27:49 | 喜び
胃癌の切除の麻酔から目が覚めた時以来のまだ、生きていたという感動でした。しかし、自分の苦しみのほかに、邪魔な余計な苦しみが在っただけに、試練は長かったし、精神的に理不尽を強く感じていた。生き返ったという感覚は数段大きかった。
 まず、何とか早く、日本で、体を治し、次にやるべきこと、やらなければならないことができる体に戻さなければならないことを直ぐに意識した。 再起を課して、必ず治すと誓った。しかし、現実は厳しさが続いた。もうだめだと思ったことが何度あった。

 早速、いくつかの、近所の開業医を回ったが、何の改善もなく、やはり、息苦しくなったり、気絶しそうになったり、ヒドイ、症状は続いた。約、一か月の間に、三回、タクシーで総合病院の救急外来へ夜中に駆け込んだ、しかし、いずれも、原因付いて明快に答えを出してもらえなかった。何より厳しかったのは、頻繁に心臓の鼓動が休んでしまうことでした。必ず、また、動きだすから生きているわけですが、其の都度、もうだめだと思わされた。約、一か月経過後、過呼吸になって、死ぬかと思うくらいに、体が冷たくなり、ガタガタ震えが来て、気が遠くなることを感じた。小康状態で、救急外来に駆け込んだが、其のベッドで待っているとき、また、ヒドイ症状になって、大声で、苦しみ、不安を叫んでしまった。他の優先患者の方にいっている看護婦がすっ飛んできて、私の顔の上に紙袋を被せた。「すぐ、良くなるから、そのまま、呼吸を出来るだけしないように」と言い残して、直ぐ、いなくなってしまった。
その通り、二三分で、震えも冷えも、嘘のように無くなってしまった。ほっとしたところへ、医者がやってきた、症状と私がとった行動を説明した。そして、今は、症状が消えてしまっていることも話した。医者曰く、「今日はもう帰っていただいて、明日、総合診療科で受診してください」とアドバイスを受けた。
この病院の精神内科、外科、耳鼻咽喉科、心臓外科には相談に行っていたが、総合診療科というのがあることを知らなかったし。それらの科の医者から勧められもしなかった。
うつ病など、精神的な原因がはっきり数字で出てこない病気の相談に乗る科だった。簡単にいえば精神病の診療に当たるところでした。神経の誤動作は何を検査しても分からない、症状だけから病名を割り出し、治療に当たるのです。前にも書きましたが、ここで、パニック障害と宣言され、薬を飲んで、其の時から心臓が止まることは全くなくなった。それ以来、何年か後の今も、止まることはない。それだけで、私にとっては十分でした。その他の症状はまだ続いていたが、もうそれで、行動できる、出来ないは私の気持ち次第になったと感じた。発病から約三ヵ月間の苦闘でした。
死んだ気になったのだから、しばらくの休みののち何でもできると改めて思った。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page222.html
下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまった会社です。

今日の話、久しぶりにジャカルタ、スディルマン、スナヤンのラトプラザへいってデスクトップ二台、ラップトップ二台、スキャン付きのプリンター一台、プリンター、FAX、スキャン機一台を購入した。全部で、22万円くらいだった。実に安い。数年前に比べれば三分の一である。
インドネシアでは一級のIT機器を扱っているモールの一つです。ジャカルタの中心地にあるので、外国人の客が多い。価格も、グロドックやマンガドゥアなどと比較しても高くはない。インドネシアに不慣れな日本人にはここを紹介している。
ラトプラザの内部のほんの一部と、正面出入り口の様子、雨だったので、車まで送るアルバイトをしている少年がいた。ここは地下駐車場が広いので、この仕事はあまりもうからないと思うが、地上の駐車場が広いショッピングモールでは良い仕事になるので、大勢の子どもがこの仕事をしている。雨季は彼らにとって小遣い稼ぎのキャンスである。
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