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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ドイツ初日

2010-09-03 10:51:46 | 喜び

 ヨーロッパタイム06:00頃ミュンヘン到着、婿殿が迎えに来てくれていた。着いて外に出たら寒い。ミュンヘンの早朝の気温は5℃でした。ニュールンベルグは7℃でした。車は暖房を掛けていた。天気は曇り、日が全く差していない。流石にヨーロッパという感じ。機内が寒いのでいつも長袖の下着を着ているが、そのままで、着替える必要はなかった。

 家についた時、まだ、孫たちは眠っていたが、起こされたとたんに私の存在に気が付いて、二人とも飛びかってきた。以前来た時に持ってきた大きな縫いぐるみを持ってきて、おじいちゃんが前にくれた人形だよといって差し出した。

 彼女達ふたりとも、同じ、キンダーガーデンへ行っているので、09:00には幼稚園のバスで出かけて行った。

妻とは9か月ぶりの出会い、多くの会話はないが、とにかく久しぶりである。キンダーガーデンへ一緒に出掛けて行った。

シンガポールのコンセントはアース付きの三本足なので、インドネシアとまた違う、コンコースの電気店で、5シンドルで買った。差し込みの場所は待ち時間休憩所なら、沢山あるので、ジャカルタのように捜しまわる必要はない。

インドネシアで使っているソニーエリクソン3Gのハンドホンはどこでも使える。シンガポールでもミュンヘンでもニュールンベルグでも使える。インドネシアからの電話はインドネシアの国内に掛けると同じ番号でいい。その国の国番号は必要ない。こちらからインドネシアへ掛ける場合は、国外電話と国番号と前に付けなければならないが、その地域に掛ける場合は、そのまま、国内と同じ番号で、何もつける必要はない。

妻とも半年以上ぶりの再会である。全然変わったいない。

娘のパソコンから登校である。

久しぶりに対面の孫たち。

 孫  娘  妻

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(^_-)-☆活気が出ることを期待

2010-08-08 21:55:02 | 喜び

 射出の仕事が始まるようです。9日から12時間ずつの二シフトで、24時間運転をするそうです。1600トン、800トンの大型成形機の仕事です。テレビと車の関係です。いよいよ、射出も動き出す。射出が動き出せば,儲かるかもうからないかは別にして、色々な点で規模が大きくなり、にぎやかになり、空間が少なくなり、活気が出るはずである。

 と、同時に、心配事もある。準備は万端だろうか。

 私自身、ここ二三カ月、仕事人間、会社人間になってしまっていて、チカラン圏内から外に出ていないので、ちょっと、欲求不満がある。それもこれも、思うように仕事が進んでいないからである。気持ちが空回りをしている。結果が出ていない。

 

 先日、MM2100の外の近くに電器関係の店があって、ちょっとした電器部品は買うことができると写真付きで書いたが、今日は文房具屋を紹介しておく、写真は載せていないが、MM2100のルコの中のボルネオという店です。10年以上前からあったが、一年半以上前の近くのディスコの火事で閉店をしていた。つい半年前ほどから再開している。PC関係、プリンター関係三メーカー(ヒューレットパッカード、エプソン、キャノン)の物が揃っていて、インクも揃っている。わざわざ、ブカシやチカランまで行かなくても工業団地の中で買えることを知らない日本人は多い。ソトクドゥス ブロックMの並びです。ちょっと目立たない、日本食レストランやサクラ旅行社や両替所からはちょっと離れていて、前を通ることもない。

 在庫が無ければ二三日の内に取り寄せてくれて頼めば会社まで届けてくれる。これは、電気部品屋さんも同じ。

MM2100の近場では、マクロ現在ロッテマレットでも電気製品や文房具を買えるが、かなり、おおざっぱというか、説明を聞くことはできないし、品そろえが少ないので、求める物に当たる確率は少なし、取り寄せやデリバリは出来ないので、不便である。      

インドネシアへ始めてくる人は、仕事で必要な部品や工具や計測器などがインドネシアでは手に入れることが、出来ないとか、出来るにしても、相当難しいと思っている人がほとんどです。しかし、案外簡単に色々なものが入手できるのです。日本製のものでも日本と同じくらいの値段で買うことができます。一般的には日本より安く手に入ります。ただし、初めての人は、知っている人に聞かなければならないし、一緒に行ってもらうとか、買ってもらうなど、他人の手伝いが必要です。

 

ルコ  近場  部品屋

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(^_-)-☆千客万来

2010-08-05 21:15:06 | 喜び

  新しい取引先の仕事の試作をした。この仕事はその会社との取引の小手調べという位置づけで、何カ月か後には、本格的、取引が始まることを期待している。

 

 友、遠方(日本)より来る。インドネシアで何年か仕事をしていて、仕事もプライベーとも親しく付き合っていただいた方で、再び、インドネシアで仕事をしてみたいと言いながら、帰国した。間もなく、定年退職した。

 定年退職したばかり位の年の人で、インドネシアでの仕事の経験がある人を探している会社があると言う情報が入って、早速、紹介をした。専門とは多少異なるが、人間性が重要な仕事だと言うことで、その人なら、大丈夫でしょうという判断が下され、話は進み、10月から赴任する準備として今回数日滞在するようです。

 また、一緒に旅行をする機会があればいいと思う。

 

 千客万来である。賑やかだが、船頭多くして船山を登るにならないように!!!友にまだなっていない人も、また、遠方より来る、大勢である。皆さん、それぞれ、役割を持ってきているのでしょうが、とにかく、大勢である。ざっと、7~8人いるかもしれない。押出に関係する人は全くいませんから、私が、アテンドすることは何もないし、顔を会われることも殆どないので、友になりえない人たちです。

駐在する日本人が全員の手伝いを出来ないので、それぞれの出張者は自分で行動しなければならない。十分な成果が得られるのでしょうか、疑問である。立ち上げとはこんなものか。大変である。

 

 聞くところによると、日本からの出張者の全費用は、インドネシアの手伝いという名目で、こっち負担とか、一人当たり、一日一万円としても、7人一週間でざっと50万円、航空券を合わせれば軽く100万円は超える。それだけの仕事をするとは思えない。私一人が、いくら節約しても、意味が無い。バカバカしくなるが、これも、こんなものでしょうか。

 それより、レバラン明けに来るという押出の予定者を一度こちらへ呼んで、環境をチェックしてもらいたいと思っているが、こんなに、無駄使いが多いとみている私からは、提案できない。多分、本人も、いきなり赴任でなく、一度見ておきたいと思っているに違いない。

以前から、親しくしている保険会社のFさんが会社に見えて、ばったり会ってしまったこともあって、先日もホールインワンを目の当たりに見ているので、ゴルフ保険に入ることにした。色々な損害保険や賠償や障害にも適応されるが、主な目的はまさかのホールインワンのためで、使う可能性はゼロに近いがお付き合いと気休めということです。1年間60万Rp(6千円)で2千万Rp(20万円)に入ることにした。ちなみに、30万Rp(3千円).45万Rp(4千5百円)でそれぞれ、500万Rp(5万円).1千万Rp(10万円)である。

 

例のMM2100の入り口、駐停車禁止のブロックが無いところにトラックが駐車していて、ブロックがあるところはトラックの代わりのブロックが道を狭くしている。変だと思いませんか。

チカランバラットの出口方向の渋滞の先で大男がティーショットをしている。通過する車は渋滞に巻き込まれることはなく、すっと、通り過ぎる。

負担  船頭  風雲急

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(^_-)-☆粛々と再入場

2010-07-28 22:13:54 | 喜び

1996年荒野の現地に赴任し三カ月後の新築工場に入場して以来14年ぶり、2006年、すごすごと逃げ出して以来4年ぶりの、私にとって記念すべき1日でした。再入場を果たしたのです。正面玄関から堂々と。しかし、出迎えに出てこなかったし、見送りにも来なかった。チェックのメンバーの中に私がいてびっくりしたと思う。葬り去ったはずの私を見て、何を思ったのでしょうか。きょとんとしていて彼からの話はなにもなかった。私からも確認結果を話しただけだった。相変わらずの無愛想な対応姿勢でした。内の社長を怒らせるはずである。

1996年に荒野の建設現場に赴任して以来、約、14年後、2006年8月に逃げ出して4年後、再び入ることはないと思っていた、PT.KITAGAWA跡の工場へ入った。例の責任者は来月初めに帰国してしまうらしいので、いる内に、確認しておきたいことがあったからです。まず、沢山ある鍵の位置確認でした。全部あるはず、と、聞いただけでは駄目である。ひとつひとつ差し込んで確認しなければなりません。差し込んでおいて準備してくれてあれば良いのですが、双方の交渉者は、そこまで気がつかないと思って、その旨、お願いしておいたのですが、それでも、案の定というか、やっぱりというか、やってくれていなかった。鍵はほぼそろっていることを確認できたが。

 もう一つの目的は工場の状態の点検でした。問題が、沢山あることが分かった。一番の問題は床のPVCタイルが無残な状態なのでこのままでは使えない。開業当初、全面をPVCタイル張りにする計画らしかったが、押出はモルタル仕上げに変更してもらったのが良かったと思う。ここからは現在契約で使っている運転手と経理の人からの、云わば内部告発です。二番目は雨漏りというか、完全に空が見える状態になっている部分が何箇所かあり、そこから、雨が吹き込んでくる。あそこも、ここもと教えてくれた。また、鳥も飛び込んできた。三番目は入出荷エリアの下がっている処にちょっとした雨で水が入ってきて、排水口が詰まっているので、溜ってしまう。ひどい時は1mくらいになると言う説明があった。これも、聞かされなければ分からないこと。受電、変電設備、コンプレッサーやクーリングタワーの最終点検は2008年2でした。中には2007年が最終というものもある。たしか、生産が止まったのが、2009年の7月ですから、それから遡っても一年半の間点検修理をしていなかったことになる。解散する会社は、こんなものなのでしょうね。

完全に改修するには多額の金額を要するでしょう。このまま渡されれば、当社としては悩まされるところです。実態を再確認した方が良い。工場のエアコンは使えないとも言っていた。明らかな粗大ゴミも少なからず残されていて、このままでは“発つ鳥跡を濁さず“とは程遠い、濁しっぱなしの惨状である。本社はこの惨状を知らないと思うし、また、内の会社の交渉した人も知らないのではないでしょうか。

 

 それより、こんなに痛んでしまうものかと思うくらい1996年に入ったときの真新しい状況を知っている私にとっては、悲しくなるほど、悲惨な状態になっていた。回りの木は伸び放題、当時のオーナー等が記念植樹をした築山のような庭園も雑草で見る影もない。回りや裏の空き地も背丈以上の草が伸び放題だった。こんな状態で、何も生産しなくなった会社に一年半もいて、会社の解散や身売り交渉をした代表者はさぞかし、孤独で大変だったろうと思う。よく、辛抱したと思う。私が心配しても仕方が無いが、一週間ほどで引き揚げるにしては、会社にある書類や私物の整理が進んでいないように見えるが大丈夫なのでしょうか。

 

帆船の模型は開業の象徴でした。オーナーの号令で、色々なインドネシア製の帆船の模型を探し、そのうちに一艘をオーナー室に飾ったのでした。その時に日本のオーナー室に飾るための豪華帆船の模型も手に入れて、その値段より遥かに高い厳重梱包をして送り出した。その帆船は、今、日本の会長室にあると思う。舳先を会社の正門に向けると運が良いということを、何度も繰り返しておっしゃっていた。この模型は、機会を見つけて、元オーナーの元に届けたいと思うが、チャンスはあるだろうか。

 

事務所の中の様子です。向こう側に日本人の主だった?人たちが机を並べて、事務所を見まわしていた。私は、最初の一か月ほどその並びにいたが、当時の小川常務が来て、すぐに、手前の窓の左脇に仕切りパネルが有るが、その前に移された。間にはインドネシア人スタッフの机。5年ほどその場所にいた。パネルの後ろはコピー機と出入り口です。パワハラしまくられの思い出の場所です。

 

忘れることはできないが、今日で、許すことにした。

 再入城  惨状  手抜き  

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(^_-)-☆些細なことだが

2010-07-27 21:38:23 | 喜び

私がゴルフをジャバベカでやる時は、いつも、同じキャディに頼んでいる。彼女にはプレーの後、次はいつ手伝ってほしいといって約束をする。また、朝、バッグを預けるときにタグにその人の名前を書けば、手伝ってもらえることになっている。システムをそう思い込んでいたので、そのようにしていたが、今まで、たまに、突然、キャディマスターからの指令で、他のお客さんの手伝いをしなければならなくなったから、太田さんの手伝いができなくなったと、いうことがあった。

その都度、そのキャディからは、私から、キャディマスターに電話をして、私の手伝いができるようにしてほしいと言われていた。しかし、私は、キャディマスターは必ずチップを要求してくると分かっているので、頼まないでいた。

先日、土曜日、日本人だろうと思う、キャディマスターにブッキングを頼んだのでしょう。彼女から、手伝いできないと連絡があった。

勿論、私がプレーしない時、土日以外などは、他のお客さんのお手伝いをするのですから、彼女を気にいって、次回も手伝ってほしいと思う人は、次々と増えていっているはずです。本人からOKを貰えない人は、キャディマスターにチップを渡して、ブッキングする人も、増えることは当然です。その日も、キャディマスターに2人から予約の申し込みがあって、早い方の人に決めたらしい、また、ゴルフバッグに名前を書いた人が2人、いたとか、私は、事前に、手伝えないと知らされていたので、彼女が書いてやって欲しいと言っていた人の名前を書いた。

 

そして、日曜日、彼女の名前を書いた人は私を含めて3人いたとか、キャディマスターに頼んだ人はいなかったので約束通り私の手伝いをした。彼女、早速、昨日の出来事の話をしてきた。

 昨日はごめんなさいから始まって、もう、その人から、私に頼まないと言われた、とか。何故なの?彼女はその人の名前を勿論知っているのだが、とっさの場合に、私の名前を呼んでしまったとか、その人から、自分の名前はなになにだと言われたのにもかかわらず、それが一回や二回ではなく、何回も、私の名前で呼んでしまったらしい。他の人のことが頭から離れない彼女に呆れて、もう、予約しないと宣言されたという。次からも他の人を手伝った時、この手を使って指名されないようにしようと言っていた。

 

特に日本人のプレーヤーに気を付けてもらいたいことは、ご自分が気にいったキャディは既にキャディ自身が気にいった日本人の手伝いをしたいと思っている確率が高いのです。そういう人たちは自分たちだけで連絡し合っているのです。キャディマスターを通して幾らかのお金を払って、予約することは、正規の方法かもしれませんが、私はそういう方法は取りません。キャディを泣かせているかもしれません。あくまでも、本人の了解を取ります。野暮なことはしたくありません。

 

 予約  命令  従う

 夕方のチカラン バラッ付近、ジャカルタ方面への大渋滞、本線までなかなか侵入できない。

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(^_-)-☆ホールインワン

2010-07-26 22:43:03 | 喜び

昨日24日はブッキングが2人だったので、止めようかという話だったが、一人、やりたいと言う人がいて、やることになった。朝靄が晴れていない薄暗い中でスタートした。三人だった。涼しさが残り、清々しい雰囲気でした。

それが、インスタートの四番目のショート13番でホールインワンをROさんが私の目の前でやってくれた。早速、そのびっくりした顔を撮影した。掲載の写真はずっと向こうのグルーンにボールが無いことが分かる。本人は私の方を振り返ってびっくりして口をあんぐり開けている姿で写っているが、カットしてある。ボールを拾い上げる処もこちらを向いているがカットした。本人には、まともな写真を贈ってある。

二回目の承認者になった。以前はもう6年くらい前だったと思う、久しぶりにホールインワンを目の当たりに見てしまった。中止していたかもしれないし、コールオンを断っていなければ、でなかったかもしれない。その人、全く初めての出来事で、きょとんとしていたが、その後は大興奮、早速、オフィスへ電話をして、スターターの責任者にその場へ来て貰って、ボールのメーカーやクラブのメーカーがどことか、何番だとか、距離が何メートルと確認し、私たちやキャディも承認としてのサインをした。

こんな時、ベテランキャディなら処置の仕方を知っているので従えば良いが、知っている人がいない場合はとにかくゴルフ場にキャディから電話をしてもらうことです。本人が動転していることが多いので、一緒に回っている人が冷静に対処をしてやることです。なかなか、スターターが来ない時には後の組の人たちを先に行かせます。自分たちはその場で待ちましょう。私がHPとカメラを持っていたので、なにもかも、スムーズに手続は勧めました。

ホールアウトしてシャワーを浴びてレスタランで待っていると、先のスターターとゴルフ場のマネージャーがサーティフィケートカードを持ってきて、臨時の授与式である。レストランにいる皆さんが何事かと眺めていたが、間もなく、拍手喝采でした。これは保険金を受け取る時に必要ですから、受け取ることをお忘れなく。

私はいつもカメラを持っていっているので、一部始終を撮影した。勿論、この食事の費用は全部彼持ちである。

彼はゴルフ保険に三カ月ほど前にいやいや入ったばかりだと言っていた。良かったね。もし、入っていなければ、多分、20万円位は、皆さんへの振る舞いで掛るいでしょう。

 

そして、今日は、昨日の三人にRI氏が加わって、いつもの四人でした。場所をリッポチカランの日本食セストランに移動して、改めてお祝いをした。今日の食事も彼の奢りでした。人によって一生に一回あるかないかの出来事です。私などは全く可能性がありませんが、他人の世話をすることはできます。

 

びっくりと言えば 貰った頻尿防止の薬が効いたようで、21:00頃眠ってしまって、夜中に起きないどころか、朝05:00頃になっても目が覚めない。今朝は、念のためにアラームをセットしておいたので、05:00に目が覚めて事なきを得た、無ければ、ゴルフに遅刻したでしょう。

また、インターネットのフラッシュをコネクトしたまま眠ってしまったので、パケットを6時間もなにもしないまま使ってしまった。もったいないことをした。普通なら、コネクトしたまま、眠ってしまっても2~3時間で気が付いてOFFに出来るのですが、大損でした。

 

びっくり  祝福  ゴルフ

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(^_-)-☆皆既月蝕

2010-06-27 21:05:51 | 喜び
 日本では部分月食でしょうね。インドネシアは皆既月食、18;00時過ぎ高速道路の西に向かった、間もなくま正面の月が欠け始め10分ちょっとでかき消され、30分過ぎには元の満月に戻った。久しぶりの天体ショーを見ましたが、あっという間の出来ごとだった。家に着いた時、皆さん、家の近所の人たちも外へ出て、眺めていた。インドネシア人は初めて見たという人がほとんど、感激をしていた。
今日も懲りずに出勤していた。床の色塗り、以前、緑一色に塗って、通路とその他のエリアを分ける白線を引いたが、今回は、通路を赤でベタ塗りをした。土曜日オーバータイムである。
私の仕事は、様々な試作である。アシスタントはいるが、任せきりで知らん顔をしているわけにもいかないので、どうしても、一緒にやってやらなければならない。今回は、三つ重なってしまったので、明日、日曜も仕事である。
この二日間、ゴルフを入れないで、パンガンダランへ大分久しぶりに行ってみようかという気になって、ラシッド君にラフレシアの様子をチェックしておいてほしいと頼んであって、昨日、チャガールアラムへ入ってくれていた。突然のチャンセルで大変申し訳ないことをした。8月に入ってゆっくり出かけたいと思っている。今回は、残念でした。

ところで、肝心な試作ですが、今日のところは、今までの最高域から脱していない、もっと、上を狙っているのでなお別の方法を加えて試作を続けなければならない。明日もトライの予定。土日は金型屋へ持って行っての修正ができないので、修正を自分でできる範囲にとどまるが、修正を必要な個所をいくつか記録しておいて、月曜日に修正し、より、求める物にしてゆくというやり方である。
会社の近所にフードコートがある、インドネシア料理だけである。歩いて10分もかからない。ソトアヤムです、これとご飯を食べる。80円(8000Rp)です。日本人でここで食べたことがる人は一年に10人以下だと思う。
Bulan   中止  オーバータイム  月蝕
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(^_-)-☆Beranja di Glodok

2010-06-20 21:37:12 | 喜び

日本へ帰った時は必ずホームセンターへ行って、インドネシアでは見つけることが困難な道具や部品や計器を購入してハンドキャリーをするのが習慣になっている。しかし、今年はドイツへ二週間ほど行くので、帰国する機会がなさそうで、欲しいものが増える一方で、なかなか、解消できないでいる。装置を作るにも部品がないので作れないでいる物もある。
 そこで、何年ぶりでしょうか、思い出せないくらい以前に行ったきりのKota Glodok(グロドック)へ買い物に行ってきた。この辺りはKota tuaと言って、Bataviaの首都の中心でしたから、散策だけで、かなり膨大な旅行記を書けるほど、盛りだくさんに色々あるところです。
ここに無ければインドネシア国内には無いというほど、最期の砦のような何でも部品街です。北ジャカルタ、スディルマンを北上しても行きつくが、私は、北のアンチョールの方からちょっと南下して入った。
 PT,KITAGAWAの創業当時は、一月に二回ほど、必要道具や部品や計器を買いに行っていた、と言うのも、今なら、タンブン チビトゥン チカラン ジャバベカ辺りに電気や機械の部品店が進出していて、近場で殆ど手に入れることができるが、当時は、近場に部品屋や工具屋がなかったので、わざわざ、ジャカルタまで買いにいっていたのです。最近来た人や三代目四代目の社長さんはそういうことを知らない。
 十年前と雰囲気は変わっていない場所はあるが、外周は近代的なショッピングモールになっていて、売っているものは電機、電器、機械、装置、各種材料、部品、工具類などなど何でもアリ。しゃれたフードコートが在って、くつろげる雰囲気にもなっている。旧来のゴミゴミした中で買うのか、綺麗に洗練したモールで買うのか本人の好みであるが、私は、旧態依然のごちゃごちゃした中で買い物をした。マグネットリングとマグネットブロックは正にここでしか各強度と各サイズが揃っていない。聞いて聞いて、探して探してやっと見つけた。もう一つは、警報ランプでした。センサーが反応すると同時にランプが点灯し、警報が鳴るやつである。これも、見つけた。

 各種プラスチックの丸棒や厚板も売られていて、若いころ作っていたので、つい触って懐かしく思う。知る限りでは、インドネシアではここでしか売っていない。マーキングがある6ナイロンチューブやウレタンチューブも売っていてこれも懐かしい、聞いた限りでは全部台湾製でした。スパイラルチューブも含めて値段を聞いて、こりゃ、私が作っても価格で対抗できないと思った。

 実際は皆さん親切だし、何を探しているのか聞いてくるし、教えてくれるが、雰囲気として日本人が古い方の建物の中へ入って行って買い物をすることはお勧めしない。インドネシアの色々な買い物をする場所の中で一番、通路は狭いし、その通路の色々な人がたむろしたり座ったり、客だか、そこの店の人だか、何かの手伝いをする人なのか分けの分からない人が多いし、全く、そういう人に触れないで通過することができないほど、ゴミゴミ、ごちゃごちゃしている。ぶっ壊して建て替えない限り、この場所を綺麗にすることは永久に出来ないと思う。そこが私は好きなのですが。

北の端、バタビアホテルの前の運河に掛る跳ね橋は観光スポットになっているが、今は、全く機能していなし、橋の下を船が通過することもない。
 おおざっぱにいうと、ここから南下し、グロドックへ依って、ガジャマダ、タムリン、スディルマンの途中のアッチチの像でUターンして、ラトプラザのコースでした。 
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
ラフレシアに興味のある方が多いようなので、私の関係サイトを紹介しておきます。
ブンクルーの旅行記などです。世界最大の花という言い方に曖昧なところが在り、ラフレシアが最大というのは私の知るかぎりでは誤りだと思いますが、どうでしょうか。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage027.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage019.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage041.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage045.html
以下は写真集です
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0307.html 
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0304.html
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00075.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0314.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0311.html
秋葉原  人懐こい  用心
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酒 知識興味無し

2010-05-27 22:05:42 | 喜び

 私は全く酒類、アルコール類とは無縁です。66年に来てビールを何リットル飲んだでしょうか、酒を何リットル飲んだでしょうか。おそらく、いずれも、100Lも飲んでいないと思う。それ以上のんでいると思うが、殆ど吐き出してしまっているので、胃から下に下がったものは100L以下だと思う。ということで、インドネシアでも酒は一滴も飲んでいない。ビールも全く飲んでいません。アルコール類はゼロです。ですから、最近15年は飲んでいない。
 インドネシアのアルコール事情は殆ど知らない。しかし、アルコールをこよなく愛する人たちからの話を聞くと、日本系スーパーマーケットが輸入許可の問題を巡って問題が発生し、輸入を出来る食品が以上に少なくなってしまったことに始まって、ここ、二年ほど前から、酒類の入手が大変困難になっているし、手に入れても非常に高いという話が多い。日系のスーパーマーケットには置いてないという。置いても、すぐ無くなってしまうほど少量しか手に入らないらしい。日系のレストランでも入手には苦労しているらしい。多分、許せる範囲であの手この手を使って手に入れていると思う。
 ウイスキーやワインは比較的、普通のルートで手に入っているようです。
先日、ある人から、酒飲みの方々に大変、喜ばれそうな情報を受けた。バリと言えば、最近密造酒を飲んだ人が集団で亡くなるという事件が立て続けに起きている。そのバリから安い、アルコール度の高い焼酎を簡単に入手できるということでした。
 バリワインは有名で、空港の免税店やバリの免税店に大量に置いてある。ワイン好きの人に土産として買ったことがある。
   その情報が確かかどうか、確認するために、仲介の人に三日ほど前に頼んでおいて、今日、その酒を入手した。ルートは極秘です。確認できた。私が飲むわけがないし、鑑賞する気もない、これを、酒に飢えている人にプレゼントしようという考えです。めちゃくちゃ、喜ばれるはずです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

 インドネシア人にとっては大変有名なお酒で、イスラムの人たちの間でも飲む人にとっては魅力あるお酒のようです。Arak Baliという焼酎でしょうか、よくわかりません。アルコール40%です。価格は680ML12本で一万五千円でした。一本千二百円ちょっと、高いか安いか私には分かりません。酒類を殆ど買ったことが無いし、買ったことがあっても、値段を覚えていないし、他人が、これはどこでいくらだったとかいう話をしていても、全く、聞く必要が無いからです。
電話で頼んで三日後に手に入りました。オレンジジュースで割って飲むとおいしいと書いてある。アラックとはお酒という意味でそうです。バリのお酒という意味です。

 勿論、私は写真を取っただけで、飲んでいません。どんな味だか知りたくもありません。ただ単に水にしか見えないほど、無色透明の液体です。
片側交互通行の道でもバイクはドンドン対向車線を走って行ってします。待つことを知らない。対向車の邪魔になっていることで結局、全体の流れを遅らせる原因になっているとは思わないのです。
喉から手  入手  紹介
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恵まれた環境

2010-05-17 20:00:00 | 喜び
二年になって、下級生が入ってきた、やはり50人くらい。私の役目は、彼らを辞めさせることだった。処が、その中の四人、小学校の時から卓球場で鍛えてきていた。私より上手い。結局、その四人以外は全員辞めてしまったが、彼らが残ったのだから、四人増えて、やはり、私がいちばん下手だった。そこで、二年の時もレギュラーになれず、中途半端な、いてもいなくてもいい、どちらかというと、下級生の四人に気を遣わせる邪魔な存在だと意識していた。いまさら、やめて、他の体育系の部に行くことも出来ない。辛抱するしかなかった。
 個人戦でも、静岡市で、優勝したり、10位以内に4~5人入っていたと思うが、私は32番目位だった。
 二年の新人戦になるころ、四番手になっていた。上三人は、卓球場でならしてきた連中で、後輩の卓球場で練習してきた連中の何人かは私が抜いていた。市の新人戦で、四番手か五番手で、交代で団体戦に出ることができ、私の力ではないが優勝メンバーの一人になっていた。三年の本大会ではやはり市で優勝し、個人ではベスト8に入った。
 県大会は全く印象に残っていない。しかし、この頃から、中学の時でも浜松や沼津の有力校へ遠征して他流試合をすることが楽しみになっていた。静岡市でトップの力を持っていたから、それができたのだと思う。うまい連中がいたので、私も釣られて腕が上がったと思う。補欠が多くてなかなか、レギュラーにはなれなかったが、後々に割合努力しなくてもレギュラーになれたのは、この時の環境と部員に恵まれていたからだったと思う。
 三年の時は静岡市で優勝し県大会でもベスト4に入ったが。やはり、私は補欠だった。
私が高校へ入って、私より上手かった後輩の連中が県大会で優勝した。そのメンバーは私が高校の二年の時に他校の選手として対戦したが、其の時は私の方が圧倒的に強くなっていて、静岡県の中部大会の団体で二番手として団体戦に個人とダブルスで出て準優勝、個人戦ではベスト8に入っていた。若い時は、やはり、環境に寄ることが多いと思った。中学の時一年からレギュラーに入っていた同級生は高校に入ってから、名前を聞かなくなってしまった。
もっとも、高校の同級生では私より上手い奴がいて彼は準優勝をした。他の中学からきた中学時代から個人戦では上位にいた人でした。顧問の先生はいないと同じだったので彼がキャプテン、私がマーネージャーとして卓球部を運営していた。
 余計なことだが、其の時に予算の多額獲得の手段を知った。年度末にはお金を使い切ること、安く買って、領収書は定価で買ったようにしてもらったり。合宿の前後に先輩を招待して卓球大会をして寄付を募ったり、繁華街や市役所県庁へ行って、遠征費の寄付をお願いしたりした。とにかく学校名でかなりそういう動きは世間に認められていたように感じていた。
 大学では一年の時からトップ。最初からレギュラー、何の努力も頑張りもしなかった。女性部員と和やかに練習をしていたし、先輩の女性部員からは良く持てた、というより、やさしく打ち返してやるので彼女達の練習相手として手頃だったと思う。
良く、指名され、可愛がられたものでした。自然に二年の後半からキャプテンになっていた。囲碁部や書道部にも入って学生時代を満喫した。合宿も男女混合でやったので、普段練習に来ない部員まで参加した。スキーやアイススケートも学生時代に部で主催し、部員をあちこちへ連れて行った。この時も、急に部員が増えた。こんなにいたの?というくらい。
 中学の時の同級の女性や高校の時の他校の女性や大学の時の同じ体育館で一緒だった女性の話など、この十年間の話はきりがない。この期間のエピソードはきりがない。

見にくい名盤、正面からしか読めない、15度以上横からでは光ってしまって、全く、何が書いてあるか分からない、というより、何も書いてなくただのステンレス板にしか見えない。
インドネシアのゴルフ場の代表的な風景。
予算  環境  継続は力
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50年前の情景の一部

2010-05-16 21:33:55 | 喜び

ゴルフは予定に入れてなかったし、仕事は金型待ちなので、何もすることが無く、久しぶりに何もしないでくつろぐことができた。
子どもの頃の運動について書く。腕力が異常に無く、懸垂が全く、一回も出来なかった。未だに、一回も出来たことが無い。これは自慢である。こんな人は多分いないでしょう。だから、逆上がりも出来たことが無い。100%劣等人間でした。だれにも馬鹿にされたし、先生にもさんざん言われた。高校一年の時の一学期「逆上がりができない奴評価は10点中の1にすると言われた。その通り、通信簿に赤で1と書かれていた。
後にも先にも赤1はこれ一回きりであった。体育の通信簿はいつも最高の5か10だった。この時も二学期には10になっていた。というのは、鉄棒で足掛け上がりや、蹴上がりは反動を使うから出来るのです。ただ腕力と腹筋だけの逆上がりができても、テクニックを使う蹴上がりができない人がはるかに多かった。私は車輪も出来た。体育は足も速かったし、水泳も普通以上だった、クラスに中で一番ではなかったが5番以内にいた。クラス対抗リレーでも二三番手で選ばれていた。
卓球は、腕力が無くても器用さと動きで、相手をごまかせば有る程度は出来るだろう。横着してもレギューラーメンバーになれるだろうと思って中学一年から、始めた。野球やバスケットボールをやってみたいと思っていたが、いかにも運動神経が発達していそうで体も大きい連中が入部していたので、自分は向かないと思った。野球は守備や走塁ではソフトボールの遊びで、負けないと思っていたが、打つことは全く駄目だった。どんないいあたりでも、ホームランなどは夢の話で、流し打ちでライト前に落とすしかなかった。引っ張っても仕方がなかった。バスケットは、ボールが重かった。ジャンプシュートができない。何より、選手同士のぶつかりあいができなかった。
卓球なら、手首をくるくる返せば、どっちの方向へも打てるし、人とのぶっつかりは無い。処が、考えが甘かった。入って見て、先輩は5人だけだったが新入人数が50人以上いて、卓球台は三台だけ、まず、人数を少なくするためのトレーニングが始まった。ラケットは持たずにランニングとストレッチ、学校の周り一周が1500mほどあったが、毎日、5周回らされた。一か月で、10人以下になった。ラケットを持ったはいいが次は素振りが加わっただけ、壁に向かって、一に、一に、と素振り7月の夏休みに入る前に3人になっていた。そのうちの一人は小学校の時から、家の近くに卓球場があったので、飛びぬけて上手だった。二年の先輩も彼にはかなわなかったので、当然、直ぐ、団体戦のレギュラーに抜擢された。しかし、私と、もう一人は、完全に球広いで、なかなか、ピンポン球を台について打たせてもらえなかった。
夏の本戦は早く会場へ行って、選手が練習する卓球台を確保することだった。先輩の成績は芳しくなかった、順位がどこだったか覚えていない。新人戦も出場機会なし、やっとそのころ、三年がいなくなって、部員数が8人ほどになり、卓球台で練習させてもらうことができた。しかし、何も経験が無い私は一番の荷物、先輩連中も私とは練習をしたがらないし、親切に手ほどきをするような人もいなかった。後に、高校の先輩にもなる其の人も、全く私には興味は無かったようで、一人卓球場で練習していてうまかった同級生を相手にしていた。壁に向かって球を打つことが日課だった。座って、突っつきの練習や立って左右に動きながらフォアーやバックハンドの練習を一人でしていた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
一年生の終わりでは、やはり一番下手だった。
短粒米の包装、富士光の袋は印刷が裏返しである。カリフォルニア米で シンガポール経由でインドネシアへ入ったものです。POP MIEのミーゴレンです。焼きそばカップヌードゥルです。

誤字、脱字、変換間違い、が多々あることをお許しください。自分が書いたものを、殆ど、チェックしていません。ごめんなさい。
卓球  補欠  力無し
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経理税務担当者

2010-05-04 18:38:22 | 喜び

斜めからインドネシアを眺めよう 596
 5月3日 4日が何の日か忘れてしまった。
今日も、あちこち往復、金型の修正やらモーターのコイルの巻き替えやら、不足部品の買い物やらで、走り回った。車の定期点検の日が二カ月以上過ぎてしまっているし、走行距離1万kmごとの点検も2千キロ以上過ぎていて、早く点検に出したいのだが5~6時間かかるので、なかなかできないでいる。

裏(表?)の会社の売り先が決まったのは先週末でしたが、今日、その会社の税務経理責任者とばったりMM2100のルコで出会った。にこにこしながら、良いところで私を見つけたとばかりに声を掛けてきた。彼曰く、「税関との関係であるEPTEはすでに解消した。残りは、税務署との関係で、税金を要求された通りに払えば、撤退できるところまで来ている。そして、その税金は、決まった売り先に、今週中に請求書をだし、それに元付く送金があれば、そのお金を使って税金を払うことになっている。買い手が払うのも、この会社が税金を払うのも6月末が期限だそうです。その期限を待たずに、支払いを早く受ければ、早く税金を払って、早く出て行けて、買い手も早く入場できることになっている。そこまで来ている」そうです。
付け加えて、彼曰く、「太田さんに会ってよかった。太田さんの会社で使ってほしい。妻も太田さんに頼めと言っていた」、と余計なことまでいう。「会計責任者まではいかなくても、税務署担当ということでもいいし、給料はK社の時の半分でいい」といていた。
 どうなるか分からないが、とにかく、6月末で確実に用ナシになるので、再就職先を探さなければならない。「就職申請用の書類を整えて、いつでも、出せるように準備しておいた方がいいよ」と、とは、言っておいたが、あなたを必ず採用すると約束はできない立場でもあることを付け加えた。
 仕事ができるのかできないのか分からないような新しい人たちが次々と入ってきているので、何の担当なのか私には分からない人ばかりである。だから、私が頼まれても、会社が今どんな人間をまだ、増やしたいと思っているのか、分からないので、なお、約束できない。

 処で、彼が今一年近く働いている条件は、キジャン(13年前購入、私が半年だけ使っていたジーゼル、40万Km以上走っている)を一台もらったのと、2万円の報酬だそうです。ほとんど、何も仕事はないが、毎日出勤しなければならない。その2万円は、貰った車の維持費で消えてしまって、無給と同じらしい。今は、全く仕事が無いという。早く、抜けたいが、6月末まで、その条件でいくしかないらしい。
 畳むだけの仕事で、一年以上インドネシアにいた責任者も間もなく確実にインドネシアにいなくて良いことになる。6年もいた普通の日本人なら、インドネシアにまたきっと戻ってくるよと、言われるし、本人も、チャンスがあれば戻りたいと思う。しかし、中には、戻ってくるでしょうと言われないし、本人も戻りたくないと思っている人も、稀にはいる。
  
交通事故による大渋滞の高速道路の中央車線の、もっと中央をサイレンとともに通り過ぎるハイウェーパトロール、橋の上でゴルフをしている人を捕まえに行くのではなく、事故現場へ急ぐ。路肩は塞がっているので、こうなる。
 期限付き インボイス 税務署
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急転直下の情報

2010-05-01 21:04:35 | 喜び
昨日は20:00時前にバタンキュウで眠ってしまった。その寝心地の良かったこと、朝、5:00マリアさんのけたたましい目覚ましで起こされるまで、熟睡してしまった。ですから、真夜中の投稿ができなかった。中には、一人や二人、どうしてしまったかと思った方がいたかもしれませんが、単なる睡眠不足でした。
パニック障害の薬も最近は飲んでいません、飲むときは、そろそろ、飲んでおこうかと思うときだけで、一週間以上忘れていることもある。薬はいつも携帯して、いつでもどこでも飲める状態になっているし、他人にももし万が一ひっくり返ってもバッグを開けてもらえば、インドネシア語で書いてあるので、誰かが飲ませてくれるだろう、など、安心感がまた、飲まなくでも大丈夫という気持ちの手伝いになっているとおもう。今回のちょっとハードな仕事でも何の症状も現れなかったし、現れるかもしれないという不安もなかった。パニック障害が殆ど治ってきているという確認にもなった。しかし、薬は常に、携帯することは忘れない。去年末に三カ月分処方していただいて、四か月以上経過しているが毎日飲むとすれば30日分残っている。だから、三日に一回なら三か月分残っていることになる。残っているということが安心感を与えてくれる。
\(^o^)/
Akhirnya datang juga!! 急転直下というか、ご近所付き合いというか、大変急な情報で、流石というか、大丈夫かな、本当かなと思うが、信じていいのかな、と思うような情報がもたらされた。
私自身が積極的に動ける状態ではなく、むしろ、影に回って、頼まれたことだけをやってきた。知らず知らずに、重要な役回りをしてしまっているのだなと思うし、それが、無駄ではなかったことが確認できて、たいへん、気持ちがいい。
しかし、まだ、確定ではなく、仮契約なので障害があることは感じている。その障害が早く無くなれば、私はもっと嬉しいのだが、どうでしょうか。6月末?本当かな、眉に唾をつけています。昨日今日と珍しく19:00過ぎに第二応接室に電気がついていて、何かの打合せをしているのか、今どき帳簿のチェックしているのでしょうか、ブラインドは上げたままで、外から、内の様子がはっきり見える状態にしてあった。(―_―)!!
大丈夫でしょうか。
一喜一憂も、どうかなと思うが、砂竿で金の長い難しい10点パットが入った時の様にガッツポーズをしたい気持ちです。

 これは別の話で日本のHさんに大変心配をかけております。今日、また、途中経過を報告させていただきましたが、来週中にも全アイテム完成させることができる見通しが着きました。(-_-;)

リッポチカランへ行くときにはこの道を通る。牛追いの青年。インド洋側、水田とヤシの木と海。この景色は延々と続いていれば素晴らしいと思うが、ほんの100mほどです。
 継続は金 黒幕 仕掛け人
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社長交代

2010-04-28 17:40:41 | 喜び

 日本からVIP来社。日本に帰った時には、ゴルフを一緒に誘われる仲なのだが、PT,NANBUとしては、あくまでも、私の重大上司であり、尊敬する方の一人なので、緊張をする。真剣な会話をするしかなく、冗談交じりに話などできない。早く、軌道に乗せて、安心させてあげたい。
予告はあったが、4月1日K社の社長が交代し、若社長になった。おめでとうございます。会長とは40年以上のお付き合いで、若社長とは20年くらいのお付き合いになるでしょうか。両方の方から、親しくしていただき、それぞれに、違った意味で、大変、お世話になっていました。今も、太田化工がお世話になっています。これからも、日本へ帰った時、機会があれば、訪問して、世間話でもしたいと思っています。
押出エッジング、グロメットでは40年前からのお手伝いで、超ロングヒット商品です。大当たりの商品です。もっとも、若いころ、私も、大いにこの製品で利益を上げさせていただきます。私が、こうして今インドネシアで生活しているのも、インドネシアの若者に、技術指導をしているのも、このおかげだと思っています。
K社もこの商品を持って、大手家電メーカー、IT産業に入り込む手段、武器にしたのでした。K社の基礎を築いたのです。お互い様です。
若社長には、副社長として、インドネシアへ見えられた時には、BLOKMのカラオケに招待してもらいました。今後は、そんな感じではいられないでしょうし、これからの時代を引っ張って行かなければなりません。困難な仕事でしょうが、人に安心を与える接し方を生来持っていると思っています。多くの知識を生かせて、K社の先頭で、走っていただきたいと思います。ひそかに応援をします。
フレーフレー三三七拍子!!!!

K社のインドネシア工場は解散になりましたが、若社長が一番、応援をしていたし、私はそれに従っていた、私の部門は、インドネシア国内売りで、十分利益を上げていたが、射出の方が、親におんぶにだっこされていて、社内で権力をもった、ある人物(現在はいない)が、強烈にそれを支持し、インドネシア国内売りはまかりならぬと、足を引っ張り続けていたのが、致命傷でした。もし、当時副社長がインドネシア工場全体をまかせられていれば、解散する状態にならなかったでしょう。
世代交代 買収 解散 いつ?
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ご近所情景

2010-04-27 18:45:13 | 喜び
 トライの結果が思うようにならず、今日も先ほどまで会社にいて仕事でした。何とかしなければならないという焦りで、いいアイディアが浮かんでこない。起死回生のひらめきがあるのだが、今回は、なかなか、それが出てこない。参った。
 こんなときにブログどこころではないだろうと思うが、金型の修正をしているので、明日の10時過ぎまで、トライができない。今は、何もできない状態なので、気分転換に、ブログを書いているのです。
 
引っ越したばかりの我が家の殺風景な様子です。壁が接している建売住宅です。完全にインドネシアの典型的な分譲住宅です。40平方メートル位のメインの部屋です。この部屋の隅は台所になっている。冷蔵庫や水のディスペンサーもこの部屋の中にある。写真の、向かって左右に一部屋ずつ15平方メートル位の寝室がある。トイレ、水浴、洗面所兼用の部屋は、5平方メートルの部屋がある。
床はこの様に、全面、30cm四角の白いタイルが敷き詰められている。日本の畳部屋、木の床は、インドネシアでは全部タイルです。板の間という考えは貧乏人の家という印象なのでしょうか、全くと言って新興分譲住宅にはまったく採用されていない。
ご近所は若い夫婦と小さい子供の家族が多く、あちらこちらから、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。中流の上、この程度の住宅に住む人は皆さんメイドやベビーシッターを使っているようです。朝、車を洗ったり、ちいさな子供と公園で遊んだりしているのはそういう人たちです。私が出勤時刻にそういう姿を良く見ます。のどかな風景です。
小学校が近くにあり、毎日、学校の前を通りましが、子供達は自転車通学が多い。勿論、親が車で送り迎えする姿も多いが、自転車を一所懸命漕いで、校門へ向かっている子も多い。日本の様に集団登校という姿はない。
朝、勉強の前だと思うが、一クラスの子供たちだと思うが、学校から外に出て、集団でランニングをしている風景にも会う。女の子が一人、集団から抜け出して、2.30m先を必死で走っているのがほほえましい。
私が子供のころの姿を思い浮かべてしまう。
何よりの喜び、モスジッド(イスラム教会)からのスピーカーからのお祈りの声が全く聞こえてこないのが一番心地よい。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page101.html
エッセー集です。大まかな項目別に分けました。
小学校  お祈り  くつろぎ
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