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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆西海岸は広い

2012-04-21 23:06:13 | 喜び

1192 チカランの家にいる。日本への土産物にとタシクマラヤの道端でウビ(サツマイモ)を2kg買った。1kg1万Rp(百円弱)です。空港で没収されないと思うが、ちょっと心配。日本の夏に備えて、パンガンダランの土産物屋で、つばの広い麦わら帽子を孫のために買った。安い、3万Rp(3百円弱)二つ買ったので、5万5千Rpにしてもらった。

 私が到着した日の、一人の日本人が来ていたよ、サーフィンが上手だった。また、来るといっていたよ。と報告が、イワン君の弟のアウェン君からだった。私がウェブサイトで紹介しているラシッド君は今オーストラリアへ語学留学をしている。今年、6月に終了してパンガンダランへ戻るそうです。彼は長男、弟が6人いて、二番目がイワン君、彼が今、サーファーの面倒を見ている。そのことでここ一年の間に変わったことは、それまで、西海岸の一般海水浴場とおなじ海岸で混じってサーフィンをしていたが、私は危険だと思っていた。そこで、今は西海岸でもほとんど水遊びの海水浴をしていなかった、人間でいえば肩に近い方へサーフィンスポットを移動した。18日の写真、パンガンダランの半島が一望できる場所がそのサーフィンスポットでした。そこにはサーファーがいるだけだから、圧倒的に寂しく感じるが、この方が圧倒的に環境はいいと思う。それに伴って、西海岸道路と海岸の間にサーファーの溜まり場というか、情報交換の場所というか、竹の骨組みにヤシの葉の屋根や壁を付けて、欧米人が好みそうな掘立小屋が増えてきた。そこには今まで何もなかった。土産物屋もなかった。観光客がうろつく場所ではないし、今も一般観光客はそこまでいかない。それぞれに、インドネシアらしい名前が付けられている。その一つにイワン君や弟たちも暇があれば行っているようです。先の日本人もその場所のどこかにいてサーフィンをしたのでしょう。日本人のファーストネームを言っていたが、覚えていない。

 パンガンダランのゲートから入って真っすぐ西海岸に突き当たる。左(南)へ曲がって、道なり(西海岸の海を右に見ながら)に500mほど行くと右側にその掘立小屋がある。

 

 私が泊まるホテルはホテルです、ロスメンではありません。一応、スタンダードとかデラックスとかスウィートとかシングルとかダブルとかの区別があり部屋代の一覧表があります。ピンからキリですが、テレビ、クーラー、冷蔵庫、ヲーターデュイスペンサー付き、シャワーでお湯が出る。ツインベッドで平均50万Rpでしょう、(35万Rp~100万Rpの幅がある)ホテルにプールがあったりバスタブがあったりすれば100万Rpに近い側になります。

 私は、お湯が出ない部屋で30万Rpの部屋を借ります。朝食は二人分仕出し弁当が届けられます。お決まりのナシゴレンやミーゴレン、バナナが仕込まれたパンや辛いからいケチャップがかかっている直径10cmくらいのピザが来ることもあります。

 

一般的に一人部屋というのはありません。最低二人です。インドネシア人は一人でパンガンダランへ来る人はいないでしょう。家族、親せき、友達の形です。ホテルの二人部屋に四人以上入るし、ロスメンな雑魚寝ですから、畳一畳に一人くらいの割合で押し込めます。トイレやマンディは外です。流石に、私もパンガンダランのロスメンに泊まったことはありません。一人当たりにすると千円以下になります。

 

 東海岸の人間でたとえれば顎の部分に残った漁船の係留所だがその向こうに見える東海岸のほとんどは竹の桟橋で占領されている。

出前の海老0.5kgアッサムマニスとチャーカンクン、ナシ。6万Rp。美味しい、バンガッ

サーファー 水遊び ロスメン

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(^_-)-☆我家の庭のよう

2012-04-19 23:12:51 | 喜び

1190 お決まりのチャガールアラム(自然保護地区、ジャングル半島)入りをしてきた。まだ、雨季なので、道がぬかるんでいて非常に滑りやすく歩きにくかった。何度も滑って転ぶはめになった。結局,ラフレシアに一個あっただけでした。それも五つの花ベンのうち一枚が閉じたままになったできそこないでした。
 先端近くの滝壺で泳いだ。泳ぎながら滝を背にすると前に広がる景色です。今が一番水量が多い。冷たくない。
 ここのチャガールアラムには野生の割合大型の動物がいる。牛、多分家畜の牛が逃げ出して住み着いたようだ。鹿、キギャンです。これは逃げたのではなく、もともとどこかから渡ってきたのでしょう。大型でざっと見て1.5mくらい、立派な角を持ったオスが多い。ビヤワック、オオトカゲです。平均50cmくらいだが、頭から尻尾の先までは1mくらいのものもいる。これらは人が近づけば、一定距離まで逃げてしまう。しかし、完全に見えなくなるまで逃げて消えてしまうことはほとんどないので、写真を撮ることは容易である。
 サル、これは、始末が悪い。ジャングルの中というより入口から100m以内の半径にたむろしている。人間様の持ち物を狙っている。観光客が多いので、いろんなものを上げる。それに味をしめて、奪うようになっている。お菓子の袋や飲み物の瓶や缶、ぺットボトルは彼らの目標である。しかし、手当たりしだい、奪えそうなものは何でも奪い取る。メガネ、ハンドホーン、カメラなどなど、ガイドが注意をするが、土曜日曜には被害者が多く出るという。

 最初の上りがきつい、入口をはいって300mほど、一般観光客が散策する場所を通り抜け、自然保護地区に入るが、急に登りになる。100mで40mほど登る。すると、視界が広がる。ジャングルではなくなるのです。昔は無断侵入者を入れないようにする見張り矢倉がって、監視員がいた。木を切ってしまって、ジャングルへはいる人が見えるようにしたのです。今は矢倉も見張りの人もいないが、名残として残っていて、そこには雑木は育たない。100mくらい広場を通ると、また急な登りになり150mほどで50mは登る。上り詰めたところにちょっとした空間があって一回目の休憩場所になる。ここまで500mで100mは登る。多くの連れは、ここまで来て、とんでもない所に連れてこられたと思うらしい。
 後は10m程度の登たり下りをするが、私のとっては平らな道を歩いているようです。2km先の滝の上まではその調子だが、滝つぼへ下りるとなると30mで30m下る感じで、胸突き坂になる。上りも大変です。知っていれば、滝つぼまで下りなかったという人が多い。

 私はここを数え切れないほど入っている。本当はガイドはいらない。

庭 ガイド 快適

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(^_-)-☆旅から戻った

2012-04-14 22:16:40 | 喜び

11853 5:30にプンギナパンを出発、7:30発の予定が8:30弐なってしまった。スリウイジャヤでバリクパパン、ジョクジャ経由でジャカルタ到着が12:30でした。ブラウ、バリクパパンの東カリマンタンはバリとおなじで、ジャカルタタイムより1時間早い、日本より1時間遅い。チカランの家に戻ったのは15:00、順調でした。

グラウからバリクパパンまでがSJ233でした。バリクパパンからジョクカルタ、ジャカルタはSJ231でした。しかし、同じ期待でクアビンアテンダントもそのまま、結局、ずっと、乗っていたのは私一人でした。おかげで、ケータリングを彼らから3食、受け取って、顔も覚えられ、別れる時には、私だけに、向こうから笑顔でお礼を言われた。と、私はそう思っている。

ネットに接続できずにストレスが溜まっていたが、開放された。ローディングが速いのは、気持ちがいい。

今回行った場所は、とにかく、インドネシアの中で行くところがなくなってしまっているので、無理やり見つけた感じでしたので、かなり難しいところでした。移動に時間がかかったし、その移動の光景が、何もない海の上か、ジャングルの中によくぞ作ったという感じの道でした。事前に一応サテライトからの写真でチェックしておいたが、近ずくとぼけてしまう写真しかなく、それには町や道はほとんど見えず、見えるのはジャングルだけでした。地名もその地図にはなかった。Berauの空港もどこにあるのか衛星写真で確認できなかった。Tanjung Batuタンジュン バトゥという岬の港も確認できていなかった。ビドゥクービドゥクのラブアン チュルミンもネットで名前を知っただけで場所がどのあたりか分かっていなかった。本当に行き当たりばったりとはこの事でした。

それに、島へ行くのに港の地元の人に聞いても、Derawanデラワンという島がどこか知らない。MaratuaマラトゥアKakabanカカバンSanglakiサンラキなどといっても分らない。

かの老人と海の爺さんにDerawanで会ったのがラッキーでした。15:00に出発して18:00過ぎにはその辺りの島を全部回ったのでした。だから、次の日に一日かけてジャングルの中を南下してBiduk-Bidukまで行けたのでした。行き当たりばったりにしては、目的は十分果たした、訪れようと思っていた場所に全部ゆくことができた。

 

こういう場所へ行ってみると、その辺りの人達も地元のことをほとんど知らないことを思い知らされる。ブラウのプンギナパンの従業員にブラウの空港まで何分で行けるか聞いても、知らないという。知らないといわない人は1時間ぐらいだという。実際は15分である。時間とか距離に関して無関心のようだ。何キロメートルくらいあるかと聞いて答えられる人は一人もいない。ATMのブルサマがあるところならどこでもいいから、教えてと聞くと?マークが頭の上に現われてしまう。ブラウは大河に沿った町だ。川の名前を聞いたが誰も知らない。結局、私も知ることができなかった。

そんな中で日本人の爺さんが一人であっちこっちへ行くのだから、どうなってしまうかわからないところが面白いですよ。

真っ暗なジャングルの中を車で進んでいても、不安は全くありません。あるのは、この先がどうなっているのか知りたい気持ちだけです。

写真は、ブラウからバリクパパンへ飛んだ時上空を通過したスンガイマハカム(マハカム川)です。ちょっと醜いが、中央に、去年落ちた橋がまだそのままの状態になっているのが見えますか。下流(上の方)がサマリンダです。大河でしょ。

もう一枚はスカルノハッタ空港で遭った、日本のバス、止めてほしい時に押すボタンがあったので、押してみたが、何も鳴らなかった。

 快感 自己満足 気楽

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(^_-)-☆テレビ番組

2012-02-13 23:04:15 | 喜び

1124 今の会社は残すところ2週間になった。25日の夜にはインドネシアから出ることになるでしょう。三月いっぱいは日本の会社に在籍して職務を全うするでしょう。日本へ持って帰る金型は22日に受け取ることになった。輸出の装置は三月末までに日本へ付けたいと思うので、インドネシアのロジスティック会社と話を付けて置かなければならない。それとは別にインドネシアで使うことになる装置の手配は日本へ帰ってから遠隔操作ですることになる。四月中旬にはインドネシアのベースに席を置くことになるでしょう。

 真似ではない、独自の番組を作るようになってきた。
Asing starという番組が在る。外国人ののど自慢大会です。今日は日本人の女性が出演していた。オーストラリア人の出演が多いようだ。というわけで、私はテレビを見るならTRANS7とTVONEがほとんどです。ニュース番組にTVONEはTRANS7が面白くない時や朝、仕事に出かける前に掛けています。プンチャックのバス事故の報道も長くやっていた。前にも書いたが、インドネシアの番組は一週間に一回何曜日というのはない。ドラマもバラエティも歌番組も毎日同じ時間にやる。土曜日と日曜日だけは週に一回というのが在る。それらも、番組のタイトルは違うが、出演者は殆ど同じにしてあるので、ほとんど毎日同じ人がその時間にテレビに出ていることになっている。 
 良く見る番組はOPERA VAN JAWAである。ちょうどブログを書いてる時、21:00から一時間である。人気者の数人がふざけた舞台を演ずる。歌やダンスが絶妙で、風刺もあって、現在的な洒落たスタイルになっている。インドネシアの文化も多く紹介しているし、時々、日本の物語を題材にしたテーマも取り入れている。外国の番組を真似したものが多い中、この番組はインドネシア独自だと思う。日本にもアメリカにも似たような番組は無かったと思う。
 ちなみに、提供は全部日系企業です。その前後にHITAM PUTIHやBUKAN EMPAT MATAが在り、いずれも有名な司会者が絶妙な進行とインタビューする番組です。インドネシアの世相が良く分かる。どんな人が今話題になっているのかよく分かる番組だ。インドネシア人にも人気が在るようで番組について話しに花が咲く。
 ゴルフ場のスナップ
 番組 テレビ 絶妙

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(^_-)-☆我思う

2012-02-10 22:57:30 | 喜び

1121 先日、思い付きをいくつか書きましたが、それらは、私が作ろうとしても、他人を頼らないと出来ないものです。それには資金も必要です。他人を説得しなければなりません。しかし、その道の専門家や会社はちょっと工夫や応用をすればできるでしょうし、販売ルートも掴みやすいでしょう。気が向けばそういう人達がやればいいと思う。

私の得意分野でも思うことは沢山あります。あれが出来たらいい、これが出来たらいと思うものが沢山あります。中にはこんなものを作ってインドネシアで売り出せば、きっと儲かるだろうなと思うものもあるが、大部分は、売れると思わないし、使い道がわからないし、儲かるとも思えない物で、一種の道楽と思われそうなものばかりである。しかし、この世の中にまだ、無いと思われる技術を開発しなければ出来ないものばかりです。

今まで、何十年も、客先から、こんなものができませんかと聞かれて、出来ないと言えずに出来ますといってしまって作り上げたものばかりです。その中には日本で私が初めて作った製品も在ります。日本のどこかで作っていたが、インドネシアでは初めてという製品も沢山ありました。それらは客先の利益に貢献してきたし、中には、それがその会社の基礎作りになったものもありました。また、私自身の利益にもつながったし、従業員への分配も十分してきましてきた。その証拠に、この厳しい日本の製造業の状況の中で生き残っているいし、インドネシアの部下たちは私のいる場所に就いてきたがる。今の状況も、私が今の会社から手を引いた後に会社を辞めてしまっても、私は使わないと宣言してある。

本筋から離れたが、もうそろそろ、客先から頼まれたことではなくて、自分が作ってみたい製品を私が考え出したやり方で作ってみたくなった。だから、組織にいたのではできない。組織にいたとしても、このことに関しては私が投資するので、自由にできる環境でなければならない。それをやるには、やはり、インドネシアが良い。開発のための投資金額が日本の三分の一以下で済むうえに、納期も半分以下でできる。

 

ジャイアントと言わないでください。ドラえもんの友達のジャイアンと同じ言い方をしてください。奮発した200円の昼食。

 

趣味 投資 自分

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(^_-)-☆お世話になった方

2011-12-21 21:50:09 | 喜び

1070 今朝、05:30起きで06:30家を出発、まだ、真っ暗である、インドネシアならもう明るいし、温かい。ところが日本は真っ暗なうえに超寒い。07:40に会社へ到着、車から降りるのがつらかった。皆さんとは昨日も会っていたような雰囲気で無関心に出迎えてくれた。早速、試作の準備、一日掛ってしまったが、明日は、朝から取りかかる。

その準備の最中、会いたかった方が、私の目の前に現れた。PT.NANBUの初代社長K氏でした。つい数か月前のお別れしたばかりだが、それまで、殆ど毎週土日はゴルフを御一緒させていただいた方で、突然だったのでびっくりしたが、お話ができて大変うれしかった。日本へ帰って、ゴルフを一度もやっていないと云う、残念だと思う。

 来年、また、中国のローカル企業のお手伝いをするつもりだとか、日本にくすぐっているより、その方が良いに決まっている。私と同じで、じっとしていたら早く衰えてしまう人だから。現在、社内に会長も社長もいないので、挨拶出来ないのが残念らしかったが、二人とも忙しい人なので仕方が無い。私はインドネシアで大変お世話になったので、テクノセンターに顔を出していただいて大変よかったと思う。

 この方は、中国の日系会社を三か所各5年ずつ十五年に渡って会社の立ち上げから安定するまでの面倒を見てきた方で、海外会社の立ち上げのプロです。今回、請われてインドネシアの会社の立ち上げに携わってきたが、何しろ、私も思ったが、当初の状況が様々な事情で悪すぎた。いかに、プロの彼でも、一年や二年で、利益を上げることは無理の状況だった。黒字の見通しがつかないので取りあえず資本会社との関係上、交際もやむ負えなかった。その後の人も大変です。彼は、その時に身を引いて良かったと思う。今もずるずる社長をしていたら、もっと、深みにはまって、大変な状態は重く一層彼の肩にのしかかっていたことでしょう。

 考えようによっては、早く、止めて良かったと思う。

 また、インドネシアで一緒にゴルフができれば良いと思う。

 ガルーダから富士山、分かりますか。バリからのガルーダが横に。

友 共 伴

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(^_-)-☆自分は何者?

2011-08-16 23:23:30 | 喜び

  何、この暑さ。昨日も半端な暑さではなかった。先日の菊川もすごかったし、日影が殆ど無かった。今日も殺人的な灼熱の中、ゴルフ。今日は氷にしたスポーツドリンクを四本持って行った。

 会社では、そんな会話は一切ないが、ゴルフの時には出る会話、「お前が死んだら、俺が弔辞を読んでやるから、安心して俺に付き合え、もう書いて準備してある」。という。『逆でしょ、私が読んであげるように準備してありますよ』、こんな会長に付き合いで、13日出発予定を16日に伸ばした。暑さは予想せれていて、スタート直前に自動販売機で二本準備したようだったが、それでは足りなかった様子で、なお、途中で買おうとしていたので、私の氷スポーツドリンクを一本渡して飲んでいただいた。インドネシアでは、四本までは持っていかないが、三本必ず氷にして持っていっている。それも、粉を買って、自分で作るのです。安上がりだし、PETボトルのリサイクル利用になる。

 会社の夏休みの最後の日だった。通常の困難な仕事に戻る会長と明日インドネシアへ戻る私とゴルフ場のレストランで、二人きりでの昼食は楽しませていただいた。普段見せない笑い顔をしてくれるので、私も付き合った甲斐があったというものです。

 いつもプレー費は払っていただいてしまっているので、今日は私自身で払ってしまった。いつも払ってもらっていては、また、会長の好意に甘えてばかりでは、私の気持ちが許さないので、今日はそうさせていただいた。ただし、食事代だけ奢りにしていただいた。結構、気を使う。

 

それにしても、日本のゴルフ代は高い。インドネシアのように毎週土日というわけにはいかない。明日出発で17日の独立記念日にはインドネシアでゴルフ、18,19日が仕事で、20日にまたゴルフという予定になっている。会長と今日ゴルフをしないで13日に出発していれば、昨日14日にゴルフのはずだった。というわけで、予定を入れるのに困らない。

 

 終戦記念日でもあったので、インドネシアを占領していた時の大日本帝国政府発行のルピアです。ソロへ行ったときにアンティークショップで手に入れたものです。今のインドネシア語のルピアとはスペルが違うが、1Rp,10Rp,100Rpの三種類です。

当時のRpのレートは日本円と同じだったそうです。

 

 孫の夏休みの絵日記の書き方指導をさせられた。大浜公園のプールへ行って来たとか、そのことを書きたいが、何と書いていいか分からないから、おじいちゃん、教えて、とせがまれた。自分は何者かと思う。彼女たちとも、一か月の別れである。

 

 付き合い 機会 移動

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(^_-)-☆鼻たれ小僧

2011-05-08 23:24:09 | 喜び

 日ごろはインドネシアで付き合っている方々だけですが、私が付き合させていただいている私以上の年齢の人は全員、現役で仕事をしている方々です。濃い薄いを合わせて、20人ほどいますが、最高年齢は73才です。全員が、生活費を稼がなければならないから、仕事をしているのではありません。全員がじっとしていられない人で、なお且つ、他の人が出来ないことが出来るか、他の人がやるより任せて安心という人です。祐ちゃんではないが、どなたも、何かを持っているのです。そして、元気です。仕事以外に何か他の趣味を持っています。それも、アクティブなものが多い。ゴルフは当り前にやるが、ダイビングだったり山登りだったり旅行だったりする。

 全員、経済的には、不安はないし、財産を残さなければならない理由もない。年金も貰いながらの人もいるが、貰ってない人もいる。しかし、貰うようになれば、平均以上の金額を受け取ることは確かな人々です。

 人生、残りがそう長くないことも、意識をしながら、自分が思うようにやりたいと思っている。それが出来ている人々です。

 もう一つ、他人の世話をすることを苦にしないというか、幹事のようなことを頼まれれば、快く引き受けてくれて、気が効いた準備をすることが出来る。そういう人ばかりですから、誰かが都合が悪ければ、誰かが交代する。世話役をするのは一か所だけでは無いので、全員がどこか他の集まりの世話役を引き受けている。そういうことが苦にならないのです。任せて安心という人ばかりです。

 

 67の私にとって、私を見習ってくれる、また、参考にしてくれる人も大勢いますが、私自身は、勿論、自分やり方でしかできませんが、年上の方々の生き方を見ていると大変参考になるし、勇気がわいてきます。負けてはいられないと。50,60は鼻たれ小僧という言葉が当てはまるような気がします。

 

 ところで、一週間前ほどから、ある日本人の団塊の世代真っただなかだった人が、私の近くにいるようになった。多分、一ヶ月後にはいなくなるでしょう。10年ほど前に一切の仕事から離れて、世界中を旅しているという。南アメリカは殆ど回って、現在は東南アジアを回っている。マレーシアに3カ月ほどいて、インドネシアへ移ってきた、ここからタイへ行き、三年ほど、タイで暮らしたいらしい。熟年ヒッピーでしょう。英吾は堪能で、インドネシア語もかなりできる。ラテン語もかなりできるとか、早稲田の理工出身の秀才だ。出来ればの話だが、羨ましい。人間、しあわせは人それぞれだと思う。

 

 物おじしない、度胸満点、どこへでも、行ってしまう。この人を見ているとこういう生き方も悪くないなと思う。ただ、どこまでしがらみを切る捨てるか、だと思う。割り切れれば、私も出来ることだが、割り切れないだろう。

 スダナゴルフ場に隣接しているプリ、KIICサービスアパート。カラワンやスダナのレストランの味の評判がよくない様で、ここへ食事に来る人も多いそうです。

 生き方 自由 可能

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(^_-)-☆心地よい痛み疲労

2011-02-16 23:28:54 | 喜び

   チカランの家に戻っている。バリ発、バタビア、少し遅れて、17:00ジャカルタ着17:45でした。
睡眠不足で、羽伸ばしどころか、試練の旅でした。しかし、今日に限っては08:00過ぎまで寝ていて、朝食がクローズ前に間にあった。今回の旅で、始めてホテルで朝食に有りつけた。
クタビーチのマックの右隣のマッサージ屋へ行って全身マッサージをしてもらった。太ももがパンパンで、膝を折り曲げると筋肉が延ばされ、痛くて悲鳴を上げてしまった。
クタ付近だけかもしれないが、マッサージのホテルの部屋への出張はしないことになっているらしい。自分からマッサージ屋へ行かなければならないらしい。風俗の問題だと思うが、ホテルやマッサージ屋はそう言っている。しかし、夜、歩いていると、出張マッサージはどうかと、勧誘される。
クタ付近しか今回は見ていないが、一回目のボン事件の場所は未だに更地になっている。その前、道をへだてて、犠牲者の名前を刻んだメモリアルモニュメントがある。観光客は立ち止まって、写真を取っている。二回目のボンの場所は、どこか分からないほど、
それでもフライトが16:45なので、時間が在り過ぎる。そこで比較的近くの三つの岬へ行ってみることにした。まず、一番南の西の端Pura Luhur Uluwatu(ウルワトゥ寺院)へ行った。ここが素晴らしい、何故、昨日の夕方、来なかったのだろうと思う。天気次第だが、サンセットはタナロットに負けないはずである。それと、その時間に合わせてケッチックが催されるという。それは置いておいて、朝の景色も大変素晴らしい。寺院の左右合わせて500m位から眺めるとなお素晴らしい。そして、登り下りが激しいので、いい運動にもなる。
写真はそこで発見した、色も鮮やかな薄紫色のスイスのエーデルワイズにそっくりな花に出会った。これには感激、他の観光客はここまで来ないので、来てよかったと思う。
ヌサドゥアの先のブノア半島の先っぽ、ブノア岬(タンジュン ブノア)に行ってみた。この端まで、リゾートが伸びていたが、ローカルの人たちも多く住んでいて、リゾートとは違う雰囲気もある。仏教、ヒンドゥー、モスレムが入り混じっているようです。
最期はヌザドゥアへ入ってすぐ右のソゴーが在る裏の海岸、小さな半島が在る場所です。高級ホテルからは相当戻ってこないと見つけられない場所なので、欧米人や日本人はほとんどいない。ローカル家族連れが多く、和やかな雰囲気です。ババナボートやマリンジェットやフライイングボートなどが全くないので、子供も静かな遠浅の湾の中で水浴びが出来る、落ち着いたいい場所です。ちょっとした穴場というところでしょうか。

穴場 運動 岬巡り

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(^_-)-☆目的を達成した

2011-02-15 23:41:57 | 喜び

    ということで、今朝02:00にホテルから出発、キンタマニを目指し、バトゥール湖畔に駐車し、ガイドを伴って、バトゥール山頂上付近で日の出を眺めることとした。

 今回の目的は順調に達成した。ここのガイドは47人いるそうです。女性のガイドはたった一人、名前は、ワヤンさんです。何故か分からないが、私をガイドしてくれることになった。35歳で三人の子持ち、流石、ガイドである。毎日登っているそうで、疲れる様子を見せないどころは、私と話をしていない時は急な登りも何のその携帯電話を放さない。放している様子に息切れがはい。私は、ハアハアしていて、足を上げるのが大変、話どころではない。ただひたすら登るだけ、昨日の今日なので、足の具合が心配だった。

 天気は昨日と打って変って晴れ、満点の星が美しい。最初の30分は割合広いなだらかな登り、次の30分は若干狭くなって、火山岩の細かい砂、サクサクとして歩きにくい。時々岩の急な登りも出てくる。そろそろ、足に来る時です。次の30分~1時間(人によって大きく変わると思う)は急な瓦礫や岩の登り、足一歩を上げるのによいしょ、という感じになる。最期の登り100mくらいは胸突き八丁で手を使うこともある。

 私は、約1000m標高から、1700m位の展望台にある、山小屋(といっても、15平方メートル位の小さな休憩所、50歳くらいの女性がここで、ツーリストに熱いコーヒーや紅茶を100円位で出している。皆さん、ほっとするらしくて、飲んでいる。私と前後していたグループ(といっても、ブレの二三人連れ)合計15人位、その他に各グループのガイドがいるので、全部で22~3人でした。アジア人は私だけでした。

 とにかく、きついです。富士山は登り口何箇所からか、経験しましたが、もちのジグザグが大きい。こちらは、ジグザグが殆ど無く、直登りに若干のくねりが在る程度、アグン山もそうだったが、リンジャニ(ロンボク)も真っ直ぐに近い上りだった。私が、一番飛びぬけて歳だと思う。最初の平坦の時には何組かに抜かれたが、最期の三十分で全員を追い抜いて、お湯を沸かしてくれている山小屋へ着いたのは私が最初だった。到着して、早速、紅茶をご馳走になった。途中でばてたのは、女性で何箇所も休憩していた。

未完成だが、Photo Albumです。 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page236.html

 景色は抜群、サンモリッツを思い出した。スイスなら、当然ゴンドラか登山電車で10分くらいに高さだと思う。キンタマニからの景色は何度も見ているが、ここまで来て、大変な思いをした甲斐が在ったと思う。この場所から山頂までは50m位に見えるが、ガイドによると、急過ぎる上に火山礫なので、ずるずる滑って、一般の人は登らせないようにしているとか。二つのピークの間に深い火口がある。蒸気が登っていたし、熱い空気が吹き出ていた。見えないので知らなければ危険だ。毒ガスは発生していないと言っていた。

 日の出の方向に雲が出始めて、太陽を雲の中に見えたのが07:00を回っていた。展望台で一時間以上待った事になる。

 下りは、全く心配が吹き飛んで、膝のガクガクの兆しも無かった。走るように下ってきた。振り向きながら、大変だった山頂付近を写した。かなりの余裕でした。

 

 旅行会社のトレッキングパケット募集の年齢制限が15才~60才になっているという。7才もオーバーしているわけで、やはり、他人にはアグンもバトゥールもお勧めできない。相当きついと思います。結局、インドネシアの標高1500M以上の山は、他の日本人にお勧めできないということになります。

 ワヤンさんとツーショット、ダナウ バトゥール側からグヌン バトゥール。

 快感 やった 絶景

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(^_-)-☆ただひたすら寒

2010-12-31 22:41:03 | 喜び

    06:30まだ日の出前にいえから出て、菊川インターからホロンゴルフへ向かった。忘年会ゴルフである。クラブハウスまでの導入道路が三月なら満開の桜吹雪を通過するのだが、枝だけの空間だらけの殺風景な道を通過して行く。

 今月、22日にインドネシアで話をしたばかりの方で、とにかく、大変な勢いの方です。インドネシアで一緒の時はそんなことはないが、日本では、ゴルフで “いきます、キャヂューさんいきます”と大声で、打つ前に叫んでくれる。ちょっと、普段の雰囲気と違って大変面白い。この会社へは、インドネシアで影から日向から、技術的な手伝いは続ける。出入り自由のお墨付きを貰ったので、来年、一年間は、手伝いをすることを約束させられた。ボランティアである。

 

 日本の場合は、前半後半続けてプレーをすることは殆ど無い。11:00頃でも、昼食休憩ということで、一時間ほど、後半までの時間を開けられる。その食事の時に、22日に話したことの再確認したが、今回は、行き違いは無かった。2012年1月から、その方の会社の開発部門の責任者になる、それまでの一年半は、私の自由にさせていただく、ただし、この会社のインドネシア工場の側面的援助をする。顧問でも、相談役でもなってくれればいいと言って頂いたが、そんな必要はない、無くても、インドネシア工場から、私の方に色々な相談は入ってくる。インドネシア人スタッフ、技術者は当然、何かあれば私に相談や報告はしてくる。そのことについて、日本人スタッフにも私から報告をする。知っていてもらわなければならない。

 ホロンゴルフ場

 確認、  楽しい、 リラックス

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(^_-)-☆一日のんびり

2010-12-30 23:15:34 | 喜び

   斜めからインドネシアを眺める 833

日本へ戻って、始めて一日のんびり、休養日だったが、ちょっと外出してゴルフシューズを買ってきた。これも高い、インドネシアで使っているのはベトナムメイドのナイキをフランクフルトで買った。ユーロ安もあって、5000円(税込)位だったと記憶している。その時のブログを確認すればはっきりするがそれなしていない。今回日本で買ったのはチャイナメイドのアディダス1万円(税込)でした。是が一番安かった。平均では1.5万円、最高は2.2万円というのが在った。チェックしたわけではないが、日本製を見つけるのは難しいだろうし、であったとしても、最高値より高いでしょうね、きっと。

 

色々、紆余曲折あったが、製造の仕事ではなく、人事、総務の責任者というか、参謀役を一年契約でやることにした。憧れの作戦参謀役である。まだ現地大将にはお目に掛っていないが、本社の社長からのお墨付きを受け取ったと同じことなので、経理や営業などにも口出しして先導をしようと思う。

 射出の小型精密成形の会社だが、決まった会社の仕事を引き受けることになっているらしい。この会社では押出成形には絶対、手を出さない。というのも、今、書けないが、大きな理由がある。

インドネシアの押出成形については、私がインドネシアにいることに意味がある。

 それと、私の仕事はインドネシア人に殆どの事務的な仕事は任せることが出来るようにすることです。成形担当のマネージャーはこの会社の本社から赴任することになっているので、彼も、インドネシア人に製造を任せることが出来るよう、そういう考えで指導するように導こうと思っている。射出だからそう難しくないはずである。

 

家の回りをブラブラ散歩してみた。サザンカ、サザンカ咲いた道、サザンカの垣根、我が家を囲っている冬の色彩、隠居場所としては雰囲気極上だと思う。が、いつになることやら、動けなくなってからの話です。金柑や花梨、ゆずも、なっている。

今日から年末休暇に入った会社が多いと思う。私のフォト アルバムでインドネシアの旅をしたつもりになれるかもしれません。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

 自宅、 参謀、 人材

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(^_-)-☆日本生活始まり

2010-12-26 23:23:38 | 喜び

    予定通り、09:00に成田到着、やはり寒い。成田エクスプレスから建設中の何とかおという、NHK プレミュームでしか見たことがかった塔が見えた。あんなものかと去思っただけだが。

 

ところで、今回のガルーダの価格は勿論往復で約8万円でした。静岡へ到着して直ぐ、明日の長野行きのチケット往復と1月7日成田行きの切符を買った。今日の成田から静岡までのキップを会わせて4万円でした。比較するのは意味が無いと思うが、デフレ日本と聞いていますが、まだまだ、高いものが沢山あると思った、

 

 静岡駅前の元、日興会館が、静岡にしては高層ビルの内に入る、新しいビルになっていたのが印象深かったが、相変わらず、北口駅前で何の工事なのか知らないが、立ち入りできない区域がある。工事をしているということは、お金をつぎ込んでいるということだから、何十年もお金をつぎ込んでいて、いつまでつぎ込むのでしょうか。家康の立ち姿の銅像の意味も良く分からない。中途半端な大きさだし、なぜここなの?という気もする、どんな人のセンスでこうなっているのでしょうか。変!!

 

建設中の塔と成田エクスプレスの中で買ったチーッバッグの熱いお茶、美味しかった。それはそれでいのですが、PSの蓋が付いていた、私にしては、その蓋のデザインです。上は平らでなく、色々な凹凸が付いているし、何やら記号と文字が彫り込まれている。リサイクルの記号以外、10以上に関して、何のことだろう、どうしろというのか、お茶の蓋以外に何か効果的に使う方法が示されているのか、30分くらい考えたが、思い当たらない。参った。

 

一年ぶりに日本でした、静岡でした。

初日  疲労  寒い

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(^_-)-☆なんとなくゆっくり

2010-11-10 22:18:28 | 喜び

 結局、今朝から、再び量産に入っている。色々あるもので、量産をしている最中に次第に金型の状態が変わってしまっている、それを、振り出しに戻すのが大変。作業員は、製品がうまくできないときに条件を変える、その、変え方が、温度条件や速度だけなら何ともないが、金型の寸法までいじってしまう時がある、禁止をしているのだが、積極的な、オペレーターが夜勤などで、我慢が出来ずに自分で何とかしようと思い、加工を加えてしまう。それで、うまくいく例は殆ど無いことを知っている。結局、どうにもならなくなって、私が、何とかしなければならなくなるハメになる。今回がそのよい例だった。

 

現場に十数時間立ちっぱなしで、こういうことをしていると、無我の境地になるものです。上手くいくという確信はなく、うまくいくかもしれないと思いながら、いくつもの手段を次々と繰り出していくのです。手段が尽きてしまって完成しなければ、その仕事はできなかったということになり、自分の責任になる。

いつ終わるか分からない、いつ良品ができるかわからない、そんな中で、黙々と作業をしているといつの間にやら、自分だけの世界へ入ってしまう。いつまで何とかしなければならないという、思いは全くなくなってしまう。

  こういうことが、まだ可能である。

 インドネシアのどこでも見ることができ インドネシアの草花

  順調  眠い  ラッキー

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(^_-)-☆大好きドリアンで

2010-09-20 22:23:52 | 喜び

プチ感動がいくつかあった。

三週間ぶりのゴルフ。やはり、南国で明るい雰囲気のゴルフは気分を爽快にしてくれる。久しぶりにしては調子が良かった。

 

車が新車のようになった。私が留守中に修理を頼んであった。塗装も全体にやってもらうと言うことで、出かける前に修理屋に予約をしてあった。保険を使える部分とそうでない部分があるので、保険を使えない部分は私が個人で支払うことになっている。

 

日本人の大部分が苦手とするドリアン。スーパーでドリアンアイスクリームを買った時のこと、いつものように引きガラスカバーを開けて、アイスクリームを冷蔵庫から取り出して、閉じようとした時、後ろから可愛い女性が、閉じるのを止めながら、氷を入れますかと訪ねてくれた。思わず、入れてください、と頼んだら、扉を開けて済みに積んであった氷が入った袋を取り出し、私が取りだしたアイスクリームと一緒にポリ袋に入れてくれた。最期にどうぞと言いながらカートの中へ置いた。

インドネシアでは初めての事で、ジャカルタの日系スーパーでは日本と同じようにレジで肉や魚やアイスクリームには氷を添えてくれるのは当たり前だが、日系以外では初めてのことだった。しかし、レジで氷を入れてくれるスーパーにであったことはまだない。

 

そのドリアンアイスクリームを夕方食べ始めた。他のメーカーのドリアンアイスより、黄色が濃いことと、ドリアンの香りが大きかった。しばらく食べているとドリアンの実の本物が舌にあたった。これも感激、味や臭いはドリアンでも本物がそのまま混ぜられてあるものに当たったのは初だった。その舌触りに、おや、っと思い、ちょっと感激。

 

この時、同時にドリアンも買っていた。そのドリアンはまだ食べていないので、部屋の中にドリアンの臭いが充満している。大変爽やかで心地が良い。

 

スイスの山の牛とインドネシアの牛ですが、一目瞭然、違いが分かる。牛の種類については知らないが、どちらも、それぞれの地で良くみられる代表的な種類です。

チョット  普通  サービス

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