翻訳者魂

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ジャーナリストの義務、権利、罪: テレビとブログの場合

2005-03-24 00:05:40 | 社会
虚偽の放送などでテレビ3社に厳重注意…総務省 (読売新聞) - goo ニュース

ブロガーはニュースを集め、そのニュースを公開する。今や、ブログとテレビの違いは、ブロガーの発表の手段がウェブサイトに限られている、ということだけかもしれない。ブロガーは徐々にジャーナリストとして認められつつあるのだ。

2004年の大統領選挙では、ブロガーにプレスパスが与えられた。今年は、ホワイトハウスの定例会見にブロガーが参加するようになった。新聞社も、購読者の声を聞くための手段としてブログを利用するようになってきた (例: フロリダの地方新聞社が、そのカバーする地域の教育について購読者と会話するために設けたTHE CLASSROOM)。

しかし、ブログには「記事が正確ではない」という悪評があるのも事実だ。字を書ける人なら、誰でも意見を発表できるのがブログだが、根も葉もない噂を産みだすのもブログだ。

3月3日、カリフォルニアでは、アップルの新製品に関する情報を漏らしたとしてブロガーに、情報源を晒すべしという暫定命令が出た。この命令は、ブロガーをジャーナリストとは認めないという裁判所の意思を表している。アメリカ中のブログジャーナリストが意気消沈したことだろう。

3月23日、日本テレビ、テレビ東京、熊本県民テレビが、虚偽の情報を放送したとして、総務省から厳重注意を受けた。テレビがブログと同じ位置に自ら降りてきたということか。

テレビは、情報源を守秘する権利を持つが、それと共に真実を報告する義務も持つ。真実でない情報を放送したテレビは、罪を負わなければならない。3つのテレビ局は、自らジャーナリストとしての看板とプライドを捨てた。スポンサーや芸能事務所との付き合いの時間を削れるはずだ。じっくりと時間をかけて事実を確認するという基本姿勢を忘れるな。IT企業による買収にザワザワしている場合ではない。今のままの姿勢じゃ、「買収されたほうが面白くなる」と考える視聴者が大多数になるのも時間の問題だ。

参照: ライブドア騒動の陰で潜行するメディア進出、楽天がフジサンケイに接近