会下!

会下青年部がニュースをお届します。

会下・郡家遺跡の見学

2013年10月05日 | 日記
午後の話
会下・郡家遺跡の見学会がありました。一般の方が対象なのですごい人数です。112人。



去年、区域外のため発掘途中だった大きな建物跡。全部掘り出されました。
写真からはピンときませんが50畳分はある巨大な建物。県内最大の独立棟持柱建物。1000年前の平安時代。


同じ場所に何度も建て替えられているし同じ方角を向いているので、出土品から総合して考えると国の機関らしい。

弥生時代・平安時代・中世(室町~江戸時代)の3つの時代の遺跡が残っていました。


出土品のかずかず。


1つの欠けや割れもない完全な形の壺。とってもめずらしいそうです。


ここも残念ながら埋められてしまうそうです。


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会下遺跡の見学

2013年10月05日 | 日記
午前の話
会下遺跡の発掘作業が終わり、遺跡の見学会がありました。
会下の関係者だけの特別な見学会です。

権力者の建物跡がありました。目隠し塀がある建物。1200~1300年前。


大きな川が眠っていました。こんな大きな川が埋まってしまうことに驚き。
土砂から縄文~奈良・平安時代までの土器や木製品が出てきたそうです。
1000年前には埋まってしまった川。
焼け焦げた大木は山火事の後に流れてきたもの。
連続で建っている杭は近世に作られた田んぼに行く橋の跡。

そばには川が埋まって後の時代の粘土の採掘抗群がありました。
粘土をとると言うことは、近くには焼き物の窯があったのでは?という話。


会場を移して出土品の見学。
文字が書かれた土器が出ています。国か寺の機関の物。しかも高い所の所有物を示す。
会下の裏山に「寺奥」という場所がありますが、ここが会下の中心だった可能性が大。

「会下」という仏教用語、「寺奥」という地名、お寺の器、高い所を示す文字・・・
確証はありませんが繋げて考える方が自然でしょう。
そういえば寺奥にも遺跡らしきものが残っています。


いろいろなものが出てきました。
中でも黒曜石の矢じり。
この辺では隠岐の島でしかとれない物らしく、弥生時代に隠岐の島との交流があった証拠。


完全な形のスキが出土。とても珍しいそうです。
粘土と川の水のバランスが奇跡的にこれを保存していたそうです。

総合して考えるに、古代山陰道がこの近くを通っていたのは間違いなさそうです。

会下の歴史の深さを感じました。
残念なのは、もうこれを埋めて高速道路を作ること。
因みに、橋脚に設計変更するほどの価値はないそうです。
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