エコポイント&スマートグリッド

省エネ家電買い替え促進で有名となったエコポイントとスマートグリッドの動向を追跡し、低炭素社会の将来を展望します。

日本の「スマートグリッド革命」への道はどうなるのか?

2010-08-15 00:00:13 | Weblog
日本の「スマートグリッド革命」への道はどうなるのか?=「資本主義は今後どうなるのか?」、これは、このお盆に短い夏休みをとった自分に課した宿題です。これに関して浜のり子は、最新著『新しい経済学』(7月24日刊行)で「グローバル市民主義の薦め」というメッセージを発しています。以前彼女は、「ポストグローバル資本主義の貨幣は何か」を問い、それはグローバル化した国民通貨では自己矛盾に陥るとして、エコマネー、地域通貨ではないかとしていました。ただ、彼女はそこまでで、それ以上の中身を示す力量はありません。「グローバル市民主義の薦め」についても同様です。

1999年に知り合った自然哲学者の内山節は、「里の思想」と題して、関係性の中から価値が生み出されるという私と同じ発想に立ち「ポストグローバル資本主義で価値とは何か」を問いかけています。「里の思想」はいい着想ですが、哲学的な問いかけのみで、「価値論」の実践的展望はありません。

また、「資本主義はどうなるのか」といいう問いかけには、岩井克人と竹森俊平の二人を無視することはできません。岩井克人の『資本主義から市民主義へ』は、岩井の得意とする「貨幣論→資本主義論→会社論→信任論」という論理展開の中で、「→市民社会論」のさわりを示していますが、「市民社会論」からする逆の考察がまったくできていません。岩井克人はこれからやるといっていますが、彼は生の市民社会を知りません。この点に関して岩井克人は、浜のり子の「グローバル市民主義の薦め」と同様、空虚です。

ここで、夏休みの自分に課した宿題として、日本の「スマートグリッド革命」への道はどうなるのか?=「資本主義は今後どうなるのか?」について、現段階での私の考えをまとめてみようと思います

・未曾有の金融危機、デフレ不況、円高・株安、雇用不安、展望なき社会の閉塞感、医療崩壊、食品偽装、高い自殺率、秋葉原事件などの異常犯罪の多発、商店街など地域社会の崩壊などの根底にあるのは、「グローバル資本主義」が抱える限界、矛盾の顕在化

・日本は今やアメリカに次ぐ貧困大国(08年OECD報告で明らか、これには愕然とする)。日本社会の美徳であり、日本企業の競争力を支えた「信頼」財も崩壊しつつある(「信頼」財の合理性は、スティグリッツなどの「情報の非対称性」の理論によっても裏付けられる)。まさに「希望なき貧困大国」。

・「グローバル資本主義」は効率化、経済の活性化(ただし、その裏腹のバブル)をもたらしたが、経済の不安定化、所得格差の拡大、地球環境の破壊という人類的危機をもたらした。このまま「グローバル資本主義」を放置しておくことは人類の滅亡につながる。

・かかる状況下で、主流派経済学の「市場の失敗」論(文化、伝統、歴史や社会の紐帯は規制の温床になると説いた)は害のほうが大きい

・この状況下でも、日本の地球環境論をリードするオピニオンリーダーは、「炭素に価格をつけろ」「市場を作れ」とだけ叫ぶだけで、その結果ナイーブに「グローバル資本主義」を呼び込むことの副作用がどんなに甚大なものであるのかわかっていない。90年代以降の経済分野でのうすっぺらな改革論と同じで、日本の論壇はお寂しい限り。

・改革派の旗手であったときに中谷巌は、「改革の必要性はわかる。ただ改革した後、日本の社会はどうなるんだ」と問われたとき、「それはマーケットが決めてくれますよ」と応えていた。それと同じことを日本の地球環境論をリードするオピニオンリーダーたちは今環境で言っているに過ぎない。問題は、炭素に価格をつけ、市場を作ったあとどうするか、その回答、処方箋を併せて事前に提示することだ。環境に関して、「それはマーケットが決めてくれますよ」と言う(逃げる)のはあまりにも無責任。

・これからの問題設定は、改革か守旧かではなく、社会が豊かになるかどうか。この点が、私が09年1月のオバマ就任演説で最も印象に残ったところ(「大きな政府か小さな政府かが問題なのではない。市場が有効か有害かも問題なのではない。それが豊かな社会を作るかが問題なのだ」)。

・「グローバル資本主義」とそれまでの資本主義の決定的な相違は、生産(途上国)と消費(先進国)の分離。労働者・市民と消費者が同一人物である必要がなくなったこと。この結果、ロバート・ライシュ(『暴走する資本主義』)、古くはカール・ポランニィ(『大転換』)が指摘しているように、本源的生産要素である労働、土地、資本の商品化に民主主義、政治のコントロールという歯止めがなくなり、新しい"搾取"構造が顕在化。

・誰も指摘したことはないが、労働、土地、資本のほかに第4の本源的生産要素としてはエネルギーがある。この某大学の環境経済論のコースで「エネルギー経済論」を教えているが、今後、市場の形成論とともに、この点にも踏み込んだものとしたい。

・宗教国家、理念国家であるアメリカは、今後凋落していく可能性あり。オバマは「最後のアメリカ人」(塩野七美の「最後のローマ人」をもじったもの)になるかもしれない。

・自然を管理するという発想に立った「スチュワードシップ」(Stewardship)の考えはもはや限界。その対極にあるのは「里の思想」。

・高い自殺率、秋葉原事件などの異常犯罪の多発、商店街など地域社会の崩壊などの社会現象については、作家である辺見庸は「パンデミック」と形容している。この「パンデミック」のもとで、カミュが『ペスト』で描いたように人々は危機に慣れっこになっている。「本当に恐ろしい危機は、危機の到来より危機に慣れてしまうわれわれの心」ではないだろうか。

・それへの唯一の解答があるとすれば、カミュが『ペスト』で誠実にペスト患者一人ひとりを診察し、治癒していく一人の医者の姿を描写したように、「丁寧なものづくり」、「(近江商人の三方よし、石田心学に象徴される)誠実な商売」、「丹念な自然の回復」しかないのではないか。「誠実さ」(Sincerity)が答え。

・エネルギーの分野で言えば、世界でもトッププラスの省エネルギー、太陽電池、センサーなどの制御技術などを地道に磨きつづけ、世界にモデルを提示したり、普及せしめることが必要。そこで、労働者・市民と消費者が同一人物である「プロシューマー」(生産消費者)の世界を作り出すことが日本の「スマートグリッド革命」への道(こちらをご覧ください)。

・通貨・金融に関しては、岩井克人は「世界中央銀行」の設立しか根本的解決の道はないとするが、もう一つあるのは、貨幣の名目利子率をマイナスにして貨幣の膨張性そのものを封印すること。ただし、この点に関しては、ゲゼルや地域通貨論者の議論は、経済学的にはプリミティブ。エコマネー2.0(こちらをご覧ください)こそが岩井克人などとも互角に渡り合って学問としても検証しうるもの。