昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

静岡県藤枝市藤枝市南駿河台5-4-21  054-639-5711
コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

相対的真?理

2024-06-11 07:38:08 | 日記
朝日に映える緑竹の麓を流れるせせらぎに、午前6時の時鐘が響きます。この風景を表す術を持たない自分に臍を嚙みます。

あくまで人が主人公であって歴史、宗教画が最高位で風俗や静物画は低俗。ロマン主義期、英仏において理想的な風景を持つイタリア題材の歴史的牧歌的風景画は評価されましたが、国内風景画は低評価に甘んじていました。18世紀後半、英リチャードウィルソンは絶大な人気を得ていた自らのイタリア風景画を捨て、国内風景画家へと転身。収入、評価はガタ落ちだったそうですが。

けれど、その後を継いだターナーやコンスタンブル(図)が英風景画を牽引。後に仏もオランダ絵画を参考に、伊から仏への変遷を示すコローやバルビゾン派ミレーなどが続き、やがて印象派へと至り風景画は全盛期を迎えることになります。

「現代の大きな悪癖は、真実を超えた何かをしようとする華麗さです」と若き日のコンスタブル。一瞬たりとも同じ表情のない自然に魅了され、想像をもってキャンバスを”盛る”当時のアカデミーとは距離を置きます。

時代は流れ、ロイヤルアカデミー付属美術学校客員教授となった彼は3つのテーゼを示します。
1,風景画は詩的であると同時に科学的である
2,想像力だけでは現実と比較し得る芸術を生み出すことはできない
3,独学で生まれた偉大な画家はいない

個人的には、彼の規定する「芸術」内でのテーゼであると認識していますから、否定するものではありません。
外界(他者)から受動する刺激という構造的入力に対し、いかに自己が反応するかという手段(方法)の1つの提示であります。
それはあくまで選択的であって、絶対的ではないという事。構造と手段は別物ですから。

何より素晴らしいと思うのは、「アカデミー」という権威的レッテルに対し単純に拒否受容するのではなく、因数分解し是々非々できるアウフヘーベン的思考かと。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿