野草地に係留されていたトカラヤギ。島内の山道を自転車で走っていると後ろでガサガサ音がして振り返るともっと毛が長く野性的なヤツがいた。
トカラ列島は火山列島であり、最近は地震が多くて心配だ。100万年前の噴火によって出来た「底なし沼」がある。底が泥状になっているので島民から恐れられているが地下湧水量が多く、発電に利用されていた。
いつの頃からトカラ列島に人が住み始めたのか興味深いが、中之島では縄文後期の集落跡や土器が発見されている。
海辺で赤道付近からの渡り鳥を観察をしている研究者に出会った。 毎年、ひと月ほどワゴン車に寝泊まりして海上からトカラ富士(御岳980m)めがけて飛んでくる個体を数え生態の変化を探っているのだという。
最近は減少傾向にあるとのこと。ビワの実を貰った。
無人の小臥蛇島。
トカラ列島は南北162Kmの日本で最も長い行政区域だが、総人口は1,000人に満たない最高僻地5級地である。一番大きな中之島でも屋久島の16分の1の広さで人口は150人余りしかいない。孤島の連なりだ。
そして琉球と本土の狭間で教育、自治の制度から取り残された格差の歴史がある。明治19年の小学校教育義務化令から遅れること44年、明治22年の市町村制から遅れること19年、昭和20年8月の終戦を実際に知ったのは3ヶ月後、本土復帰は昭和27年だった。
かつて小学校長から村長に転じ、物資輸送を充実させるために村営フェリー会社を立ち上げたのもこうした歴史がベースにあって、本州との繋がりを強くしようとしたことの表れだったと思う。
博物館で"ボゼ"という不思議な仮面を見た。中之島から奄美大島寄りの悪石島の伝統行事「ボゼ祭り」に使うものだった。
毎年お盆の最終日に現れて悪霊払いをしてくれるという。ボゼが持ち歩く棒には赤い泥水が付いていて、子供や女性を追い回わして塗りつけるという奇祭だ。赤道の雰囲気だがどこか雪国のナマハゲに似ている。
海岸に銭湯のような温泉が2カ所あった。奄美大島方面から移り住んだ人達と鹿児島方面からの人達とで入浴する温泉が異なるという。やや熱め。ノンビリ浸かった。
滞在は1日だったけれど自給自足型のノンビリした村の姿と開き直ったかのような人々の強さに触れた。診療所は無く、月1回の医師の巡回とネットによる投薬システムなので元気でなければ暮らせない。
最近は若い人も増えて何年ぶりかで子供が生まれ、島を挙げてお祝いしたという話しを宿の夕食時に聞いた。生憎の曇り空だったが、星空が綺麗らしい。
帰りのフェリーは定時11:15から遅れること1時間だった。〝島時間〟とのこと。港には見送り、出迎えのおばちゃん達が集まっていた。
乗船して民宿の1泊5食目の弁当を食べた。
鹿児島港到着は18:40の予定だ。鹿児島の「リトル・アジア」に1泊して、指宿、枕崎、天草、熊本、福岡と回る予定だったが熊本であの大地震に遭遇した。生きた心地がしなかった。
(この先はいずれ「2016九州自転車旅」で)
《トカラ列島から戻って「2016九州自転車旅」のルート》