楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

衣の下に鎧

2020年04月06日 | 日記

本日(4/6)、コロナ特措法の「緊急事態」が宣言される予定とのことである。側近重用の独善的な政治スタイルの安倍首相にして、宣言は常々使う〝躊躇なく〟ではなかった。

あることに気づいた。〝医療と経済のバランス&オリンピック〟に腐心していたという一般的な見立てだが、首相は「コロナ特措法を憲法改正にどう利用するか・・・」、そのタイミングを計っていたのではないか。

コロナ特措法の「緊急事態」を宣言しても、緊迫感を強める他にこれまでと大した変わりは無いので、整然と行動変容するだけだ。

“3密”行動の自粛はあくまで要請であり諸外国のような罰則は無い。

営業休止に伴う事業者への即効の補償は無い。

感染爆発による医療崩壊対策も最期は家庭隔離に頼ったままだ。

 

安倍首相は政治的なレガシーとして何としても憲法改正を行いたい。「自衛隊条項」を諦めても「緊急事態条項」は最期の砦と考えている。

8割近くが特措法の緊急事態宣言を望んでいるという世論調査もある。ここまで引っ張ってきたのは一つには言葉の持つアレルギーを薄めるためだったのではないか。

もう一つは、特措法の緊急事態宣言の効果が思ったほどでなければ「やはり強権発動が必要だ。」という意見が湧いてくる。今の官邸なら、ある程度の感染拡大が必要と考えていたとしても不思議でない。

そのように想像を逞しくしていたら、今朝の「羽鳥慎一モーニングショー」で「官邸広報」のような田崎史郎が、感染収束が期待出来る〝接触機会8割減〟が可能かどうかの議論の最後にいみじくも言った。「特措法はやはり弱いんですよ。」

TBSの玉川氏が即座に返した。「その話はコロナが収まってからゆっくりやりましょう。」と。

やっぱりそうか。衣の下に鎧を見た思いである。注意しなければならない。

 

 

 

 


葡萄棚の整備

2020年04月05日 | 日記

昼前に雨か雪との予報だったが、晴れ間が出ていたので葡萄棚の整備をすることにした。

ワイン加工用ぶどう園を見るたびに、蔓が縦に延びる仕立てにしたくて素人考えで剪定してきたが上手く行かず、縦型の棚にはお構いなしに蔓が伸び放題になっている。

品種も違うのだろうけれど、枝分かれしてどんどん伸びる。折角実が付いても強い風で新しい枝が折れてしまったことも何度かあった。

諦めて新芽が伸びる前に平棚に整備することにした。通行の邪魔にならず簡便な形をあれこれ考えていて、バス停の覆いが閃いた。

材料は長めの女竹と一般的な園芸用パイプ。材料費1,500円程度。

 

太い蔓の伸びている方向を考慮して、全体的には半分から右は立木を利用して女竹を放射状に渡しただけの簡単なものにした。

 

左半分は、元々の縦型の棚の左右の柱に園芸用パイプをバス停の覆いのカーブをイメージして変形させたものを結束バンドでしっかり固定。

次ぎに女竹をすのこ状に渡して固定。

 

延びた蔓を適当に止めて完成。

 

材料を買いに行ったホーマックには随分とお客さんがいてびっくりした。外出自粛で買い物にでているのかな。

 

撓わに?葡萄の房が垂れ下がった頃、コロナウイルス感染が収まっていると良いのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 


荻田康永『考える脚』で冒険旅の準備

2020年04月04日 | 日記

 

5年前に完全退職したので、幸か不幸か“外出自粛”は普段の生活と変わりは無い。しかし、今年は気分が少し違う。雪が消えたのに自転車旅の計画を立てるモードにならない。コロナ雲が立ち込めている。

これはマズイ。そう考えて北極冒険家の荻田康永さんが昨年の春に出版した『考える脚』を読んで冒険旅気分を味わうことにした。

2013年の『北極男』に続く2冊目で、この3月に第9回「梅棹忠夫文学賞」を受賞している。梅棹忠夫氏は文化人類学者でチベット探検などでも知られる。

『北極男』は何故北極圏に惹かれるのか、2000年からの18年間に亘る15回の旅を通して語っている。

『考える脚』は近年の3つの旅を綴っている。綴るというと「行ってきたぁ。」的な作品を想像しがちだが、荻田さんの「冒険」に対する考え方が爽やかに表現されていて人柄が顕れている。自らも書いているが、精神力とか根性のような世界が嫌いな人だ。美学がある。

3つの旅は、「北極点無補給単独徒歩の挑戦-2回目-(2014年3月)」、「カナダ・グリーンランド単独行(2016年3月)」、「南極点無補給単独徒歩(2017年12月-2018年1月)」。それぞれが一冊の本になるような貴重な記録であり、3編が荻田さんの心の軌跡で繋がっている。

初めてお会いしたのは2014年の「地平線会議」だった。誰が参加しても良い冒険者の集まりは知っていた。東京出張で時間が出来てふらりと参加した時のスピーカーが荻田さんだった。

ひょうひょうと430Km地点で撤退した2回目の「北極点無補給単独徒歩」の報告をしていた。退職後に何をしようか、漠然と自転車旅を考えていた時に決定的な勇気を貰った。

「無謀と冒険は違う。」このひと言に尽きた。

以来、分けるのは準備の質。何をどう準備するか考え抜き、そのプロセスを楽しむのが「冒険」と考えている。

若者がするような〝自転車野宿旅〟を65才男がするのは、人によっては年甲斐も無い「無謀」なことに映るだろう、そう世間体を考えていた。

しかし、やりたいことにしっかり準備をして臨めばそれは心の老いに人生の残された時間を費やすより意味のある「冒険」ではないか。そう切り替わって古希を迎えた。

-  未知とは所詮、訪問者それぞれの未知でしかない。心が動く、だから冒険をする。  -また、ひとつ『考える脚』から勇気を貰った。

反3密。空気が綺麗な静かな自転車旅の行き先を捜す準備になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2020自転車シーズン到来

2020年04月02日 | 円 -bicycle-

 《漁川は良く見えるようになったが・・・

 

サラリーマン時代の習い性で、年度替わりの4月1日に今年の朝の自転車散歩を始めた。6:00はまだ寒い。毛糸の帽子と手袋が必要だった。

雪が降る前に工事車両が入っていたが、コースの河川敷の灌木が随分、伐採されていた。これからどんな景色になるのだろうか。

近くの「道の駅」周辺整備の一環と思われるが、個人的には長い時間が創りだした自然の姿は出来るだけ残して欲しいものだ。

貴重な癒やしの風景は壊すともう戻らない。遡上する鮭を見ることが出来る木陰が無くなった。安心して俎上してくるだろうか。楽しみな〝秘密の〟落葉茸ゾーンも跡形が無くなった。

コロナウイルスがヒトを宿主として増殖を図ろうとしているのも自然界の何らかのバランスが崩れていることの顕れなのだろうかと考えたりする。

散歩中のAさんと遭遇した。昔の職場の先輩で自転車は3年目になる。今年も元気で二人のポタリングが始まるのは嬉しいことだ。

 

《翌4月2日に採ってきたフキノトウ、ほろ苦さが美味》

 


『オーケストラの日』に思う。

2020年04月01日 | 日記

「この1~2週間」がどれだけ延びるのか分からなくなってきたが、延期されたオリンピックの日程だけは海外メディアに「この時期に非常識。」と書かれるくらい異常な早さで決まった。

国内外を問わず、選手が感染すると本人はもとより、団体競技の場合はチームメートさらにはトレーニング施設等々に影響が及び、まともな練習が続けられるはずもない。

日本のオリンピック関係者は選手の健康を度外視し、リスクの高い賭けに出たとしか思えない。同時に、「日本が収まれば」という風潮に同意出来ない。

一方、コロナ対策のスピード感の無さには呆れる。未だに検討中であり、断片的に出てくる内容は霞ヶ関のルーティンの延長レベルだ。

安倍首相は「税金で休業による損失補償は出来ない。」の一点張りであり、そこに「政治」は無い。

昨日、3月31日は「耳に一番!」の語呂合わせで「オーケストラの日」だった。

オーケストラにもっと親しんで、楽しんで頂こうと全国のプロフェッショナル・オーケストラがそれぞれの地域で工夫を凝らした取り組みをしてきている。今年は中止となった。

通常の公演自体も中止・延期が続いている。息子の修業時代を見てきたが、オーケストラに限らずクラッシック音楽はフリーランスの演奏家が多い。

コロナ禍で仕事が途絶え、厳しい経済状況に追い込まれているが、その対策は無いに等しい。フリーランスそのものがあまり理解されていない。

イベントのチケット販売を扱っている『ピア』によると、3月24日現在で中止・延期は8万1,000件、1,750億円。このまま推移すると市場規模9,000億円の4割近い3,300億円に達するのではないかという。

世の中が厳しい局面にある時こそ気持ちを落ち着かせ、活力を取り戻す芸術、演劇、芸能、スポーツの重要性が増すはずだ。ドイツは文化・芸術に対する7兆円規模の対策を即座に打ち出している。組織と個人に対する国の休業補償が是非とも必要だ。