「ペテロの葬列」 宮部みゆき 集英社 2013.12.25
ラストの一文が
私の<滅びの山>は、どっちだ。
主人公の杉村が小学1年の娘に読んでやってたのが「ホビットの冒険」
読み終えて、「指輪物語」のDVDを借りてきて、娘と共に見る場面もあった。
小学生は、あの映画をどう受けとめるのだろうか。
悪と善との闘い、冒険、エルフやドワーフ・・・それなりに楽しめるとは思うが。
p356
私はふと、トールキンがこの壮大な物語のなかに描いた、普遍の真理に思い至った。
悪は、伝染する。
<一つの指輪>は、冥王サウロンの力の源泉であると同時に分身だ。指輪はサウロンのもとへ
還ろうとする道筋で出会う中つ国の人びとを汚染してゆく。その心をむしばんで、
人格どころか容姿までも変えてしまうのだ。
悪は伝染する。いや、すべての人間が心のうちに深く隠し持っている悪、いわば潜伏している
悪を表面化させ、悪事として発症させる<負の力>は伝染すると言おうか。
現実を生きる我々は、<一つの指輪>を持ってはいない。だが、その代替物なら得ることができる。
それは誤った信念であり、欲望であり、それを他者に伝える言葉だ。
――影横たわるモルドールの国に。
我々もまた、生きている。
さて、ストーリーだが・・・
今多コンツェルン会長室直属・グループ広報室に勤める杉村三郎はある日、拳銃を持った老人による
バスジャックに遭遇。事件は3時間ほどであっけなく解決したかに見えたのだが――
しかし、そこからが本当の謎の始まりだった。
杉村は会長の娘の夫だ。どうも、2年前にも娘・桃子と妻・菜穂子ともども事件に巻き込まれたらしい。
前作は読んでないし、読まずに返そうと思ったが、少し読んだら引き込まれた。
以下、抜粋。
p251
「セクハラって、女性に甘えてるんですか?」「女性を舐めてるんじゃなくて?」
「舐めるってことは、許してもらえると甘えてるってことよ」
p400
イエスの一番弟子ペテロも一度はイエスを裏切っている。厳しい追求に負けて、自分は弟子ではないと誓う。
自らのウソと、そんな心の有様をイエスに見抜かれていたことを烈しく恥じ、後悔したペテロは
真実を述べ、逆十字架にかけられて殉教する。そんな彼の墓の上に立つのがバチカンの
サン・ピエトロ大聖堂だ。
p401
嘘が人の心を損なうのは、遅かれ早かれいつかは終わるからだ。嘘は永遠ではない。人はそれほど
強くなれない。
できれば正しく生きたい、善く生きたいと思う人間であれば、どれほどのっぴきならない理由で
ついた嘘であっても、その重荷に堪えきれなくなって、いつかは真実を語ることになる。
それならば、己の嘘を嘘と感実、嘘の重荷を背負わない者の方が、いっそ幸せなのではないか。
どんなペテロにも、振り返って彼を見つめるイエスがいる。だから我々は嘘に堪えられない。
だが、自分にはイエスなどいない、イエスなど必要ないと思う者には、怖いものは何もないだろう。
真実はけっして美しくはない。この世でもっとも美しいものは、真実ではない。終わらない嘘の方だ。
p470
この人は善人だ。善人だが身勝手だ。身勝手だから、余計なことを言う。
p497
「真ん中がないんだよ。空っぽか、みっしりか。そうでないと、あんなふうに人を騙すなんて
できないような気がする」
言い換えるならそれは、<自分がない>か、<自分しかない>ということではないか。
後を絶たない悪徳商法。これほど注意を喚起されているのに横行する振り込め詐欺やオレオレ詐欺・・・
ネズミ講だと、被害者が加害者に変わる。
騙した人が改心したら・・・
家族、社内の軋轢、ネット社会の情報など、盛り沢山の内容。
このところ、PCの調子が悪い。
マウスの具合もイマイチだ。
編集画面では上手く整えているはずの、行変えや文頭の空白が
ブログで見ると、なんとも不揃いだ。
色々やってみたが直し方がわからない。
不本意だけど、しょうがないな。
ラストの一文が
私の<滅びの山>は、どっちだ。
主人公の杉村が小学1年の娘に読んでやってたのが「ホビットの冒険」
読み終えて、「指輪物語」のDVDを借りてきて、娘と共に見る場面もあった。
小学生は、あの映画をどう受けとめるのだろうか。
悪と善との闘い、冒険、エルフやドワーフ・・・それなりに楽しめるとは思うが。
p356
私はふと、トールキンがこの壮大な物語のなかに描いた、普遍の真理に思い至った。
悪は、伝染する。
<一つの指輪>は、冥王サウロンの力の源泉であると同時に分身だ。指輪はサウロンのもとへ
還ろうとする道筋で出会う中つ国の人びとを汚染してゆく。その心をむしばんで、
人格どころか容姿までも変えてしまうのだ。
悪は伝染する。いや、すべての人間が心のうちに深く隠し持っている悪、いわば潜伏している
悪を表面化させ、悪事として発症させる<負の力>は伝染すると言おうか。
現実を生きる我々は、<一つの指輪>を持ってはいない。だが、その代替物なら得ることができる。
それは誤った信念であり、欲望であり、それを他者に伝える言葉だ。
――影横たわるモルドールの国に。
我々もまた、生きている。
さて、ストーリーだが・・・
今多コンツェルン会長室直属・グループ広報室に勤める杉村三郎はある日、拳銃を持った老人による
バスジャックに遭遇。事件は3時間ほどであっけなく解決したかに見えたのだが――
しかし、そこからが本当の謎の始まりだった。
杉村は会長の娘の夫だ。どうも、2年前にも娘・桃子と妻・菜穂子ともども事件に巻き込まれたらしい。
前作は読んでないし、読まずに返そうと思ったが、少し読んだら引き込まれた。
以下、抜粋。
p251
「セクハラって、女性に甘えてるんですか?」「女性を舐めてるんじゃなくて?」
「舐めるってことは、許してもらえると甘えてるってことよ」
p400
イエスの一番弟子ペテロも一度はイエスを裏切っている。厳しい追求に負けて、自分は弟子ではないと誓う。
自らのウソと、そんな心の有様をイエスに見抜かれていたことを烈しく恥じ、後悔したペテロは
真実を述べ、逆十字架にかけられて殉教する。そんな彼の墓の上に立つのがバチカンの
サン・ピエトロ大聖堂だ。
p401
嘘が人の心を損なうのは、遅かれ早かれいつかは終わるからだ。嘘は永遠ではない。人はそれほど
強くなれない。
できれば正しく生きたい、善く生きたいと思う人間であれば、どれほどのっぴきならない理由で
ついた嘘であっても、その重荷に堪えきれなくなって、いつかは真実を語ることになる。
それならば、己の嘘を嘘と感実、嘘の重荷を背負わない者の方が、いっそ幸せなのではないか。
どんなペテロにも、振り返って彼を見つめるイエスがいる。だから我々は嘘に堪えられない。
だが、自分にはイエスなどいない、イエスなど必要ないと思う者には、怖いものは何もないだろう。
真実はけっして美しくはない。この世でもっとも美しいものは、真実ではない。終わらない嘘の方だ。
p470
この人は善人だ。善人だが身勝手だ。身勝手だから、余計なことを言う。
p497
「真ん中がないんだよ。空っぽか、みっしりか。そうでないと、あんなふうに人を騙すなんて
できないような気がする」
言い換えるならそれは、<自分がない>か、<自分しかない>ということではないか。
後を絶たない悪徳商法。これほど注意を喚起されているのに横行する振り込め詐欺やオレオレ詐欺・・・
ネズミ講だと、被害者が加害者に変わる。
騙した人が改心したら・・・
家族、社内の軋轢、ネット社会の情報など、盛り沢山の内容。
このところ、PCの調子が悪い。
マウスの具合もイマイチだ。
編集画面では上手く整えているはずの、行変えや文頭の空白が
ブログで見ると、なんとも不揃いだ。
色々やってみたが直し方がわからない。
不本意だけど、しょうがないな。