ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「桜ほうさら」「有松の庄九郎」「胃ろうという選択、しない選択」

2014-03-27 09:56:16 | 
「桜ほうさら」 宮部みゆき  PHP研究所  2013.3.11

 今、出版年月日を書いて、フッと思った。
 3.11にしたのは何か、意味があるのだろうかと…

 父の汚名をそそぎたい。
 そんな思いを胸に秘めた笙之介は、家が取り潰されて江戸に出た。

 P96 江戸の留守居役が言った言葉

 「二人の女に挟まれた男というものは、この世でいちばん弱くなるのだ。ともかくも事なかれと
  流されやすくなっての。角を立てず、あちらにもこちらにも甘いことを言ってやろうとするうちに、
  にっちもさっちもいかなくなる」

 蘇った父の言葉――

 「嘘というものは、釣り針に似ている。釣り張りの先には返しがついていて、一度引っかかったら
  なかなか抜けない。それでも抜こうと思うと、さらに深く人を傷つけ、己の心も抉ってしまう。
  だから、つまらぬことで嘘をついてはいけない。嘘は、一生つきとおさうと覚悟を決めたときだけに
  しておきなさい」

 嘘をついてはいけない、という訓話ではなかった。嘘をつくなら、一生その鈎を心に食い込ませたまま
 生きようと思うときだけにしろ、それほど重大な嘘にしろというのだ。

 P430

 人は目でものを見る。だが、見たものを留めるのは心だ。人が生きるということは、目で見たものを
 心に留めてゆくことの積み重ねであり、心もそれによって育っていく。心が、ものを見ることに
 長けてゆく。目はものを見るだけだが、心は見たものを解釈する。その解釈が、時には目で見るものと
 食い違うことだって出てくるのだ。


「有松の庄九郎」 中田なをみ  新日本出版  2012,11,30

 「水底の柩」の作者。
 小学5・6年生課題図書。
 実は昨年夏に読んだ。

 尾張・阿久比の庄。
 貧しい百姓家の若者たちは、街道沿いに新しい村をつくろうという幕府のおふれで移住を決意する。
 そこは松だらけで、有松と命名した。
 農作には適さないとわかった庄九郎は、築城の日雇いに出た現場で豊後しぼりに出会う。
 仲間の一人に藍を学ばせ、やがて、自分たちのものにしていく。

 この本を読んだ後、中部地方を旅したのだった。
 時間があれば、有松を歩きたかったのだが・・・


「胃ろうという選択、しない選択」  長尾和宏 セブン&アイ出版  2012.12.3

 胃ろうは嫌だと、頑なに思っていたが、
 ハッピーな胃ろうもあると、知った。
 意識がしっかりしてる場合、胃ろうによって体力がつくとしたら、
 一概に嫌だとも言ってられない。
 
 病院だと、死ぬまでだが、自宅だとやめられると。

 介護、老後・・・
 きちんとした情報を得ておきたいものだ
コメント
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