ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「はなとゆめ」

2014-03-05 22:40:11 | 
「はなとゆめ」   冲方丁  角川書店  2013.11.6

 「はなとゆめ」と聞いて、私同様、漫画雑誌を思い浮かべる人もいるだろう。
 はじめは、アララ~と思ってしまった。
 男性だから、却って気にならなかったのかな。

 なんと今度は、清少納言の話だ。
 "かな"が目立つ。
 しかも、清少納言が語っているような文体。
 となると当然"ですます"体で、馴染むのに少し時間がかかった。

 わたし清少納言は28歳にして、帝の妃である中宮定子様に仕えることになった。
 華やかな宮中の雰囲気に馴染めずにいたが、17歳の定子様に漢詩の才能を認められ、
 知識を披露する楽しさに目覚めていく。貴族たちとの歌のやりとりなどが、評判となり、
 清少納言の宮中での存在感は増していく。そんな中、定子様の父である関白・藤原道隆が死去し、
 叔父の道長が宮中で台頭していく。やがて一族の権力争いに清少納言も巻き込まれていく。

 24歳で、他家に出仕したときの気持ちは、

  今ここではない、別のどこかへの憧れ。
  それがとりわけ、当時のわたしの心のうちで、強くくすぶっていたのです。
  仏の教えは、あの世には美しく完璧な場所が--浄土があると説いています。
  つまり、浄土のような完璧な世界がある一方で、現実のこの世界は不完全でいびつであり、
  救いがない、ということなのです。
  そんな現実を生きるからこそ、完璧である浄土への希望が燃え上がるわけですし、できれば
  不完全な現世にいる間に、生きたまま、そのような世界を垣間見たい。そう思うのは、
  この世に生きる、どんな人々にとっても、ごく自然なことでありましょう。

 そして、

  あるじに誉められる秘訣。そんなものがあれば、誰も苦労はしません。
  ただ、一つだけいえるのは、出仕することで、こんな自分にも特技があるのだと知ることが
  できたということです。
  まず第一にそれは、記憶するということでした。(略)

  そして、もう一つ。特技というよりわたしの性というべきものかもしれません。
  それは、「あわい」を見るのが好きであるということでした。
  誰も面白いとは思わないような、ものごとの白黒定かでない、うっすたと、ほのかなもの。
  そうしたものに、喩えようもなく惹かれるのです。(略)
  かすかに違いに大きな差を感じるとき、何か見たこともない美にふれたような感動を覚えるのです。

 定子から清少納言は紙を頂いた。
 宿下がりした折りに、「枕」を書き始める。

  心のどこかで思っていることを、あらいざらい言葉にすることで、不謹慎だけれども笑ってしまう。
  それが結局は、苦しむものにとって心の救いとなることを、わたしは確信するようになっていました。
  強者の驕りも、貧者の辛苦も、男の振る舞いも、女の嘆きも、わたしが言葉にして書いたところで
  何一つ解決しません。
  ですが普段は心の中に押し込めているものを、表に出すとき、それが他愛のない言葉であればあるほど、
  何か真実を得るような気がするのです。

  中宮様はわたしに、ただ紙をお与え下さったのではありません。
  聖賢の王は、人に何かを与えはしないのです。その人を、その人にしてくれる。だから古来、
  人は聖賢の王を求めるのだ。そう思ったことを、今もはっきり覚えています。


 本文自体にはまったく関係ないのだが・・・

 「まな」という言葉に「ダメよ」と振り仮名があって、
 「ま」繋がりで、津軽弁の「まいね」を連想した。
 東北弁には古語に由来するものが多い。
 京都から同心円状に言葉が伝播したという説を聞いたことがある。
 それが、変形したのではないか、と思ったのだ。
 
 この作品は、新聞に連載されたという。
 前にも書いたと思うが、1977年生まれの作者は、96年、大学在学中にスニーカー大賞金賞、
 2003年「マルドゥック・スクランブル」で日本SF大賞。2009年が「天地明察」で本屋大賞他、
 2012年が「光圀伝」で山田風太郎賞。
 そして、清少納言か・・・

 広範囲にわたる才能に感じ入る。 
次の作品も楽しみだ。
コメント
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