「ある奴隷少女に起こった出来事」 ハリエット・アン・ジェイコブズ 大和書房 2013.4.10
INCIDENTS IN THE LIFEOF A SLAVE GIRL
「ジェイン・エア」1847年、「若草物語」1868年、「小公女」1888年とほぼ同年代、
1861年のノンフィクション。
そうであってほしいと思う世界観を持つ作者の分身の主人公が、
その世界観が成就することになるフィクションの中で戦う創作ではなく、
こうであってほしいと思う世界観を持つ本人が、
その世界観の成就を徹底的に阻む現実の中で戦う実話。
当時匿名で出版した事情もあり、「白人知識人が書いたフィクション」と見なされ、
長く忘れ去られていた。
しかし、出版後126年経過した1987年に再発見され、その後の研究により、
本書の著者が元奴隷少女のジェイコブズであり、記載された事項の殆どが事実であると証明された。
翻訳した堀越ゆきさんは、少女時代をアメリカ、プラハで過ごし、
世界最大手外資系コンサルティング会社勤務。
2011年8月、出張で乗った新幹線のiPhoneで見たKindleストア内・古典名作ランキングで
ジェイン・エアの上位、11位だった本書を見つけたという。
当然、翻訳の専門家ではないから、かなり迷い悩んだとも言う。
さて、本書は、
リンダ・ブレントことハリエット・アン・ジェイコブズ(1813~1897)の自伝的ノンフィクションだ。
ノースカロライナ州に生まれたリンダは、六歳のときに自分は奴隷で、
白人医師家庭の所有物であるということを知らされる。
悪徳を絵に描いたようなフリント医師の嫌がらせの中で育つ。
弟のウィリアムは言う。
「鞭で打たれる痛みには耐えられる。でも人間を鞭で叩くという考えには耐えられない」
15歳になったリンダにフリントが性的関係を迫ろうとする。
リンダは知恵を働かせて、弁護士で後に連邦議会議員になるサンズの愛人になり、二人の子どもを産む。
フリントは奴隷のリンダを思うままに繰れないことに対する嫉妬、白人の黒人に対する
差別意識、男性の女性に対する暴力性が混淆した筆舌に尽くしがたい陰険な対応を
リンダに対して行う。そこでリンダは奴隷制度のない北部に逃亡する決断をする。
逃亡前のリンダは祖母マーサの家の屋根裏部屋に七年間潜伏する。
祖母も奴隷だったが、女主人がマーサを解放したので自由黒人になった。
だから、自らの家を持つことができた。
もっとも、逃亡奴隷を匿っていることが発覚すれば、
マーサだけでなくリンダの子どもたちにも残虐な仕打ちがなされる。
どうにか北部に行ってからですら、所有権を主張する者たちの手が追ってくる。
結局は、フリントの死亡後に、雇い主であり友人でもあるブルース夫人が、
フリントの相続人から買い取ってくれたことで自由になるのだが…
「売買契約書!」--この言葉は思いきりわたしを打ちのめした。
とうとうわたしは売られたのだ!人間が、自由なニューヨークで売られたのだ!
売買契約書は記録として残り、キリストが生まれ19世紀経った終わりにも、女は取引用の商品だったと、
のちの時代の人々が学ぶことになるのだろう。
この紙を手に入れてくれた寛大な友には深く感謝しているが、正しく自分のものでは
決してなかった何かに対し、支払いを要求した悪人のことは、嫌悪している。
と、リンダは述べている。
以下、翻訳者のあとがき より。
奴隷少女が自分らしく生きるために感じなければならなかった心情が、現代の日本の少女にとって、
そんなにかけ離れたものであるとは、率直に私には思えない。
少女たちには奴隷制ならぬ現代グローバル資本主義的で、稚拙で雑多な情報に翻弄された現実が
立ちはだかっている。それはガールズにとってのデフォルト、すなわち
現実ガールズが無理矢理課された現代の「奴隷制」である。
読者の誰にも、その人自身の「ドクター・フリント」が存在すると私は思う。
それは性的強要で、あるかもないかもしれない。あなたの心に正しいと思うものは、
それが社会的にどうであれ、その代償がどうであれ、青春の最も楽しい時期の七年間、
立つスペースもトイレすらない屋根裏に閉じ込められることになったとしても、
つらぬく価値があると、奴隷少女のジェイコブズは証明してみせたのである。
好天にも誘われ、今日は長距離を走ろうとか、幾つかの行事の一つに参加しようとか、
あれこれ考えていた。
数時間駆けて行く行事では、さすがに夜の冬道を一人で走る気にはなれず、数人に声をかけたが、
昨日の今日のこととて、みんな予定があった(^^;
結局は上記の本を含む何冊かを一気読みの読書三昧(笑)
目は痛いし、頭はグチャグチャ(爆)
INCIDENTS IN THE LIFEOF A SLAVE GIRL
「ジェイン・エア」1847年、「若草物語」1868年、「小公女」1888年とほぼ同年代、
1861年のノンフィクション。
そうであってほしいと思う世界観を持つ作者の分身の主人公が、
その世界観が成就することになるフィクションの中で戦う創作ではなく、
こうであってほしいと思う世界観を持つ本人が、
その世界観の成就を徹底的に阻む現実の中で戦う実話。
当時匿名で出版した事情もあり、「白人知識人が書いたフィクション」と見なされ、
長く忘れ去られていた。
しかし、出版後126年経過した1987年に再発見され、その後の研究により、
本書の著者が元奴隷少女のジェイコブズであり、記載された事項の殆どが事実であると証明された。
翻訳した堀越ゆきさんは、少女時代をアメリカ、プラハで過ごし、
世界最大手外資系コンサルティング会社勤務。
2011年8月、出張で乗った新幹線のiPhoneで見たKindleストア内・古典名作ランキングで
ジェイン・エアの上位、11位だった本書を見つけたという。
当然、翻訳の専門家ではないから、かなり迷い悩んだとも言う。
さて、本書は、
リンダ・ブレントことハリエット・アン・ジェイコブズ(1813~1897)の自伝的ノンフィクションだ。
ノースカロライナ州に生まれたリンダは、六歳のときに自分は奴隷で、
白人医師家庭の所有物であるということを知らされる。
悪徳を絵に描いたようなフリント医師の嫌がらせの中で育つ。
弟のウィリアムは言う。
「鞭で打たれる痛みには耐えられる。でも人間を鞭で叩くという考えには耐えられない」
15歳になったリンダにフリントが性的関係を迫ろうとする。
リンダは知恵を働かせて、弁護士で後に連邦議会議員になるサンズの愛人になり、二人の子どもを産む。
フリントは奴隷のリンダを思うままに繰れないことに対する嫉妬、白人の黒人に対する
差別意識、男性の女性に対する暴力性が混淆した筆舌に尽くしがたい陰険な対応を
リンダに対して行う。そこでリンダは奴隷制度のない北部に逃亡する決断をする。
逃亡前のリンダは祖母マーサの家の屋根裏部屋に七年間潜伏する。
祖母も奴隷だったが、女主人がマーサを解放したので自由黒人になった。
だから、自らの家を持つことができた。
もっとも、逃亡奴隷を匿っていることが発覚すれば、
マーサだけでなくリンダの子どもたちにも残虐な仕打ちがなされる。
どうにか北部に行ってからですら、所有権を主張する者たちの手が追ってくる。
結局は、フリントの死亡後に、雇い主であり友人でもあるブルース夫人が、
フリントの相続人から買い取ってくれたことで自由になるのだが…
「売買契約書!」--この言葉は思いきりわたしを打ちのめした。
とうとうわたしは売られたのだ!人間が、自由なニューヨークで売られたのだ!
売買契約書は記録として残り、キリストが生まれ19世紀経った終わりにも、女は取引用の商品だったと、
のちの時代の人々が学ぶことになるのだろう。
この紙を手に入れてくれた寛大な友には深く感謝しているが、正しく自分のものでは
決してなかった何かに対し、支払いを要求した悪人のことは、嫌悪している。
と、リンダは述べている。
以下、翻訳者のあとがき より。
奴隷少女が自分らしく生きるために感じなければならなかった心情が、現代の日本の少女にとって、
そんなにかけ離れたものであるとは、率直に私には思えない。
少女たちには奴隷制ならぬ現代グローバル資本主義的で、稚拙で雑多な情報に翻弄された現実が
立ちはだかっている。それはガールズにとってのデフォルト、すなわち
現実ガールズが無理矢理課された現代の「奴隷制」である。
読者の誰にも、その人自身の「ドクター・フリント」が存在すると私は思う。
それは性的強要で、あるかもないかもしれない。あなたの心に正しいと思うものは、
それが社会的にどうであれ、その代償がどうであれ、青春の最も楽しい時期の七年間、
立つスペースもトイレすらない屋根裏に閉じ込められることになったとしても、
つらぬく価値があると、奴隷少女のジェイコブズは証明してみせたのである。
好天にも誘われ、今日は長距離を走ろうとか、幾つかの行事の一つに参加しようとか、
あれこれ考えていた。
数時間駆けて行く行事では、さすがに夜の冬道を一人で走る気にはなれず、数人に声をかけたが、
昨日の今日のこととて、みんな予定があった(^^;
結局は上記の本を含む何冊かを一気読みの読書三昧(笑)
目は痛いし、頭はグチャグチャ(爆)