「明治維新という過ち 【改訂増補版】」
原田伊織 毎日ワンズ 2015.1.15
日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト
という副題。
帯には
いまも続く長州薩摩社会
「維新」「天誅」をとなえた
狂気の水戸学が生んだ「官軍」
という名のテロリストたち
とーー。
まさに、勝てば官軍だった明治維新。
幕末の英雄たちを、検証する。
吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰、
勝海舟など、
小説によって定着したイメージが大きい。
特に司馬遼太郎さんは大きな影響を与えた。
かくいう私も「竜馬がゆく」で、
竜馬ファンになったのだったが (^^;
例えば船中八策は、誰の発案か全く不明で
そもそも伝わるような形の原案の存在すら
疑わしい、と。
吉田松陰も高杉晋作も、
若気のいたりとばかりに貶されている。
でも、さもありなんと、同感するところが多い。
奇兵隊の実態は「ならず者」集団に近かった。
なればこそ高杉は
「盗みを為す者は殺す」
という触れを出さざるを得なかった。
こういう輩が後に「官軍」を名乗り、
会津などで蛮行を繰り広げる。
松陰の処刑について、
当時の幕閣も諸大名も、殊更の事件とみていない。
松陰を「師」であると崇めだしたのは、
御一新が成立してしばらく後。
「師」として拾い上げたのは、長州閥の元凶にして日本軍閥の祖、山縣有朋。
中間という足軽以下の出自だった山縣は、累進するに従い、拠り所が欲しくなったのだろう。また、それが必要と感じたに違いない。
これによって、吉田松陰=松下村塾は一気に陽の当たる場所へ躍り出た。
司馬遼太郎は、昭和陸軍の時代、即ち、昭和前期のみを日本史における「民族としての連続性をもたない時代」と位置づけ、いわゆる明治維新とも完璧に切り離す。すると幕末維新の歴史も割り切れる。
陸軍・関東軍の暴走を、何故歴史上の一つの事実として幕末動乱以降の時間軸に乗せないのか。
なぜそこだけを「連続性がない」として切り離すのか。
歴史とは「変化」の累積てはあっても、よほど特殊な特定の立場に立たない限り「進歩」とか「躍進」という言葉が当てはまるものでは断じてないことを、謙虚に認識しなければならない。
「明治維新」とは昭和になってから、極右勢力によって一般化した言葉であって、幕末の御一新のその時に使われた言葉ではない。
もともと、「維新」という言葉そのものが、水戸学(藤田幽谷)が生み出した言葉。「攘夷」という言葉も藤田幽谷の "発明" であり、戦前の陸軍お得意の「国体」もやはり水戸学から生まれた。
つまり、右翼テロリズムに直結する言葉は、その多くが水戸学から生まれている。
「鎖国令」というような名称の命令や達しは存在しない。「鎖国」という言葉が初めて使われたのは、享和元年(1801)に蘭学者が著した写本『鎖国論』。これは元禄のはじめに二年間帯日したドイツ人医師・ケンペルの論文の訳本。
鎖国という言葉が一般人の間にまで普及したのは明治も後半になってから。
即ち「明治維新」という言葉同様、薩長新政権の自己正当化の過程で定着した言葉なのだ。
この本の中で一番驚いたのは、
実は、「藩」という言葉は、『版籍奉還』の時に創られたものである。
という一文。
江戸期の一部の学者が「藩」という言葉を使った事例は存在するが、一般にはそういういい方は存在しなかった。
幕末以前に、そういう言葉はなかったということ。
大名家を廃止するために新政権が便宜上創った言葉であるともいえり。換言すれば、「廃藩」するために「藩」という一言で済む言葉を創ったといってもいい。
えーっ!
というわけで調べてみた。
なるほど~。
目からウロコだ。
ここに引用すると長くなり過ぎるから、
別途、記そう。
福沢諭吉の言葉に、思わず頷いた。
「新聞記者は政府の飼犬に似たり」
著者も述べているように、
平成の今日のメディアにも当てはまるのでは
なかろうか。
本書の全体に、全面的に頷けるわけではないが、
さもありなんと思えることしばし。
勝者による歴史教育や、
フィクションによって塗り固められた歴史の
不確実さ、恐ろしさを
改めて思った。