「山桜記」 葉室麟 文藝春秋 2014.1.30
汐の恋文 氷雨降る 花の陰 ぎんぎんじょ
くのないように 牡丹咲くころ 天草の賦
戦国時代、武士の妻を描いた短編集。
「汐の恋文」は、前にオール読物で読んだ記憶有り。
「花の陰」
細川忠興(ガラシャの夫)の息子忠隆に嫁いだ、前田利長の娘・千世。
忠興の許しが得られず、娘たちの将来のために加賀に戻ることにしたときの忠隆との会話。
「わたくしのあなたさまへの恋慕の情がきょうを限りに散るのでございます。散るべきときを
わたしも知ったのですから」
「咲かぬ花は散らぬ。花を咲かせたことを喜ぶべきであろうな」
「ぎんぎんじょ」
肥前・鍋島信昌の妻・彦鶴。姑・慶ぎん(門構えに言)尼。
慶ぎん尼の言葉。
親子は血のつながりがありますゆえ、放っておいても恐らく裏切りはいたしますまい。主従は主人に
力があればこそ家来が従うでありましょうが、夫婦となると、もともと他人ゆえ心が通わねば共に暮らすのは
無理でございましょう。いずれかが力を失うたからと見捨てるのは夫婦とは申せませぬ。
ひたすら心の結びつきに頼って世の荒波を渡らねばならぬのですから、夫婦ほど強いつながりはないのです。
〈うわなりうち>をいたす女子は今絵を去らねばならなかったことで、すでに負けておるtのだ。
そうであるのに、迎え討たれもせず、かつておのれが使った台所を打ち壊すのは虚しきばかりじゃ。
負けじとひとを集め、迎え討ってやるのが、女子の情じゃ。
「牡丹咲くころ」
11万石・柳川藩に嫁いだ、62万石・伊達の鍋姫。
夫に、自分の産んだ子どもより年長の息子がいると、時が経ってから知ったとき
ひとを思う心は鏡のようなものです。一度、罅が入れば、もはや相手の歪んだ顔しか思い浮かべることが
できません。
「液晶画面に吸いこまれる子どもたち」 下田博次・下田真理子 女子パウロ会 2013.10.7
――ネット社会の子育て。
赤ちゃんのときから、親のコントロールが必要。
私も以前から思っていることが、述べられている。
そう思いつつ、子育て中は子どもにテレビ・ビデオをかなり観せたが(^^;
今はもう、私が子育てした時代のレベルをはるかに凌駕している。
本当に恐ろしいくらいだ。
かしこい利用者にならなくては。
「ぼくのおかしなおかしなステッキ生活」 坂崎重盛 求龍堂 h.26.2.6
写真だけ見るつもりだったが、しっかり読んでしまった。
著者は1942年生まれ。
ステッキといえばチャップリンを思い出す。
確かに、戦前はステッキの所持が普通だったようだ。
様々なイラストや写真がずらり、並んでいる。
コレクションし始めると、どこに行っても、その分野に興味がいくのもよくわかる。
拘りを本にしてみた、という感じ。
汐の恋文 氷雨降る 花の陰 ぎんぎんじょ
くのないように 牡丹咲くころ 天草の賦
戦国時代、武士の妻を描いた短編集。
「汐の恋文」は、前にオール読物で読んだ記憶有り。
「花の陰」
細川忠興(ガラシャの夫)の息子忠隆に嫁いだ、前田利長の娘・千世。
忠興の許しが得られず、娘たちの将来のために加賀に戻ることにしたときの忠隆との会話。
「わたくしのあなたさまへの恋慕の情がきょうを限りに散るのでございます。散るべきときを
わたしも知ったのですから」
「咲かぬ花は散らぬ。花を咲かせたことを喜ぶべきであろうな」
「ぎんぎんじょ」
肥前・鍋島信昌の妻・彦鶴。姑・慶ぎん(門構えに言)尼。
慶ぎん尼の言葉。
親子は血のつながりがありますゆえ、放っておいても恐らく裏切りはいたしますまい。主従は主人に
力があればこそ家来が従うでありましょうが、夫婦となると、もともと他人ゆえ心が通わねば共に暮らすのは
無理でございましょう。いずれかが力を失うたからと見捨てるのは夫婦とは申せませぬ。
ひたすら心の結びつきに頼って世の荒波を渡らねばならぬのですから、夫婦ほど強いつながりはないのです。
〈うわなりうち>をいたす女子は今絵を去らねばならなかったことで、すでに負けておるtのだ。
そうであるのに、迎え討たれもせず、かつておのれが使った台所を打ち壊すのは虚しきばかりじゃ。
負けじとひとを集め、迎え討ってやるのが、女子の情じゃ。
「牡丹咲くころ」
11万石・柳川藩に嫁いだ、62万石・伊達の鍋姫。
夫に、自分の産んだ子どもより年長の息子がいると、時が経ってから知ったとき
ひとを思う心は鏡のようなものです。一度、罅が入れば、もはや相手の歪んだ顔しか思い浮かべることが
できません。
「液晶画面に吸いこまれる子どもたち」 下田博次・下田真理子 女子パウロ会 2013.10.7
――ネット社会の子育て。
赤ちゃんのときから、親のコントロールが必要。
私も以前から思っていることが、述べられている。
そう思いつつ、子育て中は子どもにテレビ・ビデオをかなり観せたが(^^;
今はもう、私が子育てした時代のレベルをはるかに凌駕している。
本当に恐ろしいくらいだ。
かしこい利用者にならなくては。
「ぼくのおかしなおかしなステッキ生活」 坂崎重盛 求龍堂 h.26.2.6
写真だけ見るつもりだったが、しっかり読んでしまった。
著者は1942年生まれ。
ステッキといえばチャップリンを思い出す。
確かに、戦前はステッキの所持が普通だったようだ。
様々なイラストや写真がずらり、並んでいる。
コレクションし始めると、どこに行っても、その分野に興味がいくのもよくわかる。
拘りを本にしてみた、という感じ。