ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「第五の権力」

2014-05-31 23:58:46 | 
「第五の権力」  エリック・シュミット/ジャレット・コーエン ダイヤモンド社 2014.2.20

 THE NEW DIGITAL AGE  Reshaping The Future of People,Nations and Business
 櫻井祐子:訳

 副題は
  Googleには見えている未来

 エリック・シュミットは1955年生まれ。2001年~2011年までGoogleのCEO。経歴もすごい。
 ジャレッド・コーエンは1981年生まれ。Google Ideas創設者兼ディレクター。史上最年少の24歳で
 米国国務省の制作企画部スタッフに採用され、2006年~2010年まで、ヒラリー、ライス両国務長官の
 制作アドバイザーを務めていた。両者とも、華々しく活躍している。

  インターネットは、人間がその手でつくっておきながら、
  まだ十分に理解することができていない、
  数少ないものの1つである。
  インターネットの世界はつかみどころがなく、
  絶えず変異をくり返し、ますます巨大で複雑になっている。
  そして、とてつもない善を生み出すとともに、
  おぞましい悪をもはらんでいる。
  このインターネットが世界に与えるインパクトは、
  ようやく眼に見えるようになってきたばかりだ。

 と、表紙の裏にあった。
 そして最初に

  国家権力は立法・司法・行政、いわゆる三権で統治されている。
  それに加え、20世紀型の報道機関は、政府を監視する役目を担う
  「第四の権力」といわれた。

  2025年、世界人口80億人のほとんどが、オンラインでつながる。
  誰もがインターネットへアクセスでき、誰もが世界中とつながり、自由に発言をし、
  革命を起こすパワーさえも手にできる。
  一見あたりまえのように思えるが、これはすごいことだ。

  これからの時代は、誰もがオンラインでつながることで、
  私たち1人ひとり、80億人全員が、
  新しい権力、つまり「第五の権力」を 握るかもしれない。

  このような「デジタル新時代」を迎えた今、
  私たちは、市民は、国家は、 そして世界は、
  どのように変わっていくだろうか。

  個人に権力が移った結果、
  世界はいまより 安全になるのだろうか。
  それとも危険になるのだろうか。

  私たちは、
  「オンラインでつながった世界」という現実に、ようやく向かい始めたばかりである。
  そこには、いいこともあるが、悪いこともある。

  技術がもたらす変化を 避けることはできない。
  ならば、今後大量に出現する 新しい技術やツールを多々しく使って、
  世界をよりよく、より豊かにするために、 できることはあるだろうか。

  未来に何が起こるかは、機械ではなく、
  私たち人間の手にかかっている。

 考えられ得る未来像が、述べられている。

 私たちの世代が、消去できない記録をもつ「人類最初の世代」になる。
 コネクティビテイ教育の大切さ、テクノロジー企業に求められる図太さ、
 仮想世界と現実世界、それぞれに求められるもの・・・

 サイバー攻撃が繰り広げられ、
 冷戦(Cold War)から、コード戦争(Code War)になるだろう、云々・・・

 未来の世界について
  第1に、技術はそれ自体では、諸悪を解決する万能薬にならないが、賢明に利用すれば
  大きな違いを生む。
  第2に、過疎受け回は既存の世界秩序を覆したり、組み替えたりすることはないが、現実世界の
  あらゆる動きを複雑にしていく。
  個人と国家は、それぞれにとって自由度の高い世界--個人は仮想世界、国家は現実世界--での
  活動を好むようになり、インターネットが続く限り、両者の緊張関係は続くだろう。
  第3に、国家は2種類の外交政策と2種類の国内政策を、つまり仮想世界と現実世界とでそれぞれ
  異なる政策を実行することになる。

  最後に、コネクティビティと携帯電話が世界中に普及することで、市民は過去のどんな時代よりも
  大きな力を手に入れるが、それには代償が伴うことも知っておくべきである。特に
  プライバシーとセキュリティに関わる代償だ。

  私たちは、プライバシーのために戦わなくてはならない。さもなければ失うだけだ。
  私たちは未来を楽観している。それは、技術とコネクテイビティに、世のなかの悪弊、苦難、破壊を
  抑制する効果があるからだ。
  人々にアクセスを与えたら、彼らを信頼してすべてを任せよう。
  簡単なことではないが、やってみるだけの価値はある。

 と、結んでいる。
 
 今さら後戻りはできない。
 試行錯誤を繰り返しつつ、進んでいくしかないのだが、
 著者も何度も繰り返しているように、「人」のあり方が大切だと改めて思う。
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「花や咲く咲く」「いつもが消えた日」

2014-05-30 14:06:54 | 
「花や咲く咲く」  あさのあつこ  実業之日本社  2013.8.15

 太平洋戦争下に生きる、少女たち。

 ガチガチの教育で、お国のためにと思いつつ、
 夢は別物だ。

 お腹一杯になるまで食べたい、
 綺麗な服装をしたい。

 そう口にすることすら非国民と言われるなのは、どうしてだろう・・・
 家族や、信頼できる友人の前でしか話すことができない。

 ある日、闇物資と思われるキレイな布が手に入り、
 4人の少女たちは、それぞれにブラウスを作る。
 わくわくする時間、
 完成したブラウスを外で着ることはできないが、
 持っているだけでも幸せだ。

 中身がなく精神論のみを冗長に怒鳴り、威嚇するだけの訓話。
 聞かされている生徒が空腹のあまり倒れると、それもまた非国民との批難に繋がる。

 空襲警報時の避難訓練で、言われたのは
 「ミシンの取り扱いには、万全の注意を払いなさい。きみたち人間の替えはいくらでもいるが、
 ミシンは貴重です」

 まさに、人間魚雷や、特攻隊同様。

 当時だけではない。
 いまも、国民の有りようや、国際的な有り方を客観的に考えることなく、
 精神論だけをぶちまかしている政治家が多いように思えるのは
 気のせいだろうか・・・


「いつもが消えた日」  西條奈加  東京創元社  2013.11.29

 お蔦さんの神楽坂日記。
 「無花果の実のなるころに」の続編?

 もと芸者でいまでも粋なお蔦さんはご近所の人気者だ。
 滝本望はそんな祖母と神楽坂でふたり暮らしをしている。
 滝本家は、代々、男が厨房を担っていて、望の腕前も中々だ。

 三学期がはじまって間もないある日、同じ中学にかようサッカー部の彰彦とその後輩・有斗、
 幼馴染の洋平が滝本家を訪れていた。望特性の夕飯をお腹一杯食べ、サッカー談義に花を咲かせた、
 にぎやかな夜。しかし望と彰彦が有斗を自宅に送り届けた直後、有斗が血相を変えて飛び出してきた。
 「部屋が血だらけで!家ん中に、誰もいないんだ!」
 消えた有斗の家族の行方、そして家族が抱える秘密とは――

 有斗は、ひとまず滝本家で預かることになる。
 迷惑をかけることを悩む有斗にお蔦さんがいう。

 「迷惑をかけてかけられて、人ってのはそれがあたりまえなんだ」
 「でも・・・人に迷惑をかけるのはいけないって、そう習って・・・」
 「それは人を傷付けたり、嫌な思いをさせたり、そういう行為はするなって戒めだよ。
 助けたり助けられたり、人間はお互いそうやって生きていく。迷惑だからと関わるのをやめてしまえば、
 人と人とのつながりも成り立たない。わかるかい?」

 時代劇の人情話に通じる世界が生きている。
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電車も楽しい♪

2014-05-29 23:13:50 | 日記

先月末、彼と出かけたお花見で、一駅だけこまちに乗車した。
新幹線は、旅行気分をかきたてる。
いつもは車で走っている道路とほぼ並行だ。
視界が変わって面白い。
途中、水芭蕉群生地も見えた♪

第3セクターの内陸線の列車がちょうど入ってきた。
一度は乗りたい電車。


      


そうそう、駅の近くに新潮社の記念館があった。
初代社長が角館の出身とのこと。


        


雪国の表紙が扉になっていた。
もう一方には、「トンネルを抜けると・・・・・・」の文面があった。


        


上りのこまちを降りて連絡橋を歩いていたら
下りのこまちが入ってきた。
上下2本のツーショットも珍しい♪


           


6月下旬に、大人の休日倶楽部フリーパスがある。
どこに行こうか、楽しみにしてたんだけど…
母の状況急変で、それどころではなくなった。

できるときに、できることを楽しまなくては!
そんなことを、心底思っている。
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免疫療法

2014-05-28 15:27:50 | 老い・病気・社会保障
悪性腫瘍の治療について、色々調べている。

NK細胞と聞いたときは、ピンとこなかった。
そうか、ナチュラル・キラー細胞なら知ってる。

これならいいかもと思った。
ところが如何せん、治療できる病院が当地にはない。
移動するのが困難な患者には受診できず、
自費診療の高額に悩む以前の問題だ。

当地で受けられる免疫療法もあるようだ。
それにしても、通院する環境が整ってからのこと。

本人の体力や年齢を考えると、
何も手を下さずに、対症療法をしてもらいつつ、
「その日」を待つしかないかとも思えるが・・・

悪あがきでもいい、
本人の負担にならない範囲で、諦めずに検討しよう。
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「ゼロ」

2014-05-27 13:41:41 | 
「ゼロ」  堀江貴文  ダイヤモンド社  2013.10.31

 時代の寵児とも思えたホリエモンだった。
 一気に駆け上がり、そして、塀の中に。

 表紙は、縦に

    堀江貴文
   ゼ   ロ
   なにもしない自分に
   小さなイチを足していく

 と、手書きの文字。 自筆だろうか。

 成る程と思えることが多かった。

  働いていれば、ひとりにならずにすむ。
  働いていれば、誰かとつながり、社会とつながることができる。
  そして働いていれば、自分が生きていることを実感し、人としての尊厳を取り戻すことができる。
  だからこそ、僕の願いは「働きたい」だったのだ。

  人が新しい一歩を踏み出そうとするとき、次へのステップに進もうとするとき、そのスタートラインに
  おいては、誰しもが等しくゼロなのだ。
  つまり、「掛け算の答え」を求めているあなたはいま、「ゼロ」なのである。
  そしてゼロになにを掛けたところで、ゼロのままだ。物事の出発点は「掛け算」ではなく、
  必ず「足し算」でなければならない。まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。
  小さく地道な一歩を踏み出す。ほんとうの成功とは、そこからはじまるのだ。

  人生にマイナスなんて存在しない。失敗しても、たとえすべてを失っても、再びゼロという
  スタートラインに戻るだけ。
  ゼロになることは、みんなが思ってるほど怖いものではない。
  失敗して失うものなんて、たかが知れている。なによりも危険なのは、失うことを怖れるあまり、
  一歩も前に踏み出せなくなることだ。

  どんなにたくさん勉強したところで、どんなにたくさんの本を読んだところで、人は変わらない。
  自分を変え、周囲を動かし、自由を手に入れるための唯一の手段、それは「働くこと」なのだ。

  子どもは、大人の都合によっていくらでも振り回される、無力な存在だ。しかし、勉強という建前さえ
  掲げておけば、大抵のわがままは通る。
  だから僕は、受験勉強が無駄だとはまったく思わない。
  無駄に終る知識はあるかもしれないが、周囲の大人を説得し、自分で自分の道を切り開く最強の
  ツールは、勉強なのだ。

  チャンスを見極める目なんて、必要ないのだ。少しでもおもしろいと思ったら、躊躇せず飛び込む。
  そうしないと、せっかくやってきたチャンスは流れる桃のように過ぎ去ってしまう。

  多くのビジネスマンは、自らの「労働」をお金に換えているのではなく、そこに費やす「時間」を
  お金に換えているのだ。
  お金(給料)とは『もらうもの』ではなく、『稼ぐもの』である。
  そして積極的に稼いでいくためには、自分は「給料」以外のなにを提供できるのか、もっと真剣に
  考えなければならない。

  人生が豊かになっていかない根本原因は、なによりも「時間」だ。
  設けるために働くのではなく、お金から自由になるために働こう。
  やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくる」ものだ。

  「できっこない」という心のフタさえ外してしまえば、「やりたいこと」なんてあふれ出てくる。
  突き抜けられる人と、そうでない人の違いは、次の一点に尽きる。
  物事を「できない理由」から考えるのか、それとも「できる理由」から考えるのか。
  それだけだ。意識の差なのである。

  これからの時代を生きるには「お金」ではなく、自らの「信用」に投資することが求められる。
  ほんとうに困ったとき、人生の崖っぷちに追い込まれたとき、失敗してゼロに戻ったとき、
  あなたを救ってくれるのはお金ではなく、信用なのだ。

  シンプル・イズ・ベスト。
  「悩む」と「考える」の間には、決定的な違いがある。

  「悩む」とは、物事を複雑にしていく好意だ。ひとり悶々とする。わざわざ問題をややこしくし、
  袋小路に入り込む。ずるずると時間を引き延ばし、結論を先送りする。
  人は悩もうとすればいくらでも悩むことができる。そしてつい、そちらに流されてしまう。

  一方の「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為である。複雑に絡み合った糸を解きほぐし、
  きれいな一本の糸に戻していく。

  物事をシンプルに考え、原理原則に従うこと。理性の超えに耳を傾けること。
  それはある意味、湧き上がる感情とのせめぎあいでもある。
  だが、これだけは確実にいえる。
  感情に流された決断には、迷いがつきまとい、後悔に襲われる可能性がある。
  しかし、理性の超えに従った決断には、迷いも後悔もない。過去を振り返ることなく、
  前だけをむいて生きていくことができる。

  常識を疑い、自分の頭で物事を考えていくためには、ひとつ乗り越えておかなければならない条件がある。
  自立だ。
  特に、親元を離れることである。
  精神的に親から自立して、物理的、そして経済的にも自立すること。この一歩を踏み出したとき、
  人はようやく「自分の頭」で物事を考えられるようになる。
  どんなに困ったときにも、親には頼らない。
  どんなに追い詰められても、親の前では弱音を吐かない。

  もし親孝行という言葉が存在するのなら、それは、一人前の大人として自立することだ。
  両親への感謝とは別に、しっかりと自分の足で立っているだろうか?
  なにかを決めるとき、親の顔がチラついていないだろうか?
  いざとなったら、親に助けてもらえると思っていないだろうか?

  親との関係は、そのまま社会との関係につながっていく。
  親から自立できていない人は、「自分の頭で考える」という習慣づけができていない。
  そうなれば、会社や組織からも自立することができず、いつまでも駄々をこねるだけだろう。
  自分ではなにもやろうとせず、ただ会社の不平不満をこぼすような人立ちだ。
  人はみな、誰かの子どもとして生まれる。そして親から自立できたとき、はじめて社会の中でも
  自立することができるのだ。

  責任が発生しないうちは、ほんとうの意味での自由も得られないのだ。無邪気に見える子どもたちは
  圧倒的に不自由なのだ。
  自由と責任は、必ずセットになっている。
  責任を自分で背負うからこそ、自由でいられるのだ。

  僕にとっての自由を手に入れる手段とは、とにかく働くことだった。
  働くことで経済的に自立し、精神的にも自立し、ちゃんと自分で責任を取れる土台をつくる。
  そうすれば、すべてを選ぶのは自分になるのだ。

  ネガティブなことを考える人は、ヒマなのだ。
  ヒマがあるから、そんなどうでもいいことを考えるのだ。
  もし、ポジティブになりたいというのなら、やるべきことはシンプルである。
  うじうじ悩んでないで、働けばいい。「自分にはできないかもしれない」「なんて躊躇しないで
  目の前のチャンスに飛びつけばいい。与えられた24時間を、仕事と遊びで埋め尽くせばいいのだ。
  常に頭を稼動させ、実際の行動に移していく。働きまくって遊びまくり、考えまくる。それだけだ、

  「自分の時間」を生きるのか、それろも「他人の時間」を生かされるのか、を常に意識化しておく
  必要がある。
  人生には「いま」しか存在しない。
  過去を振り返っても事態は変わらず、未来に怯えても先へは進めない。
  かけがえのない「いま」に全力を尽くすこと。将来の自分とは、その積み重ねによって形成されていく。 


 私にはイチイチすんなり入ってくる言葉が多かった。
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