ブラッと近場をドライブ。
数えきれないほど何度も通った道の
脇道に入ってみた。
思いがけずあっま何軒かの集落を通りすぎて
少しだけ山道を走った。
道が狭くなったところで、折り返し。
休耕田に、カモシカがいた!
よく見ると2頭。
親子かな。
ちょっとだけ近づいたら、
警戒するようにジッと、こちらを見てる。
もう少し近づくと、去っていった。
里山の山紅葉も美しい。
ブラッと近場をドライブ。
数えきれないほど何度も通った道の
脇道に入ってみた。
思いがけずあっま何軒かの集落を通りすぎて
少しだけ山道を走った。
道が狭くなったところで、折り返し。
休耕田に、カモシカがいた!
よく見ると2頭。
親子かな。
ちょっとだけ近づいたら、
警戒するようにジッと、こちらを見てる。
もう少し近づくと、去っていった。
里山の山紅葉も美しい。
「藤里方式が止まらない」 菊池まゆみ 萌書房 2015.4.30
「一つの不幸も見逃さない」のが社協の役目だと始めたひきこもり支援のはずが、
ひきこもりパワーで地域活性化に乗り出すこととなり、全国にその名が
轟いてしまった秋田県藤里町社会福祉協議会の自称「くたびれたオバサン」。
福祉の常識を変えてしまおう、と。
p56
私たち福祉職は、例えば一人暮らし高齢者の、高齢者が一人で暮らすことの
不便さや支援が必要な部分にきちんと焦点を当てずに
その人自身を支援が必要な人だと見てきたのではないでしょうか。
身体障害の障害に伴う不便を支援するのではなく、身体障害者という
障害を負った不幸な人を支援しようとしてきたのではないでしょうか。
福祉制度は対象を定めただけなのに、その対象となった者は弱者だと、
勝手に思い込んできたのではないでしょうか。
p126
専門職の家庭訪問は親しくなることではない。
専門職は期待を抱かせる未知の外部の人間として関わる方が、
内部化し・家族化してしまうよりは力を発揮できる。
p128
付き添う支援
事業の講義に遅刻しないよう声をかける、就職するつもりがあるなら
ハローワークに行けと声をかける、一人で行く勇気がないと弱音を吐けば
付き添ってやる。それは家族が普通にやっていることかもしれない。
だが、家族が支えるべきだとは思わない。
親子でも大人と大人。
支援や手伝いと言うよりは、ただちょっと家族のように寄り添って
見守るだけの支援で、自信を取り戻して社会に帰っていく若者たちが多かった。
p150
不幸ではなく、不便。
お金がないことの不便、病気にかかることの不便、年をとることの不便、
障害を抱えることの不便。そして、それらの不便を抱えることは、
不幸であることと同じではない。
「一人の不幸も見逃さない雲藤」ではなく、
「一つの不便も見逃さない活動・自分が住む地域をより快適に暮らせる
町に変えるために」として見直せばよい。
不幸な人を救う活動ならば、対象は、自分より不幸な人でなければ許せない。
その思いはごもっとも。
ですが、地域の様々な不便を支援する活動だとしたら、生きない協力する
気にはならないまでも、少しは見守ってもよいのでは?
そのことは必ず、自分が不便を感じる立場になった時に、
気軽に利用できる支援がありという、少しばかりの安心につながる。
実践が基になってるから、説得力がある。
「不便」かぁ…… なるほど。
つい最近、すぐ近くで開催された講演を聞きそびれてしまった。
「ごんたくれ」 西條奈加 光文社 2015.4.20
池大雅、円山応挙、伊藤若冲……
京画壇華やかなりし頃を舞台に、
天才絵師の矜持と苦悩、数奇な生きざまを描く。
強情、偏屈、へそまがり。引くことを知らず、会えば喧嘩ばかりの二人の絵師、
深山箏白と吉村胡雪。
それでも互いの力量には一目置くところもあって……
箏白は曽我蕭白(1730-1781)、胡雪は長沢炉雪(1754-1799)がモデルか。
両者とも、どんな絵だったか記憶になくて、調べた。
なるほど、奇才か。
応挙に師事し、師と自らの絵の距離感に迷い悩む胡雪。
開き直って奔放な箏白。
胡雪を若冲のところに誘って、箏白は言う。
(この先生は)人とはまるで異なったものの見方ができる。
伊藤若冲の面白さは、そこにあるんや。
ところが当の先生は、いたって大真面目でな。笑わせるつもりらなぞ、
毛ほどもあらへん。その食い違いが、いっそうおかしみを増すんや。
おまえの師匠はな、他人の目に映るとおりに物を見る。せやさかい、
世間から、人の分別いうもんから、どないしても逃れられんのや。
対してここの先生は、己の目に映るとおりに物を見る。
胡雪は、始めて見た若冲の絵に圧倒される。
画面からいっぱいにほとばしるものは、強い生命力だった。
応挙は言う。
「いつもいつも迷うている。これまで数多描いてきたが、
迷いなく仕上げたものなぞ一枚もない。しかしな、意に染まぬからといって、
注文をお断りしようとか、ましてや絵師をやめたいなどと思ったことは、
一度もない」
「迷いとは、贅沢なものだ。私はそう肝に銘じている。えらぶ気ままが
あるからこそ、迷う。裏を返せば、それは幸せなことだ」
「私はな、彦九郎、絵の大家なぞではなく、常に一介の職人でありたいのだ」
豊蔵(箏白)は思う。
「わしらはとどのつまり、人が好きで好きでたまらんのや」
奇異だ、醜悪だと罵られながら、箏白も胡雪も、ただ人だけを描き続けた。
化け物じみた姿であったり、妙に人くさい動物であったり、
形はさまざまながら、それらはすべて偽らざる人の姿だ。
「わしもおまえも、ほんまにごんたくれや」
人を乞うて、人に容れられず、それでも人を乞う。
愛おしく、そして悲しかった。
気負いやしがらみを吹っ切って、すべてから解き放たれた豊蔵が、
潔く清々しい。
それにしても……
絵を探して観ながらで、
随分、手間取った(笑)
脇本城跡を歩く会に参加した。
奈良大学学長・千田嘉博さん、
落語家・春風亭昇太さん、
城郭ライター・萩原さちこさん 、
の3人の説明付き。
そのせいか、予定を大幅に上回る応募があって、
定員を倍以上に増やしたものの、抽選とか。
幸い、当選した♪
集合場所に着いた時、目の前に姫路ナンバーの車があってビックリ!
全国各地から、城マニアックが集まっていた。
考えてみれば当たり前だけど……
城めぐりのサイトがあることや、
その中でゲームがあったり、ポイントを競ってたりすることなどを
改めて、知った。
昼頃に雨という予報で、主催者は歩く予定を早めた。
が……
何と、バスを降りて登り始めてすぐにポツリポツリ。
すぐに大降りになってきた。
城跡に着いた時は、本格的な雨!
海のそばの高台だから、風もスゴい。
前回、訪れたときは草が生い茂ってて、
形状がよくわからなかったけれど、
草刈りされていると、
往時に思いが馳せて、妄想が広がる。
海のすぐそばの高台にある山城だ。
晴れていれば、海の彼方に鳥海山も見えるが、
この時は、海も荒れていた。
装備をしていない昇太さんも、
風雨をものともしないで、熱く語ってくれた。
城跡での歩きが終わる頃、雨がやんで、青空も出てきた(>_<)
晴れオンナは、どこに行ったのかしら(笑)
ただ……
個人的に行く場合は、当然、空を眺めながらだから、
荒天に歩くことはない。
あんな天候にも関わらず、参加者がみんな、
イヤな顔をしないで城跡を楽しんでいた。
そんな風に考えると、
得難い体験をしたと思う。
午後はシンポジウム。
3人とも軽妙な語り口で、わかりやすかった。
いい一日だったなぁ。
「コンビニたそがれ堂 セレクション」 村山早紀 ポプラ社 2015.3.12
きれいな装丁。
装画 : 佐々木ひとみ
村山さんらしい、ほっこりするファンタジー。
本文中にも絵が♪
写真の縦横が直せない(^^;