ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

神という概念

2017-01-31 23:04:54 | 考えたこと

 

春日大社展を観た。

一番見たかった刀は、やはり素晴らしかった。

空いていてゆっくり見られたのは

とても嬉しいけれど、

気づいたら三時間以上経っていて

足が棒のようになっていた (笑)

 

さて、いつも英文の説明が興味深い。

ここでの「神」は

Godではなく、 deity  だった。

 

Deityをはじめて知った!

 

どう違うのだろうか……

 

あるblogによると、

 

godの意味は、 「神、創造主」 です。

We prayed to God. 私達は神に祈った。

deityの意味は 「神性、神格、神」 です。

That is a solar deity. それは、太陽神です。

gotとdeityの違いですが、

godは、特にキリスト教の神のことで1つです。

deityの場合は、神ですが、

多神教の神のことです。

 

とのこと。

 

Yahoo!知恵袋によると

 

日本の神々を表すのにdeity(deities)とgod又はgoddessを用いるのとどちらが適当なのでしょう?また、2つの違いは何なのでしょうか?

(2010/09/02 16:34)

で、ベストアンサーは、


私は deity を取りたいです。
god/goddess はキリスト教以前の古代社会の「神」を強く表している、と思います。殆どはギリシャ・ローマの神を。そしてそれらの神(god/goddess)は人間社会のしがらみを超越することなく憎んだり妬んだり、はては他を殺したりしています。
一方、日本の神は時に人間社会の醜さを見せたりしますが概して極めて品行方正で、生臭くありません。
deity は語源的にも 「divine nature」で「その性(さが)神聖にして」です。
日本の神の中では守護神的なものも多くいますが、よく guardian deity と訳されてそれは真に的を得ていると思います。

 

更に別のblogでは


世界情勢を見る上で、

もっとも重要だと思われる概念について、お話します。
それが、「神とGOD」の違い。
明治の文明開化の時、日本に英語がたくさん入って来ました。
それを、日本人は、和訳して言ったわけです。
その中には、いろいろ上手い訳、下手な訳あったわけなんですが、
この「GOD」を「神」と訳してしまったこと、
これは、その中でも最大の失敗ではなかったのか?と私は思っています。
日本語で言う「神」

大きな神社、家の神棚、道端の小さな祠などに、いろいろなところに
いろいろな神様が祭ってあるんですけど。
この神様、日本では八百万って言われています。
日本においては、八と言う数字は、多いという意味で使われます。
これに対し、西洋で言われる「GOD」は唯の一つなんです。
ギリシア神話、ローマ神話などに出てくる、大勢の神々、
英語では「the god」と言う事もありますが基本的には「the deities」といって、
「GOD」とは区別されます。
「神」と「GOD」まず最初の、違いは数!

次に、

 GODは人間を創ったもの。

神は人間を産んだもの。

そして、

Godは偶像を認めず、神は偶像を認める。

更に、

神は、どんな形にも表されて、人間に対して、放任主義!

GODは絶対に、目に見える形には、表されなくて、徹底的な管理主義!

 

と、わかりやすく比較していた。

 

 

うん、なるほど。

確かに

春日大社の神さまが四柱+αであって、

その上、神仏習合であるように

日本では、

八百万の神さまや、仏さまが勢揃い。

God  にはとうてい馴染みそうにない。

 

"神"  と一口に言っても、

そもそもの概念が異なるということを

改めて考えさせられた。

 

唯一神なれば、他を認めるわけにはいかない。

いさかいも生まれる。

 

今、キナ臭いところの殆どが宗教絡みと思える。

管理主義ならば、そうなるのは自明の理。

 

恐ろしいのは IS ばかりではない。

自己の正統性のみで突っ走り、

寛容性がない宗教は怖い。 

 

 

 

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「煽動者」

2017-01-30 19:10:52 | 

 

「煽動者」  ジェフリー・ディーヴァー

    文藝春秋  2016.10.15

 

原題は  Solitude  Creek

この題のままが、良かったような……。

 

今回はキャサリン・ダンス。

彼女は捜査で大きなミスを犯し、停職は辛うじて免れたものの、刑事のバッジと拳銃を取り上げられる。

 

そんなとき、満席のナイトクラブで、

将棋倒し事故が発生した。

きっかけは、かすかな煙の臭いだった。

火事だーー観客はそう気づくやいなやパニックに陥り、我先に出口へと押し寄せて、多数の死傷者が出る大惨事となった。

現場を訪れたキャサリンは、不可解な事実を発見し、これは不幸な事故ではなく、何者かが意図してパニックを煽動した事件だと確信する。

物証らしい物証がなく、なにより犯人の目的にまるで見当がつかない。

手も足も出せずにいる捜査陣を嘲笑うかのように、次々と事件が発生する。

 

パニックのさなかにある群衆の描写にゾゾッ!

 

ーー集団になると、人は別の生き物に変わる。人間ではなくなる。

ーーただの一人も、他人のことなど考えてはいない。人々は恐怖から理性を失った獣の群れと化していた。自分のことしか考えていない。自分が助かることだけを考えている。

ーー進む方向を、体の動きを、足を下ろす先を、自分ではコントロールできない。

 

因みに、キャサリンの車は

日産パスファインダー。

海外で販売されていて、

ティラノと同じようなSUVらしい。


指輪物語、ハリー・ポッターが一瞬登場 (笑)

セーラームーンとデスノートも。

あと、アナ雪は、何度か (^-^)v

 

日系の議員がつくった非営利法人が

コドクノオガワ有限責任会社。

つまり、原題の日本語。

 

彼は言う。

「日本語の"孤独"は、孤立、わびしさ、疎外といったニュアンスを持ちます。しかし英語の"ソリチュード"には、前向きなイメージ、再生のイメージがありますね」

 

いつもながらのどんでん返し。

そうきたか!

 

やはり、ディーヴァーは面白い。

 

 

 

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「何者」

2017-01-29 23:12:17 | 

 

「何者」  朝井リョウ   新潮社    2012.11.30

 

第148回、直木賞受賞。

 

自分を生きるって、どういうことか。

真っ正面から心にぐさりと突き刺さる。

 

就活の情報交換をきっかけに集まった、

拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良。

 

数ヵ所、書き写す。

 

まずは、拓人の思い。

 

  いつからか俺たちは、短い言葉で自分を表現しなければならなくなった。フェイスブックやブログのトップページでは、わかりやすく、かつ簡潔に。ツイッターでは140字以内で。就活の面接ではまずキーワードから。ほんの少しの言葉と小さな小さな写真のみで自分が何者であるかを語るとき、どんな言葉を取捨選択するべきなのだろうか。

 

  個人の話を、大きな話にすり替える。そうされると、誰も何も言えなくなってしまう。就職の話をしていたと思ったら、いつのまにかこの国の話になっていた。そんな大きなテーマに、真っ向から意見を言える人はいない。こんなやり方で自分の優位性を確かめているとしたら、隆良の足元は相当ぐらぐらなんだろうな、

 

  たくさんの人間が同じスーツを着て、同じようなことを訊かれ、同じようなことを喋る。確かにそれは個々の意思のない大きな流れに見えるかもしれない。だけどそれは、「就職活動をする」という決断をした人たちひとりひとりの集まりなのだ。自分はアーティストや起業家にはきっともうなれない。だけど就職活動をして企業に入れば、また違った形の「何者か」になれるのかもしれない。そんな小さな希望をもとに大きな決断を下したひとりひとりが、同じスーツを着て同じような面接に臨んでいるだけだ。

決して、個人として何者かになることを諦めたわこではない。スーツの中身までみんな同じなわけではないのだ。

 

瑞月は隆良に言う。

 

「あなたの努力が足りなくて実現しなかった企画を『なくなった』って言ってみたり、本当はなりたくてなりたくて仕方がないはずなのに『周りからアーティストや編集者に向いてるって言われてる』とか言ってみたり、そんな小さなひとつひとつの言い方で自分のプライドを守り続けてたって、そんな姿、誰も知らないの」

「十点でもニ十点でもいいから、自分の中から出しなよ。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。自分とは違う場所を見てる誰かの目線の先に、自分の中のものを置かなきゃ」

 

そして理香は拓人に言う。

 

「あんたは、誰かを観察して分析することで、自分じゃない何者かになったつもりになってるんだよ。そんなの何の意味もないのに」

「あきらめるふりして、あきらめきれてない」

「いい加減気づこうよ。私たちは、何者かになんてなれない」

「自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くたってカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のままあがくんだよ」

「カッコ悪い姿のままあがくことができないあんたの本当の姿は、誰にだって伝わってるよ」

「そうやってずっと逃げてれば?カッコ悪い自分と距離を置いた場所でいれば?いつまでも観察者でいれば?いつまでもその痛々しいアカウント通り【何者】かになった振りでもして、誰かのことを笑ってもなよ。ずっと」

 

 

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継続……

2017-01-27 21:26:32 | 考えたこと

 

テニスの四大大会の一つの全豪オープン。

その準決勝が行われている。


WOWOWが衛星波の放映権を持っていた。

錦織がトップランキングに入り、

NHKが地上波の放映権をゲットしたらしいが、

ライブで放送してくれたのは、錦織の試合のみ。

 

残念ながらフェデラーに負けてしまい、

ハイライトしか観られない。

 

放送は真夜中なので、寝不足気味 (^^;

 

さて、、、

今日のテニス中、シニアの仲間に

サンプラスの話をしたところ、

彼女はサンプラスを知らなかった。

 

そうか、若い人に限らず、

ある程度の年齢にテニスを始めた人も

知らないのだなぁと、

上達しないながらも、続けてきた年月を思う。

 

上手くなりたいと練習した日々もあった。

今思えば、満足の日々。

 

身体の故障で、

上達は望むべくもなくなったが、

それでも、それなりに楽しく遊べる。

 

年月だけだと、完全にベテランの領域 (笑)

その間、別のスポーツになったと言われるほど

テニスも変わった。

そんな中、続けてこられたのは、

共にプレーして、

受け入れてくれる仲間があってこそ。

 

有り難い出会いに、改めて感謝♪

 

 

 

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「傷だらけのカミーユ」

2017-01-26 23:25:25 | 

 

「傷だらけのカミーユ」  ピエール・ルメートル

  文藝春秋    2016.10.10

 

原題は  SACRIFICES  2012

 

「その女アレックス」「悲しみのイレーヌ」

シリーズ完結編。

 

カミーユ警部の恋人が強盗に襲われ、

瀕死の重症を負った。

一命をとりとめた彼女を執拗に狙う犯人。

もう二度と愛する者を失いたくない。

カミーユは彼女との関係を隠し、

残忍な強盗の正体を追う。

 

始めの方、強盗に襲われて

意識を失ったり動けなくなってるはずの

アンヌの、強かな屈強さや、妙な振舞いに??

 

なるほど、そうきたかーー。

 

三部作通じて、カミーユの内面性には

イマイチ馴染まない (^^;

国民性の違いかなぁ。

 

 

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