「流人道中記 (上)(下)」 浅田次郎 中央公論新社 2020.3.10
万延元年(1860年)。
姦通の罪を犯したという旗本・青山玄蕃に、奉行所は青山家の安堵と引き替えに切腹を言い渡す。
だがこの男の答えは一つ。
「痛えからいやだ」
玄蕃には蝦夷松前藩への流罪判決が下り、押送人に選ばれた19歳の見習与力・石川乙次郎とともに、奥州街道を北へと歩む。
口も態度も悪い玄蕃だが、道中で行き会う抜き差しならぬ事情を抱えた人々を、決して見捨てぬ心意気があった。
流人と押送人は奥州街道の終点、三厩を目指し歩みを進める。
道中行き会うは、父の敵を探し旅する侍、無実の罪を被る少年、病を得て、故郷の水が飲みたいと願う女……。
旅路の果てで、玄蕃の抱えた罪の真実が明らかになる。
武士の鑑(かがみ)である男がなぜ、恥を晒して生きる道を選んだのか。
P251
刀というものはの、腕前がどうのではなく、持っているだけでまともな話し合いができぬのだ
P267 (考え込む石川に青山が言う)
「あんたが思うほど他人はあんたを見ちゃいねえ。あんたの話も聞いちゃいねえ。ましてやあんたの気性がどうだなんて、誰も考えちゃいねえ」
下P76
ふいに僕は「斬る」と「殺す」が同義であると知った。
人の命を奪うことに変わりはあるまい。だが武士はけっして「殺す」とは言わない。まるで「斬る」がどのような場合であれ正当な行為であるかのように。
(略)
もしや僕らのうちには、殺人を勲しとする野蛮な気風がいまだ生きていて、武士道なるものの正体はそれなのではあるまいか。
P167
のう、石川さん。あんたは苦労人ではのうて、苦労性だぞえ。くよくよ悩む苦労など、苦労のうちにも入るまい。本物の苦労はの、いちいち憶えておったら命にかかわるゆえ、頭が勝手に忘れるのだ。
下P288~
われら武士はその存在自体が理不尽であり、罪ですらあろうと思うたのだ。
武士の本分とは何ぞや。それは戦だ。
政を担う武士の道徳は戦国のまま硬直した。
たちの悪いことに、そうした武士は権威なのだ。
下P292
「存外のことに、苦労は人を磨かぬぞえ。むしろ人を小さくする」