ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

心の支え

2012-01-30 22:39:04 | 気持ち
昨夜、かかってくるはずの時間にSからの電話がなかった。
数分待って電話したが、眠っているかもしれない…
長くはコールせず、出なければすぐに切るつもりだった。

2回目の呼び出し音で、出た。
弱々しい口調だった。
眠っているのを起こしてしまったかと、一瞬後悔したが、
ただひたすら、休んでいたと言う。

心臓の近くに、これまでにない差し込むような痛みがあると。
単なる筋肉痛か、内臓からか、わからないので安静にしていたそうだ。

休んでいたのに申し訳ないと思ったが、
電話してくれてありがとうと、ホッとした口調に変わって安堵した。

何かあったら必ず連絡すると言われても、
急変してそれどころではない場合もあり得る。
駆けつけることもできず、不安のまま一夜を明かした。

そして今朝、いつもの時間に電話した。
痛みは消えたと聞いて一安心。
またも、夕べの電話、ありがとうと言われた。
心強かったと。

私と同年齢だったSの弟は、十年近く前に心筋梗塞で急死した。
そんなことも思い浮かんだことだろう。
いつもは気丈なSもかなり心細かったのだと、改めて思う。

まずは、たいしたことがなくて良かった。
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雪の露天風呂

2012-01-29 18:48:26 | 日記
近辺にも、いくつか温泉がある。

昨夜、あの人(これからはSと言おう)と一緒に、その内の一つを訪れた。
Sはこれまで何度か家族と行ったことがあるが、私は初めてのところ。
一度行ってみたいと、以前から話していた。

待ち合わせた場所があまりに寒くて長時間いられず、Sが思いついたのだった^^
私の車に常に入れてあるお風呂セットを持って、Sの車で向かった。

市内の空は穏やかで路面に雪がなかったのに、途中か一変して銀世界!
しかも猛吹雪になった!

冷えきった身体に、温泉が心地よかった♪
落ち着いてから、露天風呂に。
屋根はなく、上方には陽を遮るような角度で板が並んでいる。
その板にへばりついていた雪が、時々ボチャンと湯船に落ちてくる。
粉雪が舞っている。

雪が積もっている露天風呂に、何度か入浴したことがあるけれど、
シンシンと降りしきっている最中は初めてだ。

寒くはないが、頭上が気になって、風情を感じる余裕がなかった(笑)

幼子たちは元気だ♪
小さな雪だるまを作ったり、駆け回ったり
見ているだけで心和み、微笑がこぼれる。

大浴場にも浸かり、心行くまでリラックス。
施設内のレストランで夕食をとった。
幸せなことだ。

昨日も今日も、一緒にいたのは一日の4分の1足らず…
限られた時間に凝縮するからこそ、
これほどの充実感と豊かさを感じられるのかもしれない(笑)
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「ミレニアム」

2012-01-28 20:51:40 | 
年末の映画館で「ミレニアム」の映画版予告を観た。
もうDVDにもなっているので記憶違いかもしれないが…

ダン・ブラウン、ジェフリー・ディーヴァー同様、読み応えがあったが、
詳細を忘れているので再読してみた。

第1部から3部まで、それぞれ上下の計6冊を一気に読んだ、
というか、引き込まれた!
完全に寝不足続きで(笑)、休日の今朝、朝寝坊できたのが有り難い。


著者のスティーグ・ラーソンは1954年生まれ、私とほぼ同年代だ。
2004年、このシリーズの出版契約を結んだ。
2005年、第1部「ドラゴン・タトゥーの女」が発売されるや、たちまちベストセラートップになり
3部合計で破格の部数を記録したが、ラーセンはその成功を見ることなく、2004年11月、
心筋梗塞で死去した。享年50。

ということもあって、更なる話題を呼んだわけだ。
第1部が日本で発行されたのは2009年12月、私が読んだのは一昨年だった。
やはり、第3部まで一気に読んだ記憶がある。

あらかたの内容は当然覚えている。
ただ、元々固有名詞に疎いというか覚える気がないので、覚えていたのはリスベット・サランデルの名前のみ。
ミカエル・ブルムクヴィストの名前すら出てこない始末だった(^^;
文字の固まりで捉えているので、読んでいる分には差し支えないし(笑)


「ドラゴン・タトゥーの女」
「火と戯れる女」
「眠れる女と狂卓の騎士」

ハッカー、孤島ミステリー、見立て殺人、サイコ・キラー、一族の闇をめぐる第1部、
警察や国際スパイが絡んできた第2部、
そして第3部には法廷も登場する。

国家をくいものにする資本主義の矛盾、ジャーナリズムの正当性とゴシップ、女性への暴力と今なお根強い蔑視、人身売買、強制売春など、社会的テーマも真っ向から捉えている。

ミカエルは言う。
「この事件の核心は結局のところ、スパイとか国の秘密組織とかじゃなくて、よくある女性への暴力と、それを可能にする男どもなんだ」
と--

国家機密を隠蔽する方針の元、周りの大人たちに訴えを全てないがしろにされ批判されただけでなく、精神病院に拘束された少女…リスベット。
こんなに劇的でなくても、親や周りの大人たちに放置されているも同然の子供たちに、思いが及ぶ。

完全に無罪で精神を病んでもいないと認められ、
ようやく一般人としてのスタートラインに立った、社会性に乏しいリスベットが、
その後、どのような生き方を選択するのか、
生き別れになっている双子の妹の行方など、まだまだ残されている謎が解けるのか
4部も用意していたという作者の急逝が惜しまれる。
草稿があるとも書いてあったが…
できるなら、是非とも続きを読みたいものだ。


個人的に気になった部分を抜粋しておこう。
夫公認で、何十年もミカエルと愛人関係にある、ミレニアム編集長エリカの考えだ。

『エリカはこのうえなく調和の取れた状態に達していると感じていた。夫としてグレンゲルが、愛人としてミカエルがそばにいる。欲求に応じて取り替えればいいのだ。彼女にとってはどちらもなくてはならない存在であり、どきらかに限定するつもりなど毛頭なかった。
彼(彼女)が何人の女性ととっかえひっかえ楽しんでも、誰も眉ひとつ動かさない。女であるというだけで、夫の同意を得たうえで愛人をひとり持っているだけだというのに、しかもこの愛人に二十年も忠実でいるというのに、あれこれ噂されることになるのだ。』

抜粋部分前半にあの人が重なった。
そんな風に考えることもあると思って…
後半部分は、世界中、どこも同じだろうな、と。
北欧ですらまだまだ、女性ゆえという社会通念が蔓延しているのか~

もう1つ…ミカエルと恋に落ちたのだろうかと自問するモニカの持論、
『セックスにはほぼあらゆる悩みを癒す力があるのに、世の人々はその真価をわかっていない。だからといっていきずりの相手とのセックスに身をゆだねるようなタイプでもない』

全く同感だ。
単に欲求不満解消のためではなく、前段階として相手の選択がある。
登場人物たちほど自由奔放でない私は、
心も開かなくては快感に浸りきることができなく、むしろ虚しくなる。

という具合で、ストーリー展開にはあまり関係のない部分にも、
ちょこちょこ考えさせられた。
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「読む」と「聴く」

2012-01-27 10:36:12 | 
借りられる朗読CDを全部聴いてしまった。
気が抜けた感じ、ちょっとサミシイ。
新しいのを購入して欲しいが、財政緊迫の折から
この手の予算が削られているのはわかるから、ワガママは言えない。

最後は「鬼平犯科帳」だった。

時々、人名や地名などの固有名詞を脳内で文字変換してみる。
例えば先日聴いた中に「ネンヨ和尚」というのが出てきた。
ネンは念仏の念だろうか、ヨは与えるだろうかなどと思いをめぐらす。
文字を追って読んでいる時は何とも思わないことだ。

シャシンの覚悟、という言葉が出てきた。
一瞬考えた。
確認はしていないが捨身だろう。
読んでいる時は、何も考えずステミと読んでいたものと思う。
「ソビラをかえす」という言葉があった。
ソビラがわからない・・・
「背」のことだった。

いずれも、読んでいるときは引っかかる言葉ではない。
文字を見れば判るから、特に読み方を考えることなく読み進んでいる。
面白いものだ。

読んでいない本の朗読を聴いたこともある。
その半数以上は、読まずに終わっている。

印象に残っているのは沢山あるが、一つあげるとすれば、
乙川優三郎の「生きる」
苦しくて重くて聴くのをやめようと思ったくらい。
それでも一言一句、しっかりと耳でとらえた。
全身で聴いて、ドッと疲れたものだ。

「剣客商売」はCDが先だった。
道場のシーンで何度も出てくるケンゾに???だった。
聴いているうち、意味は何となくわかったが漢字が浮かばない。
「見所」だった。
聴いたのをキッカケに剣客商売を全部読み、
結局、池波正太郎全集をすべて読んでしまった。

劇に仕立てたものも良かった。
「五輪の書」は、読んでいるだけでは理解しにくい内容がわかった、ように思えた(^^;
三国志は、オイシイ場面だけのてんこ盛り(笑)
ホームズのシリーズも面白かったなぁ♪

やはり、以前聴いたCDを聴き返してみよう。
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「いまファンタジーにできること」

2012-01-26 10:59:19 | 
CHEEK BY JOWL  Ursula K. Le Guin  2009 
 谷垣暁美:訳  2011.8.30 河出書房新社

グィン、1929年10月21日生まれかぁ・・・
「闇の左手」を真剣に読んだ頃を思い出す。
女性だと知られたくなくて(差別されたくなくて)、敢えてA.K.ル・グィンとしたと
何かで読んだことを覚えている。
「ゲド」を知ったのは、70年代の後半だったような・・・
彼女の母親が大好きな「イシ」の作者だと知ったのは更に後のことだ。 

p73 子どもの本の動物たち
 狩猟採集者の口承文学はおおむね神話である。動物は主要なキャラクターだ。
 神話の一般的な目的は、わたしたちが何者であるか、民族として、どういうものであるかを教えるものだ。
 神話物語は、わたしたちのコミュニティーとわたしたちの責任を提示する。
 大規模産業発達以前の文明の口承文学ならびに文字に書かれた文学が、すべてのことについてのものであるのは
 言うまでもないが、わたしの知る限り、すべてが動物物語という、時を越える力強い要素を含んでいる。
 人と動物は、肩を寄せ合い、交じり合っている。
 大規模産業発達後の社会では、動物は大人にとって関心の薄いものとなり、動物物語はおおむね、
 子ども向きだと考えられている。

P81 子どもの本の動物たち
 たいていの子どもたちは、もっとよくものがわかっているのではないと思う。子どもたちは、動物は話さないと、
 ことさら言い聞かせられ、信じこまさせられる。人と獣の間に、乗り越えることのできないギャップがあり、
 その向こうに目を向けてはいけないのだとわざわざ教えられる。しかし、命令に逆らい、目を向けつづける限り、
 子どもたちは賢いままでいられる。子どもたちは知っている。わたしたち自身と生理学的によく似ている生き物たちとは
 かなり理解しあえることを。

p148 YA文学のヤングアダルト
 トールキンのことを考えたのがきっかけで、わたしの思いは魔法使いのことに向った
 のです…
 魔法使いのことで前々から気になっていることがありました。プロスペロー、マーリン、ガンダルフ――
 彼らは皆、年取ってます。(略)顎鬚を生やした老人になる前、彼らはナンだったのだろう?若者だったに違いない。
 その前は少年。少年はどのようにして置いた魔法使いになるのかしら?
 そしてそのアイデアはわたしをしっかりくわえました。ウワバミのように――それはわたしをぐるぐる巻きにして、
 むさぼり食いました。わたしはそれ自体になりました。 小説を書くということはそういうことです。
 ウワバミの内側に棲むゾウになること。星の王子さまはそのことを知り尽くしていました。

p151 YA文学のヤングアダルト
 技は学ばねばなりません。小説家が制御でき、意図的に用いることができるのは、技だけです。
 小説家は技の持ち主です。小説家の仕事から技を引いた残りは天分です。

p163 YA文学のヤングアダルト
 わたしは善悪の戦いについて書くことはしません。わたしが書くのは――人々が過ちを犯し、人々がそれらの過ちを
 未然に防いだり、正したりするべく努力し、しかしその間にもさらに過ちを犯してしまうことについてです。

p165 YA文学のヤングアダルト
 一語一語について完璧に正確であることを目指す必要はないのです。間違いや誤解がたくさんあっても、
 言葉というものは、小さなかけらがくっつきあって、だんだん大きな塊にまとまって、意味の通るものに
 なっていくのです。文学はわたしたちが生ききなくてはならない人生と世界を理解するための優れた道具です。
 わたしたちはまず使ってみることによって、その使い方を学ぶのです。

p173~ メッセージについてのメッセージ
 物語を頭だけでなく、心と体と魂で読むならば、その物語はあなたの物語になる。
 読み直すたびに、違うものを意味するだろう。
 わたしたちが行っている教育や書評や読書がこの自由、この解放を讃えるものであったらよいのにと思う。
 学校の子どもたちが物語の中にメッセージを探すことを教えられる代わりに、本を開きながら、
 「ほら、新しい世界へのドアが開いた。わたしはそこで何を見つけられるかな」と考えるように教えられているなら、
 どんなによいだろう。

p178 子どもたちはどうしてファンタジーを読みたがるのか
 ファンタジーは子どものための物語の形として、子どもの本質に根ざした、もっとも自然なものだ。(略)
 現実から意味を汲み取るために、子どもたちは想像力をフルタイムで働かせているから、そして、
 想像力による物語こそが、その仕事をするための最強の道具だからだ。

p179 子どもたちはどうしてファンタジーを読みたがるのか
 ティーンエイジャーたちは、自分の住む世界を理解し、意味を見出し、その中で生き、道徳的な選択をするために
 猛烈な意識的努力をする。その苦闘は往々にして、ほんとうに死に物狂いのものだ。彼らは助けを必要としている。
 思いのままに使えてもっとも適応性に富む道具は、おそらく物語だろう。

p187 訳者あとがき
 ル・グィンは定義を与えるのではなく、さまざまな可能性に向って開かれた言葉でファンタジーとはどの
 ようなものかを表現します。善と悪の闘いを描くのではなく、善と悪の違いを表現するのに役に立つもの。
 現実から逃避するのではなく、ほかの人たちがほかの種類の生活を送っているかもしれない。どこかほかの場所が、
 どこであるにせよ、どこかにあるという感覚や知識を取りもどすことで、ほかの選択肢を
 含む、より大きな現実を獲得するための道具。


私にとって最大のファンタジーは何だろう。
やはり「指輪物語」かなぁ・・・
いや、神話かもしれない。
ギリシャ・ローマ神話、北欧神話、ケルト、古事記など
どの神々も我がままで、小ズルイところもあって、親しみやすい(笑)

ともにオックスフォードの教授だったルイスとトールキン。
ルイスが書いた「ナルニア」を読んだトールキンが
それを子供だまし?と言い、もてる知識を駆使して世界を構築したのが「指輪」だと
読んだ記憶がある。
指輪には、神話が詰まっている。

グィンも、それらを読み込んでいるわけだ。
だが、ゲドを白人にしなかったあたり、彼女の意識がうかがえる。
「ゲド」で一番記憶に残っているのは『まことの名』について。
そういえば日本の小説で主人公の名前が「真名子」というのがあった。
ゲドに感激した親が、命名したと、主人公が話す場面があった。
何の本だったろうか?

ゲドを、また、読み直してみようか・・・
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