「あわいの力」 安田登 ミシマ社 2014.1.6
副題は、「心の時代」の次を生きる。
安田さんは1956年銚子市生まれ。
高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。
高校教師をしていた25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。
能楽師のワキ方として活躍する云々……
という経歴の方で、私は以前一度だけ講座にお邪魔したことがある。
『あわい』ーー
媒介。あいだ。
自己と他者、異界と現実界、時間と空間、あっちとこっち……
人は身体という『あわい』を通して外の世界と繋がる。
「文字」という道具を獲得し、それを使っているうちに、人間の脳がさらに発達し、その結果「心」が生まれたのではないか、
「文字」以前の人間は、身体の感覚に従って生きていた。
「文字」を使い始めたことで、脳でしこうすることが増え
(略)
「心」が身体を請えて巨大化し、人類は「心」を制御できなくなっているばかりか、自らがつくり出した「心」によって押し潰されそうになっている。
学びというのは、役に立たないほど面白い。
イエスの最初の説教「悔い改めよ」は、『聖書』では「メタノエオー」という言葉が使われている。
「メタ」は「変化させる」という意味、「ノエオー」は「見方」とか「認識」という意味。つまり「メタノエオー」とは、「ものの見方を180度、転換させよ」ということ。
シュメール語でイナンナと呼ばれる女神は、アッカド語の神話ではイシュタルとなり、ギリシャではアフロディテ、ローマではヴィーナスに変容していく。シュメールやアッカドの神話では女神であるとともに、古代メソポタミアの最大の娼婦でもある。
「かんがえる」の語源は「か身交ふ(かみかふ)」。
「か」は接頭辞だから、元々の意味は「身」が「交ふ」、つまり身体が「交わる」状態。
身体が「交わる」ときに、すなわち思考が生まれる。
現実に「異界」を取り戻し、その「異界」から新しいものを生み出していくためには、「何もない」「何も与えない」時間や空間をつくることが大切。