デス・ノートの番外編。
コミックでは明かされなかったエルの死に至るまでの時間を綴る。
昨年の映画で、初めてテレビでみた。
こういう時間を過ごしたんだ…
〝死神との契約〟により死ぬ時が分かっている。
そんな時間を与えられたとしたら僕はどんな時間を過ごすんだろう。
考えられない。
想像することを頭が拒否している。
その代りに考えたこと。「哲学」という学問について。
あらゆる科学の始まりは「哲学」であり、森羅万象の不思議を考えることから始まった。
それが、物理学や生物学などの自然科学、史学や経済学などの社会科学に枝分かれし、
今や哲学と言われる学術分野の意味はどこにあるんだろう。
それは当時からなんら変わらない、解き明かされることない永遠のテーマ。
そう、僕らは何のために生まれ、何のためにいま存在しているのか。
己という存在の意味。
我思う、ゆえに我あり。なんて、やけくそなデカルトの結論。
そんなものを誰も信じない。
僕はこう考えることにしている。
いつ死が訪れても、動じることのない自分の心構え。
そうした自我を確立するためのロジック。
なので、哲学は人それぞれ違ってよい。
自分の存在を肯定し、不安をなくし、生きるとか死ぬとかの区別をも、
いつの間にか越えてしまっている諦観を獲得する為の苦悩のようなもの。
酔っぱらっていてまた、だんだんわからなくなってきている。
けれど、いつ死んでも悔いのない心の状態を常に持っていたいと思った。