宇宙の果てはどうなっているのか。虫も人間も同じ生命を宿している。命って何なんだ。僕は科学がそうした謎を解いてくれると信じていた。
文芸書に熱中する一方でブルーバックスを読み漁った。
文学は、源氏物語以来、つまるところ男と女の三角関係、横恋慕、嫉妬、略奪愛などという男と女が存在する限りにおいての宿命を、時には美しくまたある時は救いようの無い醜悪さで描くことに本質があると僕は考えた。文芸作家というのは何がしかの鍛錬や経験により文章力、表現力が研ぎ澄まされた人たちであろう。そういう人たちに憧れもした。
けれど大学の進路を考える時に僕は、そんな下世話な人間世界を探求するよりも生命や宇宙を知る手立てに強く好奇心を持った。よって文科系に進学することを止めた。
あまりにも科学万能主義に陥りすぎていたことは後になってわかった。
生命や宇宙のことなど、ちっぽけな人間ごときに知れようはずが無い。
そうした努力や科学者の大志を否定するものではないけれど、僕がやるべきことではないと思った。かといって文系的に宇宙や生命を語り始めるとおかしな新興宗教じみてきてしまい、そういうのはまったく肌に合わなかった。
インフレーション理論に基づくビッグバン宇宙論には驚愕したしホーキング博士の語る宇宙論は凄い。彼女とホーキングの宇宙のことを熱心に話したこともあったっけ。
宇宙の年齢は137億歳で、宇宙は「普通」の物質が4パーセント、23パーセントが正体不明のダークマター、残り73パーセントがダークエナジーによって構成されていて、宇宙で最初の星は、宇宙誕生からわずか2億年後に輝き始めただろうということもわかったという。さらに、宇宙は平らで、永遠に膨張し続けるであろうという結果も導かれたらしい。これはごく最近の話題だ。
宇宙の構成物質の4%のそのまた微小な物質で構成されている僕たちの世界はなんとも切ないくらい小さい。その小さい世界が僕たちの全てであり僕も家族も男も女も、今いるごとくに実存している。そこに僕らは立脚して進むしかない。そして僕たちの命はとても短い。宇宙の137億歳と比べようも無く微小な時間。命の意味など問う前に、与えられた短い一生を全うすることだ。人間の命の存在価値は、喜びであり楽しみであり、また、苦しみであり悲しみであろう。喜怒哀楽を堪能することこそ生命の輝きというもの。実存する己という存在になるべく正直に生き抜く。それだけのことかも知れないな。
ともあれ期待と大志をもって入学した大学だったが、そこにはそれに答えてくれる何者も無かった。日本の当時の国立大学の惨状であった。高校の授業も酷かったがそれ以下であった。
その後の酒と女と闘争にまみれた僕の行く末を肯定するものではないが、それは確固とした事実である。
こんなことを振り返り今の自分を見たときに、当時想定したこととまったく関係の無い道を僕は歩んでいる。これもまた僕の人生の七不思議のひとつかな。
文芸書に熱中する一方でブルーバックスを読み漁った。
文学は、源氏物語以来、つまるところ男と女の三角関係、横恋慕、嫉妬、略奪愛などという男と女が存在する限りにおいての宿命を、時には美しくまたある時は救いようの無い醜悪さで描くことに本質があると僕は考えた。文芸作家というのは何がしかの鍛錬や経験により文章力、表現力が研ぎ澄まされた人たちであろう。そういう人たちに憧れもした。
けれど大学の進路を考える時に僕は、そんな下世話な人間世界を探求するよりも生命や宇宙を知る手立てに強く好奇心を持った。よって文科系に進学することを止めた。
あまりにも科学万能主義に陥りすぎていたことは後になってわかった。
生命や宇宙のことなど、ちっぽけな人間ごときに知れようはずが無い。
そうした努力や科学者の大志を否定するものではないけれど、僕がやるべきことではないと思った。かといって文系的に宇宙や生命を語り始めるとおかしな新興宗教じみてきてしまい、そういうのはまったく肌に合わなかった。
インフレーション理論に基づくビッグバン宇宙論には驚愕したしホーキング博士の語る宇宙論は凄い。彼女とホーキングの宇宙のことを熱心に話したこともあったっけ。
宇宙の年齢は137億歳で、宇宙は「普通」の物質が4パーセント、23パーセントが正体不明のダークマター、残り73パーセントがダークエナジーによって構成されていて、宇宙で最初の星は、宇宙誕生からわずか2億年後に輝き始めただろうということもわかったという。さらに、宇宙は平らで、永遠に膨張し続けるであろうという結果も導かれたらしい。これはごく最近の話題だ。
宇宙の構成物質の4%のそのまた微小な物質で構成されている僕たちの世界はなんとも切ないくらい小さい。その小さい世界が僕たちの全てであり僕も家族も男も女も、今いるごとくに実存している。そこに僕らは立脚して進むしかない。そして僕たちの命はとても短い。宇宙の137億歳と比べようも無く微小な時間。命の意味など問う前に、与えられた短い一生を全うすることだ。人間の命の存在価値は、喜びであり楽しみであり、また、苦しみであり悲しみであろう。喜怒哀楽を堪能することこそ生命の輝きというもの。実存する己という存在になるべく正直に生き抜く。それだけのことかも知れないな。
ともあれ期待と大志をもって入学した大学だったが、そこにはそれに答えてくれる何者も無かった。日本の当時の国立大学の惨状であった。高校の授業も酷かったがそれ以下であった。
その後の酒と女と闘争にまみれた僕の行く末を肯定するものではないが、それは確固とした事実である。
こんなことを振り返り今の自分を見たときに、当時想定したこととまったく関係の無い道を僕は歩んでいる。これもまた僕の人生の七不思議のひとつかな。