秋のはじめのある月のない夜に、私たちは港の棧橋へ出て、
海峽を渡ってくるいい風にはたはたと吹かれながら赤い絲について話合った。
それはいつか学校の国語の教師が授業中に生徒へ語って聞かせたことであって、
私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い絲がむすばれていて、
それがするすると長く伸びて一方の端がきっと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられているのである、
ふたりがどんなに離れていてもその絲は切れない、どんなに近づいても、
たとひ往来で逢っても、その絲はこんぐらかることがない、
さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまっているのである。
私はこの話をはじめて聞いたときには、かなり興奮して、
うちへ帰ってからもすぐ弟に物語ってやったほどであった。
私たちはその夜も、波の音や、かもめの声に耳傾けつつ、その話をした。
お前のワイフは今ごろどうしてるべなあ、と弟に聞いたら、
弟は桟橋のらんかんを二三度両手でゆりうごかしてから、庭あるいてる、ときまり悪げに言った。
大きい庭下駄をはいて、扇子をもって、月見草を眺めてゐる少女は、
いかにも弟と似つかはしく思はれた。
私のを語る番であったが、私は真暗い海に眼をやったまま、赤い帯しめての、とだけ言って口を噤んだ。
海峽を渡って来る連絡船が、大きい宿屋みたいにたくさんの部屋部屋へ黄色いあかりをともして、
ゆらゆらと水平線から浮んで出た。
太宰の「津軽」を読んでて、とても懐かしい感慨がよみがえりました。
あの頃、学年で40人くらいいた女子の誰と小指が繋がっているのかと、
真面目に考えたことがあった。嫁にもらうことの意味もよくわからないまま、
そんなことを考えると下腹の辺りががやたらむずむずする感覚に襲われ、
とても悩ましく困惑したことを覚えています。
それは赤い絲で結ばれた人と出逢えさえすれば解決するような気がした。
残念ながら結局その時期に「赤い絲」を見つけることはできませんでした。
これは!?という子がひとり二人はいたような気がするのだが、
今となってはその記憶も定かではないのです。
だれだったけかなぁ…