ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

Kという渋すぎる奴

2008-01-05 01:12:10 | 
入舎仕立ての頃、結構仲の良かったKという男の話。
育ちの良さそうな秀才肌のKは、僕の隣の部屋に住んでいた。なんでこんなのがこのオンボロ寄宿舎を選んだのか不思議に思った。Kは浮世離れした奴で僕以上に世間知らずであった。

寄宿舎の新入生歓迎コンパでは、入舎仕立ての30人ほどの学生が、一人ひとり前に出され自己紹介させられる。そして一芸を披露させられ、最後にどんぶりに並々と注がれた日本酒を一揆飲みさせられる。先輩が寄宿舎に代々受け継がれている立派な日本太鼓をドンドン叩きまくる。それにあわせて最後の一滴まで僕たちは戴いた酒を飲み干さねばならなかった。
普通ならフォークや流行歌を披露したり高校の応援歌を絶叫したり、逆立ちや宙返り、時にはつまらぬ手品をしたりというのが一般的な芸披露であったのだが、Kはクラッシックギターで「Black Bird」を生演奏して静かに歌った。
今なら確実に『KY』とか言われそう。しかし、さにあらず。回りに百人はいると思われる酔っ払いたちは一同に静まり返り、Kの弾き語りに傾聴した。
凄い芸風、、と僕は感心した。僕の芸はといえば、“朝丘めぐみ”の“私の彼は左きき”振り付けつき。だったと記憶する。結構受けたと思ったがレベルが違った。

後で聞けばKは大学のサークルの軽音楽サークルに既に入部しており、リードギターをやりたかったが、空きが無いのでキーボードを受け持ったという。えっ!?ギターばかりかピアノも弾けるのか・・・。しかも新入部員のくせにもう一人前のポジションを任せられるとは只者ではない。
当時の僕は、男でピアノを弾けるとは相当の上流階級か由緒ある家柄かとしか思えず、Kの後ろに後光がさして見えた。僕は楽器というものがからっきし駄目であったからなおさら尊敬に値する男と思えた。因みに中学の縦笛で僕は楽器というものにおさらばした。

一念発起して僕はKを連れ立って街の有名楽器店に赴き、フォークギターを購入した。Kは「初めてなんだからそんないいものはいらないよ」と、高級品ばかり物色する僕を軽くいなした。相当な意気込みと決意でいた僕は何か拍子抜けした。それもそうだといかにも安そうな5千円のギターにした。今となってはそれで大正解だったのだが、やはりKの彗眼というべきか。

Kはスマートで足が長い。面長で濃い髪を肩まで伸ばしていた。洋服のセンスもいい。声はハスキーボイス。けれど本当に音楽しか興味の無いことが後からわかる。
合コン、合ハイに参加するたびに彼の周りに女の子が群がる。けれど、Kはなにしに参加しているのか疑問に思うくらい女の子にそっけない。聞けば「タイプじゃないから・・・」。相当、理想が高いのかそれとも女に興味が無いのか・・・もしや「男色系!?」と感じたことも幾度かありやなしや。
音楽家や芸術肌の人にそういうタイプが多いことも書物で知っていたのでやや警戒したこともあったが、多分、僕の杞憂だったろうと思う。真相は藪の中。

2年目にKは寄宿舎を出た。寄宿舎の風土が肌に合わなかったのと、2人部屋であったため部屋で自由に楽器の練習が出来なかったためだと言っていた。
風の噂では軽音楽のサークル活動に熱中するあまり留年を繰り返し、親からの仕送りも止められ、やむなく夜にいかがわしいお店でピアノの弾き語りのバイトを続けていると聞いたことがある。その後、絶えて消息不明となった。何しに大学にきたのか不思議な男の一人がKであった。

「ローリングストーンズ」の格好良さを教わったのもKであり、今もその点は感謝している。

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