〝ともだち〟というと最近は「二十世紀少年」が思い浮かびます。
あの映画の〝ともだち〟っていったいどんなメッセージだったんだろう。
たぶん友達になりたかったけど友達になれなかった子のやりきれない「思い」だったのかなぁ…
久しぶりに同級会で会った友達らとの昔話の回想のなかで、
「そういえば、そんなやついたなぁ…」
「なんていう名前だったっけ??」
みたいなシーンがありました。
クラスでは何をするにも必ず中心付近にいる人物とそこから離れていた人物がいます。
小学高、中学校、高校そして大学でも必ずそういう構図があります。
僕はいつもその中心付近にいる口だったのでいま思うと離れていた人の気持ちを思うことなどなかったかも知れません。
「二十世紀少年」を振り返ると今、そんな感慨に駆られます…
今日はまた、大学時代からの友達と恵比寿で一杯やってきました
だからかも知れませんが〝ともだち〟について帰りながら考えました。
彼も僕も学生時代は徒党を組んでそこそこ好きなことをしてきました。
どっちが「ケンジ」でどっちが「よっち」だかわかりませんが、
〝ともだち〟のことなど気にもせず好きなことをやってた記憶があります
年に一回くらい7~8人でその頃の友人たちと飲み会をすることがあります。
最近、確かになかなか名前の出てこないその他の〝ともだち〟がいますねぇ…
「二十世紀少年」で語られていない事はなぜ世界に宗教的な〝ともだち〟が普及したかです。
ストーリーはすでに〝ともだち〟が世界に蔓延した場面から始まります。
どんな経緯でそこまで〝ともだち〟輪が拡がったんだろう…
オウム真理教みたいなものだったのでしょうか。そこが未だミステリィです。
ま、それはいいとしてやはり友達はいいものです。
ほんとうの友達。昔からの友達は何でも正直に話せます。
会社とか何かの構造の中での人間関係はお互いに何がしかの取り繕いがあります。
表面上の仲良しに過ぎないと思います。
そんなしがらみのない喜怒哀楽をお互いに遠慮なく言える関係こそ真の友達でしょう。
こんな人が自分のほかにいること自体が人生のお宝だと思います
そんな絆を大事にしましょう 僕もそうします
※ コミックマニアではありませんが「二十世紀少年」全巻
及び「二十一世紀少年」上下巻を大人買いして読みました。
『最終章』の映画はまだ観ていません。
そのうちTVで放映されるのを心待ちにしています