スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
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パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

コスタリカ再訪(23) mini super で買い物

2016-02-09 17:58:09 | コスタリカ
 mini super (かつての pulpería) は日本のコンビニのようなものであるが、店内は暗く、宅配便や公共料金の支払いは扱っていない。ただ、携帯電話のチップは扱っている。
 スーパーよりは高いが、ちょっとした買い物なら、往復のバス代を払ってスーパーに行って買うよりは安い。生活必需品は大体そろっている。
 日本の醤油(Kikkoman で通じる)がほしかったのだが、これはなかった。今では普通のスーパーには置いてある。しかたがないので、中国醤油(salsa china)の小瓶を買った。630コロン(約130円)。
  
 【Tío Pelón 印の中国醤油。Tío は「おじさん」、Pelón は「ハゲ、髪が少ない」等の意。「ハゲおじさん」ブランドである。店の前に駐車している大型トラックに Tío Pelón の frijoles (フリホーレス、豆)の絵が描かれている。 】
 コスタリカには昔から中国系住民がいるが、グアピレスは特に多い。中国人との混血の方はかなりいる。この店も中国人の経営である。主人夫婦は広東系の1世で、時々、店に出ている幼い娘はコスタリカ生まれで、スペイン語が第一言語である。
 ところで、中国醤油はコスタリカで作られている。輸入だとこの価格ではすまないだろう。
 salsa china のほかにビールも買った。この店にあるのは Imperial と Bohemia である。前者は昔からあるが、後者は35年前にはなかった。Imperial の味は覚えているし、懐かしさも手伝って買った。昔よく飲んだのは Bavaria であるが、ないので仕方がない。1缶ずつでも売っているとは思うが、6缶セットを買った。サイズは小さいほうで、350ml である。6缶で4500コロン(約950円)である。冷蔵庫に入っていて、よく冷えている。
 この日のレジには奥さんがいた。やはり広東系だが、普通話(いわゆる中国語)もできる。
 余談ながら、広東語は cantonés というが、普通話は mandarín という。 mandarín の語源は「満大人(mandaren、清朝の満人官僚) 」であるらしいが、出典は失念した。
 ちょっと中国語で話してみたが、あちらの方が格段に上手なので、早々にスペイン語に切り替えた。主人は広東語とスペイン語を話す。
 昔は、pulpería (mini super) でカード払いをすることは考えられなかったが、今ではこの店だけではなく、たいていの mini super でもカード払いOKのようである。
 カード払いをするときの決まり文句は“¿Se acepta la tarjeta?”(セ・アセプタ・ラ・タルヘタ)である。
 キャッシュは要らないからといって、クレジット・カードを持たされて、買い物に行ったわけであるが、何の問題もなかった。レジでは暗証番号の入力ではなく、サイン(漢字)をした。
 これで、ミッション完了。帰宅。ビールを冷凍室に入れて、キンキンに冷やす。 

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コスタリカ再訪(22)滞在3日目 mini super

2016-02-08 11:35:40 | コスタリカ
  ココナッツ・ジュースを飲んで、また休憩していると、Turrialba に住んでいる義兄から翌日、魚を持って訪問するとの電話があった。  11時ごろ、昼食の準備のため、幹線道路を挟んだ向かいにある mini super へビールや醤油を買いに行った。
   
 今でこそ、mini super などというしゃれた名前がついているが、昔は pulpería といって、看板にもそう書いてあったものである。17年前はまだ pulpería といっていたはずである。36年前、初めてコスタリカに来たとき、pulpería は pulpo (蛸)を売っている店かと思ったものだ。普通、“~ería”は「店」を表す接尾辞である。たとえば、pan を売っている店が panadería、pizza の店が pizzería、mariscos (魚介類)を売っているのが marisquería である。衣類を洗って(lavar) くれるのが lavandería (英 laundry) といった具合である。そうすると、pulpería は「蛸屋」でなければならないのだが、実は「よろずや」なのであった。
 今では、ほとんどの店の看板は mini super となっていて、pulpería という看板はイラス火山の中腹の小さな集落でしかお目にかからなかった。小さな子供は pulpería という言葉を知らないかもしれない。筆者のように「蛸屋」の意味かと思うのではないだろうか。いずれ、死語になりそうで、さびしい限りである。
 余談ながら、pulpería のほかに、わからなかったのが、porquería である。porque は「なぜなら」という接続詞である。porqué は「理由」、por qué と分けて書くと「なぜ、どうして」という意味になる。しかし、「なぜなら屋」や「どうして屋」という店で何を売っているのか全然わからない。
 実は、porquería は「汚物、つまらないもの」等の意味で、puerco という言葉に由来するようだ。形容詞としては「汚い」という意味だが、名詞としても使われる。「豚」という意味である。英語の pork、イタリア語の porco と同源の語である。
 
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コスタリカ再訪(21)滞在3日目:pipa と coco 

2016-02-07 10:04:56 | コスタリカ
  夜明け前の4時ごろ寝たのだが、また8時前には目が醒めてしまった。起きたら、早速、朝食である。まず、フルーツはパパイヤをいただく。細長いパパイヤを縦半分に切る。皮はむかないで、メロンを食べる要領でいただく。それから、コーヒーにサンドイッチ。パクパク食って、また寝る。

 今度は9時半ごろ目が醒めた。生活のリズムは滅茶苦茶である。
 この日の朝は、うす曇り。この時期のグアピレスの朝は大体うす曇りである。快晴だと暑くて、たまらない。
 庭を見ると、椰子(スペイン語では coco)の実がたくさん落ちている。
   
 久しぶりにココナッツ・ジュースが飲みたくなった。女房に言うと、早速、なたを持ってきて、なたでココの実の外側の繊維質の部分をそぎ落とし始めた。
   
 そうか、ナタ・デ・ココ(nata de coco) の語源はここから来ているのか!?(“nata de coco” とは「ココナッツのクリーム」という意味)
 これから毎日ココナッツ・ジュースが飲める!しかも、タダ。ジュースを飲むだけではなく、内側に着いた白い膜(固形胚乳)もほんのり甘くておいしい。柔らかいものは、そのままいただくが、硬くなっていたら、お菓子にする。残ったジュースは保存して、冷蔵庫に入れておく。暑い日の午後の楽しみである。
 
 ところで、緑色の実は未熟果で、pipa と呼ばれる。道端でジュースとして売られているのは、こちらのほうである。一方、スーパーで売られていたのは熟果で、これが coco と呼ばれているのである。
   【cocos】
 中身のジュース(jugo、フゴ)は同じようなものではあるが、coco の方が熟しているだけあって、コクがあるような気がする。あまり熟しすぎると、ジュースが少なくなり、白い固形胚乳が大きく、硬くなる。 

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コスタリカ再訪(20)11月30日 滞在3日目 接続法について考えた

2016-02-06 11:01:30 | コスタリカ
  前日は9時半ごろ寝てしまったが、何と深夜12時ごろ目が醒めた。どうも寒さのせいらしい。グアピレスはサンホセよりだいぶ気温が高いが、それでも12月ともなると、いくらか涼しくなる。
 日本からパジャマを持っていったのだが、パジャマのズボンが見当たらなかったので、ステテコを代用にしていた。暑いときはそれでもよかったのだが、この夜は意外と寒かった。普段、毛布は使わず、シーツを毛布の代わりにしていたのだが、ステテコだけではやっぱり寒い。しかたがないので、ジーンズをはいて寝ることにしたが、なかなか眠れない。結局、夜中の2時に起きてしまった。眠れないので、ついスペイン語の接続法の問題について考えた。
 さて、英語でもそうだが、否定文では否定辞を前のほうに持っていったほうがいいらしい。
 たとえば、“I think it is not true”より“I do not think it is true”の方がいいんだとか。微妙なニュアンスの違いがあると思うが、まあ、結局、言いたいことは同じだろう。
 スペイン語の場合は、問題がもうちょっと複雑になる。英語には仮定法というものがあるが、スペイン語の場合は、接続法というものがある。英語の仮定法より使い道が広い。
 上の英語の例文では、すべて直説法が使われているが、スペイン語ではこうなる。
 英 I think it is not true.  西 Creo que no es verdad.(従属節は直説法)
 英 I do not think it is ture. 西 No creo que sea verdad.(従属節は接続法)
 この辺は接続法の基本的な用法として、初級文法で教わる。
 いまさらながら疑問に思ったのは次のことである。
 直説法過去には、点過去(ある時点で完了した過去、「~た」)、線過去(完了していない過去、「~ていた」)と2つの時制があるのに、接続法過去は点過去と線過去の区別がなくなり、1つしかないことである。
 次の文を考えてみた。
 No creo que él supiera la verdad.(英 I do not think he knew the truth.)
これだと、「(ある時点で)真実を知った」のか「(ずっと)真実を知っていた」のかわからない。英語だと、後者の意味のような気がするが。
 このような場合、文脈で判断するのか、それとも、接続法を使わない表現で、意味を明確にするのだろうか。
 否定辞を従属節に持っていく“Creo que él no supo la verdad.”という文を考えてみたが、「知らなかった」という場合、点過去形の supo を使うのは不自然である。
 “Creo que él no sabía la verdad.”と、線過去形を使うのが自然だろう。
 それはともかく、昔は接続法過去にも点過去と線過去の2種類あったのだろうか。
 こんなことを考えているうちに、4時前に空腹を覚え、パンを食べた。そうすると、たちまち眠くなって、また寝てしまったのである。  

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コスタリカ再訪(19)義姉の三男が語った話:その2 怪異譚 

2016-02-04 17:31:20 | コスタリカ
 義姉の三男が普段使っていない2階へ上がっていったところ、何やらゾッとする感覚に襲われた。何かはわからないが、何かいるらしい。
 2階はかび臭いとか、埃っぽいとかという理由で、1階に寝たいと言ってきた。正直に理由を言うと、笑われるとでも思ったのであろうか。筆者は何の疑問も持たず、表向きの理由を鵜呑みにして、みんな1階で寝ることにしたのである。
 さて、旅行のあとのことであるが、女房もテレビ電話で、現場にいないにもかかわらず、同じようなことを言っていた。
 また、別の機会に、女房が三国の家に来たとき、天井裏に大きな毛玉のような、あるはずのない怪しいものを見つけて、すぐに焼いてしまったこともある。夏の暑い日は2回の窓を開けっ放しにして出かけることもあり、鳥でも入ってきたのかと、思っていたが、それにしても奇妙ではある。
 また、あるとき、女房とテレビ電話で話していたときのこと。1階の台所に吊るしてあるオタマが1つだけ妙な揺れ方をした。吊るしてあったのはオタマだけではなく、他にもある。他のものは揺れていないのである。強い風が吹いていたようでもなし、大型トラックが通ったわけでもない。そもそも大型トラックが通るような道ではないのである。
 筆者は別段気にもしていなかったのであるが、女房がテレビ電話で教えてくれた。ただし、ウェブ・カメラは台所に向いてはいなかったのだが、女房には、わかるのである。
 女房も義姉の三男も霊だか何だかを感じる能力があるらしい。女房殿関連の怪異譚については、「怪異譚(1)」、「怪異譚(2)」、「怪異譚(3)」、「怪異譚(4)」をごらんいただきたい。
 筆者はまったく鈍感であるが、家の2階に何かいると聞かされると、やっぱり気味が悪い。これだけの理由ではないが、その後、引っ越してしまった。
 それにしても、10年たって、やっと当時の真相がコスタリカで解明されることになろうとは。
 
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コスタリカ再訪(18)義姉の三男が語った話:その1 

2016-02-03 19:42:42 | コスタリカ
  カリアリの義姉宅では、義姉、その夫、長男とその恋人、次男とその恋人、三男に会った。このうち、義姉と次男、三男が義母とともに、2006年に日本にやってきたのである。筆者も添乗員として、旅行に付き合い、京都、奈良、姫路、岡山、倉敷、宮島などを回ってきた。
 一行は成田空港に来て、それから、東京から上越新幹線で長岡へ、そこで在来線に乗り換えて、柏崎までやってきた。筆者は福井に単身赴任中で、柏崎には隔週の週末に帰っていた。柏崎の自宅に帰ったとき、福井県三国町までワゴン車で連れて行き、三国の家にご一行様を泊めたわけである。
 三国の家は2階建ての借家である。1階は筆者が普段使っていたが、2階には行かない。2階には2部屋あり、4人が十分泊まれる広さである。
 そこで、2階に寝てもらおうと思ったのだが、普段使っていないものだから、カビっぽいとか埃っぽいとかという理由で、みんな1階に寝ることになったのである。
 そのときは、もっともな理由だと思ったのであるが、実は、そうでもなかったのである。
 
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コスタリカ再訪(17)コスタリカの新聞日曜版など 

2016-02-02 17:35:52 | コスタリカ
(承前)
 義姉の家は郊外で、幹線道路に面していないので、静かである。ぐっすり寝られた。6時ごろ、目覚めるともう外は暗くなっている。
 7時ごろ、辞去することにしたが、ゲートを出ると、ピストルを持ったガードマンがいた。昔に比べると、治安が悪くなっているようだ。
 グアピレスに向かう。もちろん、義姉の長男の運転である。郊外の自宅に向かう前に、グアピレスの中心街(centro)を車で回った。11月末ではあるが、公園は、もうクリスマスのイルミネーションが点されている。
 自宅に着いててみると、テーブルの上に、パンや野菜などがたくさん置いてあった。留守中に義弟が届けてくれたようだ。新聞も一緒に置いてあった。なつかしの La Nación(The Nation) の日曜版(dominical)である。
 よく見ると、La Nación ではあるが、Revista Dominical と表紙に書いてある。また、表紙は紙の質もよく、スムーズで、きれいなカラー写真が載っている。中の紙は普通の新聞用紙である。 
 
 中身は、芸能・趣味欄ばかりで、政治・経済・社会の欄はない。休刊日の代わりに刊行しているような印象である。昔からそうだったかどうか、記憶があいまいである。
 これで500コロン(100円強)である。
 帰宅後、9時半ごろまで、うとうとして、パンを食べて、寝る。夜は涼しく、扇風機は不要だった。
 まだまだ時差ぼけから回復していない。 

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