サンホセの手前にサンペドロ(San Pedro)という町がある。一応、サンホセとは別の町にはなっているが、サンホセ市の東部地域という感じである。コスタリカ大学がこの町にあり、筆者も37年前に住んでいた。そのころは、信号がないところでも道路を横断できたものである。
カルタゴから幹線道路をどんどん進んでいくと、サンペドロが近くなってきた。San Pedro という道路標識が見えたので、指示通り、進んだ。ここから先は道も狭くなってくる。ゆっくりではあるが車も動いてはいたのだが、とうとう全くといっていいほど動かなくなった。歩いたほうがよっぽど早い。単なる渋滞としてはおかしい。
想像していたことだが、やっぱり事故であった。道の真ん中に車が1台止まっているのである。前部がだいぶ壊れている。ただ、猛スピードが出せる道ではないので、死亡事故があったようには見えない。せいぜい軽傷であろう。運転手もいなかった。警察が事故車を撤去に来るのだろうが、大渋滞でなかなか来られないのだろう。
事故現場は車が1台通れるほどのスペースしかない。何とか現場を抜けると、あとは大渋滞がうそのようである。ところが、抜けたのはいいのだが、道がよくわからない。道路標識も不十分で、現在位置もよくわからない。町の様子も昔とはだいぶ変わっている。筆者の頭の中にあるサンペドロの地図は37年前のものである。というわけで、女房殿に任せるしかない。
コスタリカ大学の入り口近くに公園(Parque John F. Kennedy)があり、ケネディ大統領(のはず)の胸像がある。この像が見えたので、サンペドロの街中にいるのは間違いない。
何とか、サンホセ方面へと進むことができたが、幹線道路ではなく、南側の住宅地を通っている。Los Yoses (yos とはトウダイグサ科シラキ属の一種)という標識もあった。このあたりは高級住宅街であったが、いまも高級そうである。坂も多いのだが、昔は車が少なかったので、車がビュンビュン走っていたが、今は車が多いので、なかなかそうもいかない。
そろそろ空腹を覚えてきた。サンホセ市の西のはずれにある、女房殿お薦めの中華料理屋(Flor de Loto「蓮の花」)を目指す。Los Yoses を抜け、サンホセ市街地の南側に入る。このあたりまで来ると、道はなんとなくわかる。
無事に市街地を抜けて、西部の Sábana (「シーツ」の意)に入った。中華料理屋は人気店でわかりやすい。店の前の駐車スペースに止めて、中に入った。客は中国系ではないコスタリカ人がほとんどである。料理もだいぶコスタリカ風にアレンジしてある。コスタリカ料理はあまり辛くないので、ここの中華料理も辛くない。中国人とのハーフである義父もこの店がお気に入りだったそうだ。
コスタリカの中国系の一世の多くは広東系なので、広東料理がベースになっているのだろう。辛くなくて、日本人の口にも合う(筆者は辛いのも平気であるが)。
昼食が終わったのは3時前だったかと思う。いよいよ、これからアラフエラに向かう。乾季に入ったばかりなので、午後でも晴天、コスタリカ晴れである。
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