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迷える古羊、どこへ行く/パーティ券不正

2023-12-31 21:57:42 | 日記
●2023年12月31日(土・大晦日)
長年続けてきた当ブログであるが、毎日ノートに下書きは残すものの、真面目にやらなかったせいでどんどん遅れていって、今年の7月には遂に1年遅れとなってしまった。
それを最後に何となくフェイドアウトしてしまったが、今日は最近思うことをちょこっと述べてみようと思う。

☆そうそう、その前に・・・
父が亡くなった。7月にコロナで入院・退院したあと、「自分は寝ているだけだから、お母さんには絶対に迷惑は掛けないから」と言って、頑固に施設・病院に入ることを拒否し続けた父ではあったが(自分から見て、実際には母には相当の苦労を掛けていたと思う)、その内一歩も歩けなくなり、食事も喉を通らなくなり、点滴を打つようになり、遂に今年の11月9日、息を引き取った。享年98歳(満)。

母はというと、今年3月に大動脈弁狭窄症という病名だったかな、心臓の病気でカテーテル手術を受けた。(母の入院中、父の世話をするため自分は実家に泊まり込んだ。この頃、父はまだ辛うじて自分で起き上がって、台所で3食食べることは出来ていた)
で、手術も無事に終わり退院して家に戻ってきた後の3月24日、母は外に買い物に出たのは良いが、転んで救急車で病院に担ぎ込まれた。幸い大した怪我もなく、その日の内に病院は出たのだが(自分は麻雀中に連絡を受けてからすぐにタクシーで病院に駆けつけ、母と実家に戻ったのはもう夜の8時くらいだったかな)、結局それ以来、母がマンションの外に出たのは心臓手術のあとの診察と父の葬儀の時だけ。(どちらもタクシー利用)
なので3月以降、自分はチャリで週に4~5回は実家に行き、食料を買いに行く日が続いた。異常気象の猛暑の中、チャリンカーの自分にとって今年の夏は本当にキツかった。

父が亡くなった後、母はガクンとくるかと思ったが意外に元気で、恐らくはやはり父の面倒を診るのが非常に大変だったので、それがなくなってホッとした部分もあったのだろう。

一つ勉強になったことは、ハッキリ言って父は職業軍人ということもあり、また、父の精神的基盤は儒教というか神道というか、日本古来の伝統的な価値観の持ち主であり、性格はとても厳格で折り目正しい人であり、真っ直ぐで妥協することのない人だったので、そういう意味では母は長年相当苦労してきたと思う。その上ここ何年かは老人性ウツも加わったせいであろうか、特に最近は父は母に向かって大きな声を出してもいた。母は父の生前、ちょこっと愚痴をこぼすことがなくはなかったけど、でも父が亡くなった後は父の悪い面は一切口にせず、ただただ「厳しい人だったけど、本当に優しくしてくれた」と感謝の言葉しか言わなかった。

そこは自分とは全く異なっている点で、勉強になった点だ。

そんな母であったが、父が亡くなって10日ほど経った頃かな、背中が痛いとか何とか言い出して、いつ実家に行っても椅子に座ってウトウト寝ていたり、ベッドに横になっていたり。その内、果物やお菓子やプリンやサンドイッチや寿司やデパ地下のちょっと高めのお弁当などなど、何を持っていったら食べてくれるんだろうと色々考えて買っていくのだが、何を買っていっても甘いとか不味いとか文句ばかり言って、ほんのわずかしか口にしないような状態になってしまった。食事もしないし、看護師や医者が勧める栄養飲料も食材もほとんど、というより全く口にしないし。

トイレに起き上がるにしても、一人で痛みを堪えて時間を掛けて起き上がれなくはないのだが、自分がいる時には介助して起きて歩く状況。
自分が時間を合わせて実家に来ていれば問題はないが、それ以外は看護師が来ても、ヘルパーが来ても、医者が来ても、母自身ではオートロックの解錠にも時間がかかり、間に合わないことも。(長いこと待たされ、留守なのかなと痺れを切らして帰ってしまう)

自分には看護師の代わりはできないし、これはもう自分が世話ができる範囲を超えていると思っている内に、水曜日に実家に行くと母が倒れていて起き上がれずにいて、木曜日はヘルパーから「(母が)出てこないから帰ります」と電話があって、なので麻雀をしていたのを切り上げてタクシーで飛んでいくと、やはり転んで動けなくなっていたり。

ということで、木曜日の午後3時に看護師が来るのを待って相談してみた。ケアマネージャーにも連絡して、もう入院するかどこかの施設に入るか、それしかないと言うと、折り返しで、明日入れる老人ホームがあったと言う。
即決。(費用は、入居金一切なし、月29万8000円。場所は杉並区上高井戸)

なので母は12月15日から老人ホームにいる。ただ、それから自分はホームには10数回会いに行っているが、相変わらず毎食1口2口しか食べていないとのこと。
家にいた頃は1日に1口か2口だったので、[1口か2口]X3食ならばほんのわずかながら改善と言えなくもないが、やはり心配である。

父が亡くなった後、自分は役所関係の手続きやら相続関係(相続については父の意向で数年前から父母それに証券会社も交え、2次相続(父のあと母が亡くなったときの相続)も含めて何度も話し合っていた)のことやらで、何かと忙(せわ)しない状況だ。

☆さて、なぜ久し振りにこのブログの記事を更新する気になったかというと、最近の自民党のパーティー券収入不記載・裏金をめぐる問題がきっかけだ。最近しばらく記事を更新するかどうか迷っていたが、父母のこともあったし、年末でもあるし、久し振りに“筆を執る”ことにしたというわけだ。

自分がこのブログを始めたのはDOKKEN(六本木時代)の頃からで(ブログ開始から18~19年くらいは経つだろうか)、当時は店のことが主だったと思うが、店を止める前後くらいからは知ったかぶりで他人(ひと)から嫌われそうな小難しい話も増えていったと思う。

そんな中で一貫していたのは、政治家批判だ。特に政治とカネの問題。無能・無策、口先だけで何も改善しない、国民を無視し国民のためにならない無責任な政治を長年続けていることに対する憤りもあるが、カネの問題については「政治家は汚い人種」と決めつけ、問題が起こる度に「反吐(ヘド)が出そうになる」と罵倒してきた。

政治家は「清く 正しく 美しく」なければならないと、それこそ何度言ってきたことか。

むか~しの話だが、自分が大学を出た頃、田中角栄が全日空の航空機購入をめぐってロッキード社から賄賂を受け取ったということで逮捕されるという疑獄事件が起きた。
金権政治の醜さに呆れ果てた自分は、そこできっぱりと政治には手を出さないと決めた。つまり、それ以降一度も選挙には行ってない。選挙に行って投票することは、カネに汚い政治家に生活の場、つまりはカネ儲けの場を提供することに外ならないと思ったからだ。

残念ながらその後も頻繁に贈収賄事件が発生。そして起きたのがリクルート事件や佐川急便事件だ。国民の批判が集中したので、政治家どもは「政治とカネの問題を透明化する」とか「国民の信頼を取り戻す」とか何とか綺麗事を並べ、先ず作った一つが政党助成法。

これは税金の中から国民1人当たり250円、総額にして310億円以上の金をいくつかの要件に応じて政党に振り分けるというもの。
(共産党はこの法律に反対しているので、交付金(助成金)は受け取っていない)
(これはあくまでも政党に支払われるものであるが、もし仮に政治家個人1人1人に均等に払われたとしたら1人当たり4000万円にはなる計算だ、と思う。)

こうして、取りあえずある程度の収入を確保した上で、カネに意地汚い政治家どもは「透明化」と称して、実際は自分達のカネ儲けの方法(抜け道)を考え出す。政治資金規正法を“改正”したフリをして、最終的に出来たのが全くのザル法である今の規制法だ。

それまでOKだった個人からの政治献金を禁止した一方で、企業や団体からの献金はOKとした。これって、おかしくない? 個人にとって例えば20万円はそうちょこちょこ出せる金額ではないかもしれないけど、企業なら個人よりは軽い気持ちで出せるということもある。それに、企業から献金を受ければ、当然そこで企業との癒着・利益誘導という問題も出てくる。自分はそう思う。
確か河野洋平だったか誰だか忘れたけど、自民党の人間で「企業献金は当然なくすべきだった」と後悔の発言をした人間がいたようないなかったような。

また、政治家本人への献金は禁止した一方で、政党や政党支部への献金は認めた。

そして非常に巧妙な抜け道として考えられたのが、政治資金報告書に支払い側の名前などを公開(記載)すべき基準が、寄付をした場合には年間で5万円を超えた場合であるのに対して、パーティ券を購入してもらった場合には1回のパーティで20万円を超えなければ、政治資金報告書には誰からもらったか名前を記載しなくてもよいとした点である。1回20万円までなら年に何回かパーティ券を購入した場合でも自分の名前が出ないから、パー券を買う側にとっても売る側にとってもメリットがあるわけだ。こうして基準を非常に甘くした結果「透明」とは全くほど遠くなってしまい、今回の事件の下地にもなったと思う。

どの派閥もパー券を売るのに躍起となっているが、去年分についてNHKが調査したところによると、国会議員関係の政治団体が集めたパーティ券収入の内の約94%分については、政治資金報告書にパー券購入者の名前が記載されていなかったという。

政治家にとっては「透明性」なんてどうでも良い。いや、むしろ「透明」にしたくないのである。

挙げ句の果てに、各派閥はパーティ券を販売する時には所属議員に対してノルマを課し、そのノルマを超えた分は政治資金報告書に記載することなく議員側にキックバックしていだというのだから呆れる。完全な裏金ではないか。
昨日聞いたところによると、複数の議員はノルマを超えた部分については、始めっから派閥側に納めないで自分のポケットに入れちゃうという、いわゆる“中抜き”をやっていたんじゃないかという疑いも出てきたようだ。

アベ派のパーティ券を売っていたというアベ派議員の関係企業の元社員は、
「『20万』というのはひどく言われました。『超えないように』と。何故だか分からないけど、名前が出るのがちょっとマズいのかなと思いましたけどね」

アベ派幹部の支持者で派閥のパー券を毎年購入しているというある会社役員は、
「封筒に入って何枚かドカンと送られてきて、それをさばいてくれよと言う時も有るし、自分達で払い切ることもある」
「仕事の付き合いもあるので、断るわけにはいかない。事実上の企業献金なんですね。パー券を買ったからっていってプラスにはならないけど、買わなくてマイナスということは大いにあります」

20年前からパー券を買ってきたという人は、
「食事や飲み物を用意すると経費がかかるので、せっかく集めたお金が無駄になる。(秘書は)全員来たら赤字になりますっていう言い方をしてました。人集めじゃなくて、お金集めですね」

アベ派の元防衛副大臣、
「喋るな、喋るな。これですよ」と、アベ派の上の方から口止めされていたことを暴露。何とか真実を覆い隠そうという上層部の姿が見えてくる。
さらに元副大臣、自分の収支報告書に派閥からのキックバック分を記載しなかったのは、派閥からの指示があったからだとも暴露。

もう、政治家のやっていることは滅茶苦茶で、節操がなく、正義もなく、隠蔽体質で、しかもカネには貪欲ということである。

岸田は、中立的立場がどうのこうのという理由だったかな、とにかく立派な理由をつけて自らの岸田派会長という立場を退いた。
しかし、中立的立場というのであれば岸田はもう2年以上も前に岸田派を離れて然るべきであった。
というか、ちょっと記憶が曖昧だけど、自民党には倫理規定だかなんだかがあって、閣僚になった人間は派閥を離れるとか何とかいう“決まり”があったんじゃなかったっけ。
もしそういう倫理規定があったとしたら、誰もそんなことを守ってないし、岸田が今頃になって会長を辞めること自体「何を今さら。チャンチャラ可笑しい」と言うしかない。自民党の人間に「倫理の観念」はないということになる。

公明の山口代表はSNSの中で、
「最近、自民党は不祥事が多いですよね」ときかれ、
山口、「多すぎます」
「滅茶滅茶叩(たた)かれていますよね」
山口、「当然ですね。同じ穴の狢(むじな)とは見られたくないです。しかし、やっぱり連立政権だから、公明党がもう政治資金規正法の改正を検証し始めました。『ここはマズい』とハッキリ言うし、『こうしたら良い』と建設的な提案もしたい」
と言っている。
自分に言わせればコイツもとんでもない食わせ者だ。長いこと自民と連立を組んできて、自民の汚い部分はいくらでも見てきたはずだ。自分みたいな愚かな人間でも自民は醜さで満ち溢れていると感じている。山口に自民党の負の部分が見えないはずはない。十分承知していたはずだ。

だから、山口は本当だったら今度の不祥事が起こるずっと前に「ここはマズい」と自民党に言うべきであった。山口は自民党の金権体質を黙認していたにも拘(かかわ)らず、今頃になってまるで自分が聖人君子であるかのような発言をしている。
自分に言わせれば、山口は裏表のある信用できない人間ということになる。

あと、もう一つ気になったのが、一般の人たちのコメント。
「考えられないことですね」
「正直にやってほしかった」
「ハッキリ説明を先ず市民にしてほしい」等々。

皆、そんなに若い人でもない。自民党がいかに汚い人間の集まりであるかということを知る機会はいくらでもあったはずである。
なのに今さら「考えられない」はないんじゃないかな。十分に考えられたことである。この人、ちょっとお人好し。
「正直にやってほしかった」って言うけど、今まで散々「不正直」を繰り返してきた人間に向かってそんなことを言っても無駄。
政治家は「丁寧な説明」をバカの一つ覚えみたいに言うが、丁寧な説明があった例(ためし)はない。望むだけ無駄。

今回の「パー券不祥事」で思うことは人それぞれであろうが、自分の思いは「あっ、またか」、「政治家は汚い人種という大昔からの考えは、やはり間違っていなかった」である。

他人(ひと)の考え方に指図をするつもりはないが、これを機会に自民党の体質・本質、そして政治家という人種の本当の姿がどのようなものであるか、今一度しっかりと記憶に留めておいてほしい。

政治家は様々な人間がうごめく社会の中にあっては、大衆の手本となるくらい最も清廉潔白な人間でなければならない。最も「清く 正しく 美しく」あらねばならない。
しかし、実際は全く逆で、カネには非常に汚い人種と成り下がっている。国民そっちのけでカネ集めに血眼になっている。

こんな汚い人間が政治を牛耳っている限り、日本はいつまで経っても良くならない。良くなるわけがない。どんどん力を落としていく。ドイツに抜かれ、その内インドにも抜かれ、韓国にも抜かれていく。

今の日本の政治家に日本を良くする力はない。かつての力強い日本に復活させる力はない。