●6月7日(金)
*明日ウチに来る予定だったWさん、都合が悪くなったと連絡あり。誰か他のメンバーを探さなくては。
*足につける重りは、チャリに乗っているときにチャリと擦(す)れて穴が開いてしまい、中の物がポロポロ落ちてくるので、今日は着けずに出かける。
麻雀会。今日は調子良かった。
ウチでやる予定の麻雀に来られなくなったWさんの穴埋めとして、初めての人に声をかけたら来てくれるという。明日の麻雀、ポシャらなくて済んだ。良かった~。
シニア館を出ると結構強い雨。
どこのスーパーにも置いてなくなっちゃった瓶入りのビールが珍しく置いてあったので3本買った。(プレミアム モルツのマスターズ ドリーム) 明日は少なくとも2人はビールが好きなはずだ。
階段。ジャンプは足の重りがないので500回。(もしかしたら550回)
*関東地方が梅雨に入ったと見られるとのこと。(九州北部、中国、四国、近畿も)
*一人の女性が生涯の内で何人の子供を産むかを推定する合計特殊出生率は1.42で前年より0.01下がったとのこと。
アベは2015年9月に新アベノミクスを発表し、その第二の矢が希望出生率1.8の実現であった。希望出生率とは結婚して子供を産みたいという女性の希望が叶えられ実現した場合の出生率。
だから希望出生率より合計特殊出生率の方が低いということは(1.8>1.42)、結婚はしたものの色々な事情・理由(仕事や家庭や所得など)で出産や第二子・第三子を諦めたということになる。
政府は出産を妨げる色々な事情を取り除いて、結婚・出産を支援しようと様々な手を打とうとはしているけど(幼児教育・保育の無償化、育児休業の取得促進、三世代同居の推進、不妊治療助成など)、実際にはどうなの? 「女性活躍」は全然効果をあげていないんじゃないの?
政府は、未婚女性の内、結婚したいと思っている人の割合は約9割だと言っているけど、実際にはどうなの? そんなに多くの女性が結婚しているとは全然思えないけどなあ。未婚率、高いよなあ。
給料は低いし、家賃は高いし。
合計特殊出生率1.42が全てを物語っている。
希望出生率1.8の実現をアベノミクスの第二の矢として約束した達成期限は2025年だったかな。その時になっても恐らく実現は不可能だろう。
その時政府がどんな言い訳をするのか楽しみだ。
アベの八方美人的、口先だけの大風呂敷の尻拭いをさせられるのは次の首相だ。
●6月8日(土)
*今朝、体重が最近としては一番多い60.8kgになっていた。昨日、久し振りに辛ラーミョンを食べたせいというわけではないと思うけど、警戒ラインに近づいてきた。
*イギリスのメイ首相は保守党に党首辞任届けを提出。新党首が決まり次第首相も交代となる。
*サニブラウン選手、100メートルで9.97秒の日本新記録を出した。最近そんな勢いがあったよね。遂にやりました。
*メキシコとの貿易赤字に不満を抱くトランプは、メキシコからの輸入品に対して中国と同じように関税を上乗せするぞと脅しをかけていたいたが、これを無期限延期にすると発表した。メキシコとの協議がうまくいったからというのが理由。
とはいえ、中南米各国からメキシコまでやって来てアメリカに流入しようとする難民への国境対策が不十分であるとして、メキシコからの輸入品に追加関税をかけるぞとトランプが言ったこと自体が、そもそも間違いである。
難民・国境管理と貿易とは別問題である。
トランプの思考回路は何でも脅しが基本だ。言うことを聞かない奴は力ずくで屈服させようとする。
アメリカにとってメキシコは中国に次ぐ輸入相手国。メキシコからの輸入品に対して上乗せの関税をかければ、結局高い商品を買わされるのはアメリカ国民である。それは中国からの輸入品についても同じ。
アメリカではただでさえ中国との貿易摩擦で先行き懸念が高まっているというのに、更にメキシコからの輸入品が値上がりすれば、アメリカの経済に少なからぬ打撃を及ぼすことは確実。
トランプの高圧的追加関税手法に対しては、国内各所から批判・突き上げが高まっていた。
来年の大統領選挙に向けて何よりもアメリカ経済を最優先させるトランプとしては、今回は珍しく強硬な姿勢を引っ込めて一歩引いた形である。
*午後1時、皆さんがウチにやって来て麻雀。
Nさんに、自分が40代、長髪だった頃の写真を見せた。
そしたらTさんが、
「りんけんバンドって知っている?」
「いや~、日本のバンドはあまり知らない・・・」
「いや、向こうのバンドよ」
「あっ、分かった。もしかしてリンキン パークのこと?」
「そう、そう、そう」
隣の部屋からリンキンのTシャツを持ってこようと思ったけど、麻雀やっててすっかり忘れてしまった。
●6月9日(日)
*母から電話あり。父の体調があまり良くなくて、食欲もなく、ガクッと痩せてきちゃったと言う。それで、火曜日には病院に行かなきゃならないんだけど、父一人にしておくのは不安なので朝来てほしいと言う。
「それじゃ7時40分くらいに行くよ」
と言ったものの・・・ 7時にはイエを出なきゃ・・・ 自分には早すぎ・・・
*金曜に行こうと思った社協の見守りボランティアに行くことにした。
足につける重りに穴が開いて、中のツブツブの物質がポロポロ落ちてくるので、ガムテープを貼って落ちないようにしてから足に巻いた。
外に出ると同時にポツポツ降りだして、Sさんのアパートに着く頃には音を立てるくらいの雨になった。
「こんにちは。お元気ですか? いや~、外は音を立てて雨が降ってきましたよ」
「悪いね、いつも。うんと時給もらってね」
「いや、ボランティアですから」
「そうなの? 悪いね」
「いえ。脚の神経痛の具合は如何ですか?」
「うん、もらった薬を多目に服(の)んでいたんだけど、決められた量を服むようにしたら大分楽になってきたよ。薬ってちゃんと決められた量を服まないと駄目なんだね」
「え~、勝手に服みすぎたら駄目ですよ。でも良くなってきて良かったですね。テレビ体操はやってらっしゃいますか?」
「うん、見られるときはやってるよ。最近、メダカを飼っているんだよ。金魚も。大久保通りの熱帯魚屋で買ってきたんだ。そこのマルエツで発泡スチロールの箱をもらってきてさ」
「そうですか。今から50~60年前、子供の頃、親戚が船橋に住んでいたんですけど、船橋駅から私鉄で3つも駅を行けば、もう田んぼと畑だらけでしたからね。私も田んぼでメダカをとってきて飼っていたことがありますよ」
「僕も新潟にいたときはメダカを網ですくって、家で味噌汁に入れて食べてたよ」
「えーっ、メダカを食べるんですか? それは・・・ 田んぼにドジョウもいましたよね。ドジョウも飼っていましたよ」
「そう、そう。ドジョウが美味しいんだよね」
「メダカや金魚がいると気が紛れて良いですよね。私も30年くらい前に離婚したあと、寂しくてモルモットを飼っていましたよ」
「僕も昔モルモットを飼っていたんだけど、外に連れていったら野良猫がサーッと来て、咥(くわ)えて逃げていっちゃった」
雨が小降りになってきた。
「それじゃまた来ます」
小降りになったので遠いけど運動のため新大久保まで歩くことにしたが、まだ新大久保まで先は長いのにまた本降りになってきた。
冷凍品他買い物。雨だし他の店に行くのは止めた。
階段もジャンプもなし。
やっとイエに着いたって感じ。疲れた。
*G20の財務相・中央銀行総裁会議と貿易担当者会議が行われたが、「自由貿易の重要性」と「保護主義に対抗」は共同声明に盛り込まれなかった。
会議後のアソー財相、「この会合を通じてG20の団結、相互理解と協力の精神を再確認できた」
どこが?
気に入らないやつにはガンガン追加関税をかけるトランプにとっては、相互理解なんて以ての外(もってのほか)。
自由貿易なんかクソ食らえ。保護主義のどこが悪いんだ。
アメリカさえ良ければ他の国がどうなったってそんなことどうでも良い。
アメリカ第一。アメリカ万歳。
*一週間ほど前ではあるが、水俣病に関するNHK番組があったのでお伝えする。
鹿児島県伊佐市の山あいの集落に住む村上さん(89歳)は、かつて、20キロ離れた水俣市から旧国鉄山野線で運ばれてくる魚を自分の店で売っていた。
しかし39歳の時(昭和44年)、脚に痺れを感じるようになり、立つのも楽ではない状態に。医者からは原因不明の“奇病”と言われたが、原因不明の病だと周囲に知られれば謂(いわ)れのない差別を受ける恐れがある。子供たちを一人前に育て上げて社会に出すまでは、病気のことはどんなことがあっても口には出すまいと心に決め、不安と恐怖に一人で戦ってきた。
そんな状況がやっと変わったのは今から7年前。集落のある住人が声をあげたことで、ようやく医師団が調査に取りかかることになって集落にやって来た。その結果、検査を受けた15人全員が水俣病と診断される。
水俣病とは、化学工業メーカーであったチッソが、有毒な有機水銀を含む排水を水俣湾に垂れ流しにしたため、魚が水銀に汚染され、その魚を食べた人たちが水銀中毒にかかり、神経に異常をきたした病気である。
水俣病の公式確認は昭和31年。
国が公害に認定したのが昭和43年。
医師団の検査を受けた集落の15人の内の一人、村上さんもようやく長年自分を苦しめてきた“奇病”の原因が水俣病だと分かった。
しかし、それ以降村上さんは、今度は取り返しのつかない新たな後悔に苦しむことになる。
水俣から鉄道で運ばれてくる魚を地域の住民に売っていたのは、外ならぬ自分の店だったからである。
集落の人たちを水俣病にさせてしまったのは自分だという罪悪感を何とか償おうとして、村上さんは国や県に医療費の補助などを求める救済活動に積極的に力を入れるようになる。自分はどうなっても良いけど、他の人は何とか助けてあげたい、という思いから。
ところが、ここに一つの壁が立ちはだかる。
水俣病特別救済法による救済対象地域は、水俣湾や周辺の海に面した九つの市町村の沿岸部が対象。村上さんが住む内陸部の伊佐市は救済対象地域からは外れている。
つまり、水俣病と診断された人であっても救済対象地域外である伊佐市に住む人は、水俣の魚を食べたことが証明されなければ、医療費などの救済を受けることはできない。
そんな中で唯一救済対象となった伊佐市のある夫婦がいる。この夫婦の場合は、50年以上も前に水俣で給油したガソリンの領収書の束を保管していた。仕事で頻繁に水俣に通っていたことが証明されたので、水俣で魚を食べていたと推測されるということで救済対象となった。
魚を食べたという直接の証拠はないが、水俣で魚を食べたことは推測できるとして救済対象となったのである。
この夫婦が救済の対象になって本当に良かったと思うが、ただ、一般的に考えてみて、普通の人がそんな50年も前の領収書を保管していることがあるだろうか。50年前に買った魚の領収書を今でも持っているだろうか。
伊佐市で国や県の救済を訴える他の32人の人たちは誰一人として、水俣の魚を食べたという証拠を提出することはできなかった。当然だ。
村上さんは、救済を求める活動を何年も続ける中、国や県を相手に何度も何度も訴え続けて時間と労力を遣(つか)ってきた中で、一つの諦めに似た気持ちが生まれてくる。
「もうよか。もうなんにもならん。行けと言われりゃどこにでも行ったけど、どこに行っても、誰にお話ししても駄目やった。諦めが肝心じゃ。自分の治療を早くした方がよか。鍼(はり)に行ったりして、ちゃんとしやんせ」
国や県、日本のお役所・政治家なんてこんなもんだ。
救済の対象となるためには50年前に水俣の魚を食べたという証拠を出せ、そんな無理難題を水俣病患者に押し付けた。
救済が認められた夫婦が出した証拠は水俣にあるガソリンスタンドの領収書の束。ガソリンの領収書は魚を食べた直接の証拠にはなり得ないが、伊佐から水俣へ頻繁に行ったのだから、きっと水俣で魚を食べたであろうという、かなり緩い推測でもって救済対象に認定された。
とてもラッキーなケースだ。
一方、海から離れた伊佐市に住む人たちは魚を一切食べなかったのであろうか。
水俣から伊佐市を通っている鉄道があった。その鉄道によって伊佐に魚が運ばれた。だから伊佐の人たちも魚を食べることができた。
50年、60年前、伊佐の人たちが他に何か魚を口にする方法があったのか。
そう考えれば、例え海から何十キロも離れていようと伊佐の人たちが水俣の魚を日常的に食べていたことは、証拠なんかなくたって理解できる。そんなこと小学生だって分かる。
例え推測であっても、こんな当たり前の考え方すら認めることなく、あくまでも証拠を出せと迫り、結果的に救済を拒否する国や県。
そもそも、救済対象となった夫婦は水俣でしか魚を食べなかったのか。水俣に行った時にどのくらいの割合で魚を食べたのか。水俣と伊佐で魚を食べる割合はどのくらいだったのか。他の皆と同様、伊佐でも魚は食べたはずである。
夫婦がとても緩い推測で救済対象となったのであるから、例え証拠がなくたって、小学生にだって分かる確かな推測によって、32人の人たちについても救済対象にすることは簡単に出来るはずである。
日本のお役所・政治家は駄目だ。まるで国民に寄り添っていない。口では立派なことを言っても現実はこんなもんだ。
「もうよか。もうなんにもならん」
血の通わぬ政治、アベ政治。