(今日は1.5日分です)
8月5日(木)
バイトはお休み。
午前中、「老婆」と一緒に世田谷区役所へ。「老婆」がマンションを借りるのに住民票のような物が必要。暑いし、気が乗らないので、今日の移動、チャリは止めておいた。
午後はブログ3日分。
渋谷の女性の店でDVD関連を少々。
Yちゃんに電話して、引越しを手伝ってもらう予定を8日から、明け渡し日当日でギリギリだが10日の午前中に変更してもらった。
2日間延ばしてもらったら、急にのんびり気が緩んじゃって、片付けるよりも、T美さんに録ってもらっていて未だチャンと見てない「ためしてガッテン」を、この際だからということでついついまとめて見ちゃったりして、おまけにウトウト寝ちゃったりするし、片付けの方はサッパリ・・・
夜中の12時半、お隣のママがドアを開けて入ってきた。ノックの音がしたようなしなかったような・・・ 誰か来たかな~と思っている内にドアが開いた。こちらはTバック1丁のみ・・・
食事抜き。
8月6日(金)
今日は、広島原爆の日。式典にアメリカの大使が初めて参加するだとか、国連の事務総長が初めて参加するだとか、例年よりいくらか注目度が高いようだ。
アメリカは広島、長崎への原爆投下に関して、戦後一貫して「原爆を投下しないであのまま戦争を続けていたならば、何百万人というアメリカ人の人的被害が出たであろうし、戦争を早く終結させるためにも原爆投下は必要だった」という見解を取っている。
皆さんは「ゲルニカ」をご存知であろうか。1930年代のスペイン内戦の折、政府に対抗するフランコ将軍の反政府軍をヒットラーが援助し、スペインの都市ゲルニカをドイツ空軍が空襲した事件で、何百とか千何百人とかの犠牲者がでている。また、世界で初めての無差別の都市空爆としても有名で、この空襲によりナチスドイツは世界中から非難をあび、ナチスドイツの残虐性を示す例としても引き合いに出されることになる。
ピカソがこの事件に衝撃を受けて描いた「ゲルニカ」を、教科書か何かでご覧になった方もいらっしゃると思う。
さて、「広島」「長崎」のおよそ5ヶ月前の昭和20年3月10日、アメリカ軍は東京の下町に大規模な無差別のじゅうたん爆撃を行ない、一般市民10万人以上が犠牲になった。東京への空襲は勿論これ1回だけではないし、アメリカ軍による一般市民を巻き込んだ無差別空襲は日本全国に及ぶ。
そして一発の爆弾でそれぞれ10万人の犠牲者がでた「広島」「長崎」である。
原爆の日の式典にアメリカ大使が参列したことで、アメリカでは「アメリカが日本に暗黙の謝罪をしたのも同然だ」とか「いや、謝罪もしてなければ、謝罪をする必要もない」とか相も変わらず色々意見があるようである。
ただ、「ゲルニカ」や「真珠湾」に憤りを覚える人が、東京大空襲や「広島」「長崎」は正しかったといつまでも言い続けていたのでは、戦争の本質は見えてこない。ナチスの「ゲルニカ」もアメリカの東京大空襲も全く同じである。
戦争の本質は「悲惨」であり、勝っても負けても犠牲者はいる。勝っても決して天国でない。
ベトナム戦争では勝ち負けは別として、ベトナム人の犠牲者は200万人、アメリカ人の犠牲者は57000人。この200万に比べてたったの57000人にも家族がいただろうし、恋人もいただろう。
残された人達も心に深い傷を負っている。
戦争とは人を殺すことであり、正しい人の殺し方、いけない人の殺し方など有りはしない。
ただあるのは、敵のやることは残虐だが、味方のやることは正しい・・・ 敵が味方の人間を殺せば憎しみを覚えるが、味方が敵を殺せば拍手を送る・・・
戦争の本当の姿を無視して、そんなことをいつまでも繰り返していたのでは、戦争はおろか、核兵器すらなくならない。
もう一度言う。「ゲルニカ」も東京大空襲も同じである。
(今回はここまで)
8月5日(木)
バイトはお休み。
午前中、「老婆」と一緒に世田谷区役所へ。「老婆」がマンションを借りるのに住民票のような物が必要。暑いし、気が乗らないので、今日の移動、チャリは止めておいた。
午後はブログ3日分。
渋谷の女性の店でDVD関連を少々。
Yちゃんに電話して、引越しを手伝ってもらう予定を8日から、明け渡し日当日でギリギリだが10日の午前中に変更してもらった。
2日間延ばしてもらったら、急にのんびり気が緩んじゃって、片付けるよりも、T美さんに録ってもらっていて未だチャンと見てない「ためしてガッテン」を、この際だからということでついついまとめて見ちゃったりして、おまけにウトウト寝ちゃったりするし、片付けの方はサッパリ・・・
夜中の12時半、お隣のママがドアを開けて入ってきた。ノックの音がしたようなしなかったような・・・ 誰か来たかな~と思っている内にドアが開いた。こちらはTバック1丁のみ・・・
食事抜き。
8月6日(金)
今日は、広島原爆の日。式典にアメリカの大使が初めて参加するだとか、国連の事務総長が初めて参加するだとか、例年よりいくらか注目度が高いようだ。
アメリカは広島、長崎への原爆投下に関して、戦後一貫して「原爆を投下しないであのまま戦争を続けていたならば、何百万人というアメリカ人の人的被害が出たであろうし、戦争を早く終結させるためにも原爆投下は必要だった」という見解を取っている。
皆さんは「ゲルニカ」をご存知であろうか。1930年代のスペイン内戦の折、政府に対抗するフランコ将軍の反政府軍をヒットラーが援助し、スペインの都市ゲルニカをドイツ空軍が空襲した事件で、何百とか千何百人とかの犠牲者がでている。また、世界で初めての無差別の都市空爆としても有名で、この空襲によりナチスドイツは世界中から非難をあび、ナチスドイツの残虐性を示す例としても引き合いに出されることになる。
ピカソがこの事件に衝撃を受けて描いた「ゲルニカ」を、教科書か何かでご覧になった方もいらっしゃると思う。
さて、「広島」「長崎」のおよそ5ヶ月前の昭和20年3月10日、アメリカ軍は東京の下町に大規模な無差別のじゅうたん爆撃を行ない、一般市民10万人以上が犠牲になった。東京への空襲は勿論これ1回だけではないし、アメリカ軍による一般市民を巻き込んだ無差別空襲は日本全国に及ぶ。
そして一発の爆弾でそれぞれ10万人の犠牲者がでた「広島」「長崎」である。
原爆の日の式典にアメリカ大使が参列したことで、アメリカでは「アメリカが日本に暗黙の謝罪をしたのも同然だ」とか「いや、謝罪もしてなければ、謝罪をする必要もない」とか相も変わらず色々意見があるようである。
ただ、「ゲルニカ」や「真珠湾」に憤りを覚える人が、東京大空襲や「広島」「長崎」は正しかったといつまでも言い続けていたのでは、戦争の本質は見えてこない。ナチスの「ゲルニカ」もアメリカの東京大空襲も全く同じである。
戦争の本質は「悲惨」であり、勝っても負けても犠牲者はいる。勝っても決して天国でない。
ベトナム戦争では勝ち負けは別として、ベトナム人の犠牲者は200万人、アメリカ人の犠牲者は57000人。この200万に比べてたったの57000人にも家族がいただろうし、恋人もいただろう。
残された人達も心に深い傷を負っている。
戦争とは人を殺すことであり、正しい人の殺し方、いけない人の殺し方など有りはしない。
ただあるのは、敵のやることは残虐だが、味方のやることは正しい・・・ 敵が味方の人間を殺せば憎しみを覚えるが、味方が敵を殺せば拍手を送る・・・
戦争の本当の姿を無視して、そんなことをいつまでも繰り返していたのでは、戦争はおろか、核兵器すらなくならない。
もう一度言う。「ゲルニカ」も東京大空襲も同じである。
(今回はここまで)