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迷える古羊、どこへ行く/退院~選挙

2012-12-28 22:22:29 | インポート

(今日は16日分です)

12月1日((土)
♪新しい朝がきた♪ 希望は・・・特にない・・・
カレンダーも最後の1枚となった。 と言っても家にカレンダーはないけど・・・

入院中は色々ご心配とご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。お陰様で昨日何とか退院することが出来ました。どうも有難うございました。また、お見舞いに来て下さった方々にも心からお礼申し上げます。

それにしても退院して最初の夜、夜中は寒くて何度も目が覚めてしまった。 家には敷布団も掛け布団もない。敷布団は大昔使っていたベッドのベッドパッドを板の床に敷いている。(堅い・・・) 掛け布団は薄い夏用のタオルケットが1枚だけ・・・

病院では空調がちゃんとしていたから、リハビリで靴を履くとき以外は一日中靴下を履かなかったし、アンダーシャツも着なかったし、掛け布団も一度も掛けなかった。

朝食後は入院中に録画されていてまだ観ていない音楽番組を流しっぱなしにしつつ、ブログ。40日分余り溜まっている。いつになったら追いつく・・・?

実家のある下高井戸駅へ世田谷線で。チャリがあればどんなにゆっくり走っても15分で行けるのに、電車だと倍は掛かる・・・

下高井戸駅から伸びる日大通り沿いにある自転車屋を覗いてみた。この店でチャリを買ったのは、サラリーマン時代、もう25年くらい前かな・・・ ドロップハンドルでアルミフレームのロードレース タイプの白いチャリであった。街の自転車屋だから家庭用のチャリばかりであったが、たった1台だけ壁に飾ってあったロードレーサーが、小学校の頃からカッコ良いなあと思っていたチャリとイメージがピッタリだったので、会社帰りに何となく入ったこの店で即買ってしまった。

自分のチャリが入院中に無くなっちゃったので、下高井戸に来たついでにちょっと覗いてみたというわけだ。最近は、ロードレーサーが結構流行っているので、1~2台くらいは置いてあるかなと思ったけど、残念ながらロードレースもクロスバイクも無かった。カタログ販売になるとのこと。今日じゃなきゃいけないわけでもないし、殆ど懐かしさだけで立ち寄っただけなので、それらしいチャリは1台もなかったが、まあ、良いか。

コージーコーナーでお菓子を買った。

実家では耳の痛い話をたっぷりと、嫌という程聞かされた。
でも一番良い日本酒とお赤飯で退院のお祝いをしてくれた。
それと、この前両親が病院に来たときに、母にだけこっそりと、ちょこっとだけ話をした「老婆」のこと、覚悟はしていたんだけど、今日は突っ込まれなかったので、敢えてこちらからも話題にしなかった。

帰りの途中、夕方買ったお菓子を持って、東松原駅近くのバイト先のスーパーに寄った。9時近かったので、帰った人も多かったが一応挨拶をしてきた。
「どうも長いことご心配とご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」

ここから家に帰るには、途中梅ケ丘駅前を通って徒歩20分以上は軽く掛かる。いや、まだ脚が完全じゃないので30分掛かるかも・・・ それでも電車を使って帰るより絶対に早い。どういうこっちゃ・・・ 
チャリがあればこんなこと考えなくて、苦労せずに済むのに・・・ 買い物しながら帰宅。

何となく疲れた。脚が痛まないと言えばウソになる。無理して退院してしまって大丈夫だったかな・・・
あまり大したこともせず、その内座卓で朝までウトウト・・・ (早速、座卓のお世話だ・・・)

12月2日(日)
寝起きが悪い。ゴチャゴチャ色々。

寒いけど徒歩で出掛ける。
警察署。保険会社へ提出用の事故証明書のもらい方を教えてもらい、申請用紙をもらった。
それと、チャリのこと、ほんとはもう無くなちゃっても良かったんだけども、ついでだから一応訊いてみた。撤去されて保管されていた。

事故の翌日に警察の人がチャリをマンションの横の道路に、他のチャリと一緒に並べて置いていってくれたが、こっちはほとんど動けないから、チャリがどうなっているのか(もしかしたら壊れている?)確認もしてないし、元々大分ガタがきていたし、保管場所に取りに行くのも遠そうで面倒だし、保管料も掛かるかもしれないし、最悪の場合もし壊れていたら乗って帰ることも出きないかもしれないし・・・

申し訳ないが、このまま引き取りにはいかずに放っておいて、どこかアジアかアフリカででも役に立ってもらおう。

昨日も行ったが、バイト先のスーパーに再び行って、次長と仕事復帰について相談した。取り敢えず11日から3時間勤務を始めることになった。

入院中に本で、発芽玄米が体に良いと読んだので、買ってみた。
炊飯器はないが、何とかなるだろう・・・ スペイン人が炊飯器を使っていると聞いたことはないし・・・

入院中ずっと思っていたことだが、梅ケ丘駅前の禁煙ラーメン屋でタンメンを食べて帰ろうかな・・・ でも家に食べるものはそれなりにあるし、楽しみは後にとっておこう。

雨が降り出す前に帰宅。
発芽玄米、鍋でグツグツ、何とかなるもんだ。

「平清盛」「中国文明~」「イ・サン」
今日も歩いて疲れた。「中国~」の途中でウトウト、起きたら「イ・サン」の途中。(録画ボタンを押しておいたから良かったけど)
今日も座椅子で朝までウトウト。寒い。

12月3日(月)
座椅子で寝るのがいけないのだろうが、どうも寝覚めが悪い。

・郵便局。事故証明書をもらうには、警察署でもらった振込用紙を使って手数料を払い込むと後から送られてくるらしい。
・八百屋でアボカドを買ってみた。自分で買ったのは初めて。4個で210円だったので。
・日用雑貨店。 家で座椅子に座っていると、どうもお尻の尾てい骨辺りが擦れて痛い。酷いときにはカサブタが出来てしまったくらいだ。(もしかしたらTバックを穿いているせい?) 入院している間に随分と痛みが取れたので、これからはもう擦れて痛いということがないように、円座というものを買おうと思って来てみた。丸いクッションの真ん中が穴が空いているというものだが、今日は見ただけで買わなかった。

それと偶然見たのだが、暖かそうな毛布が並んでいた。そうだ、今年こそは、掛け布団はとも角、せめて毛布は買おう。タオルケット1枚は寒い・・・

・区役所の保険課。入院に関して高額医療費について訊きに行った。利用できる制度はなるべく無駄のないように活用しなくちゃね。
・区役所の生活課。生活保護についての基礎知識を教えてもらった。
65才までは何とかバイトを続けたいと思っているが、そこから先、生きていける見通しは全くたってない。いや65才になる前だって、今回のように何が起きるか分らない。万が一の時のことを考えて基礎知識だけでも知っておくに如(し)くはなし。
まあ、いくつか要点はあったが、生活保護費の支給を受けるには、貯金を全部使い果たしてニッチもサッチもいかない状況でないとダメみたいだ。

コンビニで明日のお弁当。コンビニで、特にお弁当を買うのは珍しい。塩分の一番少なそうなものを選んで買った。

12月4日(火)
結局また座椅子で一晩過ごしてしまった。
体調が悪いとまではいかないが、今一ピリッとしない。(それは前と変わらないか・・・)
ブロクが、何だか捗(はかど)らない・・・

衆議院選挙が工事された・・・ (ハッ ハッ ハッ) そうだな、政治家の頭、少し工事した方が良いかもな・・・ 公示された。

まあ、今の小選挙区制では、自民の単独過半数は避けられないだろう・・・

その自民、早々と(11月17日。既にコメント済み)政権公約なるものを発表していて、(経済の立て直しは)国債の無制限な発行を前提にしていたりとか、より‘右’的であったりとか、自分とは明らかに意見を異にする内容だが、今日は、前に自分がボカシであり、何が言いたいのか分らないと指摘したTPPに関して一言。

「聖域のない関税撤廃」を前提としているTPPへの交渉参加には反対する。

これがNHKから報道されている自民の政権公約である。
それじゃ、本当にTPPには全く参加する意思はないのか? 交渉にも参加しないのか? それでこれからの世界経済の中でやっていけるとでも思っているのか?

確かに全く聖域が無いままTPPに参加すれば、日本の農業はそれなりの打撃を被るだろう。
だがその打撃を最小限に抑えるべく交渉するのが政府の役割であり、TPP参加後にいかに農家を支えていくかを考えるのが政府の仕事である。

色々経緯があって単純には言えないかもしれないが、国連とかEUとか新しい組織を設立するときは、当然、設立時の加盟国というのがある。設立前に加盟予定の各国が集まって、新しい組織はどんな風にしようか、こんな風にしようとか話し合うわけで、それぞれの国は少しでも自国に有利になるように話し合ってルールを決める。
新しい組織が出来た後から組織に加盟する場合、加盟希望国の方から組織への加盟条件を変えることは基本的にはまず出来ないであろう。

日本がまだルールも出来てないTPPの最初の交渉にすら参加しないで、TPPの枠組みが出来た後なって参加したいと言ってもそれこそ後の祭りということになりかねない。
それに、最初のルール作りに参加したからといって、出来上がったTPP自体に参加しなくてはいけないという義務はない。条件が折り合わなければ参加しなければいいだけのことである。

政権公約で、いかにもTPP自体に反対しているが如き「聖域のない~」という言い回しは、明らかに自分たちの支援基盤である農業団体の票を意識した選挙目当てのボカシ表現である。

政治家に必要な‘教養’ははぐらかしとかすり替えとか色々あると聞いたことがあるが、まさにそのテクニックが存分に発揮された絶妙な表現である。

TPP (トータル ピース プラン)大賛成! (あなたにも出来る世界平和貢献を)

三軒茶屋の西友ストア。毛布は昨日見たものより色々な種類・値段のものがある。高いのはそれなりに暖かいのであろうが、その分使える期間が短いかも・・・ 一方、安いものは春になって暖かくなっても、しばらくは使えるかもしれないが、肝心の一番寒いときに役に立たないなんてことがあるかもしれない・・・ 買うのは保留。

三茶から三宿のいつも利用する自転車屋まで、結構距離があるが、トコトコと歩いていった。街の自転車屋なので、特にカッコ良いチャリが置いてあるわけではないが、こだわりのオヤジの店なので、ここですすめられるものならば、そう大きく外れることはないだろう。
デザインや色で今一シックリくるのがなかった・・・

バスで梅丘に戻り念願のタンメンを食べた。黒胡椒たっぷり。夢が叶った。

東松原駅近く、5円コピー機がある店で、入院保険金を請求するためのコピーをしようと思ったが、重い脚を引きずってわざわざ来たけど、故障中・・・ 結構枚数が多いから少しでも安い方が良いと思ったんだけど・・・ まあ、しょうがない・・・

何ヶ所かのスーパーで買い物。ある所で円座も買った。

ブログをやらなきゃと思いつつ、テレビを何となく見ていた・・・

12月5日(水)
ブログをやるが、退院したあとどうも今一乗り切れない。書く量も多いし、文章が全然うまくまとまらないし、なかなか進まない。
新しいチャリのことで出掛けようと思ったけど、何となく気が乗らないなあ・・・ 面倒だ。止めた。今日は一日中 家だ。

明日は区の健康診断を受けに行く予定なので、夕食は9時に済ませた。
退院した日の晩以来、久し振りに座椅子じゃなく横になって寝た。

12月6日(木)
「老婆」と一緒に梅ケ丘駅近くの病院に行き、区の健康診断を受けた。
一緒に禁煙ラーメン屋で食事をしたあと、自分は下高井戸の自転車屋に行って、チャリのカタログを見せてもらおうと思ったのだが、何と店のシャッターは閉まっていた。

渋谷のドン・キホーテでチャリを見たが、さすがにここのは見るからにチャッチい。
東急ハンズ。自転車売り場は7階じゃなくなっちゃったんですね。いつの間にか一番上から一番下に移っていた。
いくつか気になるチャリがあったが、今日は取り敢えずメーカーとか型式とかをメモるだけにしておこう。まあ、特に慌てることはない。

ビックカメラでシェーバーを見てみた。入院中は病院からシェーバーを借りてい髭を剃っていて、退院したら買おうと何となく思っていた。2000円から20000円。ピンキリだなあ・・・ 分からないことを質問しただけで、特に理由はないがヤマダ電機に移動し(ビックカメラさん、ご免なさい)、3980円のシェーバーを買った。

ちょっと疑問。 電気カミソリか電気ヒゲソリか? どっちか分からなかったので、シェーバーって書いたけど・・・ 自分は、電気で動く髭を剃る道具のことは電気ヒゲソリと言わずに、電気カミソリとずっと言っていた気がする・・・ 髭を剃る道具だから電気ヒゲソリと言うのが良いような気がするが・・・

東松原に戻り、コピー1枚5円のところで入院保険金請求のためのコピーを何10枚か。3社分あるので大変。

また長い距離をトコトコ歩きつつ買い物。家に鮭の切り身が2枚あるのに、それよりも大きくて美味しそうでしかも安い鮭があったので、つい3切れも買ってしまった・・・ ちなみに自分が買う鮭は紅鮭。

歩くと腰だけでなく膝も多少痛む。入院中、左脚に比べてあまり使ってなかった右脚の膝に大分負担が掛かっているようだ。退院直前から今日まで毎日のように結構長い距離を歩いていたからな・・・

12月7日(金)
午前中、ブログ。
入院中は完全に便秘状態であったが、退院してからは一応毎日あるにはある。トイレに入ってちょっと頑張ればそんなに苦労せずにお通じ。ただ入院中と同様ちょっと固目であったのだが、今日はもうそれこそ7週間振りにやっと普通のお通じに戻った感じだ。

いつもの食物繊維たっぷりのシリアル系食品に加えて、昨日焼きリンゴを食べた効果があったのかな?

三軒茶屋の西友ストア。まな板を買った。家の台所にはどうやってもまな板を置くスペースはない。流しにラーメンのどんぶりを置いてその上にまな板をのせる、それくらいしか方法はなさそうだ。

三茶からまたトコトコ歩いて三宿の自転車屋へ。昨日東急ハンズでピックアップしてメモしておいた新しい自転車の候補(5台)について意見を聞きたかった。自転車屋には1銭の得にもならないが、若社長が親切に説明してくれた。

渋谷の東急ハンズの自転車売り場。 あれっ? 地震かな? ちょっと大きいかな。
新しいチャリ、さっき三宿の自転車屋で聞いてきた意見を参考に、5つの候補の中から1つを決定! 今年のモデルなので来年の新しいモデルが出る前に少し値引していたのも魅力だ。5つの中では一番安い。タイヤは細いしフレームも細いので、クロスバイクではあるがかなりスポーティでロードレースっぽい。色はピンク。もうピンクしか残ってなかったが、とても可愛いし気に入った。

泥よけやライトを付けてもらうのに少し時間が掛かるという。丁度良い、西友ストアに寄って毛布を買っていこう。チャリだと運びづらい。お会計だけして、チャリは明日引き取りに来ることにした。

西友で一番安い毛布を買った。安くても、今までの薄いタオルケットよりはずっと暖かいだろう。
後で地元のスーパーに行くんだからと思い、ちょっと食品売り場に寄ってみた。驚いたのは、この店で作られたお弁当やお惣菜には全てカロリーや塩分含有量などが表示されていたことである。自分としてはカロリーより塩分が表示されていることの方が嬉しい。
他のスーパーなどでは一部のお弁当などにカロリーや塩分等の表示があるところが無いわけじゃないが、ここまで徹底的に全部というところは初めてである。 素晴らしい。

表示の仕方は、1個当たり何キロカロリーとか1パック当たり何キロカロリーというものであるが、一部100グラム当たり何キロカロリーという表示のものがあった。これだと1パックに何グラム入っているかが分からないと、1パックでどのくらいのカロリーになるのかが計算できない。

「あの・・・、これ何グラムぐらい入っているか分かりますか?」
「あそこに秤(はかり)がおいてあります」
なるほど、それなら自分で大体何キロカロリーぐらいなのか計算できる。完璧だ。

でもお惣菜を買うためにわざわざ三軒茶屋までは、さすがに来られないなあ・・・

帰宅。地震は東北の方でM7.3だったんですね。どうりで東京でも揺れたわけだ。東北の人たちは恐らく地震のたびに311を思いだして、今でも不安になることがあるんだろうな。

電話。バイト先のスーパーからで、11日から仕事復帰(最初は短時間からだが)の予定だったが、明日と明後日(8日、9日)、人がいないので手伝って欲しいとのこと。OKした。

ブログ、入院した辺りから10月末までの12日分、更新。
ちょっと夜更し。
新しい毛布で横になって寝た。

12月8日(土)
新しい毛布、まあ、寒くてチョロチョロ目が覚めてしまうということはなかった。
新しいシェーバーで初髭剃り。 最初に肌につけたとき、シェーバーが冷たかった・・・

昼からブログを始めたが、体調あまり良くない。渋谷にチャリを引き取りに行くのはどうしよう・・・ 今日からバイトもあるし・・・ 外は寒いのかな・・・

2時過ぎ、思い切って出掛けることにした。渋谷に行くには3通り。
・徒歩8分~若林~三軒茶屋~渋谷   (290円?)
・徒歩13分~梅ケ丘~下北沢~渋谷  (240円?)
・徒歩23分~東松原~渋谷        (120円?)
体調良くないけど、交通費節約・・・

東急ハンズで新しいチャリを引き取る。50日振りにチャリに乗った。サドルにまたがるため右脚を思いっ切り上げるとやや痛む。最初の5メートルくらいはフラフラしてひっくり返りそう・・・ 見送ってくれた店員さんもさぞかし不安に思っただろう。その後も何だか危なっかしい・・・ ゆっくり走る。 新しいチャリで初日に事故なんか起こしたら、それこそ洒落にならない・・・

スーパーには大分時間に余裕ありで到着。
いよいよバイト再開。こちらも50日振りで、緊張した。今日は取り敢えず3時間だけ。

帰宅後は食事以外大したこともせずウトウト。
チャリと仕事で疲れた。

12月9日(日)
朝、何かの番組の中で、「平清盛」でも使用されている吉松隆編曲、オーケストラ版「タルカス」からの「エラプション」(噴火)が流れていた。

ブログ。
部屋にいても寒い。今まで20年ほど、数年やっては止め、数年止めては再開を繰り返していた「真冬でも上半身2枚健康法」、ここ数年はしばらく2枚を続けてきたが、今年は60才にもなったし、呆気(あっけ)なく取り止めて、3枚着て出かけた。
スーパーのバイト。(3時間)
「平清盛」「イ・サン」

夕飯は何故か暴食。これでもか、これでもか・・・

12月10日(月)
昨日やったブログの内、半分くらい保存されてなかった。ガックリ・・・
今日もスーパーのバイト。今日は4時間。昨日・一昨日が3時間だったので今日も3時間だと思って仕事を上がろうとしたら、「アレッ? もう1時間入ってるよ」 「エ~ッ、聞いてないよ」 ちょっとくらい余分にやるのは全く問題ないので、‘残業’。

12月11日(火)
バイト休み。ほんとは今日からバイト再開の予定だったけど、人の都合で既に3日働いた。

日本時間で本未明ノーベル賞の授賞式があった。TNT火薬の発明者ノーベル氏のアクセントは「ノ」じゃなくて「ベ」。
「老婆」から電話。健康診断の結果を聞きに行くのは、今日は取り止め。
散歩を兼ねた買い物、寒いし、ブログもあるし、面倒だし・・・ 止めた・・・ 
ブログ、今日は散歩にも出なかったし、少しは長い時間やったつもりだったが、何故か結果的には全然進んでない。なかなか追いつきそうにない・・・

12月12日(水)
今日は12が3つ並んだ。
奥沢の病院までチャリで行く。チャリを買って渋谷から地元に戻るときに‘長距離’チャリに乗ったが、今日はチャリ購入後初めての遠出である。ゆっくり乗っても30分くらいかなと思ったが、若干迷ったこともあり30分ちょっと掛かった。でも電車ならどんなにタイミングが良くても1時間はたっぷり掛かる。 今回不覚にも事故って入院という事態になってしまったが、やはりまだ自分にはチャリは必要だ。

脚の痛みは、まだほんの少し痛むことがあるが、まあ、ほとんど無くなったといて良い。

病院では退院後の経過を診てもらうためレントゲンを撮ってもらったが特に異常なし。
それと退院の前に頼んでおいた保険会社提出用の診断書を受け取ると同時に、別の保険会社用診断書の作成を頼んだ。

そんなかんだで病院のロビーにいたら、自分と同じような理由で来院した元同室の2人とばったり会った。
1週間後には診断書を取りに、1ヶ月後にはもう一度骨の様子を診てもらうために、来院する予定。

またゆっくり走って帰ってくる途中、駒沢オリンピック公園の横を通ったので、中に入ってサイクリングコースを2周(4キロ)回ってきた。

スーパーのバイト。(4時間)

12月13日(木)
バイトお休み。
「老婆」とともに梅ケ丘駅近くの病院に、区の健康診断の結果を聞きに行った。
前回(去年)の診断ではコレステロールの値いがかなり高かったので、1年余りの間、脂っこいものはかなり控えてきたつもりだったので期待していたのだが、結果はいわゆる‘悪玉’と呼ばれるコレステロールの値が逆に高くなってしまった。

ショック! 1年余り自分なりにコレステロールが減るようにと思ってやってきたのに・・・
入院中に買ったコレステロールに関する本をもう一度よく読み直して、またやり直しだ・・・

昼ちょっと前、「老婆」とラーメン屋に入った。定食のご飯をどっさりともらったので、もう腹一杯。というか腹一杯すぎる・・・

帰ってから、重い腹を抱えながら(と言うと何だか身重みたい)ブログをやっていて、全然お腹が空かない。結局夕食を摂ったのは9時を過ぎていた。
夜更し、4時に寝る。

12月14日(金)
寝不足。ブログを更新(23日分)。 (←22日分と書いてしまったが、実際は22日分))

スーパーのバイト 。(5時間) 事務所に入るとシフト表に自分の名前がない・・・ 今年の夏までは新宿でのバイトもあったので、スーパーのバイトは週4日だけだったが、新宿の方を辞めた後はスーパーの方の人がいなかったこともあって、週5日が当り前のように定着していた。そのつもりで今日来たら元々の週4日に戻っていたということだ。ただ今日は帰らなくても良いよ、ということで仕事に入るが、人は余り気味・・・

12月14日は、あの有名な赤穂浪士の討ち入りの日で、その日江戸はかなりの大雪だったそうだ。何年も前のことだが、地球温暖化に関連した書き込みで、昔は12月でも東京は大雪が降ったみたいなことをブログに書いた記憶がある。

だがそれは間違いだったとそのしばらく後で知った。すなわち、12月14日という日にちはあくまでも江戸時代のお話、元禄14年だか15年のお話だ。つまり旧暦。今の暦に直すと1月30日だったか31日になるらしい。
1月の末といえば大寒、一年で最も寒い時期だ。昔も今も大雪が降ってもそう不思議はない。

いずれにしろ、昔は12月でも大雪が降ったという例としてあげた赤穂浪士の討ち入りのことは間違いであったことを、遅ればせながらここでお詫びします。

ただ、自分が子供の頃よりは暖冬のことが多いんじゃないのかなという気持ちは変わらない。

12月15日(土)
昨日ブログを更新したが、油断するとまたどんどん溜まるので、今日も早速、少しでもブログ。

スーパーのバイト。(3時間) 最初は3時間から始めたバイト復帰は、1周間ほどで時間がやや増えてきつつあるのかなと思っていたのだが、今日は3時間しか入ってないようだ。
ただでさえ週5日のつもりが当分の間は週4日となりそうだし、本当は今日は4~5時間はやるつもりで来たのだが・・・ このままだと状況はちょっと良くない・・・

12月16日(日)
退院して半月ほど、今日はチャリにするか? 電車にするか?
今日は根津(台東区)で、某国際援助団体会員の中の有志でつくる東京の会が年2回のペースで行っている集まりの日だ。
今までは1回を除き(雨のため)いつもチャリで行っていたが、今回は骨折・退院のすぐ後で、チャリだと体力が心配。バイトもあるし・・・

結局、今までより少し早めに家を出て、あまり疲れないようにスピードを抑えて走ることにした。
今日はやや暖い。チャリに乗って走っていると段々暑くなるくらいだ。
1時間以上掛かって時間通り着いたが、結構へばった。

会場の建物は衆院選の投票所にもなっていた。偶然何10年振りかで投票所に来たが、投票順番待ちの人が歩道にまで長い列を作っていたのにはビックリした。

バイトに入る時間を、いつもより1時間ずらしてもらっていたが、有志の会の方も30分早く切り上げて会場を後にした。
まだ投票の人が長い列を作っている・・・
帰る時の方がチャリきつい。もう息も絶え絶え・・・ でも脚は痛くない。

スーパーのバイト。(4時間) 何とか終了。

今日のテレビは開票速報をやっているだろう。前にも書いたが、テレビを見なくてもどうせ自民の単独過半数は間違いないだろう。最初っから結果は明らかだ。テレビを点ける気にもならない。しかも開票速報のあおりで「イ・サン」の放送なし。面白くも何ともない。

ケーブルテレビを付けて未視聴の録画済み映像をずっと観ていたが、ただ今日の投票率が気になったので、NHKに替えた。

やっぱりな・・・ しかも単独過半数はおろか、自公で3分の2をも越えちゃったんですか・・・ 結構やばくない?

財政赤字削減に全く逆行する「大胆な金融緩和」政策に加え、それよりも更に危険な数々の‘右寄り’発言・・・ 「金融緩和」という言葉につられて‘景気’に期待するあまり、結果的に‘右’への切符を手渡してしまった。いや、それとも皆本当に心から‘右’を望んだのか? 皆、安倍と一緒になって‘右’への流れに棹(さお)さすつもりか?

選挙中、自民からは色々と勇ましい発言が飛んできた。憲法を2段階で改正して9条の‘改正’を目指すとか、尖閣には公務員を常駐させるとか、2月22日の竹島の日には政府としての式典を行うとか・・・ そんなことして相手がすんなりとご免なさいと言うとでも思っているの?

それと、借金である国債をどんどん発行して資金を調達し、それを元に公共投資を行うと言うけれど、公共投資とは言い方を換えれば、自民の支持団体である建設業界へのお礼である。
仮に公共投資で一時的に建設会社が利益を上げたとしても、今のこのご時世では、果たしてそこで働く従業員や実際に建設現場で働く下請け・孫請けの労働者の懐(ふところ)が一体どのくらい豊かになるのか、疑問を持たざるを得ない。 非正規労働者が正社員になれるの? 公共投資で我々の給料が上がるの?

自分が最も重要だと思う膨大な額の国の借金を削減させる道筋は、選挙中どこからも全く聞こえてこなかった。
日本は他の国とはこういうところが違うから財政破綻に陥る心配はないとよく言われるけど、例えば2008年のリーマンショックが起きた時、最初の内は日本にはそんなに打撃はないだろうというのが、大方の見方であったにも拘らず、実際はとんでもないことになったのは衆知の事実である。

国の一般会計が90兆という規模の中で、元本を年に10兆ずつ減らしても借金の返済には100年掛かる。更に、今は金利はかなり低目だが、それでも金利だけで当面は年10兆。
毎年40兆の新規国債を発行している中では、赤字削減など夢の夢。 

遅かれ早かれ財政破綻? 日本の将来はもうない?
右傾化や強引な金融緩和を目指す自民に歯止めを掛ける役割を、皮肉にも公明に期待しなくてはならないのか。

朝5時、480人目、最後の議員が決まった。
投票率の発表はなかった。

迷える日本、どこへ行く・・・


迷える古羊、どこへ行く/入院(3)~退院

2012-12-20 20:35:50 | お店の話
(今日は8日分です)

11月23日(金・勤労感謝の日)(入院33日目 怪我して5週間経過)
今日は祝日でリハビリはお休み。
ただ1人の同室の人、昨日は外泊でまだ戻ってこないので、部屋はずっと自分1人だけ。

午後、買い物。外は、Tシャツ1枚じゃさすがに寒かった。りんご、柿、それに今日のオヤツのアイスクリーム。 フルーツナイフも。
洗濯用洗剤は量が多すぎるので買うのを止めた。

スケートの浅田真央さん、笑顔が戻って良かった。久し振りの笑顔を見たような気がする。やっぱ、笑顔は良い。
同室の人、今夜も外泊のようだ。

11月24日(土)(入院34日目)
今日は朝一番で、リハビリ。

昼食はそばを食べた。一昨日、そばにするかどうか訊かれた時、即座に希望したそばである。
以前一度うどんの日があったので、自分にとってはこの病院で2度目の麺類である。
ここでは‘朝ごパン’が週の半分くらい、あとは全て白い米のご飯である。だから うどんかそばにするかと訊かれれば、迷わず「はい」。

ところで、この病院ではラーメンが出ることはあるのかな? タンメンならもっと良い・・・

買い物に出た。駅前の交番で郵便局の場所を教えてもらった。(月末の支払いのため) すぐ近くであった。
迷っていた洗濯洗剤を買った。量が多いけど余ったら、(いや、‘たら’じゃなくで絶対に余る)退院する時に病院に寄付すればいいや。

夕食前、2晩外泊していた同室の人が戻ってきた。今夜からまた部屋は2人。
「老婆」から電話あり。11月1日から里帰りしていたが、戻ってきた。
バイト仲間の中国人Gさんから電話あり。「どんな感じ?」「まあ、元気だけど、もしかしたら退院が12月にずれ込むかもしれない」

11月25日(日)(入院35日目)
今日はハイビジョンの日。走査線が1125本だから。もっとも自分には今でも全く関係なし。普段はワンセグテレビだし、、ケーブルテレビのモニターはブラウン管だし・・・

午前中、ここに来て初めての洗濯。
別にTバック1枚くらいなら、誰も見てないすきにチョチョッと洗面所で洗って、(干せないから)タオルの間にでも挟んでこっそりと乾かしても良いかなと思ったりもしたのだが、入院した時の洋服や持ってきた服もあるので、ついでに全部洗っちゃおう。

それにしても洗濯機の水、チョロチョロとしか出てこない。大丈夫かな・・・ このあと「すすぎ」も2回あるし・・・ 洗濯だけでも相当時間が掛かった。
乾燥機を回している間、屋上に出てみた。東京タワーのすぐ横の向こうの方にスカイツリーも見える。夜ライトアップされたときに見たら綺麗かもしれない。風は決して暖かいとは言えないが、ビタミンDが足りないので、手のひらと顔を太陽の方に向けてしばらく日向ぼっこをしていた。

乾燥が終わって乾燥機を開けたら、洗濯物が絡まっていて、一部ちゃんと乾ききってないところがあった・・・

洗濯から戻ってきたら1人若いのが入院していた。「こんにちは」の「こ」の字もないし、「よろしく」の「よ」の字もない。数分したら横を向いてしまった。こいつダメだ。

窓の真正面に見える区民センターの上には図書館があるので、松葉杖でエッチラオッチラ階段を上っていって、中を覗いてみた。図書館なんて40年とか50年振りだと思う。キョロキョロ、ウロウロしていたら、学芸員さんが「何かお探しですか」と親切に声をかけてくれた。
「専門的な医学書といったようなものでなくて、もっと家庭的な本で、腎臓に関するものがあればと思ったんですが・・・」
結構一所懸命探してくれた。なかなか見つからなかったけど、それでも2~3冊探してくれたので、手続きして1冊借りてきた。どうも有難うございます。

橋下、「我々に政治の力を与えてくれれば、必ず皆さんの方を向いた政治をやる」と宣(のたま)った。
以前、「政治家を目指すのは権力欲、名誉欲のためで、そのあとに国民のためが付いてくる」みたいなことを言ったのはどこのどいつだ。

「平清盛」はいつも通りだが、「イ・サン」はスケートのあおりか、今日の放送はなし。

11月26日(月)(入院36日目 5週間が過ぎた)
今月末で退院したいが、担当の先生はどうも否定的のようだ。1週間くらい12月にずれ込む可能性が高い。しょうがない、こっちもそのように気持ちを切り替え るとするか。

中高年2人入院してきたが、2人とも2時間とかそんなもんで出ていった。顔もほとんど見てない。

今日はこの後、雨も風も強くなって大荒れになるとのことなので、午前中早目に散歩に出た。便秘が慢性的になってるので水分補給と整腸作用期待で飲むヨーグルトを買ってきた。

リハビリ。今まで右脚への圧力負荷が体重の3分の1までだったが、今日からは体重の2分の1までOKになった。だが、3分の1も2分の1も、実際にやってみるとあまり区別がつかない。 でも、まあ一応、一歩前進。

今は外に出るのは病院のすぐ近くだけだが、「出来れば日中松葉杖をついて家に帰りたい」とリハビリの先生に言ったら、「それじゃ、明日担当の先生に相談しておきます」

それにしても今日の最高気温の予測が19度だったのに、実際には10度にもいかなかったなんて・・・ 多少外れちゃうのはしょうがないけど、ちょっとな・・・
  
地方の首長の新党が続くが、今度はどっかのオバちゃんが新党を結成したそうだ。

「日銀法を改正して大胆な金融緩和を行う」という自民党の政権公約に賛成かという世論調査に対して、
 大いに賛成       9%
 ある程度賛成    38%
 あまり賛成せず   31%
 全く賛成せず     13%

という結果らしい。ア然。
「大胆な金融緩和」と聞けば景気にとって何か凄い良いことをやるように思えるかもしれないが、その中身は要するに「無制限な国債の発行」であることを忘れてはならない。借金1000兆の状況において、そのことがどれだけ危険なことか、いや、やってはいけないことか分かっているのかな。

人の考えは色々であるが、これだけ多くの賛成の人がいるとは自分には考えられない。 賛成した人は、これだけニッチもサッチもいかなくなった財政再建についてどのように考えているのか。 本当に日本の将来のことを考えているのか。

公共投資が全くいけないわけじゃないが、かつて何10年もの間自民党がやってきたのは 、業界との癒着、もたれ合い。 党にも‘先生’にもしっかりとお礼が入ってく る。

もし仮に公共投資を増やしたとして、企業としては一時的に利益があがるかもしれないが、今のこのご時世、社員や実際に現場で働いている労働者の懐(ふところ)が果たしてどの程度潤うのか疑問である。
更に我々の給料にどの程度反映されるのかとなると、甚だ疑問であると自分は思う。

そもそも日銀法の改正というが、日銀は政府の持ち物じゃない。日銀と政府が意見が一致する点で協力するのは構わないが、日銀を政府の思い通りに動かそうというのであれば、それはとんでもないことである。

年末ジャンボ宝くじ、今日から発売ですか。テレビでは、多分ここは数寄屋橋の宝くじ売場(かな?)が映っていた。一人で2500枚買った(いくらだ・・・)という人がインタビューに「マネーだいじ」と変な口調で答えていた。

今年、自分は47年振りの入院(検査のための入院ではあるが)、引越し(大家さんのご逝去で、アパート取り壊しのため)、そして高倍率の都営アパートに‘当選’、など色々なことがあった。
だからひょっとしたら宝くじに当たるかもしれないな何て思ったりもしていたが、宝くじを買う前に、自転車に当たってしまって、この様(ざま)だ。

でも、まあ、退院したら6億でなくてもいい、1億でもいいから、いやいくらでもいいから、とに角1枚でも買ってみよう。

11月27日(火)(入院37日目)
若いのが1人入院。「こんにちは」の「こ」の字すらない。親の躾(しつけ)がなってないせいか、それとも幼稚園・小学校で知らない人とは口をきいちゃいけないと教えられたせいか・・・

リハビリの時、リハビリの先生から言われた。
「明日・明後日、松葉杖を使って家に帰っても良いです。夕方には戻ってきてください。 それと金曜日(11月30日)は朝にリハビリをやりますから、その時もし特に異常が無ければ、金曜の内に退院しても良いです」

条件付きながら、自分の希望である11月いっぱいでの退院の可能性が出てきた。11月末は無理のような雰囲気だったし、こちらとしても12月にずれ込むと気持ちを切り替えていたので、そう言われて嬉しかったけど、ビックリしたし、本当はここにいた方が3食昼寝付きで楽ちんなんだよなと思ったし・・・ 正直言って心の準備が急には出来なかったし・・・

再び「金曜退院モード」に切り替えるとするか・・・

近所でまた飲むヨーグルトを買ってきた。風が強く、Tシャツ1枚じゃ寒い。

6時3分、国民の生活が一番が解党するというニュースが入ってきた。滋賀のオバちゃんが作った新党と合流するらしい。 さすがにビックリした。あの小沢が・・・ 何を企む?

11月28日(水)(入院38日目)
昨夜、生まれて初めて歯ぎしりというのを聞いた。本当にあるんですね・・・ 何だか気持ち悪い・・・
朝食後、1人退院。(現在、自分含め3人)

許可もらったので、ちょっと家に帰ることに。
病院の玄関から30秒ほどで奥沢の駅だが、ちょっと無理して、いや、かなり無理して自由が丘駅まで片松葉でトコトコ歩いていった。 寒い! 思ったより遠い! 正直言って脚は少し痛い!

自由が丘駅から東横線で渋谷。田園都市線に乗り換えるのが、階段が多いし、距離があるし、結構大変。三軒茶屋での乗り換えも結構大変。 あれっ! 東急世田谷線の運賃って全線140円均一だったっけ? 190円だとばっか思っていた。勘違いしていたみたい。 世田谷線の若林駅から杖を付きながら15分ちかく掛かったか? 病院から家まで2時間近くも掛かってしまった。

部屋の中、見るだけでウンザリ。グチャグチャだ。病院の方がよっぽど快適かも・・・ 遅かれ早かれ、いずれここに帰ってくるのか・・・
ヒーターを点けたが、体が完全に冷えきっちゃったので、なかなか暖まらないし鼻水も止まらない。
手先を暖めようと思ってお湯を出そうとしたら、長いことガスを使ってなかったせいか、元栓が自動的に切れたようだ。
音楽番組録画可能時間は、予想より多い12時間余り残っていた。
PC、何をやるにしても遅い、重い、画面が1つ変わるのに2~3分掛かっているんじゃないか・・・ ブログに2行書き込むのがやっと。(入院しました) シャットダウンするだけでも30分は掛かった。折角苦労して戻ってきた割にはあまり大したことは出来なかった。もう時間がない・・・

真冬用のコートを引っ張り出しそれを着て表に出ると・・・ チャリがない・・・ 取られたか・・・ 路駐だったので保管されてるのか・・・(ほかの住人のバイクとかチャリはちゃんとあるようだが・・・) また面倒なことになったな・・・

また片松葉で歩き出す。
東急世田谷線、東急田園都市線、東急大井町線、東急目黒線・・・ 若林駅も奥沢駅も同じ世田谷区内なのに(渋谷経由でも、二子玉川経由でも)4つも東急線を乗り継がなければならない。
戻りは1時間20分くらいか、4時丁度に病院に到着、そのままリハビリ室へ。 若干痛みがない訳でもないが、それより疲れた。ダルい・・・

夕食後、案の定1時間ほどウトウト。

今日の東京の午後3時の気温は8度だったとか。真冬並みじゃないですか。どうりで昼間寒かったわけだ。
病院に入院していればヌクヌクとしていられるから、明後日退院するのは止めようかな・・・

昨日の夜中に続き、またギシギシという歯ぎしりの音で目が覚めてしまった・・・

11月29日(木)(入院39日目)
もしかしたら明日退院するかもしれないと思うと、何となく落ち着かない。
午前中、お2人入院してきた。お2人とも60才前後か、さすがに若者とは違う、部屋に入ってくるなり「どうか宜しく」、勿論「こちらこそ宜しく」、そして「どこがお悪いんですか?」と会話が続く。
多くの若いのがダメだというのがまた証明されてしまった。

昼食後、どうするか迷った末に、今日も家に戻ることにした。目的は2つ。
・もし今日届いていれば明日非常に助かるという郵便物を確認する。
・入院中の荷物を少し家に持って帰って、明日の退院を少しでも楽にする。

また、片松葉でヒーコラ言いながら家に帰ったが、
・郵便物は来ていなかった。
・何と部屋の鍵を病院に置いてきてしまった。あまり大きくない郵便受けの中に、リュックの中から少し荷物を突っ込んだ・・・

昨日は8度くらいの気温だったけど、今日は真冬用のコートだと暑いくらい。
明日はどうかな・・・

片道4つの東急線に乗って、往復700円。結果論だが家に帰らないで、病院の近くでラーメンでも食べた方が良かったかも・・・

4時からリハビリ。今日も散々歩いたので、既にお疲れ気味。
父に電話。「明日の朝のリハビリの具合をみて午後退院できると思う」
明日のことを思うと何となく落ち着かない。

11月30日(金)(入院40日目 怪我して6週間経った)
いよいよ退院か?
朝9時、リハビリ。 杖を使わないのは今日が初めて、両脚で歩いたり階段を昇り降りする練習。全く痛みがないというわけではないが、気になるほどでもない。 「どうですか?」「まあ、大丈夫です」

本当は、杖なしリハビリをあと数日続けなければ退院とはならないのだが、キリがいい(月末)というだけの理由で、やや無理を言って退院させてもらうこととなった。

いよいよ退院。心配なのは費用。いくらくらいかあまり予想がつかない・・・ しばらくして持ってきた請求書をみて、まあ、ホッとした。今日支払って帰れる。

昼食後、結構のんびり周りを片付けたり、退院の支度をしたり、同室の人と話をしたりと割とのんびりしていたが、そろそろ行かなきゃ・・・ 会う人会う人、色んな人に挨拶をして、一旦病院を出て、近所の三井住友のATM、再び病院に戻りお会計。 次に病院に来るのは12月12日だ。病院を後にする。

図書館に寄って、借りた本を返却。
三菱のATMで月末の振込み。
郵便局で振込み、支払い。
これで病院・月末、取り敢えずやるべきことは全部済んだ。

いよいよ奥沢を後にして帰宅だ。 寒いですね。今日は真冬並みらしい。
4つの線を乗り継ぎ帰る途中、渋谷で宝くじを買った。3枚だけだけど・・・ 今年は良いも悪いも当たり年、最後の締めは宝くじだ!
三軒茶屋でラーメンでもと思ったが、結局立ち食いそば。シャバに出た途端にタバコで嫌な思いをしたくない。 病院の食事も悪くはないが、ずっと何か外で食べたいと思っていた。それにしても、実際に立ち寄ったのが立ち食いとは・・・
若林に着いた。スーパーでお弁当他。

自宅! やっと退院した。今日からはまたこのグチャグチャの部屋で活きていく。
実家に電話。明日行くことに。
「老婆」に電話。近い内に会うことに。
仕事場には連絡しなかったが、明日か明後日にでも顔を出して退院の挨拶をしてこよう。仕事に復帰するのはいつぐらいからになるのかなあ・・・
保険会社への請求もしなくちゃ・・・

外にはやはりチャリは無かった。チャリは使おうと思えばまだ使えなくもないが、自転車屋からはもう限界だから早く買い換えた方が良いと言われていたし、特に探すようなことはせず、これを機に新しいのを買おうかな。

少し片付け後、食事。PC(ブログ)には手が回らなかった。というより早速ウトウトと寝てしまった。

明日からどんな生活が始まるのかな・・・

迷える古羊、どこへ行く/入院しました(2)

2012-12-14 15:23:57 | お店の話

(今日は23日分です)

11月1日(木)(入院11日目)
今月の終わりには退院しているかどうかといったところだが、入院したのが中秋、入院中には晩秋も過ぎて、退院は初冬に差しかかっているだろう。

今年は閏(うるう)年、あっ、閏年には違いないけど正確に言うと4で割り切れる年。(4で割り切れても、400年に3回は閏年じゃない年があるからね) ということは(夏の)オリンピックとアメリカの大統領選挙の年だ。11月の第1月曜日の次の日が投票日、もうすぐだ。オバマは再選できるか。

また11月には中国共産党の党大会の後、総書記がフー・ジンタオからシー・ジンピンに交替すると言われている。

日本はどうかな? 野田は既に党に対して選挙用のマニフェストを早急に作成するようにと指示を出しているので、もう心の中では衆議院の解散を決意をしていると思われる。

12月(?)、韓国の大統領選。竹島に上陸したイ・ミョンバク大統領の後を継ぐべく立候補を表明しているパク・クネは、パク・チョンヒ(自分が10代、20代の頃の大統領)の娘だったんですね。こちらも、与野党対決どうなるか。

日本の中と身近なところで指導者選びが重なる。

昨夜の日本シリーズ、日ハムー巨人の第4戦、途中で寝ちゃったんだけど、日ハムが延長12回裏のサヨナラヒットで1-0で勝ったんですね。ただテレビ画面の点数表示だが、正確には1-0じゃないんじゃないかな。1Xー0が良いんじゃないかな。
この「X」の意味、もう皆さんご存知だと思うけど・・・

Xは未知のもの、未知数を意味する。昨日の場合、試合はまだ3アウトにならずに試合終了。もし3アウトまで試合をしていたらもっと点が入っていたかもしれない。それを表現するためにXを使う。
1-0と1Xー0とでは意味が違うのである。

だからせめてテレビなどではそこら辺のところは正確にやって欲しい。

ちなみに、ついでなので・・・
+α(プラスアルファ)という言葉がある。これは明治時代、日本に野球が入ってきた初期の頃に、Xを手書きしたらαに見えたところから混同して生まれた‘日本語’だという話を聞いたことがある。

スーパーのバイト仲間、Gさんから電話があって、明日来るという。「この間も電話で言ったけど、ジャンボもなか以外は何もいらないからね。 絶対に何も持ってこないでね」

ベッドで出来る自主トレ。(リハビリを参考に)
レントゲンを撮った。骨の経過を診るため。
リハビリ、小1時間ほど。左脚に筋トレの筋肉痛がある・・・

腹減った。両親が持ってきたお菓子を食べる。4時頃になると小腹が空いてくるので少しだが果物を食べたりしている。何か軽いものを在庫しておきたいのだが・・・

安倍が方針転換をしたようだ。赤字国債発行法案等の成立を積極的に進めていくと明言。このまま法案成立に抵抗し続けていけば地方交付税や年金支給など各方面で弊害が出るばかりでなく、自民党への批判が強まるのを恐れたためと思われる。法案を成立させ一刻も早く総選挙に持ち込み、しかも有利に戦うには、このまま反発していくより協調を強調した方が得策だと判断したのだろう。

何事も駆け引き、裏では党利党略が優先している。

お隣さん、消灯前にまたダダをこねている。看護師さんがなだめるのに30分くらい掛かったんじゃないかな。看護師さんのお仕事は本当に大変だなと思っていたが、色々な患者さんに対応していく忍耐強さにも感動する。

11月2日(金)(怪我して2週間、入院12日目)
この間息子にBURRN!を買ってきてもらって、いっぺんに読んじゃうとそれこそ1日で読み終わっちゃうから少しずつ読んでいたのだが、広告のページにTOOTH & NAILなるバンド(?)の広告があった。
今までこんなグループがあるとは知らなかったのだが、メンバーは
「いわゆる普通の意味でのDOKKENのオリジナル メンバー」ー「ドン・ドッケン」+「ブライアン・ティっシー」ということらしい。
収録曲は新曲と思われるものもあるが、半分近くは「トゥース アンド ネイル」を含む昔のDOKKENのヒット曲(の焼き直し)だ。
音は聴いてないのであまり根拠はないけど、何かこれはこれで面白そう・・・

笑ってしまったのはページをめくったらDOKKENの新譜の広告があったことだ。
更に、病室であるにもかかわらず、思わず声を出して笑ってしまったのは、アルバムのタイトルが「BROKEN BONES」だったこと。 「骨折」じゃんか・・・

アルバイト仲間で中国人のGさんが見舞いに来てくれた。おねだりしていたアイスクリーム(正確にはアイスクリームじゃないが)の「ジャンボもなか」を買ってきてくれた。いや~、幸せ、美味しい。 入院すると何気ないものが急に食べたくなったりする。
しばらく色々な話、人間の理想とか戦争はなぜ起きるのかとか、結構重い話をしていたのだが、昼食になったので帰っていった。どうも色々有難うございました。

Gさんがいる間に、急遽隣の部屋に引越しすることになった。特に何か問題があったわけではないと思うんだけど・・・ 「あの~、何か自分が原因ですか?」「いや、そうじゃなくて隣の部屋だとちょっと世話しにくい新しい患者さんで、こちらの部屋は高齢者の方が多いし、やりやすいんですよ」ということだった。

隣のベッドの人がよくダダをこねるし、自分で引越しを頼んだわけではないが丁度良かった。ホッ。

新しい部屋、移動した時には患者さんは1人だけ。夕方もう1人外出から帰ってきたので、結局自分含めて計3人となった。
前の部屋ではほとんど会話がなかったが、こちらではすぐに打ち解けてそれなりに会話あり。前の部屋では平均年令は75才くらいか、こちらでは60才くらいか。

午後、シャワーを浴びる。今日は‘寝たままシャワー’用ベッドじゃなくて、車椅子で連れていってもらって、シャワー室の椅子に移り、座った状態で世話をしてもらった。
リハビリ。

10月分の請求書を受け取った。入院の時には国民健康保険が使えるということだったが、今日病院側が言うには、交通事故なので保険は使えず、自己負担率は100%で計算したとのこと。ただ確認したいことがあるので、損保会社の人に病院に連絡するように伝えて欲しいと言われた。
損保会社に連絡。

損保会社と病院側との話の結果、交通事故ではあるが自転車同士の事故の場合は健康保険が使えるとのことで30%で計算し直した請求書を持ってきた。支払額は40万ほど減った。

夕食後、部屋のお2人さん、お1人はパソコンをカチャカチャ、もうお1人は持ち込みのテレビを見ている。前の部屋は、皆さん高齢だったこともあるがほとんどただ寝ているだけに近いものがあったので、こっちの部屋の方が‘活き活き’としている。コンセントの使用も大っぴらだ。

11月3日(土文化の日)(入院13日目)
4月29日、以前は天皇誕生日、そしてみどりの日から今は昭和の日と変わった。
11月3日の今日は、明治生まれの祖父は天長節(明治天皇の誕生日)とか明治節とか言っていたが、今は文化の日。

昨日東京では木枯らし1号とはならなかったものの風が強かったようですね、今日も外は風が冷たそうに見える。病院の中はもちろん空調が効いているので外のことはよく分からないが、それでも今朝は外の冷え込みが窓を伝ってきたのか、何となくスースーした。自分の経験では毎年11月3日辺りで急に冬らしい日がやってくるということがよくあった。

今日と明日はリハビリはお休み。自主トレ。ベッドで脚を動かしたりしていた。右脚は動かすとまだ痛みが多少ある。
昨日リハビリが終わるまでは、車椅子を使うのはトイレに行く時だけ、しかも看護師さんに押してもらっていたが、今は車椅子は自分で動かして良いことになった。病院内の散歩もOK。一歩前進。

ということで院内を車椅子で廻ってみた。1階にはキヨスクみたいな売店。だが今日明日はお休み。他の階にもちらっと寄ってみたが、余り病院自体大きくはないようでアッという間に散歩は終わり。

テレビで、日本の7-9月期のGDPの伸び率の民間予測は、いずれもゴキブリにマイナスに転じるであろうというものであったという。ゴキブリ? (PCだとカタカナで変換されちゃう)

そうだ、思い出した。3階の一番外れにラウンジがあったんだ。そこからなら、入院するとき救急車からチラッと瞬間的に目に入った自分が働いているスーパーと同系列の店が多分見えるんじゃないかな。
いや~、懐かしいなあ。店名のロゴ、同じだよ~。(当たり前だけど・・・)
いや~、懐かしいなあ。店員のエプロン同じだよ~。

懐かしいなあ。早く退院して働きたい・・・ いや、そうでもないかな・・・ やっぱ本心・・・ どうかな? ちょっと微妙だなあ・・・

ここの入院費、事故の相手が入っている損害保険から補填されるようだし、自分でも入院特約付きの生命保険に入っているし、もう少しちゃんと調べなくてはならないが、給料収入が無くても、もしかしたらそれ以上にいくらかプラスになるかも・・・ (プラスにならないかも・・・)

ここで何もしないでのんびりと3食昼寝付きも悪くはないが、まだ老人ホームのような生活は早いし、やはり早く元気になって退院したい。

何となく便秘気味。下剤を飲んで寝るが、余り下剤効かないんだよなあ・・・

11月4日(日)(入院14日目)
病院では、ノートを持ってきたので、毎日ブログ用の下書きをしている。最初の内は色々と書くことがあるかもしれないが、毎日毎日寝ているだけだから、その内書く事がなくなって「特になし」ばっかになると思っていたのだが、予想は外れた。暇なせいもあって、つまらないどうでもいいことをダラダラと書いているからだろう。

同室のお2人はお2人とも外出・外泊がOKのようだ。お1人が散歩に出掛けるというので厚かましいが、「窓から見える前の本屋の電話番号を訊いてきてもらえますか?」
名刺をもらってきてくれた。

この間「老婆」にBURRN!を買ってきて欲しいと頼んだらBURRN!は置いてないということだったので、本屋に電話してBURRN!の12月号を取り寄せてくれるように頼んだ、ということだ。

事故の相手の方がご夫婦でわざわざ見舞いに来てくれた。
事故の時はこっちは半分気を失った状態で道路に横たわっていたし、救急車が来たらすぐに車内に入っちゃったし、だから事故の相手とは電話ではあるものの、面と向かって話をするのは初めてである。

ほんのちょっとしたことで事故になったわけだし、こっちもあと少し気を付けていれば防げたかもしれないし、別にこちらは事を荒立てるつもりはないし,相手の人が入っている保険会社の人もちゃんと対処してくれてるし、かえってお気を遣ってこんなところまで来ていただいて大変恐縮です、といったようなことを言った。

事故に対しても冷静で、しかもとても礼儀正しいご夫婦であったのは不幸中の幸いである。

「平清盛」「イ・サン」

11月5日(月)(15日目、入院して2週間が過ぎた)
先日までたまに残っていた頭痛は、ここ数日はほとんど感じられなくなった。熱も37度以上になることはなくなって平熱の範囲内に収まるようになった。

まだ右脚に体重を掛けることは出来ないが、リハビリなどで仰向けになて脚を動かすとやや痛みがあるものの、運動を始めた頃に比べると痛みは随分と小さくなった気がする。
運動でない時には、車椅子に乗るときも横になっているときも、そんなに痛むことはほとんどない。

まだ診察室に行って先生と話をしたことは1度もない。先生は1日に2回病室に来て患者によって違うが、自分に対してはちょっと顔を合わす程度。「どう、変わりない?」「はい、特に」 それこそ10秒程度・・・

基本的に毎日ベッドでひたすらゆっくりしていて、あとは小1時間リハビリという生活である。

朝から重苦しいどんよりとした曇り空。
今週中には10月分の支払いのため親が来てくれると思う・・・

今までずっとこちらの病室では自分を含めて3人だったが、今日部屋に新しい人が入ってきた。20代か。礼儀正しい爽やかな挨拶を受けた。社会人野球のピッチャーということで礼儀正しいのも納得。ここに来た理由は、オフシーズン中のクリーニング手術とかいうもので、内視鏡かなんかで肘の中に溜まった不要物を取り除くんだそうだ。

それにしてもこの病院の入院患者さんでこんな若い人は初めて見たような気がする。

売店で「コレステロールがどうたらこうたら」という本を買った。去年の区の健康診断でコレステロールの値がやたらと高かったからな・・・
リハビリ室へは今日から手助けなしで1人で車椅子に乗って行く。
夕方、元カミさんが来てくれた。入院保険の件。

11月6日(火)(入院16日目)
外は時折雨が降っているようだ。
同室に自分より前からいたお1人さん、退院なさった。
リハビリ、今日はその内に使うであろう松葉杖に備えて、腕や肩を鍛える運動が加わった。一歩前進。
松葉杖が使えるようになれば、病院の外に出られるようになるという。
ベッドで右回転すること(右への寝返り)が今日からOK。また一歩前進。

11月7日(水)(入院17日目)
立冬。雨はすっかり上がり今日は綺麗な秋空だ。

10時、一昨日入院した社会人野球のピッチャーが、入院した時と同じように爽やかに退院していった。今6人部屋に‘先輩’と自分の2人。

シャワー。大分手伝ってもらう部分が減った。もうシャワー室で体を洗うのは全部一人だ。少しずつ退院に向かって前に進んでいるようで、それはそれで嬉しいが、ただやっぱり体を洗ってもらうのは女性にやってもらう方が圧倒的に気持ち良い・・・
浴室から戻ると一人入院していた。

リハビリ。実際に松葉杖を使って歩く練習を初めてやった。一歩前進。
リハビリ室から戻ってきたら、更に1人入院していた。午前中2時間ほど瞬間的に2人だけになってしまったが、これで4人。
テレビを点けたら、まだ開票途中だが、オバマの勝ちが確定し、勝利宣言をしている最中であった。

両親が来た。取り敢えず10月分の病院の支払いを頼んだ。今回の事故について、ちょっと苦言あり。病院内だから少し控え目だったかも・・・
近所で2~3買ってきて欲しい物もあったのだが、父がこれから予定(合唱の練習)があって忙しそうなので、頼まなかった。

11月8日(木)(入院18日目)
また入院の人が入ってきた。30代かな。
窓から見える本屋にBURRN!の最新号の取り寄せを頼んでおいたが、電話してみたら明日病室まで持ってきてくれるという。
リハビリ。今日も筋トレのあとは松葉杖の練習。今日はちょっとぎこちなかったかも。

今朝の東京の最低気温は10,4度で、今シーズン最も低かったそうだ。

今日から中国共産党大会が始まって、フー・ジンタオが党総書記として最後の演説を行なった。過去の成果を強調するとともに、これからの目標として、2020年までにGNPと全ての国民の所得を2010年に比べ て倍増させると述べたようだ。

「所得倍増」、我々の年代には懐かしい言葉だ。1960年代に池田勇人が打ち出した政策、それが所得倍増計画である。こちらの期間も10年ということで中国と同じだ。もっともフー・ジンタオが日本の所得倍増計画を知っていたかどうかは分らないが、いずれにせよ10年で2倍ということは、単純計算で年率約7,2%、これの10乗で2である。

中国の経済成長率が、かつての勢いがなくなったとはいえ日米欧から見れば夢のような8%前後の今、10年で所得倍増も決して不可能ではない数字である。

しかし、そもそも何故こんな目標を今更掲げたのか。掲げざるを得なかったのか。背景は何なのか。
それは、不公平な社会構造(共産党員や金持ちの優遇)、蔓延する汚職、経済成長に伴う貧富の格差の拡大、こういった社会の矛盾を覆い隠せなくなった、、隠しきれなくなった、不満を吸い上げられなくなった、そんな現状があるようだ。共産党に対する不満が積もり積もっているようだ。

フー・ジンタオが総書記に就任した時に人民はそういう状況を解消することを望んだが、党内改革も、富の再配分も結局フー・ジンタオには出来なかった。
それ故フー・ジンタオは最後に明るい目標だけ示して、別の言い方をすれば、それでお茶を濁して第一線を去っていく、ということだ。

では、フー・ジンタオの後を引き継ぐと言われているシー・ジンピンは、その党改革・富の再配分を実現できるのかというと、これまた道は厳しいと言われている。

そこで容易に想像できるのは、民衆の党への不満を逸らすために使う切り札として、‘日本’がいつでも利用される可能性があるということである。ポケットには常に切り札‘日本’が入っているということである。党として自分たちへの不平不満を抑えるためには、好むと好まざるとにかかわらず日本への厳しい態度は取らざるを得ない。

日中間の緊張は当分の間続くと思った方が良さそうだ。

そんなことが中国の共産党大会開催の報道と共にどっとテレビから流れてきた。
中国内の歪は自分が思っていた以上に大きかったようである。

もっとも、我々日本人としては、隣の国の歪よりも日本自身の歪みのことを心配しなくてはいけないのだが、その解決を今の政治家に期待するのは、まあ、無駄だと諦めていた方が、後で落胆して怒(いか)らなくて済むので、利口かもしれない。

全ての大前提である財政の健全化、もう誰にも出来ないところまで来た?

(日本の歪より、自分の歪はどうなんだ!)

夜、消灯直後、部屋の‘先輩’からあんドーナツをこっそりと頂いた。別にねだったつもりは全くないのだが、「夕方になるとお腹空いちゃいますよね」なんて話をしていたからだろう。

11月9日(金)(怪我から3週間、入院13日目)
朝、またお1人入院してきて満室。昨日・今日と割と若い人。一昨日の朝には2人だけにまでなったが、一気に6人となった。ちなみに6人中歩けないのは自分だけ。

病院の向かいにある本屋さんが、取り寄せを頼んでいたBURRN!を病室まで持ってきてくれた。
表紙はエアロスミスのフロントの2人。そういえば先月号の表紙がKISSのポール・スタンレーだったから、70年代前半デビューのかなりオッサン達が2ヶ月続いたことになる。

アルバイト仲間のGさんが「ジャンボもなか」を持ってまた見舞いに来てくれた。中国の人は義理堅いね。

リハビリ。足首にオモリは付けないものの右脚の筋トレが始まる。一歩前進。松葉杖の練習も。

満室となったと思ったらいつの間にか1人退院。
何だか最近の若い人はあまり挨拶をしないね。特に入院してきた時。

11月10日(土)(入院20日目)
午前中、リハビリ。

遠隔操作ウィルスに感染したパソコンから犯行予告が書き込まれた事件で、犯人でないのに間違って逮捕された人がいた、なんてことが最近ありましたよね。
では、間違って逮捕されたのは何にんでしょうか?

答えは誤認です。4人が誤認逮捕されました。

「ケータイ大喜利」「オンバト+」
「オンバト+」に出演したある挑戦者のコンビ名が「リンシャンカイホー」。 あれ? リンシャンカイホーって何だったっけなあ。20代、30代には気違いだった麻雀も、やらなくなって20数年の間にやったのはたったの1回だけ。役名も忘れてしまった・・・

11月11日(日)(入院21日目)
BURRN!を読んで。 スティーヴン・タイラーの本名がスティーヴン・タラリコですか・・・ 大きな口からヨダレがタラリコ・・・ どこ系の人なんでしょうね。
ちなみにレイディ・ガガの本名は・・・ たしかステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタでしたっけ?
芸名と本名との乖離が結構面白かったりして。こういうのって結構沢山あるのかもしれない。

「平清盛」「中国文明~・漢字誕生」「イ・サン」
「イ・サン」が終わると日付が変わる。ちょっと夜更しして、寝たのは1時半くらいかな?

昨日・今日と、やっと書く事があまりなくなってきた。

11月12日(月)(入院22日目、3週間が過ぎた)
テレビで、昨日は冷たい雨。今日の最高気温予想は昨日より8度高く暖かいとのこと。

便秘が定着してきた・・・

朝、1人入院。午前中3人退院。部屋には‘先輩’と今日の人と自分の3人。・・・と思ったら今日の人、夕方出ていった・・・ ‘先輩’は明後日退院の予定とか・・・

この部屋は割りと短期の人が多い。他の病院からやって来て手術だけして退院していく。医師の腕が良いのかな。
それと、入院3週間、さすがに飽きてきた。リハビリも今に近い状態がしばらく続くようだし・・・

今月末に予定されている北京国際マラソンだが、大会ホームページから参加登録しようとすると、国籍リストに日本が含まれていないので、日本人が大会に参加することが出来ない状態であったという。
そっちにも色々言い分はあるだろう。だが敢えて言わせてもらう。

中国人よ、その程度か。情けない。残念である。

GDPの伸び率がマイナスとなったそうだ。景気は後退局面に入ったのではないかと報道されている。米・欧・中、どこも良くない中で日本だけが無傷ではいられない。

11月13日(火)(入院23日目)
シャワー。
リハビリ。右脚のリハビリ、今はまだ予備的な運動だけだが、来週からは少し前に進むようだ。

国会は飽きもせず、「年内解散を明言しろ」 「『近い将来』は重く受け止めているが、明言は出来ない」
これだけ。

息子に電話。
「今度の土曜か日曜にちょっと頼みたいことがあるんだけど良いかな?」
「土・日は静岡の方に行くんで、ダメだ・・・」

元カミさんに電話。仕事で奥沢には月2回くらいくると聞いていたので、
「近い内に奥沢に来る予定あるかな?」
「今週中に行くよ」
「それじゃ悪いんだけど、コンバースを買ってきて欲しいんだけど・・・」
「分かった」

助かった。
入院する時、病院内は靴よりスリッパ系の方が良いだろうと思い、サンダルでやってきたのだが、リハビリで松葉杖を使うようになったし、来週からは両脚で立つ練習も始まるというし、そうなると靴の方が良い。

自分は中学の時にバスケット部に入って以来、この年になるまで革靴以外はず~っとハイカットのバスケットシューズもしくはコンバースを履いてきた。どうせ今靴を買うんならコンバース。退院してからも使える。

ということで元カミさんの手を借りることにした。

石原新党の党名が「太陽の塔」・・・やっぱPCもそう変換しますよね・・・ 新党の党名は「太陽の党」。何だか万博みたい。
いや、待てよ、あまりよくは知らないが、「太陽の季節」って石原の書いたものじゃなかったかな・・・ 「太陽族」とかいう言葉も流行ったようだ・・・

その石原、自公が過半数を超えたら大変なことになると言っていたけど、真意はどこにあるにせよそれだけは納得できる。
結局民主の政治は期待外れの面も多々あったが、今の滅茶苦茶な世の中にしてしまった自公の政治に、多くの人間がうんざりしていたのも事実である。

かといって、それじゃ石原の目指す第3極の結集(あるいは、もし実現したとして、その第3極)に期待できるかというとそれは全く出来ない。何故なら皆同じ穴のムジナ。所詮政治家。
というより石原は誰もが知っているタカ派である。危険。

11月14日(水)(入院24日目)
10時半、‘先輩’が退院していった。アガサ・クリスティ風に言えば「And There Was One」(そして1人が残った) ついに個室状態・・・

と思ったら、昼、若者が1人入ってきた。
食事してウトウトしていたら、いつの間にかもう1人いた。
更にリハビリから戻ってきたら、その直後にもう1人若者が入ってきた。
一気に3人入院だ。

国家基本政策委員会の合同審査会が開かれた。(党首討論とか言われているやつ)

野田、「小学生のとき成績表を父親に見せたら、父親は5とか4とか3とかいう数字にはあまりどうでも良いみたいだったが、通信欄に『野田君はバカが付くくらい正直』と書いてあったのを見てとても褒められた。(※) 私は夏に『近い内に』解散とお約束しましたが、嘘はつきません。

もし安倍さんが、議員定数削減を次の通常国会で必ず成立させることを確約するなら、明後日の金曜日、16日に衆議院を解散します。確約してくれますか?」

審査会の後、安倍がこの件で野田に協力すると返答。どうやら衆議院は16日に解散される公算が強まった。
結構急である。

(※)自分で言うのも変だが、自分もバカが付くくらい正直だと自分では思っている。そしてよく皆からバカと言われる。

11月15日(木)(入院25日目)
東京では今シーズン初めて最低気温が10度を割った。71年以降では3番目に遅い記録らしい。

朝食後、若者1人入院。
シャワーから戻るとまた1人入院していた。
昨日部屋は瞬間的に自分1人だけになったが、その後アッという間に5人が入院して満室となった。
まあ、それにしてもこの部屋で何人もの若い人(20~30代)の入退院に接してきたが、ダメなのが多いね。挨拶一つ出来ない。「こんにちは」の「こ」の字も言えない。「よろしく」の「よ」の字も言えない。名を名乗ることも出来ない。

1人、非常に印象に残るのはあの社会人野球のピッチャー。「○○です。よろしくお願いします」 (そう言われれば「××です。こちらこそよろしく」となる) たったこれだけのことだが、ちゃんとできたのは、あと今日入ってきたもう一人だけ。こういう人とはすぐに気軽に会話できるが、「こんにちは」も言えないような人とは、正直言って喋る気にはなれない。

自分はどうだったかな。最初入院した日はベッドに乗せられて病室に入ったが、まず最初に上を向いたまま「宜しくお願いします」と言った。こっちは寝たままだし、カーテンの閉め具合もあるし、ほとんど口をぽかんと開けて寝てばっかの人もいるし、でも相手が通りかかったりして挨拶できるタイミングの時は、こっちからちゃんと名乗って挨拶したよな。

新しい部屋(この部屋)に移ったときも、(1人しかいなかったが)こちらから挨拶したし、もう1人が夕方帰ってきたときにもこちらから挨拶した。別に偉くも何ともない。当たり前のことをしただけだ。

でもここで見ている限り、若い人の多くは全くなってない。

部屋に入ってきた看護師さん、ポツリと一言。「部屋が若いな・・・」
「そうですよね。4~5日前まで平均年齢60くらいだったのに、昨日・今日で一気に20代になっちゃいましたね」

リハビリとレントゲン撮影。最近、「一歩前進」がない・・・

11月16日(金)(入院26日目。怪我して4週間が経過)
一昨日・昨日で若い患者さんがどっと入ってきて、手術を受けるようだ。今朝は、それぞれの担当医、麻酔医師看護師、事務員など入れ代わり立ち代わりやってきて、色々と患者さんに説明をしているのでとても賑やかだが、自分はというと、ただひたすら無理をしないでじっとしているだけなので、先生が来ても「どうですか?」「特にないです」の10秒だけ。

部屋でベッドが向かい側の人とはそれぞれのカーテンを開ければ目と目が正面で合う位置なのだが、入院してきたときに挨拶もなかったので、朝に一度挨拶をしただけであとは会話は全くなし。今日は手術のようで、共に50代と思われる両親らしき2人がやって来た。両親は病室に入ってきたときも、それから小1時間ほど経って息子が手術室に向かうまでの間にも、いくらでも機会があったにもかかわらず、こちらに対して一言も何もない。

あっ、そうか。子供がダメなのは親がダメだから当然だ。
自分の母は病院に来たとき同室の人にみかんを配りながら、お世話になっておりますみたいなことを言っていたような気がする。別に何か物を配らなくてはいけないというわけでもないし、自分が何か物が欲しいというわけでもないが、会釈の一つもないような人間じゃどうなのかなあと思う。

「人の振り見て我振り直せ」。自分も後ろ指を指されないよう気を付けなければ。「親の顔が見てみたい」などと言われないようにしなくては。

夕方、元カミさんがこの近所の仕事ついでに来てくれた。色々と忙しいであろう中、この間電話で頼んでおいたコンバースを買って持ってきてくれた。来週からリハビリで使う靴である。どうも有難う。

衆院解散。
今までろくな審議もせずにズルズルと金と時間を無駄に費やしてきた国会は、解散となったら「赤字国債発行法案」と「0増5減」はたったの2日で衆院と参院で可決・成立してしまった。

テレビでは、街の人に政治に何を望むかをインタビューしていた。
消費税率引き上げ問題、原発及びエネルギー問題、社会保障問題、子育て問題、教育問題、経済・景気問題、雇用問題、TPP問題、外交問題、そして自分が何よりも大切だと思っている財政再建問題・・・
これだけではない色々な問題の1つ1つに対して、各政党や各個人に、単にイエス・ノーだけではない様々な考え方があるであろう。
たとえ14とか15とかいう政党があったとしても、自分とぴったりと意見や考え方が一致する政党なんて果たしてあり得るのか。甚だ疑問である。

いや、不可能である。自分と何から何まで意見の合う政党を選ぶなんて不可能である。ある事柄についてはA党に賛成だが、A党の他の考えには賛成できない、そんなことが絶対に起きる。
日米安保廃棄、永世中立、自衛隊大幅縮小、災害救助隊設立、財政再建のための大幅増税・・・ こんな意見の人間もいなければ政党もない。選挙で政党を選ぶことは絶対に不可能である。

誰が言ったか知らないが、「自民コリゴリ、民主ガッカリ、3極分からん」。
でも総選挙となれば結局はもうコリゴリのはずの自公時代へ戻ってしまうんだろうな・・・
まあ、どの政党が政権を担うにしても、口で言うほど楽にトントン拍子で物事が前に進むとは思えない。

年金が自分の思っている通りになるとは思えない。
失業率が自分が若いときのように2,5%位まで下がるとは思えない。
デフレだってそんなに簡単に脱却できるとは思えない。
ガレキの山が早々と消えるとは思えない。
福島原発周辺の人達が地元に今すぐに戻れるとは思えない。
所得格差、貧困問題が解決するとは思えない。
四島・尖閣・竹島が解決するとは思えない。
子供の出生率がどんどん上昇するとは思えない。
国の借金が例えば今の半分にでもなるとは思えない。
そして何よりも、政治家の質が向上するとも思えない。

出来もしないことをアーだコーだ皆騒いでいる。
基本的に自分は政治家そのものをまともな人間として認めてない。
もうちょっとソフトに言うとしたら、政治家は大嫌いだ。
選挙に行くということは、給料をもらう資格のない人間に給料を払うことである。
政党を選ぶのは不可能だし、政治家は嫌いだし、だから色んな意見はあるだろうが自分は選挙には行かない。

ちゃんと覚えてはないのだが、割りと最近のお話・・・
イタリアで 犬が選挙に‘立候補’した。イタリアでは政治に対する国民の失望感が非常に高くて、もう誰に投票しても同じだよと考える人が多くなっているらしい。そこである人が半分冗談で自分の飼い犬を選挙に立候補させようとした。当然選挙管理委員会は受理しなかったので正式な立候補とはならなかったのだが、それでも飼い主はかまわす、現状を嘆く立会演説会を行うなど‘選挙活動’を続けた。
結果は得票率8%だったか12%だったか忘れたがそんなような数字で、結構票を集めたようだ。(もちろん無効票扱いだが)

犬とか猫が立候補したら、35,6年振りに選挙に行くかもしれない。

それにしても石原、相変わらず下品だね。橋下との会談後、建物から出ようとした自分を取り囲んだ記者たちに対して一言。「邪魔っ!」。 まあ、他の政治家だったらそんな言い方はしないだろう。
その橋下、彼は「政治家を目指すのは権力欲、名誉欲のためで、国民のためとか国のためとか言うのはその手段だ」という考えの持ち主。核武装論者であり、徴兵制論者でもある橋下と下品石原とはファッショ同士、さぞかし気が合うであろう。

極めて危険。

11月17日(土)(入院27日目)
1人、退院していった。今まで何人もの若い人達がこの部屋に入ってきたが、その中でちゃんと挨拶ができた2人の内の1人。
「あっ、退院なさるんですか?」
「はい、どうもお世話になりました」
「お目出とうございます。こちらこそお世話になりました。どうかお元気で」

部屋の真ん中で、「どうもお世話になりました」と気持ちの良い挨拶をして部屋を出ていった。

リハビリはお休み。
前に「コレステロールがどうのこうの」という本を売店で買ったが、今日は同じ出版社の「糖尿病がどうのこうの」という本を買った。

夜中のテレビ番組、「ケータイ大喜利」と「オンバト+」はお休み。

11月18日(日)(入院28日目)
外は風が強くて寒そう。
バイト先に電話して、近況報告。「働けるのは12月に入ってしばらく経ってからになりそうです」

今日は東京で木枯らし1号が吹いたそう。これからしばらくも寒いそうで、明日は最低気温、最高気温とも今日より5度も低いとのこと。

入院の時の服装だと、退院するときはかなり寒そう。

「平清盛」 「がんワクチン~」 「イ・サン」
凄いですね。がんワクチンを投与するとがんの再発を抑えたり、更にもっと驚くのは、一回の投与で一生がんに罹らないようにできるかもしれないという研究が結構進んでいるという。

11月19日(月)(入院29日目 4週間が過ぎた)
怪我して1ヶ月が過ぎた。長いな・・・
外の寒さのせいか、明け方はスースーと涼しさを感じたが、それでもまだアンダーシャツは着ていないし、靴下も履いてないし、掛け布団も掛けてない。

シャワー。 久し振りに自分が持ってきた下着に穿(は)きかえた。
入院1週間くらいのときに紙おむつが取れて、その後は病院から提供されるブルマみたいなリハビリパンツなるものを履いていたのだが、内心では早く普通の下着に戻りたいと思っていた。(もっともTバックが普通の下着だと思ってない人もいるかもしれないが・・・ ミュージックビデオなどを見る限り欧米では男も女もTバックは当たり前のように思える)

本当はもうとっくにTバックでも良かったのだが、ただそれだと洗濯が出来ない。洗濯機があるのは6階(屋上)で、エレベーターは5階まで。車椅子の人間にとっては行くことができないのである。
でも今日辺りから松葉杖で階段を昇り降りする練習を始めると聞いていたので、シャワーを浴びたのを機にTバックに替えた。

1人退院。(今、3人)
慢性的な便秘だが、今日多少あり。でもまだ大腸の中にはいっぱい順番待ちがいると思う。まだまだスッキリせず。

リハビリ。元カミさんが買ってきてくれたコンバースを初めて履いた。この病院に来て靴下も初めて履いた。
筋トレ等のあと、いよいよ右脚に‘庄’を掛ける練習。とはいっても一気に二足歩行というようなものではなくて、今まで松葉杖を使うときは右脚は一切床につけずに歩いていたが、今日からは体重の3分の1程度を右脚に掛けて杖で歩くというもの。

まだ右脚はつま先だけであくまでも補助的という感じだが、右脚を浮かして歩く時より、ずっと安定性が増して非常に歩き易くなった。
階段の昇り降りも練習した。
病室に戻る時は車椅子じゃなく、松葉杖で帰ってきた。松葉杖を使って病院内の移動もOK。

今日は一歩じゃなくて、2~3歩前進した気がした。(最近あまり前進がなかったからな~)

世論調査。 12月の衆議院選挙に行くか?
・必ず行く   59%
・行くつもり  27%
・わからない 10%
・行かない   4%

凄いですね。 「必ず」と「つもり」を合わせると何と86%じゃんか。 きっと今回はそれだけ皆の関心が高いということなんだろう。 自分は4%。悪しからず。

今日の昼間の最高気温は9,9度ということで、かなり寒かったんですね。
でも、昨日の夜の時点での最高気温の予想が12度、今日の朝の時点での予想が13度。なのに実際は9,9度。
予想が外れることもあるだろうけど、随分外しましたね。数時間後の予想だし、しかも今朝の予想の方が高い。
まっ、良いか・・・

11月20日(火)(入院30日目)
5階までエレベーターで行き、そこから階段を松葉杖をついて洗濯機と乾燥機のある6階まで上った。
(話には聞いていたが)洗濯機の使用料は100円、乾燥機の使用料は200円。両方で300円。洗剤はなし。Tバック1枚なんだけどなあ・・・

リハビリ。
退院の日取り、自分の希望(というのか何というのか)は11月30日。その根拠は、入院した時の入院計画書。入院期間が1ヶ月~6W(週)程度と書いてあったから。 6週間なら42日、11月30日なら40日。月末でキリも良いし、そんな滅茶苦茶な希望でもないと思うのだが、どうも病院の方の考えでは12月に1週間ほどずれ込む予定のようだ。経過が悪いというのなら仕方がないとも思うのだが、それはないようだし・・・

リハビリ後、許可をもらってすぐ近くまで松葉杖をついて外出した。
・ローソンで支払い (水道料と電気代。水道料の方は1週間ほど支払い期限を過ぎた) 自動ドアじゃないとドアを開けるのがちょっと大変・・・
・三井住友のATMで通帳記入。近くにATMがあってラッキー!
看護師さんに描いてもらった地図が結構違っていた・・・

ということで病院の外の空気を吸ったのは約1ヶ月振り。Tシャツ1枚だったが、気分は良かった。2~3歩前進した気分。

夜9時、寝ようとしたら、民巣党の鳩は飛ばないというニュースが入ってきた。巣を追い出されたようだが、新しい巣を作って飛ぶのか、他の巣に移って飛ぶのか、巣は作らずに飛ぶのか、それとも本当にもう飛ばないのか・・・

第3極、何だかゴタゴタしているね。くっ付くとか、くっ付かないとか・・・
石原、核について言及。橋下と会って気が合い、益々心強くなったのだろう。2人とも危険。

自民の安倍が、日銀法を改正して、建設国債を日銀が無制限に直接買取りできるようにし、その金で公共投資をどんどんやれば良い、みたいなことを言ったとか。さすがにお友達の公明も慎重で否定的だ。
国の危機的・破滅的な赤字財政状態を何も考えてない、全く理解に苦しむ発言。

11月21日(水)(入院31日目)
手術を終えた若者、退院。残りは自分ともう1人。

リハビリ。今日は松葉杖の練習なし。その代わりエアロサイクルに乗った。
チャリの事故でこれだけの大怪我をしてしまったので、ペダルを漕いでいて始めの内はちょっと複雑な気分がしたが、でも、その内に何となく心がウキウキ。
♪サイクリング サイクリング ヤッホー、ヤッホー♪

リハビリ後、今日も許可をもらって近所に外出。Tシャツ1枚で昨日よりやや寒い。
・自分が働いているスーパーと同系列の店。
・病室の窓から見えるビルの1階の商店街。その中の100均でノートを買った。ベッドの上で毎日ブログ用に書いている下書きノートの残りが大分少なくなってきたので。
退院したらブログの‘清書’、大変だろうな・・・ DVDの編集もあるし・・・

民巣党の鳩は結局もう飛ぶのはやめるとのこと。

◎自民党の政権公約。
自分が何よりも一番大切だと考える財政健全化に関しては何も触れられてないようだが・・・ 仮にちょっとくらい経済が好転したとしても、その程度じゃ健全化の入口にも立てない。
○経済政策。
 ・名目3%の経済成長でインフレターゲットが2%なら実質1%じゃんか。
 ・「日銀法の改正も視野に大胆な金融緩和」って言うけど、それって「建設国債の無制限の日銀引き受け」を言い換えただけじゃん。国債を無制限に発行するなんて、無責任にも程がある。
 それに、自民党の‘スポンサー’である大手の建設会社は公共事業によって潤うかもしれないが、今の世の中では下請け、孫請けで働く労働者のフトコロがどの程度暖かくなるのか甚だ疑問。
○外交、安全保障
 ・集団的自衛権の行使を可能にする。
 ・憲法を改正し、自衛隊を「国防軍」と位置づける。
  自衛隊と国防軍の違いって正直言って分かりません。集団的自衛権に関しては、朝鮮戦争以来これまでの警察予備隊(自衛隊)に対する度重なる拡大解釈の歴史からして、やはりこれを認めてしまったら海外進出に歯止めが効かなくなるんじゃないかという大いなる危惧がある。

  もし、強い日本を念頭に置いた公約であるならば、、いくら中国が軍備を増強しているからといって、これに対抗するべく自衛隊を増強するのは、戦前の日本の誤りから何の教訓も得ていない極めて危険な考えだ。もう既に日本は世界の中でもかなりの軍事大国だが、例え日本の軍事力が世界で最強だとしても中国がそれに屈するとは思えない。日中間で悲惨な結果が想像されるだけ。紛争解決に軍事力を云々するのは非常に危険。
○原発、TPP
  文面からは何を言いたいのかよく分からん。ボカシ、ハグラカシのテクニックはさすがである。

自民の政権公約のニュースのあとに、歌人、与謝野夫婦の孫である馨(かおる)が政界を引退するにあたり、NHKのインタビューに答えていたのを聞いた。

「財政規律強化の問題、のんびり、のんびりやってると、国の力が衰えていく。お金をいっぱい刷るという話はダメな政策の典型ですよね」

2020年には、財政、経常収支、資源調達、競争力低下・産業空洞化・高失業率、食料などの諸問題が深刻化して解決困難になり、対策を急がなければ取り返しのつかないことになる、と警鐘を鳴らしている。

政治家として99%自民党で生きてきた重鎮 与謝野馨の「(国債の無制限発行は)財政再建に真っ向から逆行するダメな政策の典型」という言葉を安倍に聞かせてやりたい。

財政再建、赤字体質脱却が第一、全てに優先する。財政がガタガタだから、経済も雇用も復興も社会保障も少子化問題・子育ても、何も出来ない。
国の力は軍事力ではなく、経済力、政治力、信頼・信用で強化すべきである。

11月22日(木)(入院32日目)
今日は語呂合わせで、「いい夫婦」の日だそう。
街でインタビューをしていた。新婚カップルは「いつまでも仲良くいたい」。熟年夫婦は「(円満の秘訣は)我慢、着かず離れず」。 比べると面白い。
朝の連ドラの中のセリフで「不幸になっても着いていける人」というのがあった。ある意味、なるほどなと思った。離婚した人の考えを聞いてみるのも面白いと思うが。

午後、シャワー、レントゲン、リハビリ。
リハビリ後、杖をついて病院の隣でお菓子などの買い物。

自民安倍の日銀法改正をともなう金融緩和策には、既に一昨日の段階でお友達公明は否定的であったが、自衛隊に関する政権公約についても公明は慎重だ。

安倍は自分の金融緩和の発言によって、市場が円安に向かっていると有頂天になっているが、永年自民党の中枢にいた与謝野の「お金をいっぱい刷るというのはダメな政策の典型」という苦言に安倍は聞く耳を持たないようだ。

公明との連立は崩さないものの、自民は選挙で単独過半数の公算があるのであろうか、公明との考えの違いが多少見受けられる。

自民の石破幹事長、民主党を批判して、
「ウソばっかり言って政権についた政党に国政を担う資格はない」

呆れて物が言えなかった。何10年もの間国民にウソばっかりついてきた結果、今の日本はグチャグチャになってしまった。幸福で豊かで安心して暮らしていける日本をつくると言ったのは全部ウソだった。そのことは国民誰もが知っている(と思いたい)。

自民のどこに他党を批判する資格があるというのだ。
自民のどこに政権を担う資格があるというのだ。

たった1人の同室の若者、今夜は外泊らしい。つまり今夜は1人っきりだ。
夜中、何だか外が騒がしくて目が覚めた。部屋からは直接現場は見ることはできないが、病院のすぐ近くで火事があったようだ。病室の窓の下にも消防車やパトカーなどが4台も止まっている。

退院はいつになるのかなあ・・・


迷える古羊、どこへ行く/入院しました

2012-12-08 00:03:06 | お店の話
(今日は12日分です)

10月20日(土)
昨日、不覚にも事故ってしまった。脚の付け根あたりが痛くて歩けない。救急車で病院に運ばれて診てもらったが、帰って良いという。動かすとかなり痛いので、ほんとに帰っても良いのかな、怪我してもそんなもんなのかなと思いながら、タクシーで帰ってきたのはいいけれど、2階まで階段を上がることも出来ないくらい。部屋の中でじっとしている分にはまだ何とか大丈夫だが、とても立ち上がれない。這(は)うのもやっと。トイレもとてもじゃないが痛くて行けないくらいだ。

今日も昨日と全く変わらず、痛くて立ち上がれない。這うのも辛い。座ってPCに向かっていればまだ何とか脚の痛みは感じないが、頭は重いし、眼球も重い感じ。座っていても辛い。本当にしばらくじっとしていれば痛みは治まるのかな。

警察から電話あり。(電話に出るのも痛くて・・・) とてもチャリを引き取りに行ける状態ではない。持ってきてくれるとのこと。
持ってきてくれた。部屋の中の移動も楽ではないので、打ち合わせどおり窓の下から電話してもらって、こっちは窓際にいるので、窓を開けベランダから、「どうも済みませ~ん。その横の方に置いて下さ~い。鍵は郵便受けの中に入れておいて下さ~い」

寝たり起きたり。起きている時はPCも辛いので取りあえずDVDの編集。でもやはり頭や眼は重い。
仕事は取りあえず今日・明日は休みにしてもらったが、この痛さじゃもしかしたら長引くかも・・・ とても2、3日で治るとは思えない。

かなりまずい状態になったような気がする。

10月21日(日)
脚は痛いし、頭は重いし、眼球も重たい。
起きている時はひたすらDVDの編集。といっても、まだ2枚しか出来てない。あとブログも少々。

4時、ちょっとこの先が思いやられる気がして、病院に電話してもう一度診てもらい、出来れば入院したいと言おうと思ったのだが、実際に電話を掛けた先は実家。心配を掛けちゃいけないし、ごちゃごちゃの部屋を見せたくもなかったので連絡しないでいたが、とに角食べ物も減ってきたし、実家に電話をしてしまった。
「明日ちょっと来てもらえますか?」
「そんなこと言っていられないだろう。今から行く」

もうそろそろ日没。引っ越してきてから、流し台の電球と電気スタンドで何とかやってきたので結局部屋全体を照らすシーリングライトは買ってない。それに部屋の中はごちゃごちゃ。こんな部屋は見せたくなかったが、背に腹は代えられない、とに角食べ物を買って来てもらった。両親は部屋を見てさすがにびっくりしていた。もう暗いし病院は明日だ。
父に頼まれていたダビングしたDVDを持っていってもらった。考えてみればこのDVDを父に届けようと思って事故ってしまったんだっけなあ・・・

またDVD編集及びブログ少々。
もしも仮に明日病院に行ってそのまま入院ということになれば、月末の支払い等色々どうするべえ・・・

頭が重いのと眼球が重たいのは相変わらず。もちろん脚の痛みははまだ全然治まってない。両親に買ってきてもらったオニギリとお惣菜を食べる。残り物で食いつないできたので、オニギリが美味い。

「平清盛」「イ・サン」
ブログを更新(19日分)。 明日入院ということも考えられるので、取り敢えず大急ぎで更新。
入院の準備も若干。

10月22日(月)(入院初日)
体の具合は全く良くなっていない。最悪のまま。
朝、昨日のオニギリの残りを食べる。

病院へ電話。
「痛くて痛くて堪らない。1人ではどうしようもないので入院させてほしい」
「入院するかしないかは医師の判断ですが、取り敢えず診断はしますから、午前中に来て下さい」

タクシー会社に電話して家の前まで来てもらおうと思ったのだが、部屋から車までの間運転手さんに手を貸してもらうことは出来ないという。運転手さんに介護士の資格がない限り、お客の体に触れてはいけないそうだ。

介護タクシーというのを紹介してもらった。が、そんなに台数が多くはないので、午前中には病院にはいけそうにはない。一旦電話を切る。

病院に再度電話。
「午前中に行けそうもないが・・・」
「午後でも3時までなら良いです」

再度介護タクシー。
運転手ともう一人で来てもらって、1万円を少し超えるようだ。ちょっと高いなあ・・・ 一旦保留。

救急車はどうかな。もし有料でも訊いてみる価値はありそうだ。
119番で事情を説明すると来てくれるという。しかも無料。
自分よりもっと緊急な人がいるかもしれないし、いくら全く動けないと言っても、自分の場合はやや私的な部分がないとは言えないので、申し訳ないとも思うが・・・ 頼むしかない!

すぐに来てくれた。入院の準備も思いつくものを2~3大慌てでリュックに入れたが、それにしても「取るものも取り敢えず」に近いものがあった。2人の人が抱えてくれて階段を下りた。救急車の車内でお礼とお詫びを言うと、こういうケースもありだという。感謝、感謝。

病院で再検査。この間はレントゲンだけだったが、今日はCTスキャンを取った。

骨盤骨折。骨盤の方にヒビが入っているとのこと。どうやら前回のレントゲンで骨折を見落としたようだ・・・ おい、おい・・・ 勘弁してくれよ・・・ かなり重傷のようだ。治療はただひたすら横になっていて、ヒビが入った部分に新しい骨が出来るのを待つだけのようだ。勿論、即入院なのだが空きベッドがないという。

方法は2つ。入院を明日にするか、他の病院に入院するか。
明日またここに来ると言っても、そもそも歩けない。脚の痛さのことを考えると、とてもじゃないが帰れないし、来られない。明日は無理だ。
他の病院というのは内心あまり気が進まないが、それしかない。紹介状とか診断書とかCDとか持って再び(別の)救急車。車内で訊いたら自由が丘の大脇病院というところらしい。(後で地図を見たら自由が丘というより奥沢)

病院に着いて救急車を降りる時に瞬間的に目に入ったのが、何と自分がアルバイトをしているスーパーと同系列の店舗。奇遇だ。
病院に入ると身ぐるみ脱がされて、紙おむつ・・・ ショック! いくら寝たまんまの治療だからとはいえ、この年で紙おむつをすることになるとは・・・

レントゲンやら採血やら。 それと採尿。だが、何故かオシッコが全然出ない・・・ 不思議なことがあるものだ。尿道に管を入れる方法もあると言われたが、出来ることなら遠慮したいと言ったら、採尿は明日にしてくれた。

病室に入り、多目の水を飲みつつ、色々と説明あり。電動ベッドの上半身の方の高さ、傾けて良いのは30度までで、回復具合いにより少しずつ角度とかの条件が緩くなるそうだ。

割とすぐに夕食となった。(6時) 毎食後、炎症止めの薬を服用。
9時消灯。さあ、これからは骨が自然にくっつくのを待つのみ。1~2ヶ月、毎日毎日退屈な日が続くんだろうな・・・

なかなか寝られず。ちょっと寝て目が覚めて、もう夜中の2~3時くらいかなと思ったのだが、何とまだ10時半・・・ まっ、まだ10時半? でも、オシッコが出そう。仰向けだと何だか出しづらい・・・ しかも赤ん坊の時を除けば初めてのオムツ・・・ 要領がうまく掴めない・・・ 出た~! 看護師さん、今度は採尿カップを紙オムツの中の股の間に入れてくれた。

それにしても、頭は重いし、熱もあるようだし、環境も違うし、ベッドの硬さも違うし、寝返りもほとんどできないし、腰とか背中の筋肉がやたらとムズムズして(映画館でお尻が痛くなるような感じ)落ち着かないし、なかなかゆっくり寝られない。
朝まで長かったこと・・・

10月23日(火)(入院2日目)
6時起床。まだ尿意なし。
朝食(8時)が済んで大分経った10時頃かな、やっとオシッコが出た。寝ている間に採尿カップがずれて、‘竿’がカップから飛び出してなければいいけど・・・ 大丈夫だった。採尿終了。

電話。
・親。
・東京都住宅供給公社。もし今、入居説明会の通知を送ってもらったとしても行けないので。下手すると辞退扱いになってしまうんじゃないかと心配だったので、念のため連絡した。
自分の順番待ち番号は9番なのだが、実際には1番の人にもまだ説明会の通知が行ってないらしい。空き室が出るのは年末とか来年の3月とかかな?
・支払いの件で個人と団体それぞれ1軒ずつ。支払いが1~2ヶ月遅れます。あしなが育英会の方は連絡なしでも次回まとめて払えばいいや。
・元カミさん。今、連絡しなくても良いのだけれども、まあ、保険のこともあるので、一応連絡。
・「老婆」。連絡つかなかったが、何となく会いたい。

PHSの電池が、早くも注意信号が出てしまった・・・ 充電器を持ってくるのを忘れた。なるべく早く充電器が欲しい。
ちょっと読んだ病院の入院案内書に電源の必要な機器の使用禁止(乾電池のものはOK)と書いてあった。まあ、最初からそれは想像できたのだが・・・ 実は昨日入院したときに、看護師さんにワンセグTVのためにコンセントを使って良いか訊いたんだけど「それは医療機器用のものなので・・・」と、やんわり断られていた。

そこで今日は別の看護師さんにそれとなく遠まわしに尋ねてみた。
「あの~、他の病院で公衆電話の横に携帯の充電器が置いてあるところがあったんですけど、こちらにはどこかにありますか?」
「いや~、それはないんですけど、でもその程度だったら、そのコンセントを使っても良いですよ」

やった! 携帯ではないが、ワンセグTVを夜中の間にでも(こっそりと)充電しておけば、昼間TVを観ることもできる。病院に備え付けのテレビはカード式で1000円で12時間弱。長期間入院するとなるとテレビ代も馬鹿にならない。自分のワンセグテレビならお金も掛からないし、時間潰しもできるし、それにニュースを聞かなきゃ時代に取り残されちゃうし・・・

12時、昼食。
発熱もあるし、頭が重いし、眼球も重いし、明日念のため頭のCT検査をしてもらうことにした。

自分のいる部屋は6人部屋だが今は自分の他には3人。(空きベッドが2つ) 3人とも自分よりも明らかに大分高齢のようだ。それにしても皆よく寝るなあ。自分も普段よく寝ると思っていたが、比較にならない程皆よく寝る。夕食が終わって、7時前から3人ともスースー言ってもう寝ている。ある人なんか、食事のたんびに寝ているんじゃないかな・・・

ここの有難いところは消灯後、枕元の灯りを点けて夜更ししていても、看護師さんから早く寝るようにと言われないところだ。前の病院ではその点結構うるさかった。
完全に便秘、ここ数日全くない。下剤を飲んで寝た。

10月24日(水)(入院3日目)
目覚めた時はまだ下剤の効果なし。食後少し来たかもと思って力んでみたけど、仰向けに寝たままだと腹にどうも力が入らない。看護師さんに推められて座薬を突っ込んでもらったら、出るわ、出るわ、5日分(?)見事に出ました。看護師さん、申し訳ありませんでした。

昼食後もう寝ている人がいる、なんて思っていたけど、ふっと気が付いたら自分もひと眠りしたあとだった・・・

リュックの中にたまたま入れてあった世田谷区の大きな地図のことを思い出した。病院のある奥沢ってどこら辺だろう。目黒区の自由が丘と大田区の田園調布に挟まれた地域が奥沢のようだ。早い話、かなり高級住宅地。そしてこの大脇病院は東急目黒線の奥沢駅からは目と鼻の先の距離のようだ。

病院とはいえ奥沢で生活できるなんて、何だかちょっとハイソになった気分・・・ (ちなみに、セレブって有名人っていう意味ですよね? 上流階級とか金持ちとかいう意味はないですよね? よく分かりません)
それと今までの習慣で、もしチャリで自宅からこの奥沢まで来るとしたら、どういうふうに来れば良いのかななんて調べたりして・・・ あまり事故のこと、懲りてないみたい・・・

なんて地図を見ていたら、頭のCT検査。まだ頭は何となく重い。頭に異常がないと良いけど・・・

病室に戻ると、「この場所(廊下側)と窓側とどちらが良いですか?」 「明るい方が文字が見やすいから、窓の方にしてもらって良いですか?」 ということで同じ部屋の中でベッドごと移動。移動し終わるとすぐに新しい患者さんが入ってきた。先に入院していた自分の希望を訊いてくれたみたいだ。

CT検査は特に問題はなかったみたいだ。
横になったままだけど、せめて腕の筋トレだけでもしたいと言ったらOK。ペットボトルがないけど、リュックがある。これを使おう。仰向けになって両手でリュックを持ち上げる運動。

10月25日(木)(入院4日目)
給料日か・・・ 今月はまだ振込みはあるけど、来月はない・・・

今日までベッドの上半身部分のアップ角度は30度までだったが、今からは90度にしても良いとのこと。一歩前進。
それと紙おむつだが、今までは紙おむつの中の前の部分にもう1枚オシッコ用のおむつを入れていたのだが、今日からはそのおしっこ用のおむつが取れてシビンを使うことに。一歩前進。

今日また1人入院してきて満室になった。90才とか。それにしても患者同士の会話は全くと言っていいほどない。自分よりずっと年上の人が多くて、どっちかというとベッドで黙って横になっているか、口を開けて眠っている。

ベッドの起き上がり角度が30度の時は食事がしづらかったが、90度になったので随分楽になった。

それにしても欲しい物がいくつかあるのだが、先ず何といってもPHSの充電器がないのが気になる。電池の残量に黄色信号が出ているので、電源は切ってあるし、こちらからの連絡も極力控えめ。
自分のマンションから持ってきてくれるように前から両親に頼んであるのだが、両親は87才、79才の割には結構毎日毎日予定が入っていて、なかなか来られないみたい・・・
充電器をうっかり持ってこなかった自分が悪いのだが・・・

それにしても夕食が終わって7時ともなると病院の中はシーンと静まりかえってしまう。自分の病室でももう3人はスースーいって寝ている。時折看護師さんの声が聞こえてはくるが・・・

端坐位可。どういうことかというとベッドサイドに座って床に足をつけても良いということ。背中がベッドから離れた。まだベッドの中だがちょっと世界が広がったような気分。一歩前進。

政治家としては下品さが目立つ石原のオヤジが都知事を辞めたとか辞めるとか。自分が都営アパートに住むようになればそう長くないうちに辞めるだろうとブログに前にも書いたが、思ったより早かった。いずれにせよ石原が‘大家’でなくなって良かった。

新党の方はというと、まあ、いろんな意見や考え方があるというのは、別に悪いことではないけど、ただこれだけ沢山色んな政党があると、政策の違いなんかが何がなんだか分らなくなってしまって・・・ これから先大同団結していくのかどうかは分からないが、ある程度まとまってくれた方が自分としては助かる。

衆院選でどうなる? 地図はどう塗り変わる?

明日実家に電話してどちらも来られないようだったら、誰か知り合いに電話してみようかな・・・

9時ちょっと過ぎ寝たのだが、ふっと気が付くと踏切の音が聞こえてくる。電車はまだ動いている。まだそんな時間か・・・
またウトウトしてたら夢を見た。何とスーパーのレジで一人一人のお客様に一所懸命対応をしている自分・・・ 夢判断というのか精神分析というのか、そういうのからするとこの夢はどう分析されるんでしょうか?
また踏切の音。こんなに寝てもまだそんな時間かよ・・・

12時半だった。そろそろ終電。一旦起きて、ブログ用下書きノートに色々書き込む。

ノート型パソコンだったり、あるいは色々とスマートな機器だったらこの場からすぐにブログ更新も出来るのであろうが・・・ それだけじゃなくていろいろ調べたいこともすぐ解決できちゃうんだろうな・・・
朝まで長そうだ・・・

10月26日(金)(事故から1週間、入院5日目)
両親、来られないようだ。充電少ないが、3人ほど連絡した。でも皆繋がらなかった。

入院後初めてシャワーで体を洗ってもらった。
ビーチソファーというのかビーチチェアというのか知らないが、海辺とかプールサイドで使うのがあるでしょ。あれを平らにしたベッドのようなものに移されて、横になったまま浴室に行って、体を洗ってもらうという方法だ。

体を洗ってもらっている時、看護師さんに体が黄色いと言われた。それは今年の2~3月に入院して調べてもらったら、柑皮症といって黄疸の症状が出やすい体質なのだと説明した。人参やカボチャや最近出始めたミカンなどは控え気味にしていて、自分では手のひらも少しは黄色くなくなってきたと思っていたんだけど、体が黄色いとは考えてもみなかった。黄色人種から体が黄色いと言われた・・・

でもシャワーを浴びて、お陰様で身も心もサッパリした。

昨日から‘小’の方はシビンを使うようになったが、‘大’の方も今日からは用を足す時だけ便器をお尻の下に差し込むようにしたので、シャワーを浴びたのを機におむつはやっと外すことができた。その代わりリハビリパンツといって、見掛けはあまり紙おむつと変わらないブルマのようなものを穿(は)くことに。まあ、紙おむつが取れたというのも一歩前進なのかな。

足のくるぶしに事故の時の傷が見つかる。サッと手当。
やっと「老婆」と連絡が付いた。
桑名が逝ったんですか。それはどうも。でも彼はロック歌手なんですか?

今日知りました。明日からの日本シリーズ、セ・リーグは巨人だったんですね。中日に3連敗したのでダメだと思っていたら、怪我でゴタゴタしている間に3連勝だったんですね。昔日本シリーズだったと思うが、巨人が3連敗して、相手チーム(Kだったかな?)の選手が巨人を馬鹿にする発言をしたあと、巨人が4連勝したなんてことがあったのを思い出した。どこのチームが好きかどうかはどうでも良いこと。相手選手にも敬意を払わなくては。

10月27日(土)(入院6日目)
今までは1日3回の検温があったが、今朝は自分だけなかったので訊いてみたら、体温と一緒に計る血圧の値いが割りと安定しているので、1日に1回、昼間だけになったとのこと。ただ体温は骨折部の炎症のせいか、やや微熱が続いている。ちなみに血圧、上の方は大体100前後。

その他の症状。
1)骨盤の痛み。ベッドでじっとしていれば余り問題はないが、寝返りとか食事とかで動くとやや痛みが走る。
2)頭の痛み。CT検査をしてもらって、特に異常がないと聞いたら安心したせいか、それともたまたま時期が重なったせいなのか、次第に弱くなってきた。
3)眼球の痛み。こちらの方はまだはっきりとある。実は痛みは怪我の前からあったのだが、怪我して更に悪化したような感じだ。今はまだ眼が重たい感じがするものの、ケガの前の状態に戻ったかな・・・

11時過ぎ、「老婆」が来てくれた。有り難い。
PHSの充電器、PHSが古すぎて見つからなかったとのこと。
BURRN!の11月号も(窓から見える)本屋の規模が小さくて置いてなかったとのこと。

イヤホーンが手に入ったのは助かる。今まではテレビに耳をくっつけるようにして聞いていたから・・・
ティッシュペーパーも有り難い。
11月1日から3週間ほど里帰りするそうだ。お母さんの具合いがあまり良くないとのこと。

今日は両親には連絡とってない。だからもしかしたら両親がヒョコッとやってきて、「老婆」と鉢合わせになるなんてことも考えられたが、それはなかった。「老婆」のことは両親には極秘扱いだったが、都営アパートに‘当選’したのを機にその内話をするつもりでいた。自分が入院して、郵便受けの手紙を親に見てもらうように頼んだので、その内「この手紙の人、誰」ということになるのは明らか。一波乱あるだろう。

午後、何回か実家に電話したが出ない。
3時頃、土曜だし息子に電話してみた。通じた。後で来てもらうことに。
遂に、ピッチの電池残量に赤信号が出た。

息子がバイクで来てくれた。「ピッチが古いので、充電器はどこで探すにしても取り寄せになるに違いない。若林のマンションにバイクでさっと行って、持ってくるのが一番良い」と言われ、それもそうだな、そうしてもらえる?と頼んだのだが・・・
残念なことに両親が一足先に持っていったのか、部屋の中にはもう既に充電器はなかったようだ・・・
それと、BURRN!を買ってきてくれた。
息子は何かと忙しいようで、今日来てもらえたのはラッキーだったみたい。わざわざ来てくれて有難う。

BURRN!、大事に読もう。読もうと思えば一日で読み終わっちゃう、先は長いしゆっくり読むとしよう。
表紙はキッスのポール(メイク)。キッスは20枚目ですか。キッスを初めて聴いたのは75年だったかな、それとも76年だったかな? 日本では3枚目でデビューしたと思う。当時LPレコードというと片面が20分位というのが相場だったが、キッスの場合はもっと短くてA面、B面合わせても30分1秒だったような気がする。CDの半分にも満たない。

そして77年の4月、カミさんと生後7ヶ月の長女とで武道館の初来日ライヴを観に行った。2階の一番上の立ち見だったので、当日券だったかもしれない。

キッスをもう一度観たのは、98年1月。東京ドームの最前列が2枚あるというので渋谷DOKKENのお客さんだった人と行った。最前列だから何か目立つことをと思い、メイクは皆やるだろうし、他にあいつらの好きそうなことは・・・そうだセクシーな女装だ! ということで、ランジェリー、編みタイツ、ガーターベルト、ベビードール、ハイヒール・・・ 一緒に行った女性もノリの良い女性で、恥ずかしがらずに自分に合わせてくれた。
ポールもジーンも目の前に来てくれてサービスしてくれた。

BURRN!の他の中身は新し目のラウド系はほとんどなさそうだ。

月曜日にはリハビリが始まるようだ。一歩前進。

夜中の12時過ぎからのNHKの番組「ケータイ大喜利」「オンバト+(プラス)」を録画予約しようと思ったが、今日は両方ともないようだ。特に「大喜利」の方は割りと知性もあり好きな番組だ。

10月28日(日)(入院7日目)
今日は午後から雨だということだが、両親は来るのかな・・・ いろいろ忙しいだろうが、PHSの電池残量は昨日赤信号が出ちゃったし、充電器、一刻も早く欲しい・・・

来るとしても午後かなと思い始めた11時半頃、やっと来てくれた。
「色々とご心配、ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません。今日はお忙しいのに有難うございます」
「これか、欲しいのは?」
「そう、そう、そう、これっ!」
いや~、助かった。手紙も2~3、郵便受けから持ってきてきれた。
まあ、色々話をして、昼食が運ばれてきて、母には日常品の買い物を頼んで、父には入院書類に目を通してもらって・・・
あとは月末の支払いのいくつかを頼んだ。国民健康保険料の払込票を見た父、「(金額が)結構多いな」(2人分だからなのだが・・・)
それと病院の支払いのこと、システムを説明して、11月の頭の1週間くらいの間に来て欲しいと頼んだ。

帰り際、父が先に出ていったので、母に小声で、「都営アパートに当たったとき、単身で申し込んだって言ったけど、あれウソ。アパートに入居したら話するつもりだったけど、その前に郵便受けをたまに見てもらっていたら、バレちゃうから、一応今お母さんには一言 言っておくよ」
退院したらひと悶着あるだろうなあ・・・

充電。一眠り。
今日の天皇賞は天覧レースだったんですね。珍しい。
充電終了。ピッチで何ヶ所かへ連絡。たっぷり電池で安心して使えるって本当に有り難い。自分のPHS、特にそんなに多くの機能があるわけでもないが、それでも全部は使いこなしてはいない。メールのアドレスを取得してないし、写真も撮ったことがない。電話、カレンダー、アラーム、電卓、ポッキリそれだけだが、それでも電池がなくなると実に不便この上なかった。多分もっと多機能な機種を使っている人にとっては、電池切れになったらそれこそ自分とは比較にならないくらい一大事だろうと思う。

「平清盛」 今日はオーケストラ版「タルカス」から「アクアタルカス」が掛かるようだ。番組が終わるか終わらないかくらいに、お隣のベッドの患者さんが何だかんだ看護師さんにダダをこねている。90才、寝たまんまだし、自分が我ままを言っていることも認識できてないのかもしれない。実はこの人のおかげで昨日も一昨日も夜中2時間くらい眠れなかった。今日の夜中はどうなるだろう・・・
「イ・サン」 1週間で最も楽しみな時間だ。

10月29日(月)(入院8日目。1週間が過ぎた)
昨日の最高気温は16度くらいだったんですね。冷たい雨だったようだ。週末に向け朝の最低気温が更にどんどん下がっていくという。
自分の退院は11月の終わりか、もしかしたら12月に入っているかもしれないが、いずれにしても季節は随分先に進んでいるんだろうなあ・・・

夜中はお隣さんは特にトラブルはなかったので良かった。

スーパーのアルバイト仲間で中国人の呉(ウー)さんから電話あり。
「どうしても病院に来るって言うんなら、他には絶対何も要らないけど、アイスクリーム(正確にはアイスクリームじゃないけど)で「ジャンボもなか」っていうのがあるから、それを買ってきてもらえる?」

呉さんに大脇病院の「脇」の字を説明する時、「肉」の横に「力」が3つ、と言ったら一発で通じた。さすがに中国人。多分日本人だったら、「肉」じゃ通じないんじゃないかな。「肉月」でもダメなんじゃないかな。「月(つき)」じゃなきゃ通じないんじゃないかな。

腕、脚、胸、腹、腰、背、肩、胃、腸、心臓、肺、肝(臓)、腎(臓)、膵(臓)・・・ 体の部分って「月」が付くのが多いけど、これって夜空の月とは関係なし。体の部分である「肉」の字が変化して「月」となった。こっちの「月」は日本の国語では「肉月」と言うけど、呉さんには「肉」で通じた。

テレビの画面に「ソウル歌謡大賞  ソウル ミュージック アワード 2011」の文字。珍しいな、今時ソウル ミュージックかあ・・・ どんなアーティストが出るんだろう・・・ エーッ! ソニョシデ!(少女時代) 何でソニョシデがソウル ミューシックなの? アッ、そうか、ソウルって韓国のソウルだったのね・・・ 紛らわしい・・・

それにしても、もういい加減にアワードって言葉は止めてよ!

北沢警察署に電話。まだ先の話だが損保会社に提出する事故証明書(っていうのかな?)のことについて問い合わせ。

昼食。
それにしても、お通じ、頑張っているけど4日ほどない。頑張るというよりふん張る・・・

4時近く、リハビリの先生が病室にやって来た。ベッドに腰掛けて脚をゆっくり曲げてみたり、ベッドから離れて片脚で立ってみたり、先生が持ってきた車椅子に移ってみたり。その結果、トイレ(大)に行くときだけ車椅子で行っても良いことになった。(ただし、今はまだ看護師さんに押してもらう) 一歩前進。
それと、片脚だけでならベッドの横に立ち上がってもOKとのこと。更に一歩前進。
明日からリハビリ室でリハビリ開始。

今日たまたま損保会社に出す事故証明書の件で警察に電話したが、事故当日に事故の相手から電話があって、これからは入院費のことは損保会社と話し合って欲しいと言われ、実際その直後には損保会社からも挨拶の電話があった。

今日再び損保会社から電話があったので、入院したことを伝えた。事故の状況も改めて説明。

担当医、「1ヶ月経ったら‘庄’掛けますから」 怪我した右脚で少しずつ立つ練習をすることだと思われる。まだ先だ。

入院した時の計画書では入院期間は1ヶ月~6W(週)ということであった。早ければ1ヶ月。 その後自分としては、横になっている間はあまり痛みは感じないし、明日からリハビリも始まるし、先生から1ヶ月頑張ってねと言われていたし、何となく回復は早いんじゃないかなあ~、もしかしたら1ヶ月よりも早く退院出来るんじゃないかなあ~、なんて勝手に希望的観測をしていたんだけど、「1ヶ月経ったら庄を掛ける」と言われて、やっぱそんなに時間が掛かるんだ、やっぱそんなに甘くはないな、とちょっと残念に思った次第である。

臨時国会衆議院での野田の所信表明演説について、野党側は、言葉だけ、綺麗ごと、美辞麗句、と批判した。
評論家的演説で具体論なし、言葉だけが虚しく響く、綺麗な言葉で綺麗な文章、気の抜けたビールでキレもコクも無い・・・散々である。

だがよく考えてみると、というか考えるまでもないのだが、これまで何10年もの間「言葉だけ」だったのはその今の野党の側だったというのは、皆が知っている。50歩100歩じゃないか。「綺麗ごと」と批難する資格は全くない。

50歩100歩という言葉は、中国の故事から来ているんでしたよね。
2千年だか3千年だか昔の戦の時、敵前逃亡した2人の兵士が2人とも捕らえられて処刑されることになった。1人が訴えた。
「あいつは100歩逃げました。私は50歩しか逃げてないのに何で2人同じ刑なのですか」
「どちらも逃げたことに変わりはない」

「綺麗ごと」であるのはどっちもどっちじゃないか。
しかも中国の故事の場合、文句を言ったのは逃げた歩数の少ない方。今日の所信表明に関しては、「綺麗ごと」すなわち「嘘」を言い続けた期間が圧倒的に長い方が文句を言っている。一体何なんだよう・・・

政治家は絶対信じてはならない。

10月30日(火)(入院9日目)
食後に服(の)んでいた炎症止めの薬、入院したときにまとめてもらっていたのだが、昨日で切れた。今日からどうするか、服むか服まないか訊かれた。まだ多少は痛みがあるが、はなるべく薬に頼らないで自分の体の力を信じたいので、取り敢えずは服まないで必要なら服むというようにしてもらった。

‘通じる’か‘通じない’かは分からないが、お通じのため初めて車椅子に乗って看護師さんにトイレへ連れていってもらった。

今までシャワーとCT検査はあるが、車椅子でベッドを離れるのはこれが初めて。最近便秘が定着してきたが、トイレでしばらく頑張って多少は‘通じ’た。

ベッドから離れるとき、ベッドに戻るとき、ちょっと瞬間的だが窓から外を見た。今まで横になっていて見ることのできた外の景色といえば、「奥沢区民センター」の看板とその上の階のマンション部分だけであったが、立ち上がったときには下の道路もチラッと見えて区民センターの1階には色々なお店も入っているようだ。
下の景色を初めて見て、早く外に出たい・・・

・アルバイト先のスーパーに電話して、「まだ、来月一杯はダメそうです」
・世田谷区役所に電話。電話番号は記憶していた。というか5432-1111なら忘れたくても忘れられない。
「区の健康診断の期限はいつまでですか」 「来年の3月31日までです」 まだ受けてないので確認した。

また外が見たくなった。片脚でベッドの横に立って人が行き来する光景を結構長い時間眺めていた。大空を自由に飛びたいカゴの鳥。

3時半、看護師さんに車椅子を押してもらって初めてリハビリ室に連れていってもらった。始めは、車椅子の動かし方から。それから、ベッドに横になって脚を動かす。左脚は特に問題ないが、怪我した方の右脚は動かすとある程度痛みがある。

仰向けで体を動かして下半身に力をいれたせいか、リハビリ後もよおしてきた。車椅子でトイレに連れていってもらい、今日2度目。かなりスッキリした。このまま便秘が解消されると良いが・・・

以前患者同士の会話はほとんどないと書いたが、それでも自分はたまには喋る方だと思う。

10月31日(水)(入院10日目)
今日もベッドサイドから片脚で立ち上がってしばらく窓の外を眺めていた。
90才のお隣さん、また何だかダダをこねている。まあ、お年もお年だし、具合が悪くて寝たきりだし・・・ しょうがないけど・・・ でもまた何か迷惑なことはあるだろうな・・・

午後、お通じ。2日連続はここに入院して初めてかも。このまま毎日普通に戻ればいいけど・・・
国会は衆議院の代表質問。聞いていると腹が立つのでテレビ消した。

3時半からリハビリ。重りをつけた左脚の筋トレが結構きつい。

石原、今日付で正式に知事を辞職するようだ。在任期間の13年半について「長いね、ちょっと長すぎた」
蛇足だが自分はサラリーマンを16年、DOKKEN BARを17年余りやった。DOKKENの方は死ぬまでやりたかったけど・・・ (退院したら宝くじを買おう)

その石原、「感謝」の言葉を残して都庁を去っていったが、彼が「感謝」だなんていう言葉を使うと何だか気持ち悪い・・・

夕食のサラダはかぼちゃサラダ。今夜はHELLOWEEN・・・ じゃなくてHALLOWEENだからだろう。 LOUD PARKに出演したHELLOWEENはもう日本にはいないだろうな・・・