流れ橋の南側には四季彩館という
八幡市の交流センターがあります。
車で流れ橋を見に行くときは、
そこが駐車場になりますね。
館内に流れ橋への案内が
据え付けられていますので、
それを頼りに歩いていきましょう。
途中、こんな大きな茶畑がありますね。
そう、このあたりのお茶は
「浜茶」といわれ、日本茶800年の
歴史散歩が日本遺産に認定されています。
お茶はこの辺りでは、
寒冷紗で覆われたりして
にぶみ、渋みがなく甘い優しい抹茶の
原料となる最高級のお茶を育てています。
地域の名前は上津屋といわれており、
流れ橋の正式名称は
「上津屋橋」
といわれています。
この橋は昭和28年に架設された
日本最大級の木の橋です。
長さは356.5m。
木津川の水位が上がれば、
橋桁と橋板が流されるという構造になっており、
「流れ橋」という愛称が
ついているそうです。
その橋がこれです。
さすがに見事な形です。
この橋を渡るだけで、
なんかとてもいい所に
連れて行ってもらえそうな気がしますね。
そんな気持ちに押されて
渡っていきましょう。
橋には幅20㎝くらいの板が
敷き詰められています。
その端っこにはワイヤーも通されていて、
もし流されたらそのワイヤーを
引っ張るだけで帰ってくる
という仕組みなんだそうです。
歩いていると橋の下に木津川が
静かに流れています。
暴れたらこの橋を押し流す力があるとはねえ。
今日の穏やかな天気では信じられないです。
全部渡ったらしばらく向こうの
道を進んでいってみましょう。
こちらは八幡市で向こうは久御山町です。
川沿いには、くずの花が咲いていたり、
ニガウリも咲いていました。
あ、竹林の下にはこんな
風情のある地蔵さんも。
京都ですねえ。
向こうの堤防の上に上がると、
そこには茶畑と田園が広がっています。
いい雰囲気ですねえ。
この向こう側には巨椋池が
あったんでしょうねえ。
木津川の水とあわせてこの地域を
潤してきたんでしょう。
絵にかいてもよさそうな感じですね。
木津川を渡るこの二人の絵は、
毎日新聞に載りましたねえ。
写真を一枚撮っておきましょう。
また描けたらいいなあ。
橋を渡っている人たちは
皆さんフレンドリーです。
犬を連れている人たちと
話をしたりしてね。
なんか普通の散歩道とは違う
温かみがありますね。
橋からも少し周りを見回してみますと、
川沿いには自転車できている
サイクリストも多いですねえ。
この時はまだダホンを
買っていなかったけど、
楽しそうに乗っている人たちを見ると、
あ~早くダホンを買って
きてみたいなあなんて思いましたね。
そしてこの橋は、その構造や
周りの景色の状況から、
昔の映画の中継なんかにも
使われているようです。
これからは映画なんかにも
注意を払っておかないとね。
そんなことを考えながら、
橋を往復渡り終えたら、
こんどは橋の下の河原に降りてみましょう。
実は最近この河原で、流れ橋の
放火騒ぎが続いているようです。
橋脚が一本燃えたと新聞に
書かれていました。
なんてことをするんでしょうねえ。
え~この時歩き回った
doironの足跡も警察に
採取されているかもですねえ。
それにしても確かに下から見上げた
この橋の景色もすごいです。
一番最初に作った時からは
進化もしているんでしょうが、
人が作った美しさを感じますねえ。
ところどころに鉄も使われていますが、
基本は木造。
いやあほんとにすごいものです。
歩いている人を捕まえて、
写真撮影をお願いしました。
橋をバックにパチッ。
今回の遊びを象徴する一枚が
撮れましたねえ。
続く
巨椋池を目指して車で第二京阪を走ってきました。
目的地は干拓地内にある並木道です。
第二京阪を久御山ICで
右折して京滋バイパスに入り
巨椋池出口で降りると
すぐに干拓地に出ますが、
目的の並木の道は通り過ぎますので、
第二京阪の久御山南ICでおり、
しばらく1号線を走ってから
右折して干拓地を目指します。
最初からその並木道の名前が
わかっていたのではなく、
こちらかなあとか
見当をつけて進んでいきます。
地形的に見てこのあたりから
見ればわかるかなと走らせながら
周りを見渡していると、
なんか今走っている道に
並木道が現れましたよ。
そう、見事に自分の見当が当たり、
思いもよらずその並木道を
走っていることになりました。
京滋バイパス上から見た時には、
立派に並木が続いていましたね。
この木は何なのかなあ。
あの琵琶湖の高島のような
メタセコイア並木とはかなり違うしなあ。
木の姿からはトウカエデの様に見えるしなあ。
でもよくわからない。
今は木も小ぶりではあるが、
これがどんどん育って行ったら
観光資源になるのかもしれない。
なんて思いながら眺めていたら
少し広いところがあったので
車を止めて眺めてみることにしました。
たしかに、こうして眺めると壮観ですね。
見た感じでは主な排水路に沿って
植えられているようです。
長さは1キロ以上ありますね。
しかしの木の種類もはっきりわからず、
この排水路だけに植えられている
理由もわかりません。
ここにきたら何か説明書きとか
あるかなあと思うのですが、
どうもよくわかりません。
延々と続く並木の一本道。
その周りに広がる広大な農地と、
かつての日本一の池を
景色的には十分堪能しましたが、
中身的には少し物足りませんね。
植えたのは京都市かなあ。
観光地を目指しているのかなあ。
なぜこんな並木なのかなあ。
まだまだ知りたいことはありますが
詳しくは次の機会にしましょう。
そもそももとあった
広大な巨椋池のこと自体
まだまだ分からないことだらけなんで、
これからも追々訪ねてきては
もう少し探検、探索してみよう
と思っている次第です。
物足りなくてすみません。
では、ここは今回はこれくらいにして
次は木津川に架かる流橋を
見に行くことにしましょう。
並木道を少し北上すれば
京滋バイパスの下道です。
そこを左折して大内の交差点から
1号線を南下してゆきます。
場所的には、先ほど高速を降りた
久御山南ICの少し南側に
あたりますので、そんな経路で
向かってゆきます。
この流れ橋は以前、
石清水八幡宮からずっと歩いて、
ここを訪れた時には、
その流れ橋から1号線が見えていましたね。
なので今回車で1号線を通り
木津川を渡るときに川の方を
眺めてみますと、ああ、
あそこにありましたねえ。
以前散々探して見つけた
ながれ橋が川の上に架かっています。
川の少し上流側ですね。
1号線で川を渡り切ったら左折してゆきます。
すると、そうそうありました。
「四季彩館」という名の
地元観光施設です。
ここには野菜市塲とスーパーのほか、
お風呂まであるという交流施設です。
ここに車を止めて、
流れ橋には歩いていくことにしましょう。
と、その前にここの施設を
少しのぞいてゆきましょう。
一緒に行った人たちも、
野菜売り場等に興味を示しています。
中を歩いていると、
おお~むかごが売られているではないですか。
大量でとても安いです。
これはお土産に買って帰りましょう。
なんてのんきに考えてたら、
女性陣はさらにその上を行きます。
お米まで買って車に乗せる始末。
いやあ、すごいですねえ。
遊びの中ででも家庭内の台所事情に対して
深い考察をしてはりますなあ。
加えて、この後出かけて行く
流れ橋で食べようと
あんこモチまで買ってましたよ。
ありがたいことですなあ。
続く
さて気候も良くなってきたねえ。
いろんなところへ歩きに行ったり、
自転車乗ったり、ドライブしたりと
とてもいい季節です。
今回はその最後のドライブで、
以前から気になっていた
巨椋池を目指すことにしました。
巨椋池とは、歴史番組なんかにも
よく出てきますね。
京都市伏見区・宇治市・久御山町に
かつて存在していた巨大池である。
その大きさは、今も残っているなら
日本最大の池で、
今最大の鳥取県の湖山池よりも
大きかったそうです。
ちなみに池、沼、湖は環境省、
国土地理院の説明などから、
こんな風に分かれます。
池は湖沼より小さい水溜り、
若しくは人工的に作ったもの。
沼は水深5m以下で沈水植物が
水底で育っているもの。
湖は水深5m以上で、沈水植物が
水底で育たないもの。
とまあこうなるのですが、
湖よりも大きな池もあるなど、
厳密にはあやふやな部分を残しています。
巨椋池も残っていたら
最大の池だったので、
分類からは少し外れる
“池”だったかもしれません。
この池は、水害との戦いの中で
どんどん形を変えていきましたが、
最終は昭和8年から昭和16年の
干拓で今は農地になっています。
大きな池だったので、
かつては自然の宝庫でもありました。
鳥類も多くいたし、蓮がきれいだったそうだし、
ムジナモも生息しており
天然記念物に指定されていたのに、
それも取り消されました。
魚も今はわずかしか残っていない
「アユモドキ」
なんかもいたんだそうで、
近辺では亀岡なんかに
生息があると言われている
天然記念物の貴重な魚もいたんだそうです。
もし巨椋池が今も残っていたら
巨大な自然遺産だったろうなあ。
そこを埋めたのですから、
跡地はどうなっているかというと、
広大な農地になっています。
この姿は、有料道路である
「京滋バイパス」からきれいに眺められます。
広―い土地に、農地がドーンと
広がっていますからわかると思います。
今回はそんな農地の跡を
有料道路上ではなく一般道から
ながめて見たかったという事ででかけました。
もし、豊臣秀吉が作った
樋の後とかあればいいのでしょうが、
まだその辺の観光関係は
きれいに並べられていないように思います。
それよりも奇妙なのは、
この池が死滅池になった時に、
蚊が大量発生しマラリアなんかも
発生するなどほかにも
奇妙な病気が発生して
魔界といわれたこともあるとか。
そんな伝説なんかも組み合わせて
散歩道が作られていたらいいのですが、
まだそこまで見いだされてはいません。
あと巨椋池の水の道とか
巨椋池のなれの果ての木幡池があり、
そこに資料館なんかもあるのですが、
まあとにかく一度は
巨椋池に触れておこうというのが、
今回の目的です。
まあこの辺の軽さがdoiron散歩なんですがね。
でもねえ、えらいもんです。
そんなかつての歩きと
重なっている部分もあります。
淀川を完歩しようと歩いているときに、
一度帰り道で木幡池を
通っていることがあったのです。
当時はふ~ん、こんなところに池がねえ、
程度の反応だったのですが、
今思えば巨椋池の片りんに
触れていたのですね。
これからもう少し踏み込んでみるか
とも思うのですが、
どうも道が長いので、
今度はダホチャリでやって来る
のもいいかもしれません。
で、今回の目的の一つが
もともと巨椋池だったところに敷かれている、
並木の道です。
高速道路の上から、
あそこの道が面白そうという事になり、
では一度訪ねてみようと思い、
ドライブでやってきたのです。
巨椋池のまたもう一つの片りんを尋ねに
やってきたというわけですね。
続く
7月に長野県上田市で生活している息子に
二人目の息子が生まれた。
いわゆるdoironの二人目の孫が
この夏に生まれたのである。
まあこんなコロナの時代なんで、
お母さんも大変だったろうな。
でも無事に生まれて、
ほっとしているところだ。
そんな孫に初めて会いに
上田に行くことになった。
息子と連絡しつつ、一人目の孫が
今欲しがっているものは何や
とか聞きながら、二人の服なども加えて
そんなものをプレゼントにするために、
あちこち買い物に走ったりしている今日この頃だ。
コロナがはやっている頃は
なかなか会いに行けなかったのだが、
今の状態となってはかなりその辺の
感染に対する意識はお互いに低くなっている。
それに息子も、仕事の関係で感染した
というつい最近のこともあいるので、
こちらとしては行きやすくもなっているのだ。
とはいえ、やはり触れ合う事には
少なからず心配もあるだろう。
ではここらで生まれて初めての
検査を受けることにした。
USB検査、いや違うPTA検査
う~ん、そうそうPCR検査を受けて、
その結果も持っていこうじゃないか
とミセスと2人で考えて、
市の無料検査を申し込んだのだ。
まあそんなことはしておいた上で
訪ねていく配慮も見せようと思ったわけだね。
なにせまあ、二人の手にかかる子供を抱えて
頑張っている息子への優しい配慮なのである。
検査の予約はネットで出来る。
検査結果の出るのが息子を訪れる
前になるように予約して、
先日検査を受けに行った。
場所は市役所の別棟の一つの部屋だ。
どんな検査かなあ。
鼻に綿棒を突っ込まれて、
脳みそをぐりぐりされるのかなあと、
そんな心配を抱えて行ってきたわけだ。
中に入ってゆくと、女性が一人いるだけ。
その受付でこちらの身元を
まず明らかにする。
名前は「doiron」といいます。
既往症は・・・というと、
それは結構ですとのこと。
まずは長い綿棒が出てきました。
うう、これで脳みそぐりぐりなのか
と聞いてみると、
「この綿棒部分を舌に乗せて
30秒待っててください。
それで完了です」とのこと。
なあんやあ、それだけなのか。
ちょっと拍子抜けである。
口に入れて30秒後に、その綿棒の中ほどにある
折り目のところで折り、
その検体部分をガラス容器に入れて終わりである。
検査結果がでれば、
それをメールしてくれるとのこと。
「ところでこれは何に使うのですか。
旅行にいかれるのですか」というので
「はい。この日に旅行に行くので」
と伝えると、
「うわーそれは大変。有効期限はその前日までですよ。」
と慌てて張ります。
「いやいや、大丈夫です。息子のところに行くので、
戯れで見せるだけです」というと
ちょっと安心されていました。
最初に使う日を聞かなかった
私のミスかなあと思われたんでしょうね。
割と気軽に受けただけだとわかって
ほっとされていました。
そして、約束通りの日に
結果がメールで送られてきました。
「コロナの花咲かず」
つまり陰性でした。
その結果を抱えて、息子のところに
今日会いに来ています。
かわいいなあ、孫。
なんか自分そっくりですねえ。
デレデレしている自分の姿が
容易に想像できますねえ。
いい子に育ってねえと
思いっきりかわいがってきました。
その日は上田のビジネスに一泊して、
夕食は焼肉屋さんで大騒ぎ。
田舎町に大阪弁が響いた夕餉でした。
翌日は富士山まわりで帰る予定です。
いやあ、じいちゃん、ばあちゃんの
とっても幸せなぜいたく旅行になるでしょう。
旅行の詳細はまた別の日にでも。
鳥取池との分岐を左方向の
俎石山方面へと向かいます。
しばらく歩いていると、
過去の戦争時の道標なんかも
出てきたりします。
このあたりに軍事施設なんかが
あったんですねえ。
軍服を着た人たちが、
この辺りをウロウロしてたって
想像したら変な感じです。
その先で道がところどころで
分岐していますが、
たいがいは元の道に戻る仕組みです。
見た目が楽な方に進んでいくのが
いいのかもしれません。
そしてついに俎石山に到着しました。
大阪で4点あるうちの
一等三角点の一つだ。
後は、一等三角点のあるのは
日本一低い山である堺大浜公園の蘇鉄山、
北摂の泉原山、和泉葛城山だ。
泉原山はまだ行ってないなあ。
近々チャレンジしてみよう。
さあて、この俎石山で
飯を食って…ではなく、
小休憩だけで
今回の最終目的地である
「大福山」を目指しましょう。
道は少し下ってまた昇る
という感じで着いています。
以前はここに大きなハチの巣が
あったのですが、まだなんか
そんな気配はありそうですね。
ハチの巣に気をつけようの
張り紙もまだ残っています。
このコースには珍しい草原の中を通り、
道がこんなにばらけたところも
通り抜けていくと、
道端にこんな木が生えています。
もっとまっすぐ育てばよかったのに、
どうしてこんなになるように
育ったんだろうって
すごく気になりますね。
前に看板が見えてきました。
「第3教塚跡」と書かれていますねえ。
あの役行者が修行のひとつとして
ここに埋めたんだと言われています。
ほんとにここなんかなあ、
誰かが地面を掘ったのかなあ
とか思ってしまいますがね。
いろんな残っている文章なんかが
語っているんでしょうねえ。
そしてそのすぐ後に、
大福山の頂上が現れますね。
お堂なんかもいっぱいあるし、
修験者にはとても大事な場所なんですね。
木札を入れてあるお堂も建っています。
この山頂広場の端の方には、
深日方面が見えるところも
あるのですが、男性一人の先客もいます。
結構な装備を担いでいたから、
山登りの練習でもしているのかな
って感じでした。
僕らはメインのテーブルのところで
昼食です。
入山前に下のコンビニで
買ってきたおにぎりをいただきます。
南の方には和歌山方面が
見えていますね。
紀の川がながれているし
あの遠くの方の山は、
紀三井寺方面かなあ。
俎石山は一等三角点なのに
ほとんど景色が見えなかったけど、
ここはとてもよく見えていいですねえ。
ご飯もうまい。
ここまでほとんどストレスもなく
来れるっていいですねえ。
たらたら生きているけど、
体もまだしっかりしていて
いいじゃないかあって感じ。
年齢的に落ちてはいくのでしょうが、
それなりに健康を保たれて
いい感じです。
さあ、それでは今上ってきた道を
そのまま降りてゆきましょう。
今日は大福山往復コースの登山です。
下りはやはり楽です。
doironの場合、心拍数を
上げちゃいけないので
登りはゆっくりと
歩かねばと自分に言い聞かせて
上がってゆきますが、
下りは全然余裕です。
俎石山もまたすぐに超えて、
展望台も越えてゆきます。
一瞬、別コースで下って
展望台の方に降りよかなとも思いましたが、
変に迷ってもいけませんね。
もう少し情報を仕入れてからにしましょう。
秋に本格的に突入する前に、
秋の予感を求めての大福山登山は
これで終わりです。
紅葉は残念ながらまだでしたが、
秋のキノコなんかはたっぷり
出ていましたね。
ゆったりと楽しめたいい登山でした。