ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

目指すな優良高齢老人

2022-02-28 20:49:50 | スポーツ

ジムで軽い軽~いジョグを続けている。



スタジオ内をぐるぐると回り続ける練習だ。
この練習は昨年の7月末から始めたので、
もう7か月になる。
練習とは言うものの
もうハツカネズミのように
そこを走り続けているって感じの
自称トレーニングなのだ。

体を壊して、無酸素の運動なんかは
絶対してはいけないよという
医者のアドバイスをいただきながら、
有酸素を心掛け、運動中でも普通に
しゃべれるような負荷で走っている。

それまでは、ジムのチャリンコを漕ぐのと
ローラー台を歩いたり少し走ったりの
日々だったのですが、
コロナ騒ぎもあってdoironの運動の時間には
ほとんど無人でひっそりしている
スタジオを有効活用できないかと思い
ぐるぐると始めたのが、
今は結構面白くなっているってわけだ。
150mごとにタイムを計り、
走行距離も毎日つけて、
運動なのか遊びなのかわからない程度の
微妙な時間を過ごしている。
これがなんだか近頃とても楽しい。
始めた当時は、ああ気まぐれに
あんなことをやっているんやと
まわりに思われていたかもしれないが、
ここまで続くとなにが面白いのやろと、
周りの人も思い始めたりしているようだ。

これを時刻表を参考に調べると
総走行距離も360キロを超えて、
現在は東海道では大阪から
焼津くらいまで来ているということになる。

なぜそんなに凝ってるのと
思われるかもしれませんが、
なんども言いますが楽しいのです。

それにこんな運動を続けていて、
高齢者の運動について
新たに分かったこともとても多く、
人間の生物学的反応にも
なんかとても敏感になるのもまた
とっても興味深いのです。

例えば衰えていた筋肉群が
それなりに復活してくる
というものがよくわかりました。

一番感じたのが、ふくらはぎ。

それなりに自転車をこいだり
歩いたりというトレーニング&日常の日々を
過ごして最近になっていたが、
実際走るとなるとこのふくらはぎの
筋肉に結構負荷がかかることがよくわかった。

日に日に足の動きが
楽ちんになってくるのを
痛切に感じている。

以前もここの筋肉を鍛えないとと、
かかと上げという自重もちあげ
ウエイトを200回近く
行っていたのだが、
そんな訓練では鍛えられないくらい
今はふくらはぎが、とても
発達したという感覚がある。

なのでそれに伴って、
これまで行くのにためらいのあった
山道にもよっしゃーと行ける様にもなったし、
そもそも日ごろの動きが
なんだかとても軽くなった
という気がするのだ。

そういうことが原因なのか
どうかわからないけど、
最近近所やジムで
doironさんは若くなったなあという声を
聴くことが多くなった。

ああ、これはとてもうれぴーですね。

まあカリスマ美容師と我が家で言われている
ミセスのバリカンが原因なのか
どうかわからないけど、
そう見えるんだそうだ。
社交辞令かもしれないけど・・・

でももし本当なら、
やはり動きが少し軽くなった
というところからきているのかなあと
思ったりする。
まるでクモに力をもらった
スパイだーマンのように
トレーニングに力と若さを
もらっているわけだ。

だったら、このまま運動を続けていけば、
優良高齢老人になっていくのでは
なあんて思ってしまうが
それが何より行けませんね。

あかんよ、あかんよ、そういう考えが体を
壊してゆくのです。
若い時無茶ばかりしていたdoironも
思えばこの年になってようやく
大人になったもんですな。

今は、何事も年齢に合わせて軽く運動し、
年齢による体の落ち方を、
まあ5割くらい減らせたらなあと、
そんな風にのんびり考えながらぼちぼちと
元気な老人を目指していこうと
思わなければいけない今日この頃なのです。

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高野街道 高野下へ

2022-02-27 21:15:36 | ウォーキング

高野街道も学文路を過ぎたら
どんどん山の中へ入ってゆきます。

標高も上がってゆくわけですから、
雪もかなり降ると見えて
融雪剤が道端に置かれていたりします。



道路のわきで掃除をしていたおっちゃんに聞くと、
やはりこの辺りは雪が降るんだそうです。

まあ雪が降ってこんな坂の多い道の村では、
融雪剤をまいたりしないと
かなり危険な状態になるやろうね。



そうしてなおかつ山に登ってゆきますと、
その先にあったのが京・大坂道を通る
高野参詣者の安全を祈って作られた



地蔵のシリーズで第四地蔵というのがあります。



別名河根峠地蔵尊ともいわれています。



どんどん頑張って登ってきた道も、
ここが一旦、頂点になります。
お疲れさんでしたと地蔵に参り
水分補給でもしたのでしょう。



そしてそこに参ったら、
Uターンするように曲がり、
急激な下り坂を下ってゆくことになります。



竹林の横につながっている、
つま先が痛くなるくらい急傾斜の
下り坂を降りてゆきましょう。

高野の山麓に作られた道ですから、
アップダウンも少しこなして
いくことになります。

どんどん下って下の町に出る少し手前に
丹生神社と日輪寺があります。



神社と寺が一つのところに
きれいに配置されています。



さあ、では今回の高野街道は
この辺りまでです。
この先も作水坂を経て紀伊神谷から
極楽坂へと道が続いていくのですが、
この先の道の状況はよくわかりません。
とりあえずは無理をしてはいけないので、
ここまでとしておきましょう。



とはいえ、このあたりから
高野下の駅までは丹生川沿いの道を
かなり歩いていかねばなりません。

たぶんこの道だと思うのですが、
念のために道を歩いていたおばあさんに
「高野下」の駅はこちらでいいですか
と聞いてみました。

シルバーカーを押していた
高齢者なんで大丈夫かなあと思いつつ
声をかけたのですが、
この人がとてもしっかりした人でした。

学校があって、橋があって、
そこから左に進んでいくと、
と道の状況を詳しく説明してくれた上に、
分岐点までかかる時間なんかを
とても細かく教えてくれました。

いやあ、ありがとうございます。
きちんと見なかったけど、
もしかしたら背後に高野の菩薩像が
浮き出ている人だったかもしれません。

そんな道案内を頭に入れつつ、
では道を下ってゆきましょう。

山の中の車道なんですが、
けっこう車が通りましたね。
途中、ベンチでもあれば
お昼にでもしようと思っていたのですが、
全くそんなところは無いようでした。

でもねえしっかりしたいい道でしたよ。

途中にこの道に関する案内がありました。



昔、村長が資材をはたいて作った道で、
「松尾里道」と名付けられていたようです。

川を流れる水の音もいい感じの道でしたね。



途中で大きな橋に出会い、
そこは左折してゆきます。
しばらく行くと、川向こうの道に
休憩できそうなところがあったので、
無理やりそこで休憩しました。



駅に近いと電車の便に気持ちをとられて
ゆっくりできないだろうから、
先に昼食を食べておくことにしましょう。

ガスコンロを持ってきたので、
おにぎりと味噌汁をいただきました。

でふと後ろを見ると、
今休憩しているこの道というのが、
なんと昔の高野山森林鉄道の
跡地なんだそうです。



そんな電車も走っていたんですねえ。

それぞれの地域が抱えている
旧な姿を想像すると、
かなり楽しかったんじゃないか
と思ってしまいますねえ。



また何かの機会に勉強できればいいかもね。



高野下の駅は、駅舎が旅館になっている



いい駅でした。



次回はここからまた松尾里道をあるいて、
極楽坂へと向かうコースへ
向かわねばねと考えながら、



やってきた電車で帰宅してゆく
doironなのでありました。

コメント (2)
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高野街道 苅萱堂の横を登る

2022-02-26 20:51:56 | ウォーキング

学文路の駅から高野街道の
京・大坂道を登り始めています。



古い村中を抜け、山道に入ってすぐのところに
「西光寺」があります。



石童丸がこのあたりに母を残して
高野へ父に会いに行ったのですが、
親子の絆は微妙な感じで、
偶然出会った本当の父に
「お前の親は死んだよ」
と告げられたそうです。

そのことをすっかり信じて、
山から下りて母親にそれを言おうとしたところ、
母親もまた死んでしまっていたようです。

そんな母の供養として建てられたのが
堂内の「苅萱堂」でそこには母が



信仰していた人魚のミイラが
あったそうで、それは橋本市の
指定有形民族文化財なっているそうです。

それはいったいどんなかなあ。

見たいような見たくないような
感じですねえ。
前の広場に人魚のミイラの石造物が
置かれていましたが、



あとでネットで現物の写真を見たら、
決してこんな可憐ではなくて、
何とも言えない形相でした。
高野山の信仰と地元の人々の活動が
関連した眺めの良いお寺に残った



貴重な資料。
いやあ人々の心の奥深さを感じますねえ。



そんなことを思いながらdoironは
最初の予定通り、高野を目指して
歩いてゆくことにしましょう。



高野街道にはこんな案内板や
プレートが地面にはめ込まれています。



こんな道標もあったりもしますので、
街道の雰囲気は濃いですねえ。



また、近くの大構造境界点である
中央構造線のすぐそばで、
緑色の変成岩が壁とかにも
はめ込まれています。
ここの山の斜面にはそんな
緑の石が散らばっていたりもします。



道路にまで転がっている石も
あったので、記念に二つ
頂戴してきました。



いまはdoiron家の花壇の横に
置かれています。

実はねえ大きな声では言えませんが、
doiron家の庭には有名山岳の
石が転がっていたりするのです。

今回の石はなんか加工なんかも
しているようですねえ。
きっと固いんでしょう。



さあ、道はどんどん上ってゆきます。



呼吸を整えながら、
スミレが咲き始めている晴間近の
山道をえっちらおっちら登ってゆきましょう。



この辺りまで来るとかなり
標高も高くなり、
眺めもさらに良くなります。



そしてここには女人高野まで
90町の石があります。



1里が36町ですから
90町は2.5里ということになり、
2里石の手前ですから、
ほぼつじつまが合うことになりますね。



そんな石の先にあったのが第三地蔵です。



高野街道を行く人たちの
安全を祈って立てられた六地蔵で、
橋本を過ぎてから第一と第二も
確認してきました。

ここでもしっかりと無事に
帰れるように祈っておきましょう。



道はその先で右に
「ゆめさきトンネル」のある
交差点に出てきます。

京・大坂道はまだここから
まっすぐ行くのですが、
完全に山の中の道だと思っていた
高野街道がこんなに開けているのは
かなり意外なことでした。

昔は高野に向かう道なんて
一本しかないと思っていたのに、
こうして歩くと道は結構
発達しているんですね。

そのまま街道を登ってゆきますと、



あれ?道に線路跡があるの?って
一瞬疑問に思いましたが、
こんな溝は何本もあって、
どうも水を流すための穴が
掘られているみたいですね。



そんな道を上がってゆきますと、
道端にはこんな薬品が置かれています。

塩化カルシウムということは、
どうやら融雪剤のようですね。
これを道に巻いておけば、
水に溶け凝固点降下が置き、
氷ができにくくなるのと、
溶ける時に発生する熱が
氷をとかしていくんだそうです。

昔は雪国にもこの薬品が
置かれていたようです。

続く

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高野街道 学文路を出発

2022-02-25 20:50:03 | ウォーキング

数ある高野街道の中で、
doironは今は西高野街道を堺から歩き始め、
橋本を経て京・大坂道を
歩いているところです。

昨年に河内長野を出て、
紀見峠を越え、紀の川も越えて、
現在は学文路まで到着したところとなります。

ということで今回の歩きは、
学文路からいよいよ高野に向かう
山道へと入っていくことになるわけです。

かつては慈尊院から町石道をレースで走ったり、
練習で走ったりしながら
高野山に到着したことも
何回もあるのですが、
学文路から京・大坂道を通って
高野へ向かうというのは
生まれて初めてのことです。

さてどんな山道なんでしょうかと、
期待と不安でいっぱいです。

では、向かって行きましょう。

今回の計画は橋本に車を止め、
そこから高野線で学文路へ。
そこから歩いて高野下の駅へ
向かうというコースになります。

いつものように車で橋本まで
向かいましょう。

和泉の山を越えて紀見峠方面を目指し、
林間田園都市から橋本へと向かいます。
この辺は歩きもしたし、
近頃は車でもよくとおりましたね。

橋本駅近くのおばあさんが守をしている
駐車場へ車を止めます。

今日はいてるかなあと思いつつも、
管理小屋のところに
シルバーカーが置かれているので
いてはるんでしょう。

しかし車を止めて、荷物を出していても
何も反応がありません。
うわーっ、もしかしたら事務所で
弘法大師とお話をしてたらあかんな
と思いのぞき込みに行くと・・・

寝てはりました。

声をかけ起こして大体これくらいの時間で、
といいつつ料金を払い、
さあではまず電車で学文路に
向かいましょう。

ホームに入りそこにある電車に乗ると
すぐに電車が動き始めるという
好タイミングでしたね。
ガタンゴトンと動き始め、
電車は紀の川を越えていきます。

ああこの辺りは川幅も広く
気持ちいいですね。
そして二つ目が学文路の駅となります。



ここの入場券は「入」と「学」が
合わさるので、受験生の
お守りらしいですよ。
そんな駅を出て、前回残してきた
宿題を目指して歩いていきましょう。

それが「三里石」の確認です。

堺から歩き始め、13里石から
始まった道標も、どれ一つなくならず
ずっと続いています。

それがここ学文路には女人高野まで
あと三里の石があるはずであるので、
それをまずは探してゆきましょう。



駅前の国道370号線に出て
それを少し北上してゆきますと、
こんな道標もありますが
今探しているのはもっと古い奴です。



古い奴でも、これは違いますね。

もっとでかい奴です。
この辺かなあと見渡してみますと、
おお~ありました。
道の端っこにでんと立って張ります。



女人堂まであと三里の文字も
ちゃんと判別できます。



そしてそこから山の方を見上げると、
こんな風に坂道が続いています。



これが京・大坂道ですね。



足元にはこんなプレートも
埋め込まれています。
頑張って登ってゆくことにしましょう。



最近は無理のないトレーニングのおかげで、
足もよくできていますが、
無理のないようにゆっくりと
登ってゆきましょう。



こんな名前のついてそうな二体の地蔵があったり、
「学文路苅萱堂」があったりします。



ここにはまあ人魚のミイラがあるそうですよ。



この小屋の創設や人魚に関しては
「石童丸」にまつわる話が
関連しているようです。



そもそもここにはその石童丸が
高野にいる父を求めて
訪ねてきたんだところです。



ところが高野は女人禁制なので
石童丸は母と離れて一人で
高野に入ったそうです。

果たして石童丸は父親にあったのか・・・

続く

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中学生孫のリモート授業

2022-02-24 21:08:21 | 日常

町会長なんかをしていると、
平和な村だけどいろんなことがある。

人が集まるとまあそれぞれの主張や
権利が軽く争ったりする。
そんな簡単なもめごとの仲裁を
頼みに来たりすることもたまにある。

自分の問題なんやけどそれぞれが
権利を主張するともめごとに
なることが多いので、
町会長の裁量でそれぞれしゃあないな
で納得して解決したりするわけだ。

まあそういうことも、
一つの役割なんだろう。

また村の人や業者さんの訪問もよくあるし、
郵便物も多いし、町で人と会ったときに
色々話しかけられることも多い。

まあ、これもまたはいはいと
受け流すのも一つの仕事だ。

でもそんな毎日の中でとても
面白い話を聞かされたりもする。
今日はそんな話を一つ紹介しよう。

一人、とても話し好きの
高齢おばちゃんがいてはる。

先日ジムに行って帰って来た時に、
ちょうど駐車している横で、
doironが車を降りてくるのを
じっと待って張るのだ。

ああ、これでもう短くても
30分は相手をしないといけないなあ、
このままもう一度出ていこうかな
なんてこともふと考えたが、
まあそんなわけにもいかない。

荷物を抱えて車を降りていくと、
話がもうそこから始まった。

ある神様のお札の話なんかもあり、
事務連絡的な部分もあるので、
はいはいありがとうとか言いながら
ニコニコ聞いている。

そして「あんたとこはみんな元気か」
というので
「まあ二人やから、のんびり気楽に
暮らしているよ」とか
返事しながら「そちらはどうや」とか
言って返すと、もう待ってましたとばかりに
家族の話を始めはります。

そんな中でも面白かったのが、
コロナ関連の話だった。

「ワクチンてどんなに体重あっても
打つ量は同じかなあ」とかきいてくる。
「同じやと思うけど、なんで」
と聞くと
「いやあ親戚の男の子が
100キロ以上あるんやけど、
どうなんかなあ」と思ったんだそうだ。

「まあこんどワクチンするときに
医者に聞いてみ」なんていう会話を交わす。

それからねえ
「孫がねえ、中学生やねんけど、
今は学校が休みでねえ」
とそんな話も始まる。

コロナで学級閉鎖から始まって、
学年閉鎖、そして学校閉鎖までの
経過を話した後、
「最近サポートで家でパソコン見ながら
授業をやっているみたいや」という
「そらサポートじゃなくてリモートやろ」
「なんかそんなんでなあ。
朝早くから制服に着替えて
応接で授業を受けてるねん。
先日なんかは時間がなくて、
パジャマの上に制服着てて
大笑いしたわあ」などと
おなか抱えて喋ってはる。
そして「後ろで見てて、大笑いした声が
パソコンに入っているみたいで
息子に怒られて、そのへやから
追い出されたねん」という。
まあそりゃそうやろなあ。

それでもやっぱり見たくて
後ろのドアを少し開けて覗いてみてたら、
その姿もパソコンに入り、
みんなに大笑いされたといって
めちゃ怒られてるねんという。
いやあ、これはもう孫守りの
傑作話である。

まあ高齢者にとっては、
それで授業になっているねん
ということがとても面白くてなあ
と楽しそうにしゃべってはりました。

車で帰ってきたのに、
中に入ってこないなっと思ったミセスが
どうしたのかなと出ようとすると、
そんな話声が聞こえたので
出てくるのを回避したようだ。
まあ正解ですね。

ファーストレディもいろいろと
大変なんですよ。

それにしても久しぶりに話した
おばちゃんの話は今日はとても面白くて、
よかったです。

そのあとご飯を食べながら
そんなこと言ってたでと
話をしながら、大笑いしたのを
思い出します。

おかげで、その日は缶ビールを
二本飲んでしまいましたわい。

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