ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

自治会も年度末

2022-03-31 20:39:10 | 町会

ああ、今日で町会長になって
一年が終わります。
なんかいろいろあったなあ。
人々の思いはそれとなく
まちまちですから合わせるのが大変。

そして行政が絡んでくることは多かった。
道路工事、福祉の関係、
学校関係のお知らせや、
安全関係、祭りの関係など
まあ次々とやって来た。

自分もかつてはそうだったから
大きな声では言えないが、
行政も町の自治会に
頼っている場面がとても多いよなあ。

郵便は週に一度くらいの関係で
市から次々やってきたなあ。
あたふたと忙しいことだ。

そんな町会長も、これで終わって
開放かと思うとそんなわけはないのです。
いちおう任期は2年となっており、
少なくともあと1年は続けねばなりません。
そしてその先のことはとなると
もうよくわからない。
もうあいつはあかんとなると
そこで終了ということになり、
らくちんになれるのだがどうだろうか。

とりあえず1年が終わったということで、
まず総会を開かなければならない。
今年のやったこと、
来年予定していることなんかの
報告承認と会計報告だ。

でもねえ、そんなに広くない公民館に
いつも同じだと50人くらいが
集まって総会というのは、
今のコロナの時期はどうでしょうかねえ。

今年は役員改選もないので、
ぜひとも集まってもらう
という必要もないしなあ。

ということで、役員会議で話をし、
書類で確認してもらって
総会を終えるという形にしよう
ということになった。

その旨をまず回覧したところ、
どこからも不満がなかったので、
そうすることでいいだろう。

そうするとまあ、あと残っている仕事は、
会計報告書の確認と監査の報告書作りと
その報告の回覧だ。

まあこれは淡々と進んでいくだろう。
結局まあ質問とかないまま
ここまで来ている。

厄介なのは、来年度の様々な役員の選定だ。

福祉委員、防犯委員、衛生委員、
青少年指導員等々だ。
まあ同じ人間にやってもらうのが、
また今年も頼みますねえで
済むので楽チンなんだが、
なかなかそのままじゃ村の中が
活性化していかない。
若い人々も入れていかないと、
このままじゃ様々に滞っていくことが
ふえてくるだろう。

今年も厄年じゃない約年やでえと
頼んでいかないといけないね。

まず一つやったのが、
自治会副会長に若い奴を
一人巻き込むことに成功したのは朗報だ。
doironより7つくらい下の
人間にうまく頼み込めたのだ。

一番問題なのは老人会だ。
なかなか役を引き受けてくれる人がおらず、
ただいま存亡の危機にさらされている。

「みんな高齢化してねえ」とおっしゃるが、
老人会なんだからそれは
仕方ないんじゃないのって
感じなんだけどね。

この会がどうなるかで、
こちらの動きも激しくなってきそうなんだが、
まあそれはその時のことだと
あきらめておきましょう。

とまあ気にしていたら老人会も無事に
役員も決まって、何とか存続できそうに
なってきたようです。
ウヒャー、ほっとしました。
心のある部分が落ち着きました。

こんなことでなんでも気にしていたら、
こちらの気持ちも大変ですねえ。



こんなおおらかな気持ちで、
のんびりするときにはのんびり、
頑張るときには頑張るって感じで
すごさないといけませんね。

それが秘訣なのでしょう。

そんな三月も間もなく終わります。
でもそれはいろんなことが終わり、
一方で始まるときなわけですね。

働いていたころは、
三月は何となくそわそわした時でした。
来年度はどうなるだろうかってねえ。
今年もそんな感じです。
確かにどうなるんでしょうか、
来年のコロナは、そして自治会はってね。

祭りはするのかなあ。
コロナで中止にしたいろんなことが
また始まるのかなあ。
みんな頑張って楽しんでくれるかなあって
ビールを飲みながら
考えたりしている年度末です。

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淡路から国生みの島へ7

2022-03-30 21:14:30 | 旅行

沼島の西側半分を放浪して、
港に戻ってきました。

平坦な島に見えて、
道は結構アップダウン



で、もうミセスの足は大わらわです。
最後にはこの神社も越えて
急階段を降りてきましたね。



あれ、ここにも神社があるのかな
変わった名前の神社ですねえ、
普通に読めば、



「じぎょうじんじゃ」ですが、



これは前回言ったように
おのころ神社と読むんですね。



山の中を通ってお参りをし、
この神社にお参りをし、



旧階段をどんどん降りて
いったら港町に出ました。



途中階段の手すりにこんな注意がありました。



ああ、この島ってイノシシが
多いんですね。
上立神岩に登っているときにも
こんな捕獲折りが置かれていましたねえ。



でもこんな狭い島にイノシシって
いるんやねえと思っていたのですが、
この島とイノシシって
最近の事案なんですね。

昔はこんな生き物なんか
一頭もいなかったのに、
急に増えてきたんだそうです。

淡路島から4キロの海を
泳いで渡ってきたようなんです。
まるでトライアスリートですねえ。
イノシシって泳ぎがうまいらしいです。
あんな体だから、海に入ると
ぽっかりと浮かぶようで、
スムーズに泳ぐそうです。
そうして浮かびながら
日本の形を作った中央構造線を
泳いで超えてきたわけですね。
そのため一気にこの島のイノシシが
増えていきました。

集団で泳いできたのかなあ。

そんなイノシシのために、
この島の農業は絶滅しかかっています。
200本植えた芋がすべて
食い尽くされたなんてことも
あったようです。

農業者が一気に減ったそうです。
これはいかんと、捕獲折りを
設置するなどして、数年前には
年間で70頭くらいを
この島で捕獲したんだそうです。
そんなにいたんですねえ。
これだともう沼島の名物が
「はも」のてんぷらに加えて
「しし鍋」になっていたかもしれません。

doironが歩いているときも、
山の片隅で眺めていたのかもしれませんね。

下におり切ったところで時間を見ると、
次の船の発着迄1時間くらいありますので、
港町を歩きつつ、
この島の人たちの暮らしを
覗いていくことにしましょう。



海岸線近くまで降りて、
船乗り場の方に
向かって歩いていきます。

昼ご飯を食べた食堂を眺めながら、
西半分を一周した感じです。

あ、村のあちこちにまだ、
あの地図会社の人たちも
歩いていましたよ。
大変やなあ。



港町の片隅にだんじり小屋がありますねえ。
ここへ収納しているんでしょう。
でも横にある消防倉庫より
ずっと大きな祭りの倉庫。
海辺を中心にだんじりでにぎわう
祭りを開催するという、
島の人たちの暮らしを象徴するような
景色なのかもしれません。

港で飛び交うトンビの鳴き声を
聞きながら、歩いていくと
右手の山の方に階段と神社が
見えてきました。



訪ねてみましょう。



ここが沼島八幡神社です。

1436年に創建されたそうで、
沼島にとっては重要な神社です。
だんじり祭りもこの神社中心に
行われるようです。



あ、ここで沼島村の
道路元標を発見しましたよ。
これは貴重ですねえ。
この地点を中心に沼島の道路が
広がって行ったのかもしれません。

さあではお参りしていきましょう
と言うと、え~、この階段を上るの?
とミセスは躊躇しています。

でもねえ、せっかくここまで
来たんやからと説得して
登ってゆきました。



少し登ると、階段の左側に、
おおきな神馬像が置かれています。

下に書いてある案内を読むと、
大阪在住の沼島出身者が、
昔ここに神馬を寄贈した
そうなんですが、
戦争で供出させられ、
台座だけが残っていたそうです。
それを見た島の人々が
氏子総代の発起と当該の沼島の
人たちの協力を得て、
再度神馬が設置されたそうです。

続く

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淡路から国生みの島へ6

2022-03-29 20:50:59 | 旅行

沼島の西側半分をぐるりんと
回るように歩いています。



道しるべはあちこちに作られた



四国88ヵ所の霊場が案内を兼ねています。



ところどころに展望台もあるのですが、
なかなか草木や木が多く、
すっきりとは景色を見渡せません。



遠くに見えているのは、
紀伊半島の方かなあ。
そう言えばあとでわかったんですが
先日雑賀崎の方に行けば
遠くに沼島が見えていました。



でもちょっと方角関係があやふやなんで、
沼島からこの時見えていたのが
紀伊半島なのか四国なのかは
はっきりわかりません。

でもまあそんな感じで
海を隔てて景色が見えています。
やがてその道は海岸線から
山の中に入ってきます。

先ほどから、機械音がこのあたりから
聞こえてましたねえ。
その音がだんだん近づいてきました。
車がそんな山道に3台止まってますよ。
どうやら造園業の関係の車です。

機械音はチェーンソーですね。



みると、どうやら木を
切り倒しているようです。
ていうか枝落としかなあ。
道に木をひろげていたので、
よけて歩いていたら

「すみません。島の何とか何とか伐採
をやってます」と答えてはりました。

そうして八十八ヵ所の地蔵を見ながら、



歩いていると分岐点に出ましたよ。



このまままっすぐ行くと港の方なんでしょうが、
そこに通行止めの看板がついています。
しかも出口が封鎖されいるので
という注意書きもあります。

じゃ、こっちですね。
おのころ神社の方を目指してゆきましょう。

で、その「おのころ」なんですが、
これはどういう意味でしょうか。

漢字で書くと、
「於能凝呂」であったり「自凝」と
書いたりします。

地名のような、何か別の意味が
ありそうな感じです。

古事記なんかでは、
ここが伊弉諾命と伊弉冉命が
国生みで交わったところとされています。

で、その場所は完全にここと
されているわけではないので、
いくつかの場所が
「おのころ」なんだと
いわれているのです。

その一つがこの沼島で、
ここには伊弉諾・伊弉冉を
祀っているのが「おのころ神社」です。

まあもともと神社のあるこの山
「おのころ山」そのものが
ご神体で地元では
「おのころさん」といわれている神社です。

もう一つ淡路島の榎列下幡多
というところにある小山が、
二神の交わったところといわれ、
そこには「おのころ島神社」
というのがあります。
これはまた翌日に訪ねて
いくつもりですが、
まずはここ沼島の
「おのころ神社」を訪ねていきましょう。

通常は下から長い階段を
上ってお参りに来るのですが、
この時は山の方から来ましたので、
もういきなり本殿です。



最近どうも大修復されたようですが、
そこにはこんなにたくさんの人の
名前が刻まれています。



人口が600人程度の島なんで、
多くの人が「おのころさん」と
親しんでいることがここからも
よくわかります。



ここには伊弉諾と伊弉冉の
人形が祀られています。
沼島の神話を語るときなんかには、
いつも登場する人形のようです。

せっかくなんでお参りしていきましょう。

「え~地元の神社の氏子代表を
やっているdoironです。
今日は頑張って訪ねてきました。
この旅が充実することと、
人生充実するようにお祈りしていきます」
パン、パンと柏手売ったら
鳥が近くで「よしよし」と鳴いていましたとさ。



ではここから沼島港に向かって
長い階段を下りてゆきますが、
この階段の鳥居がね、あの香川の
「天空の鳥居」にちょっとよく似た感じでしたね。

「中空の鳥居」と名付けましょう。

この階段はとてもきつい下りで、
このあたりで、ミセスの足は
パンパンになって
膝が大笑いしているようでした。

あと少しです。
夜は温泉とフグが待ってるよ
と聞かしながら頑張ってもらいます。

続く

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淡路から国生みの島へ5

2022-03-28 21:09:51 | 旅行

山道を登り終えると、
あずまやのある広場に出ます。



そこには「上立神石」の
案内があるのですが、
まだここからは見えません。



奥の方に登ってゆく階段が見えていますので、
そこが展望台なんでしょう。
上がって行ってみます。

20mくらい登ったところが
ちょうど見頃の展望台です。
そこから海の方を見下ろしてみますと、
見えました。



高さ30mくらいの巨大な石が
建っています。
これが上立神石です。
かなりの迫力ですねえ。
これが日本国生みの元となった岩なんですね。

神様が空からしずくを垂らした矛の先っぽです。
しかもそれを上立神石なんて
名前にするなんて、なんかちょっと
ウフフな感じですねえ。
そしてこの上立神石が男の神で、
女の神である下立神石という岩も、
も少し西の方にあるそうです。
陸地からなかなか見れないんだそうですが、
こういう石なんだそうです。



なんてない石のように思うでしょ。
でもこの石は昭和9年の
室戸台風により崩れたんだそうです。
なんと崩れる前は石の中ほどに
穴の開いている石だったんだそうですよ。



これらをみながら交わって多くの神々も
作られたというのも、
なるほどって感じですねえ。
いずれにせよ神話は様々な
たとえを記載してそれを
神の暮らしに当てはめて
ストーリーを作っています。

そのストーリーの元になった
上立神石のような石のあることが、
神話と現実の狭間を埋めてゆきます。

また古事記にはこう書かれています。

夫婦になろうとした神様が
その方法がわからず困っていたところ、
雄雌のセキレイが飛んできて
羽を広げて夫婦のことを
おしえたんだそうです。

いやあ昔の人々の旺盛なる創造力には
驚かされるばかりです。

この上立神岩に絡む神話は
そんな感じですが、
もうすこしこの岩について書いておくと、
この高さ約30m、幅約7mのこの岩は、
三波川変性帯に属する
泥質の結晶片岩でできております。



中央構造線の南側で
1憶年前の変成作用でできた
もののようです。

生まれて2000年くらいの
ほんのつかの間の人々の暮らしは、
そんな古い石に関しては
へのかっぱのようなものですな。

しばらくその天を突くような
石を眺めていたのですが、
もうすこし下から近づいてみようと、
さっきのあずまやのところから
今度は下に降りてみることにしました。

どんどん下ってゆきますと、
海面が近づいてきますが、
何やら人の声がします。

ん?と思いつつ声を探ってみると、
何やら大声で叫んではる
男性がいるのです。

相手はいないようなんで、
石に向かって自分の思いを
ぶつけているような感じです。

これは近づけませんね。
ある種の神が乗り移っている感じです。

石段の途中から、
岩を写真に撮って
引き返してしまいました。



まあ、くっきりとその姿が見えたので、
今回はこれでよかったと
しましょうかね。

さあ、では沼島を半周するように
歩きはじめましょう。

沼島そのものの形は、
まるで勾玉のような形をしています。
その西側半分をこれから
回る計画なんです。

先ほどのあずまやのところから
少し下がっていくと、
分岐点があります。



ふうむ、ここからいきなりの登りですねえ。
平らな島だと思っていたけど、
結構アップダウンがあります。

この島の最高点は117m。
こちら側ではなさそうですが、
それでも100mくらいはありそうです。



この山道には、四国88ヵ所の



霊場の名前の付いた地蔵様が
祀られています。



とくに標識もないのですが、
地蔵様の番号で位置が分かるように、
地図にも記載されているようです。

続く

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淡路から国生みの島へ4

2022-03-27 21:25:00 | 旅行

土生港からの汽船に乗って、
沼島に上陸し、食堂をめざして歩いています。



ちょっと高台になったところには、
弁天さんもあります。

あそこはたぶんブラタモリで、
タモリが地形の説明を受けてたところかな。
帰りにはまた船に乗るので、
その時に見ることにして
いったんスルーします。





また細かい住宅街も並んでおり、
その路地の間をあの地図の会社の若者たちが、
図面をひろげてあちこちきょろきょろしています。
もう仕事に入っているんでしょうねえ。
そういえば背中に印刷されてた
地図会社のことを思い出しました。
この会社は住宅地の家一軒ずつに
名前を入れてある地図を出していましたねえ。
前の会社の時はかなり愛用しました。
なのでまあ地図の所帯主の名前とかの
チェックをされているんでしょうねえ。

あれ、ここは田中さん家から
鈴木さん家に変わったぞ、
みたいなチェックね。

大変な仕事ですねえ。
沼島は広さが2.1平方キロで、
人口は600人程度なんで、
頑張れば短時間で調査は終わりそうですね。
頑張ってください。



あ、ここには神社があります。
渡し船の事務所でいただいた地図によると、
沼島八幡神社ですね。
ここも帰りには寄ることにしましょう。

とまあそうしているうちに、
目標にしていた食堂に到着です。
船を降りた時に、謎のおっちゃんが
教えてくれたお店です。



宿泊施設も兼ねているんですねえ。



さあでは、ここでは鱧天でも生きますかと、
メニューを見ると、ありました鱧天です。
ところがねえ、どうも鱧天には
季節があるようで、今は扱っていない
とのことです。

ざ、残念です。

なんか居酒屋に行ったら、
瓶ビールだけで生ジョッキがないような気分です。
仕方ないのでタチウオの
てんぷらをお願いしました。



おすすめメニューらしいですし、
細長いのが鱧に似ています。
でもこれがとてもおいしかったですよ。
実が柔らかいのに、
それとなく深みのある味。
そうこれが中央構造線の味ですね。
って、どんなアジやあ。

早速doironはビールですね。

ウヒャーうまあい。
もうまるで、お口がタイやヒラメの竜宮城です。
タチウオですが・・
ミセスはあっさりと
お蕎麦&刺身定食をいただいていました。

うまいねえ。
これだけでも今日来たかいがあったねえと、
二人はまるで珍道中のキャスターのように
ささやきあうのでありました。



さあでは最初の食事も無事に終わりました。
では本日の一番の目的である、
沼矛の形をした「上立神岩」を目指しましょう。

謎の案内おっちゃんは、
そこで飯食ったら案内に沿って



進んでいくと学校や公園があるから
その間を登って行けと言われてました。



道標に沿って進んでいくと



確かに学校があります。



人口が600人程度の島ですから、
子どもの数も少ないでしょうね。
ここは沼島小中学校と書かれています。



そしてその先には少し広い公園もあります。



「おのころ公園」。



実はおのころ島はどこなのか、
古文書などでもはっきり書かれていませんが、
この公園名から見ても
沼島の人はここがおのころ島なんだと
思っているんでしょうねえ。
中央構造線より南で、
淡路より古いことなどから、
たぶんそういうことなんだと思いますけどね。

その公園にはトイレもあるのですが、
その時は閉鎖されていました。
要注意ですねえ。



公園を右に見ながら、結構傾斜のきつい山道を
グングン上ってゆきます。
種類はわかりませんが、
桜の花も咲いています。



いやあ春ですねえ。

そしてこの道に多かったのが水仙です。



土生港の少し東側に有名な水仙郷がありましたね。
そんな影響なんでしょうね。

続く

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