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ハブ ア ナイス doi!その2

たまあに振り返ったことや、ちょっと考えたことを綴ってゆきます。

青春の頃を過ごした街で9

2025-05-19 20:38:26 | 旅行

懐かしい街歩きを終え、
今度は車で移転した大学を目指してゆきます。

途中、住んでいた下宿を目指しました。

まずは卒業時住んでて、思い出深い
アパートを目指しましたが、
もう一軒の家になっています。

隣にあったスーパーももうなかったので、
雰囲気は大きく変わっていました。
またもう一つのボロボロアパートも当然なくて、
そこも大きな家になっていました。

50年の月日は思い出さえも
塗りつぶしてゆきますね。
まあdoiron自身も大きく変わっているしね。

大学は都市部を避けて、
山手の方に引っ越しています。



ナビに従って車をどんどん走らせてゆき、
山の上の方に上がってゆきますと
急に開けて、大きなビルが建ちならんでいます。



ここが我が母校の移転先ですねえ。



周りにはほとんど町はなく、
なんかすこし味気ないですねえ。
まあ勉強を頑張るには
この方がいいんでしょうけど。
なんか昔の豊かさがないようなねえ。

せっかくだからと、じっくり
周りを見て回るなんていう気にもならず、
頑張ってねえと言いつつ
そそくさッと去ってゆくdoironなのでありました。

山を下りてゆくと、昔は考えられなかった
ところがなんかとっても発展しました。
その中に、学生のころに良くいった
餃子の関連店があったので、
そこでお昼にしましたよ。



学生の頃はこの餃子屋に週一で行ってたなあ。



ホワイト餃子と豚汁で脳みそを
癒していたぞ。
今やこの店も大行列店。
何とか座ったテーブルでは、
かつてのホワイト餃子とは
見た目も違うものが出てきました。

あの頃の餃子がなんかとっても
食べたくなりましたねえ。

さあ、今回の金沢旅で行こうと
思っていた場所はこれでほとんど
回りましたねえ。
青春の思い出をしっかり味わってきました。

でもねえ、50年という歳月が育てた自分も、
まだまだやろうと思ていることは
いっぱいあります。
心の片隅で今が青春だと思えるような
毎日をしっかり過ごしたいですねえ。
いい反省(^^)

最後に、金沢駅に行きましょう。
この駅も大きく変わりましたねえ。
何の変哲もない駅だったのですが、
いまはもうJRの中でも
大変貌した駅ということで人気があります。



おおきな加賀の鼓をモチーフにした
大きな建物が駅前にあります。



そこから駅の方に入り、
さっそくお土産購入で回りましょう。
お土産とは言っても、
ここで買いたかったのは
自分へのお土産です。

ここんところずっと食べたいなあ
と思っていたのが、かぶら寿司です。

大根の間にぶりの切り身が入った寿司です。



なかなか大阪じゃ手に入らんのですが、
ここではさすがに売られていましたね。

あとはホタルイカやモンゴイカの
内臓入りするめです。



これもばっちり手に入れました。
もう満足です。
少々天気も悪くなってきたので、
ぼちぼちと大阪に向かって
ゆくことにしましょう。

車に乗り、かみなりや大雨の降る中
走ってゆきます。
丁度悪い天気が東の方に移動している時でしたね。
SAで休みながらゆっくり走っていると、
徐々に天気は回復してきました。
いい感じに湿った空気です。

途中ついでにここにも寄ろうと
木之元で高速を降り、
琵琶湖沿いの海津の方に行くと、
まあここも桜が大満開。



天気の悪い日の夕方なので



道はがら透きでした。



最後の最後に今年の花見を



締めくくりました。

昔の自分に触れた金沢の旅はこれにて終了。
素敵な同窓会にまつわるとってもいい旅でした。

おしまい

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青春の頃を過ごした街で8

2025-05-18 21:27:56 | 旅行

前日の夜、片町の高級居魚屋で
行われた同窓会は楽しかったです。
歳をとってこんなに楽しい仲間に
なっているなんて、みんなの人生も
きっと充実してたんでしょうねえ。

笑って、食べて、飲んで、話して大騒ぎ。
そんな中でdoironは大きな
忘れ物をしてきました。

翌朝、気がついたらカメラがないのです。
これはもう昨日の居酒屋に忘れましたね。
そしてその居魚屋は本日は休みです。
これはもうさらに翌日に
大阪から電話で確認するしかないでしょうねえ。

もしそこに忘れたんじゃなかったら、
頑張って撮影した
兼六園の桜の景色も見事散るですね。

夜のうちにみんなとわかれているので、
紛失に気付いた一日は
少し気が重かったですね。

今日は携帯を駆使した撮影で
何とか過ごしましょう。

気を何とか取り直して、
ホテルをチェックアウトしてから
午前中はまず金沢の浅野川界隈を
歩き回ることにしました。



昨日の兼六園に行ったときの
駐車場に車を止め、
昔の記憶を呼び起こしながら
歩きを進めていきます。

まずは材木町の方に行き、
浅野川へと向かってゆきます。

この浅野川は浅くきれいに保たれてます。
着物の染めを洗ったりそんなことを
していましたね。
だからキレイに保たれているんでしょう。
ここで取れる「ゴリ」という魚も
名物でしたね。
ゴリの佃煮なんてとっても有名な料理なんです。
とはいえ食べたことはないんですけどね。

まあとにかく本当に綺麗に
保たれた川なんです。

そして流れに沿ってこの川沿いの路には
「鏡花の道」という名前が着いています。
残念ながらこの人の作品は
読んだことがありません。
何となく幻想的な小説みたいな
イメージはあるんですが、
間違っているかもしれません。



でも彼はこの辺りの生まれで、
川沿いの路は建物の影になった、
何とも静かな情緒あふれる道になっています。

さらさらと流れる川の音を聞きながら
下流方向に進んでいきます。



天神橋を過ぎて、ここで目標にするのは
梅ノ橋です。



この橋はとっても情緒あふれる場所ですねえ。
この町を訪ねてきた人によく
案内したのがこの橋です。
いい感じですねえ。

橋のたもとには素敵なお家があったのですが、
今はもう工事が行われていて
生まれ変わろうとしていました。
その橋を渡りしばらく行くと東の廓です。
ここを観光するのも、
金沢旅行の定番のようになっていますが、
いかんせん、ここはもう
観光客で一杯すぎて、
さっと通り過ぎてきました。

ここからは橋場の方を抜け
車のところへと戻ってゆきます。
通り過ぎてゆく街を見ていると、
ああ、あの頃からある店なんかも
各地に残っていますねえ。

料亭、薬屋さんなんかは変わらず
昔風の営業をしていましたね。
懐かしさいっぱいですねえ。

それにしても4年間。
いい場所で贅沢な時間を過ごしました。
勉強はさほどしなかったのですが、
ここで過ごした貴重な時間は、
勉強よりももっと大切なものを
いただいたような気がします。

もうdoironという人は、
金沢と山登りやマラソンに
育てられたのかもしれません。

このあと知り合いが今も営業している
喫茶店にも行きたかったのですが、
ちょっと今日はこのあと
郊外に移転した大学に向かう予定だったので、
今回はパスです。

続く

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青春の頃を過ごした街で7

2025-05-17 21:18:53 | 旅行

石川門をくぐって、金沢城公園になっている
我が母校跡に入ってゆきます。

校舎やグラウンドの跡をめぐりながら、
別の坂道から外に出てゆきます。
そこは大手彫りに続く公園で
細長く兼六園迄続く通路のように
外濠公園ができています。



そこを歩いて兼六園に戻ってゆきましょう。

彫刻や銅像がいっぱいありますねえ。



在職中はここを歩いたかなあ。



500mほど歩くと石川門の下に出てきます。



実は兼六園の中ではお酒を飲んだり
花見はできないので、
この石川門の下が花見場所になっていました。
一回だけ参加したことがあります。
バカなことを言って、もう青春を
満喫していたころの話です。

そしてここからもう一か所
行っておきたいところがありました。
よく一緒に遊んだ大阪出身の同級生の
下宿がどうなっているか見たかったのです。
多分もう今はないはずです。
当時でも、窓の下にひびが入っていて、
そこにタオルが詰めてあって
それを取ると外の景色が見えていました。

ボロボロのアパートで、
ビールを飲んだりケーキを食べたり、
雪の時は庭に大きな鎌倉を作って
そこに潜り込んで遊んだりしましたね。

そんなアパートの跡地が
どうなっているか見たかったのです。

一キロほど歩いていくと、
急な下りの階段があります。



その途中が彼のアパートでした。
この急な階段を彼はバイクで
通学につかっていました。
雪の時はさすがに歩いてでしたけどね。
景色を見ながら歩いていると、
案の定そのアパートはなく、
大きな広場になっていました。



ああ、なんともハチャメチャな
生活を送っていた同級生との
あそび場もいまはもうその面影も
なくなっていましたね。

その友達は大学では同じ講座では
なかったので、同窓会には参加しませんが、
大阪に帰ったら彼にはここの写真を
入れて送ってあげようと思っています。

そこからかつての街中の
通学路なんかをチェックして車に戻り、
さあではいよいよ片町にある宿へと
向かってゆくことにしましょう。

宿はかつてその友達と
よく行ったパチンコ屋さんの
すぐ近くにできていました。

一緒にパチンコに行き
勝ったら回る寿司をおごる
という仕組みです。

残念ながらあまりdoironは
パチンコに凝ることはなかったのですが、
その友達は休みと言えば
通っていたみたいです。

そんな思い出の歓楽街に
50年後には高層ホテルができるなんて、
全く想像もしていなかったですね。

さあ、宿で落ち着いたら、
今回の旅のメインである
同窓会の宴会場に向いましょう。
多くが70になるような
年代の仲間たちなんですが、
不思議とみんなはとても元気です。
ヘタしたらdoironが一番先に
亡くなっていたかもしれませんねえ。

今日まわった思い出の話はもちろん、
普段のみんなの暮らしが飛び交いましたね。
もちろんあのドーナツの話も出ました。
なんともまあ50年の月日ですから、
細かい話はキリがないし、
あの当時から変わった町の話も
いっぱい飛び交いました。
出てきた食事はとても豪華。



のどぐろ、ガンド、たごし。
どんな字をかいたらええのか
わからんような魚のお寿司。



いやあいっぱいこの地方満載の
幸をいただきながら



ぶっちゃけ大騒ぎ。



果てしなく盛り上がった同窓会でした。

つづく

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青春の頃を過ごした街で6

2025-05-16 21:09:40 | 旅行

兼六園の中をぶらぶらと
でもしっかりと歩き回っております。

お、この山はサザエのような形をしているぞ。



どこかにこんな慰霊場所があったなあ
と思っていたら、なんとここは
栄螺山(さざえやま)。

ああ、長年の歩き癖で、
山の作り方までしっかりわかるように
なりましたねえ。



その下の方に、池があり、その池の真ん中に
一本だけ水の噴き出る噴水がありました。
この噴水はさきほど見た霞が池から



水をひいており、自然の水圧で噴き出る
噴水で日本で最古の噴水なんだそうです。

最近はJRが北陸新幹線の宣伝なんかでも
取り上げられていますよねえ。
多くの人が見に来ていました。

さあ、これで、当初の目的であったものは
ほぼ見ることができました。
桜いっぱいだった兼六園。
大学の入学時に希望で胸いっぱい
だったころに眺めていた景色と、
じっくり再会することができました。

ではその当時の大学の正門である
石川門へと歩いていきましょう。

昔は高校は岸和田城の横で、
退屈な授業の時は城を眺めていたし、
大学も城の中という環境はもうまるで
お殿様一直線の人生になっていくぞなんて、
友達と話していたのを思い出します。

あまり勉強はしなかったけど、
環境だけは整えているという生き方は、
一流の服を着てマラソンレースに臨む
というその後の趣味にも反映されていましたね。



ではその大学の正門へと向かってゆきましょう。

兼六園の入り口近くで上がってきた
紺屋坂を左折したら兼六園ですが、
右折したところにあるのが
その正門である石川門です。

金沢城の東にある国の重要文化財の門です。
石川郡の方を向いて作られていたので、
こんな名前になったそうです。

この大学の入り口に、
昔は大学の名前が大きく書かれた
大きな石碑がありました。
でも今は大学も山の方に移動していますので、
残ってはいません。
明日はその山方向の大学にも行く予定ですが、
入学当時、一緒に来ていた両親が
その石川門の大学名の石碑の前で
写真を撮っていたのを思い出します。

今はその石碑もありませんが、
満開の桜と石川門をバックに
ひとに頼んで写真を撮りました。
こんな感じ。



ああ、学生のころはもっとやせていたのに、
もうこんな太ったおじいちゃんになりました。
学生の頃は大阪出身の中のいい友達がいて、
いろんな遊びをしました。
そのうちの一つに、夜中の金沢を
見学しようと歩いていたら、
この石川門の上で炬燵をおいて
マージャンをしている学生がいたのを
思い出します。

ああ、あんなこともあったなあ
と思いだしつつ、あの頃一週間も
寝ては起きての麻雀を繰り返して、
最後に雨戸をあけたら、
雪国が春になっていたのを思い出します。
バカな学生でしたが、
どれも忘れられない思い出です。

石川門の中はもう立派な公園になっています。
そこであちらが教養の教室群。
こちらが教育学部で、
クラブの部室がここに並んでいたなあ
と思いだしたりしていましたが、
もうその思い出もなんかあやふやです。

あの50年前の当時から携帯とか
あったら写真もいっぱい残っているのにねえ。

今は芝生広場になっているところは
グラウンドでした。
体育の授業でサッカーをやったのですが、
桜吹雪でボールも霞んでいたのを思いだします。

続く

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青春の頃を過ごした街で5

2025-05-15 20:57:37 | 旅行

同窓会ということで、
金沢に一泊二日で来ています。

その初日には加賀市の
百名山記念館に行った後、
午後には金沢の兼六園に来ています。



車って便利ですねえ。

この公園は日本の桜名所100選の一つで、
桜がちょうど満開で
なんともまあ多くの観光客で
あふれかえっている状態です。

実は昔行きなれたこの公園に
改めて来たのには、
目的が色々とあったからです。

その一つが、兼六園の
東のはしにある展望台です。
兼六園は昔は無料で入り放題の公園でした。
なのでdoironの通学路だったのです。
その公園を通るときに、
その展望台は自分の下宿が見えるところでした。
いや下宿というより、
浅野川沿いの金沢の街が
全部見える眺めのいいところでした。

当時は人もパラパラといる程度の
公園でしたので、ゆっくりと
時間を過ごしました。

展望台にある木の簡単なベンチに腰掛け、
景色を眺めながら
「この大学で学んだことを、
この社会にどんな風に生かしていくのかなあ」
なんて考えていたことを思い出します。

まだまだ自分の確かな夢なども
持っていなかったころです。
今回はそのベンチにぜひ腰かけて
「お前の人生はこんなだったぞ」
と昔の自分に言ってあげたいなあ
と思っていました。
「そしてもう今はいろんな楽しい友達に囲まれて、
穏やかに過ごす毎日だぞ」
って言ってやるのです。



ところがねえ、昔眺めが
とてもよかった展望台も、
ベンチの前にはえている植物が
大きくなっていて、
展望が半分くらいになっていましたね。
でもまあいいんです。
50年の時を経て、
同じ場所で人生を振り返るなんて
なんともまあいい時間を過ごすことができて、
とっても幸せなひとときでした。

この公園に来たもう一つの目的は、
あの徽軫(ことじ)灯篭のある霞が池に
かかる橋を渡ることです。



実はこの灯篭は昭和53年に
建て替えられた灯篭です。
ほぼdoironが社会に出たころと
同じ年齢です。

霞が池にかかる橋ですが、
人生は霞んではいません。
やっと人生の多くをすっかり終えて
会いに来たよと言ってやるのです。

しかしここは渡ろうとすると、
外人がいっぱいいましたね。
もう全く何の思い出もないのに、
情緒的に酔ってるdoironの
邪魔をしないでって感じでしたな。



目的はまだありますが、
次は「兼六園菊桜」という桜を捜すこと。
この公園は桜がとても豊富で
公園名が品種の名前になった
こんな名前の桜もあるのです。



根上松(ねあがりまつ)という
株をやってる人がお詣りするという
松の近くにその桜がありました。



花はないですねえ。
もう1か月ほど後に赤い花が
大量に咲くそうです。
次回来るときはその桜の時期かなあ。

他にも「兼六園熊谷」なんていう
品種もあるそうで、ここ兼六園が
昔からの桜の名所であることがよくわかります。

どんどんと目的は達成されてゆきますよ。
今度は慰霊碑の一つである
ヤマトタケルの像です。

この像には鳩が寄り付かない
という話があったので、
金沢大の名誉教授がその金属を
見つけたというのが、
何とイグノーベル賞をいただいた
といういわくのある像です。

歩いてやっと見つけたのがこの像。



立派な慰霊像でした。

さあ、あとは日本最古の噴水を捜しましょう。

続く

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