ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

梅雨の頃の墓参り

2021-07-28 20:41:07 | 日常

義理の両親の墓参りに行きました。
まだ梅雨が明けていない頃です。

義理の両親といっても
もうすっかりと人生を共にしてきた
父親と母親だ。

釣りとカメラが好きだった義父、
占いが得意で裁縫も上手だった義母。

二人の墓は、大阪から金剛山系を超え、
奈良の山々が見渡せる當麻寺にある。

今は高速道路も通り、
簡単に行けるところなのだが、
以前は少し足を運びにくい距離だったなあ。

そこに二人で墓を買い、
生前時から時折参ったりしていたなあ。

歳をとってからは、
若い時には気が付かなかったのだが、
どうしても階段を長く
歩いてしか行けない墓だったので、
二人の足は遠のいた。

そして義父が先に亡くなった。

ではいよいよここに墓を
作らないといけない。

母親を墓に連れて行くために、
軽自動車でしか上がれない狭い山道を、
車で命がけで運び
連れて行ったものだ。

軽自動車でも山の木々で、
塗装を痛めたりしたすごい道だった。
生涯運転した中で、
どう考えても一番おそろしい道だったなあ。

ポツンと一軒家の「危ないぞ」と
いわれている道なんか、
まるでハイウェイじゃないかって感じだ。

そんな道を後ろの座席でおびえながら
登って行った義母さんは、
後年一度も墓参りはせずに、

「今度私がここに行くのは
墓の中に納まる時だ」

と話しをしていたものだ。

やがて墓も出来上がり、
義父を収めてからしばらくして、
義母もなくなった。

話しの通りに、義母は骨になって
ここにやって来たことになる。

その墓はお寺には珍しい、
黒い石の洋墓で、墓地の端っこに座っている。
そしてその墓には、
表面に文字がひとつだけ刻まれているのだ。

「和」という字だ。

決めたのはお母さんだ。
昔は商売をやっており、
人と人の「和」に随分と
助けられただろうと思う。

何があっても人と和を
もつことは大切なんだと、
墓参りに行くたびに
教えられるような気がする。

先日もまた、その墓に参ってきた。

だいたい月一で出かけているかなあ。

東京の義理の兄貴も時折こちらに来ては
墓参りをしているようだ。

ここに行くのは、
なんか気持ちがとても落ち着く。
お寺と一緒だからかなあ。
毎回本堂にお参りをしてから



墓参するからワイワイ言って
られないのである。

しかも、ここは山がとっても美しいし、
里山風の景色もとても好ましい。

遠くの無料駐車場に車をとめて、
桜の季節には桜並木を、



梅雨にはアジサイ並木を、



そして秋は紅葉の中を
てくてく歩いて行くのだ。

梅雨も真っ最中の今頃は、
田んぼに写る二上山もいいものだ。



山道をてくてく歩きながら、
そんな景色を眺めながら
義父母の話してたことなんかも
思い出したりもする。



いい話ばかり思い出したりするので、
こちらはどんどん恐縮して
反省を積み上げていくのは、
少しつらいが、人生訓として
ちゃんと持ち続けよう
と思ったりもするのだ。

最後の最後に義母さんが

「私があの世に行く時は、
家族の病気も全部この体に
納めて行ってやるからね」
といってた言葉は忘れられない。

その後のdoironの病気も
ミセスの病気も
何の後遺症もなく
元気に過ごしているから、
そんな義父母さんの
御利益があったのでしょうねえ。

奈良の田舎の寺山に眠る二人。

線香をあげると、
森の雰囲気が一気に変わります。
持参のたわしでゴシゴシ洗い、
掃除をします。
山の中なんで、蜘蛛やバッタが
結構いるんです。
墓なのに命であふれています。

義父母さん、元気にしているからね。
心配しないでここで静かに
眠っていてね。

梅雨が明けて夏になって、
入道雲が湧き出したら
また来ますからと、
静かに祈った墓参りでした。

コメント
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