ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

西国三十三所 京都の今熊野2

2021-07-23 21:16:27 | ウォーキング

しばらく参道を歩いていると、
前に橋が見えてきました。



いい雰囲気ですねえ。



この橋は鳥居橋という名です。



お寺なのにねえ、
神社みたいに鳥居橋とはこりゃいかに。



そんな橋を渡って、
本堂の方に入ってゆきます。



ではまずお参りです。

ろうそくをあげ、線香も上げ、
納め札も納めてお祈りします。
あ、賽銭も上げましょう。

普通は、開経偈をあげ、懺悔門を唱えます。

これって四国で散々唱えたから
覚えているんですけど、
毎月に御寺さんがきて、
月の奉納するときにも
この言葉は出てきますねえ。

そしてそのお経はすぐに終わり、
仏壇では別のお経が始まり、
巡礼ではここから般若心経が始まります。

え~お参り時には心の中で
それらを思い描きながら、
家内安全、健康長寿を祈るわけです。

ここの寺の巡礼では
頭痛が治ったりするようですが、
残念ながらもう10年以上
頭痛はありません。
遊びまくって頭が痛いというのと
ちょっと違いますよねえ。
あ、ミセスが旦那の遊びまくりに
頭痛を犯しているのか?
いやいやそんなことはないでしょう。

とまあ、色々と考えつつ
お参りを終えたら朱印帳を出しましょう。

「草創1300年の印もお願いしまあす。」

ここでは納経帳に
「大悲殿」と書かれます。

多いですねえ、この字を書く朱印。

お寺の朱印を書いてみたいと言ってたあゆみん、
この字を練習してくださいよ。
それにしても大きく悲しい本殿
ていう意味かなあと思ったら
違うんですね。
そんな悲しい御朱印は
ありがたくないもんね。

これは「大いなる慈悲の心で人々を見守る
本尊十一面観世音菩薩のいらっしゃるお堂」
という意味なんだそうです。

慈悲の心で見守ってくださいね~。

さあ、これで今日の目的は達成なんですが、
少しこの周辺を歩いて
昼飯を食べて帰りましょう。



車を駐車場に止めたまま、
慈悲の心で歩きモードにかえました。
今熊野観音の参道入り口のところから
入っていける、御陵をまずは
見に行きましょう。

このあたりには御陵がいくつかあり、
泉山御陵といわれています。



参道はこんなに広い道です。
この奥には孝明天皇とその女御である
英照皇太后の御陵と
四條天皇の御陵があります。

孝明天皇は明治天皇の前の天皇ですね。
そして四條天皇は1230年ごろの天皇で、
二歳で天皇になり12歳で
亡くなっています。
そのなくなる理由というのがすごい。
近習の人や女房たちを転ばせて
楽しもうと試みて
御所の廊下に滑石を撒いたところ、
誤って自ら転倒したことが
直接の原因だったそうだ。



これが四條天皇陵で



これが孝明天皇陵。



御陵を訪れるごとに、
その歴史を調べていると
いろんな出来事に
触れることができますね。

そんな御陵を出て、
今度は街中に入ってゆきましょう。
車でくぐった山門を超え、
那須与一の墓があるという



即成院を眺めつつ



歩いてゆきます。

東大路通りに出て北向いて
歩いてゆきますと、
後白河天皇が植えたといわれる



クスノキが生える
「新熊野神社」があります。



もうここには何回も来ましたねえ。

それにしても名前に
「後」のつく天皇は多いですね。
全部で28名おられます。

先ほどの四條天皇の父が
後堀川天皇ですね。

後、の前の字を持つ天皇と
志が似ていたんですかねえ。

死んでからこの天皇名が
付けられるらしいのです。

長野にいる我が息子も、
将来「後doiron」と名乗って
もらわないといけませんかね。

そのあたりで昼食を食べました。

その時は京都も緊急時多宣言だったので、
アルコールもない静かなお店でしたね。
車だから飲めませんけどね。

三十三ヵ所を周り少しずつ
歴史の勉強もした巡礼だったのでありました。

さああと少しの三十三ヵ所、
頑張って回りましょう。

コメント
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