青大将に別れを告げながら、
また先に進んでいきましょう。
こんな広い山の坂道を下ってゆきます。
足のリハビリをしている人には、
さほど歩きにくい道ではないのですが、
下がごつごつしていると転倒が心配です。
ゆっくりと進んでゆきます。
かなり下まで降りてくると
海が目の前に見えてきます。
ここが「孝助松海岸」です。
この近くで船に乗っていた
孝助という人が、ここの海の松に
引っかかって助かった
といういわれがあるそうです。
この松がそうだという説もあるのですが、
かなり高い所に生えている木です。
これで助かったというのなら、
このあたりの海岸線は
完全に海の中なんですが
どうなんでしょうねえ。
まあ伝説はいろんな形で伝わりますからね。
ここでの伝説話の紹介は
これくらいにして、
ではここから本日最大の
目的地である第3砲台跡を
目指してゆきましょう。
またまた山道を歩き始めます。
第3砲台はタカノス山の中腹にあるので、
基本登ってゆきます。
あ、前方に展望台のような
ところが見えてきましたよ。
そこはこの島の野奈浦桟橋の
ある方向を見渡すことができます。
そして注目すべきは右前方に見える神島です。
友ヶ島は4つの島で
出来ている島群であることは、
もうご存知かと思います。
そもそもこの島群を何故友ヶ島という名で
呼ぶかというのには、
これも伝説が残っています。
三韓征伐を終えて帰途に着く
神功皇后が瀬戸内海で嵐に遭い、
海に漂う苫(とま)に導かれて
この島に辿り着き難を逃れたことから
「苫ケ島(とまがしま)」と
呼ばれるようになり、
それが転じて「友ケ島」になった
といわれています。
ひとつひとつ見てゆきましょう。
今歩きまわっている島は「沖ノ島」です。
加太から見て一番沖にある沖ノ島です。
4つある島の中で一番行きやすい島ですね。
船が渡っていますからね。
そしてその手前にある山が
「地ノ島」です。
昔この島には灯篭もあったのですが、
今は使われていません。
歴史ありそうな島ですが、
今はその塔台跡以外に
特別なものはないそうです。
この地ノ島は国の所有になり、
現在は環境省が管理しているようです。
そして虎島というのは
沖ノ島の陸繋島です。
潮が満潮になると渡ることができません。
今回、沖ノ島に渡った時に
島の管理をされていそうな
作業服を着た人に、この虎島に渡る道は
どうですか?と聞くと、
「最近はさらにひどくなっているので
わたらない方がよい」といわれました。
以前渡った時は余裕だったけどなあ。
今はもっと危なくなって
いるのかなあって感じです。
とりあえず今回はリハビリ
ということもあって、
そこまで行く時間はありませんが、
また日にちを改めて状態を
確認したいと思います。
ここには、役行者の修行場が
あるとともに、立派な像が
がけっぷちに座って
海を眺めているのが
とても感動的なのです。
ではなぜ虎島なんでしょう。
少し調べてみましたが、
出てきませんね。
多分、多分ですよ。
この島の周りの石壁が
シマシマ模様なんで
そこからこんな名前になった
のかなあって思うのですが、
どうなんでしょうねえ。
そして友ヶ島を構成する最後の島が、
この展望台から見える神島です。
この島は日本を創造したと
伝えられる少彦名命(すくなひこなのみこと)
と大己貴命(おほなむじのみこと)の
祠が祀られた島で、
文字通り神の島。
沖縄で言えば久高島みたいな感じですねえ。
でもこの島に祀られていたんでは
不便だろうということで、
仁徳天皇が加太に建てた
淡島神社にこれを遷座したというのが、
淡島神社の創建でもあるわけです。
現在はこの神島には立ち入ることはできません。
続く