ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

太子葬送の道 香芝の鹿島神宮

2021-07-08 21:10:57 | ウォーキング

この志都美神社でもう一つ特徴的なのは、
社殿後方の森です。



小ジイを優先主とした照葉樹林で
マキなんかも自生する社そうで、
これは天然記念物です。



実は先程の武烈天皇の古墳と
ひとつながりの森になっているわけです。
では、森の中をトレイルランしてみましょう・・
なあんてことはしません。



はあそうですか。
覚えておきましょうと
それで満足なわけであります。
さあ引き続き歩いて行きましょう。



次に現れるのは、念通寺というお寺です。



石像とかありますが、
鎌倉時代のお寺なので、
葬送の時にはまだない所です。
田んぼの中に小高い所があって、
その上にありました。



そしてもう少し南下したら、
コースは右手に曲がってゆくはずです。



ここから二上さんの方に向かい、
聖徳太子の墓のある大阪太子町の
方へと向かって行きます。



この竹田川にかかる橋のあたりから、
右の山手の方に行くのですが、



今日は車をとめた畠田まで
戻らないといけませんから、
葬送のコースはここでおしまい。

そこから離れて、香芝の駅の方へと
向かってゆくことにしましょう。

このあたりはかなり進んだ町です。



王将もありますよ。



そしてその向こうにあったのが
「顕宗天皇陵」です。



先ほど見た武烈天皇の2代前の天皇。
親の兄弟、おじさんというわけですね。
まあまだこのあたり
開けていない頃でも、
天皇陵はあちこちにあったんですねえ。

大和の地に近いからかなあ。
そんな天皇陵を眺めながら
進んでいきます。



こんな地蔵さんも見て、
斜め左に入ってゆく道を
進んでいきます。



この道の終点あたりに
香芝の駅があるはずです。

大きな交差点に出て周りを見回すと、
左に入ってゆけば駅なんですが、
少し前方に大きな神社があります。

最後にあそこに寄っていきましょう。



その神社は「鹿島神社」。

西暦1172年に茨城県の鹿島神宮から
その分霊を勧請したのが
始まりとされています。

ここには、貴重な歴史的資産があります。
それが「鹿島神社結鎮座文書」と
「渡御行事」です。

前の文書は県の指定文化財です。
結鎮座という団体が祭礼を行っており、
そんな関連の文書があるそうです。
また後者の行事が
輪番する頭屋宅に御神霊を奉迎する行事です。

頭屋という宅が行事を賄うというのは、
とてもむつかしいです。
昔から伝統的にやって来たといっても、
なかなか今の若い者には
そんな伝統のことがよくわかりませんから、
どんどん人が離れてゆく
というような時代になっています。

これは我が町の地蔵講でも
同じ声が出ており、
頭屋を務めるのは嫌という人が
増えつつあります。

じゃ、若い人から頭屋制度をあきらめて、
簡単な行事にしようという声も
上がってくるのですが、
doironは反対です。
地元の人はそんな制度を元に
地蔵を大事にしてきたのですから
出来るだけ頭屋制度は
残しておきたいと考えている人も多く
doironもそう思います。

今後、講の総会の中で
どう変わってゆくかが
これからの課題であり、
doironの役割なのであるわけです。

この鹿島神社のそんな伝統的な仕組みは、
地域の人たちにも
大きな影響を与えています。

実は「香芝市」という名前は、
この「鹿島神社」が元になっている
ということです。
お参りもし、我が町の講も
無事に発展することをお願いして、
今回の歩きも終わりにしましょう。

次回は近鉄線の電車を活用して
葬送の道の続きを
歩いて行くことにします。



意外にひなびたJR香芝の駅から
電車に乗って、車をとめてある
畠田まで戻っていった
doironだったのでした。

おしまい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする