観音寺の坂では、
北側に信太山丘陵がよく見えます。
そして下の谷の方から道が
一本上がってきますねえ。
以前槙尾川をさかのぼって歩こうとしたときに、
河の右岸の道がなくなって
この道を通って回ってきたことがありました。
ということはここから
槇尾川の方に行けるわけですね。
ウロウロしているおかげで
随分と道も覚えました。
その観音寺の坂道を登り切ったところに、
おおきな住宅街ができています。
ちょうどここを開発しているころに、
ここの坂を自転車で登ってました。
あの頃はよく来ましたねえ。
宝くじが当たったら眺めのいい家でも
買うかなんて思っていたほど、
この住宅街からは和泉方面の
景色がよく見えます。
町があって海があって、
さらにその向こうに六甲も見える
という景色です。
観音寺の遺跡に行くには、
この住宅街の中に入っていきます。
50mほど入ってゆきますと、
こんな大きな公園がありますね。
そして、その中を抜けてゆき、
北側の竹林なんかのある所に
出てゆきますと遺跡のある所に出てきます。
ここが観音寺遺跡です。
弥生時代後半の住居跡が
全部で100件あまり
出てきた遺跡だそうです。
眺め良かったんでしょうねえ。
かつてはこことdoiron家近くの
弥生遺跡を歩くというウォーキングも
よく行われていたそうです。
今は中に入ってみても
小高い丘のようなもので、
遺跡というものはあまり見当たりません。
緩やかな丘に芝生があって、
ニワゼキショウの群落が咲いていました。
そもそも「観音」というのは
「観世音菩薩」のこと。
人々の苦しみをのぞいたり、
お願い事を聞いたりしてくれる
慈悲深い仏様のこと。
「コロナを除いたり、
酒屋でワイワイできる世の中になってほしい」
と頼まなくてはいけませんね。
まあそんな風に大きな特徴もない
住居跡を歩き回って、
ではまた下ってゆきましょう。
帰りは住宅街の外側を周るように
下ってゆきます。
右手には広い谷上の村々が見えています。
和泉中央から下ってくる山と
信太山丘陵の山々の間を流れる土地で、
槇尾川が流れ、河泉街道沿いに
人々が暮らしています。
もっと海の方に行けば、
泉大津の勅使道につながってゆきます。
ここから少し川の方に降りたいな
と思ったのですが、
地域の子どもがあまり行かないように
フェンスが作られ、
階段道の上には鍵のついた扉が
設けられています。
残念ですねえ。
眺めていると、ああ、あそこの道からは
山道に入って、槇尾川の堤防に
出ていくぞと少し前の歩きを
思い出しながら眺めてつつ歩きます。
また谷の方は別の機会に
行きましょうということで、
今日は行きと同じ観音寺の坂を
ブラブラと自転車を押しながら
下ってゆきます。
では、お昼はどうしますかあ?
ということで、ちょっと立派な
カフェに入り、少し豪華な
ランチをいただくことになりました。
それがこれ。
doironがいただいたのは、
ロコモコ風のランチですねえ。
ワイワイといただきました。
自転車なのでお酒はいけません。
ていうか、緊急期間なので
いまはお店でアルコールを
いただくことはできません。
早く解除されないかなあ。
広間は外をぶらぶら歩いて、
夜は居酒屋で大騒ぎ。
なんてことはない楽しい時間なんですが、
残念ながらコロナでそうはいきませんねえ。
そしてランチを終えたら、
すぐに解散になります。
doironはそこから
ぶらチャリで近辺を乗り回しながら、
今日の遊びは終了です。
まもなく夏が来ますねえ。
doironの大好きな夏です。
しっかり計画して
頑張って遊ぶようにしましょうかねえ。