国道を車に気を付けつつしばらく歩くと、
右手に庚申堂が現れます。
道教の教えでは人間の体には
三戸といわれる三匹の虫がいて、
庚申の夜に眠ると体から抜け出して、
その人の悪事を天に告げる
といわれています。
なのでその庚申の夜は
告げ口されないように徹夜して
朝を迎えたりしていたようです。
まあ、今はもうそんな行事も
していないそうですがね。
しかし「一國一宇庚申」と刻まれた石や
広い参道をみたら、
地域の人に親しまれているんやなあ
って感じはありますね。
これが本堂です。
あ、右の方に猿ボボがついていますよ。
「庚申」の「申」に関連しているのかなあ。
この庚申の夜にコンニャクを
北向いて食べたら、
頭痛が治るといわれていますから、
多分今でもひっそり家庭の中では
そんなコンニャク行事は
続いているんでしょう。
doironは残念ながら、
頭痛はほとんど経験ないのです。
そんな庚申堂を過ぎたら、
道は国道から昔の道に入ってゆきます。
このあたりも谷は狭い所ですから、
国道開発の勢いの中で
旧道は途切れたり、
まぎれたりしているんですね。
坂道を登ってゆきます。
田舎の景色ですが、
大きい家が多いですねえ。
歴史を物語っています。
道の周りは野草がたっぷり。
色の青っぽいタツナミソウが咲き、
野イチゴも食べられますね。
とても豊かです。
しっかり登ってゆくこの急な坂は、
「嶮そノ坂」といわれ、
河内長野から高野山の山に
向かって行く厳しさを予感させる坂道です。
それを登り切ったところにあるのが
「石仏寺」です。
正式名称は曼陀羅山阿弥陀寺で
空海が開いたお寺です。
空海が四国の七十一番札所弥谷寺で
修行をしていた時、
瑞光を放つ3つの石を見つけて、
阿弥陀・天照大神・春日大明神の
三尊を彫刻して、それをこの寺に
置いたといわれております。
弥谷寺は結構山の中の札所でしたね。
doironはここのお寺の絵を
こんな風に描いています。
結構登りもきつくて、
恒例のおばあさんは添乗員さんに
納経所を預けていましたね。
ムム、無理したら空海さんに
出会うところでしたね。
そんなありがたい石仏を
安置しているから地元の人はこの寺を
「石仏寺」と親しんでいただけでなく、
何とこの村の名前まで
「石仏村(いしぼとけむら)」と
呼んでいるそうです。
この寺の背後の山には石仏城という
楠木正成が気づいたという
城があったそうです。
今も土塁の跡とかは残っているそうですが、
なんか山中に入っていこう
という感じはないですねえ。
そしてこの石仏寺の近くに
弘法井戸という井戸があるのですが、
あまりわからなかったです。
かなりあれており、
弘法大師の湧水伝説の残り井戸ですね、
昭和の45年くらいまでは
村の生活用水にも使われていたそうです。
街道の整備のひとつとして
城跡も井戸もきれいに
復元されたらいいですねえ。
そのお寺からかなりけわしい下り坂を
下っていくと、国道に出ます。
山の中の一本道と思っていた国道も、
各地で旧道と交わっているんですね。
そこからは車のあまり入ってない
山の道に入ってゆきましょう。
高野街道はここから鳥居坂
といわれる難所のひとつといわれる
坂道を下って行くのですが、
ちょっと整備がされていないですね。
なので、右の山方向に入っていく
自動車道を歩いて行きます。
もともと高野街道のある谷は深いですねえ。
でもなんか道のようなものが
ついていますねえ。
今は通れるのかな?
でも何となくまだ不安そうな感じはします。
木々をかき分けて歩いて行っても、
ここから先は進めないですよ
とか書かれてあるかもしれませんし、
何となくイノシシとかも
活躍してそうな寂しい道ですね。
続く